第七話: 車中泊、共に朝を迎える二人
結論から言えば、十時間だ。
これが、大気圧、空気濃度、更に温度を適切に保つ精霊術【環境維持】の車内版……名付けて【環境維持(車内用)】の一度の持続時間だった。
今まで六時間程度しか――それでも十分有り難かったものの――保たなかったことを思えば、もはや段違いと言えるその数字の秘密は、とある素材にあった。
ボウリングムシを覚えているだろうか?
ダンゴムシとクマムシの合いの子といった見た目で、周囲の精霊術を打ち消してしまう厄介な能力を備えていた、あの虫である。
その無効化能力は、日本の鎧武者を思わせる甲殻にあり、死した後に剥ぎ取った物であっても有効だったのだが、詳しく調べてみれば、非常に興味深い性質も判明した。
ボウリングムシの甲殻を削った粉は、一定以上の量が集まっているときには精霊術を打ち消すものの、量を減らし薄めていくにつれて効果が弱まり、一定以下になると、今度は逆に精霊術を強化するようになっていったのだ。
これにより、以後、ボウリングムシの乱獲が盛んになったことは……まぁ、今は措いておこう。
そんなわけで、僕たちが乗り込んでいるこの車にも、当然ながら至るところで粉が使用され、特に車内は精霊術の効果を最大限に高めるよう念入りな調整が施されている。
その結果こそが、驚異のエアコン持続時間なのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数度の試運転を経て、現在は最後の締めに当たる車中泊の最中。
昨日の昼前より始めて既に二度、【環境維持(車内用)】を掛け直しているが、連続使用にも精霊たちはまったく渋る様子を見せず、とても効果が安定している。
これはもう正式運用に入っても問題なしと見て良いのではなかろうか。
拠点の洞穴の前に車を停め、雲間から昇る朝日を眺めつつ、僕は安堵し内心で胸を撫で下ろす。
おっと、せっかくの良い景色だ。彼女も起こしてあげるとしようか。
車の中、月子は隣の席を後ろへ倒して眠りに就いている。
我ながら進歩も無く、思わずぼけーっとその姿に見惚れてしまうが、どうにか気を取り直し、彼女の方へ身を乗り出すと、ポンポンと軽く肩を叩きながら声を掛けた。
「月子、朝だよ。起きられるかい?」
「……んう……松悟さん?」
「ああ、おはよ――」
薄く目を開けた貌へ朝の挨拶をしようとしたとき、何故か頬に彼女の手が添えられた。
しかも、ゆっくりとこちらへ向かって身を起こそうとしており、そのままでは顔がぶつかってしまわないかと思うものの、一瞬で混乱させられた僕は身体が強ばって動きが取れない。
「つ、月子っ!?」
かろうじて名を呼べば、彼女は動きを止め、パチパチと素早くまばたきをした。
「おはようございます。松悟さん。お顔に小さなゴミが付いていましたよ?」
「え? ああ……取ってくれたのかい? あ、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
うわ、そういうことか……驚いた。
しかし、また恥ずかしいところを見せてしまったな。
それなりに身だしなみにも気を付けているつもりなのだが、やはり若い女の子の目から見れば、まるで行き届いていないものなのだろう。
……いや、今朝はまだ髭剃ってなかったぞ。やれやれだ。
「それはそうと、外はなかなかの絶景だよ。もう、少し昇ってしまったが」
「ええ、素晴らしい日の出ですね。なんだか夢のような光景でした」
「にゃあ」
「……わふぅ」
いつの間にか、車の前方にはチビどもが陣取って、僕たちと一緒に朝日を眺めていた。
今日も良い天気になりそうだ。
日に日に春の訪れを感じさせられる今日この頃……と。
「よし! 今日一日、このまま無事に過ごせたら、試運転は完了ということにしようか」
「あ、その前に、お時間よろしいでしょうか?」
「うん、なんだい?」
「長時間過ごしてきて感じたことなのですけれど、立ち上がれる空間が必要ではありませんか?」
「ああ、確かになぁ。一応、横になれば脚を伸ばせはするが……」
これは僕も気になっていたところだった。
一日中、座席に座りっぱなしということで、疾うに腰は大変なことになり始めているのだが、下山時にはヘタすればこれが何日も続くと予想される。
僅かでも真っ直ぐ立ち上がれるスペースがあれば有り難い……のだが。
「ただ天井を高くするだけというわけにも参りませんし、何かアイデアをお聞かせいただければ」
「最悪、ドアのすぐ外くらいなら出られるにしても、余計なリスクは避けたいな」
【環境維持(車内用)】が、指定した空間の周り、どの程度まで効果を及ぼしているかなんて、流石に調べてはいなかった。
割りと普通に、うっかり出ていったら凍傷になってしまった……なんて事故も起こりかねない。
「実際のキャンピングカーはどんな風だったかな。そこまで天井が高くないタイプもあったはずだけど……」
「松悟さんは乗られたことがおありなのですか?」
「友人が持ってたから、何度かキャンプに連れていってもらったことが……って、ああ、そうだ。停まっているときに天井を上げ下げできるようになっていたなぁ」
「なるほど、それでしたら走行時の邪魔にはなりませんね」
ふむ、サンルーフが持ち上がるような構造にして展望席が作れないだろうか。
外装にガラス張りの部分が多くなれば耐久力に不安が出る。よく考えなければならないが。
「……積んである素材でも試すことができそうかな」
「とりあえずは、居住スペースの天井を上げられないかどうか見てみますね」
「可動部に使えそうな素材が――」
この後、僕らは車の改造に夢中になってしまい、気が付いたときには日が暮れ始めていた。
最後の【環境維持(車内用)】を掛け直した僕たちは、その後、丸一日も放置され、すっかり機嫌を損ねていたチビどものことをかまい倒しながら、運用試験をすべて終えたのだった。





