第二話: 人気者の転校生と悩める教師
美須磨月子が転校してきてひと月が経った。
世間一般において、高校での転校生というのはなかなかに珍しい存在だろう。
本来、学校の生徒数は大勢の受験生をふるいに掛けた上で年度ごとの定員に合わせられているのだから、始業後に急な増員を受け入れるとなれば結構大変なことだ。
転校する理由がある生徒の側からしても、通学圏内にある転入可能な学校探し、追加の受験と言える転入試験、煩雑な手続き……といった苦労をしてまで、転校という手段にこだわる必要はあまりない。
結果としてその希少性は上がり、好きにつけ悪しきにつけ特別視されてしまうことになる。
だが、我が校は割りと恒常的に毎年一人か二人の転入を受け入れていることもあって、殊更に転校生を珍しがる風潮はなく、美須磨が周囲の雰囲気に馴染むのは比較的早かった。
元々、特殊な空気を持つ全寮制の女学園だということも追い風になっていたように思う。
転入の後、数日にして前の学校の制服から本校指定のそれへと替わり、翌週になる頃にはもうクラスの中で『転校生』というくくりで彼女を見る者はいなくなっていた。
……と言っても、それは美須磨の特別性に幾ばくかの翳りが生じたという話ではなく。
「月子さま。次の授業は礼法を選択していらっしゃったかと存じます。礼法室までご一緒させていただいてもよろしくて?」
「ええ、よろこんで。まだ教室移動は不慣れですので助かります。でも、様はやめてくださいね、碧さん。クラスメイトですのに、なんだか壁を感じてしまいそう、くすっ」
「クスクス、わたくしにとっては月子さまは月子さまなのですけれど。そうまで仰るのでしたら仕方がありませんわね」
「あら、委員長ったらずるいわ、抜け駆けなさって。私たちもよろしいかしら、月子さ……さん?」
「京香さん、皆さんも。ええ、もちろん構いませんよ。ところで、こんなに大勢では、少しだけ急がなければ授業に遅れてしまうかもしれません。まだ大丈夫でしょうか?」
「まぁ、大変。もうこんなお時間でしたの?」
「私、家庭を選択しておけば良かったですわ。家庭室の方がずっと近いんですもの」
「皆様、忘れ物はございませんか? そろそろ参りましょう」
「そういたしましょう」
黒髪縦ロールの委員長を始めとする大勢のクラスメイトと連れ立って教室を出ていく美須磨。
転校してきてしばらくはやや遠巻きにされていることが多かったが、近頃はこうして多人数に取り囲まれている姿がよく見受けられる。むしろ、そうでないときの方が珍しいくらいだ。
にも拘わらず、集団の中にまるで埋没することなく常に中心となり、以前と変わらず見る者の目を惹きつけてやまない、その存在感。
見慣れぬ転校生ではなくなった替わりに、社交的な優等生として知られるようになったことで、同性すら魅了するその圧倒的美貌はより一層の輝きを放ち、言わばカリスマと呼ぶべきものへと進化したのではないかとも思える。
「こら、君たち。授業には少しくらい遅れても構わないから、慌てず急がず行きなさい」
「でも礼法の藪柑子先生はとても厳しいんですのよ」
「遅れてしまったら折檻されてしまいますの」
「『でも』じゃない。足早に歩かなければ間に合わないなら素直に叱られてくるように」
直前の授業内容について質問を受けながら教室に残っていた僕は、次の選択授業に向かうため、スカートのプリーツさえ乱しそうな足早で廊下へと出ていく生徒たちを咎める。
「んまぁ、白埜先生のくせに、なんてことを仰るのかしら」
「お口が偉そうですわー」
「お鼻がお団子ですわー」
「教え子を他の先生に叱らせてお喜びになるだなんて、きっと性癖が歪んでいらっしゃるのね」
「ほらほら、時間がないんだろう。早く行きなさい。ゆっくりと歩いて、な。……あと、身体的特徴をあげつらうのはやめてください。ホント傷つくので」
威厳のある年寄りや親しみのある若者に非ず、こちとら冴えない中年の男性教師、実のところ生徒たちには舐められており、こうしてわきゃわきゃ言い返されてしまう光景も珍しくはない。
でも、基本的には育ちが良い子ばかりなので、なんだかんだ言葉に従ってはくれる。
……いや、うん、さりげに酷いこと言われてたりもするけど、悪い子たちではないんだよ?
たぶん、ちゃんと教師としては見てもらえてるし、嫌われてたりはしない……と思う。
「行って参ります、白埜先生。ごきげんよう」
そんな子たちに囲まれながら教室を出ていく美須磨がふわりと会釈をくれ、こちらも反射的に「ああ、うん、ごきげんよう」と返す。
正直、この挨拶は未だに少しだけ恥ずかしい。
半ば校則みたいなもので仕方ないのだが、僕のようなおっさんにそぐわない気がしてしまう。
だから……。
やけに顔が熱いのはそのせいであって、不意打ちで彼女に微笑みかけられたせいではないのだ。
次の授業の先生がやって来る前に教室を後にし、職員室へと戻ってきた。
「おっ、白埜センセ。ごきげんよう……ってか、いつになくお疲れのご様子っすね」
「ごきげんよう、辻ヶ谷先生。いやぁ、ホントしんどいですよ。なんとか一学期を乗りきって、クラスの雰囲気にも慣れたかなと思ってたら、夏休み明けで一変しちゃいましたし」
本学園の数少ない男性教師の中では年齢が近く、同士であり友人でもある辻ヶ谷先生。
僕とは違って体育会系の爽やかイケオジなのだが、けっこう気が合い、お互い公私を問わず、何かにつけて助け合う仲となっている。
「あー、転校生が入るとねぇ。しかもあのミスマでしょ。お察しっすわ」
「彼女自身は問題ないんですけど、周りがまるで授業に集中できてないせいか遅れ気味で……」
「学級崩壊なんてさせないでくださいよー?」
「いやいやいや、そこまでは。でも副担任や各教科の先生方からも陳情が来てて頭が痛いです」
「ははは、クラス担任のつらいとこだ」
「まるっきり他人事ですね。相談くらい乗ってくれませんか」
「あ、じゃあ、帰り、また駅前寄っちゃいます?」
「いいですねー。あそこの屋台って今――」
「其処のお二人! 修身!! 崩れすぎていますよ!」
「「はい! 失礼しました、教頭先生」」
ただ、性格や言動が非常にゆるい人なので、気を抜いて話しているとそれにつられてしまい、周囲――大抵は規律に厳しい女性教師の方々――より叱責を受ける羽目になってしまう。
生徒がいないときくらい良いじゃない……と言えないのは肩身の狭い男性陣のつらいところ。
授業中の時間なので空席が目立つが、お小言を趣味にしているようなところのある女性教頭が目を光らせているため、職員室内はややピリピリした緊張感に包まれている。くわばらくわばら。
入り口のすぐ傍に位置する辻ヶ谷先生の席の後ろを通り、三つ隣にある自分の席へと着いた。
授業で使った資料その他をブックスタンドへ収め、机の上に置かれていた連絡用のプリントに軽く目を通した後、気を取り直して仕事仕事……と、学園支給のノートパソコンを開く。
「そういやぁ……じゃなくて、そういえば白埜センセ、ついさっき呼び出されてませんでした? 理事長室に。アレ、なんだったんです?」
不意に、辻ヶ谷先生から尋ねられるも。
「え? 僕、呼ばれてましたか?」
「ええ、放送で」
覚えがない。
聞き逃したのだろうか。いかん、完全に弛んでいるな。
「あー、聞き逃してたみたいです。どんな内容でした?」
「確か『いらっしゃいましたら理事長室においでください』ってだけだったような」
「良かった。まったく心当たりはないんですけど、その感じなら緊急な用件ではなさそうですね。すいません、ちょっと行ってきます」
まだキーにも触れておらずログイン画面のままとなっているノートパソコンを閉じ、席を立つ。
理事長が僕みたいなヒラ教師に何の用だろう。少し苦手なんだよな、あの人。