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シールディザイアー ~双世の精霊術師、遙か高嶺に手を伸ばし~  作者: プロエトス
第一部: 終わりと始まりの日 - 第四章: 果てなき雲上の尾根にて
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第十話: 二人と二頭と喜びの歌

――ちゅ。


「ん? お、おはよう」

「おはようございます、松悟(しょうご)さん」


 カーゴの居住スペースで横になっていた僕は、謎の心地(ここち)よい錯覚と少しだけ見慣れてしまった月子の(かお)――当然、まったく見飽きるなどということはない――に目覚めを(うなが)された。


 昨日、ユキハジキの群れをどうにか追い払った僕らだが、吹き飛ばされてしまいそうなほどに激しい強風をやり過ごすため、両側を深い断崖とする細い稜線上に留まることを余儀なくされてしまった。

 ひとまず、地の精霊術によって小さな盆地のように地形を整え、(ふた)として岩室(いわむろ)を設営、戦闘で傷ついたカーゴビートルに加え、同じく傷を負ったベア(きち)とヒヨスも招き入れて休むこととした。


 そして本日、風はなおも収まる気配が無く、まだしばらくは足止めさせられてしまいそうだ。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ほっ、ふっ……ほっ、ふっ……っと! よし、終わり!」


 月子に起こされた僕は、頭をしゃっきりさせるため、その場で寝起きの体操を済ませた。


 走行時とは異なり、天井部が一メートル以上も高く迫り上がった車体中央部の居住スペースは、立ち上がって多少のストレッチができるほど余裕ある空間へと変わっている。

 立ったままで上方向に腕を動かすのは気を使うが、横向きに振り回したり、上半身をひねって腰を回すくらいは楽にできるのだ。


水の精霊に我は請う(デザイアウォーター)身を浄めてくれ(ウォッシュ)


 精霊術で汗と汚れを落とし、身だしなみを整えながら、ついでとして車体左右のドアより頭を突っ込んできているチビどもを撫で回してやる。


「みゃあ!」

「わっふ!」


 昨日の戦闘後、傷を負っていた二頭の身体(からだ)は綺麗に洗われ、ちゃんと手当ても終えている。

 だが、元々、大した傷を負っていなかったヒヨスはともかく、あちこちに浅い傷を負っていたベア(きち)でさえ、こうして撫で回してみれば、既に傷痕を見つけることが難しいくらいダメージが回復しきっていた。

 いくらなんでも、手当てのお(かげ)というわけはなかろう。

 こういったところも異世界のモンスターゆえのことか、常識外れの生命力に驚かされる。


「そろそろお風呂と運動も恋しくなってきましたね」

「この車内も思っていたより遙かに快適だけど、それはやっぱりなぁ」


 月子お手製のブラシを使い、二頭の毛繕(けづくろ)いを始めた僕は、手を止めぬまま会話を続ける。


「居住スペースはもう少し広くしても良かったかもな。横方向にも広げられるとか」

「とても魅力的ではありますけれど、現実的には難しかったですよね」

「その分、かなり重くなるだろうからなぁ。可動部分が多くなると構造的な不安も出てくるし」

「残念です」


 そのまま、しばらく居住スペースで全員まったりと(くつろ)いだ。

 びゅーびゅーごうごうと風が吹き荒れる音をBGMにしながら。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 さて……と、手持ち無沙汰になってしまったな。

 簡単に料理をし、お茶を()れ、月子と共に食事をするも、流れる時間は長くはない。


「うーん、拠点の生活ではいくらでもやることがあったが、車の中だとヒマで困るな」

「お互いにもう娯楽も出し尽くしてしまいましたし……ああ、それでしたらお一つばかり」

「うん?」

「少々、お耳汚しなのですけれど」

「ふむ、何を聴かせてくれるのかな」

「ふふっ、きちんと習ったわけではありませんから、あまり期待はなさらないでください」


 月子はそっと目を閉じ、ゆったりと、しかし背筋を伸ばして座席に座り直す。

 そして、彼女の玲瓏(れいろう)たるクリアボイスにより高らかに歌い出されるは、人の愛と喜びの尊さをひたすらに(うた)い上げる、あの世界的に知られていたメロディー。


 これは、第九か? 一人で歌うような曲ではない、が……。


 力まず構えず自然な歌声で(ぎん)じられていく歌詞は日本語訳されており、愛という光を追い求め、苦難を乗り越え、喜びの頂を目指せ……要約してしまえば、そんな意味合いの詩となっている。

 オリジナルの歌詞はドイツ語で書かれており、聖書の世界観を元にした哲学的なものなのだが、彼女が歌っているのは宗教的な言葉を排した平易な日本語の歌詞である。

 聴き慣れた――いや、ハッキリ言うと、聞き飽きた感すらある曲だが、初めて耳にする歌詞と彼女の美しい声は、僕の中に深く()み入ってくる。


 月子の歌声に合わせ、心の中でその歌詞を繰り返す僕は、気が付けば涙を流していた。


 ああ、なるほど。流石(さすが)は歴史に残る名曲といったところか。

 これまで一度たりとも真剣に聴こうとはしておらず、随分と侮ってしまっていたらしい。


――パチパチパチパチ! パチパチパチパチ!


「お気に召していただけましたか?」

「ああ、うん。聴かせてくれてありがとう。……うん、実に素晴らしい歌だった」


 僕は全力で拍手をしながら彼女を(たた)えていく。


「にゃっ! にゃっ!」

「わっふぅっ!」


 どうやら、チビどもにまで素晴らしさは伝わっていたようである。


「ふふっ、よろしければ次はみんなで合唱してみましょうか? お教えしますよ?」

「それは楽しそうだな。歌唱力にはまったく自信はないけど、よろしく頼むよ」

「うわっふ!」

「にゃにゃっ!」


 そうして僕たちは揃って(よろこ)びの賛歌を歌い上げた。何度も、何度も。

 チビどもが好き放題に声を上げるせいもあり、その合唱は月子の独唱とは比較にもならない、お世辞でさえ素晴らしいとは言い難い出来だったものの、最後までみんな笑顔で歌い続けた。



 そんな雰囲気に(ほだ)されたのではなかろうが、ほどなく天候は回復してくれた。

 昼前には出発することができ、渡りきった稜線の向こうには、思った通りに遥か先の方へまで降っていけそうな尾根がなだらかに広がっており、その日は順調に下山ルートを開拓することができたのだった。

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