第二話: 異世界で男メシ
今更の話になるが、【環境維持】だの【火球】だの【炎の棘】だの、最近、平然と使っているこれら精霊術の名称にそこはかとないむず痒さを感じてしまう方もおられるのではなかろうか。
『いや、僕自身のことなんだけどね……』
一応、それには歴とした理由がある。
と言うのも、精霊術で何か決まったことをしようとする度、いちいち言葉にして説明するのもまだるっこしく、また、聞く側も戸惑ってしまうのだ。それが危機的状況の中ならば尚更だ。
使用頻度が高い一定効果の精霊術だったら呼称を定めてしまうのが望ましい、が。
かと言って、日本語で名付けると文脈的に紛らわしい場面もあるはずだ。
普段の会話で使わないような外国語であれば、その点、誤解や聞き間違いは起こりにくい。
結果的に見ると、これは非常に有意義な試みだったように思われる。
また、使い慣れてくると、副次的な利点も明らかになってきた。
精霊へ意図を伝えやすいためなのだろうか、明らかに安定した効果が現れるのである。
相性の悪い精霊に頼むときには、この恩恵はなかなかバカにならない。
今、僕はそのことを強く実感している。
「水の精霊に我は請う、氷だけ解かせ、【液化】」
請願に応じ、肉の塊を覆っていた分厚い氷がとろとろ流れていく。
このとき中の肉汁や脂まで溶けだしてしまわないように注意する。
『よし! この辺りの微妙な調整が、以前は上手くいかなかった。明らかに命名の恩恵だよなぁ』
表面の氷があらかた無くなったところで、あらかじめ用意しておいた冷水に浸け、暫し放置だ。
空いた時間に他の材料を下処理まで済ませてしまう。
まずは、深く積もった雪の下を探すことで稀に見つかる、この野草の根……。
生で食べてもシャキシャキとして美味いコレを、みじん切りに細かく刻んでいく。
お次は、洞窟の縦穴に自生していた、苔っぽい見た目の平らなキノコだ。
こいつは特に味はせず、おそらく栄養価も低い。有毒じゃないので一応は腹の足しになるかな……というくらいしか取り得がなく、びくつきながら可食テストをしてしまったことを後悔し、こんな状況下でさえ扱いに困るような代物であった。
しかし、カラカラになるまで乾かした後、ごく少量の水を加えてやると、くにゃくにゃとした面白い質感に変わることが最近になって判明したのである。
「水の精霊に我は請う、水分を散らせ、【気化】」
と、精霊術によって一瞬で乾燥させてカラっカラにしたら……。
「地の精霊に我は請う、細かく鋭く凹凸を成せ、【石やすり】」
表面をやすり状にした石片で磨り潰すようにしながら疎らな粉にする。
このパサパサの粉が、後で他の食材と合わせて絶妙な口当たりを生み出してくれるのだ。
さて、殿に控えしは、この【氷果】。
現在の僕らにとっては貴重な甘味……ご存知、不思議な樹木【氷樹】の実である。
初めて口にしたとき、ドリアンの味に驚いたことは記憶に新しい。
だが、実はコレ自体、たとえ同じ枝に生ったものであろうと一つ一つ味や食感が異なるという奇妙な特徴を持つ不思議果実だったのだ。
ちなみに、以前のドリアン味と一緒に採ってきた二つは、桃とグレープフルーツに似ていた。
味のバリエーションは分かっているだけで十種類以上に上る。
中でもドリアンはあれから一度も当たっていないほどの希少性を誇っており、個人的にとても残念な気持ちがあったりも……まぁ、それはさておき。
そんな氷果の中でもドリアンに次ぐ希少さなのが、今回、使うコレになる。
『驚くなかれ! 中身の味は、なんと、ミルクセーキ! ……ん? 知らないかな?』
牛乳と卵と砂糖を混ぜて作る、バッサリ言ってしまえば“飲むプリン”みたいなアレだ。
もはや果物ですらないことには、あえてツっこむまい。細かいことなど、どうだっていい。
なにせ、甘さ控えめでシャーベット状やプリン状のまま食べても美味しく、軽く熱を加えれば、とろぅり滑らかな液体へと変わり、飲んでもまた格別な絶品スイーツなのだから。
今日まで大事に大事に少しずつ味わってきたコレを料理の材料として贅沢に使わせてもらう。
これにて準備はすべて完了だ。いざ、始めようか。
「火の精霊に我は請う、冷やせ」
手を軽く冷やした後、先ほどから冷水にさらしておいた肉を取りだし、石の包丁にてひたすら切る切る切る切る切る切る切る切る切る……叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く……――。
更に、切る切る切る切る切る切る切る切る切る、切る切る切る切る切る切る切る切る切る……叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く、叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く……――。
「ハァハァ、ハァハァ……自家製粗挽き肉の出来上がりだ」
ここに、同様の手順で作っておいたウサギ挽き肉を少しだけ――八:二ほどの割合で混ぜたら、塩を加えて粘りけが出てくるまで更によく混ぜる。
混ざったところで先ほど用意しておいた他の材料――シャキシャキ草のみじん切り、カラカラ干しキノコの粉、ミルクセーキ氷果の果汁と果肉、それらすべてを投入し、ざっくり混ぜていく。
このタネを適当な大きさだけ取り、両手の間でキャッチボールする要領でパンパンと叩きつけ、空気を含ませながら小分けにする。
『さぁ、ここまで終われば、いよいよラストの焼きを残すのみ! 一気に行くぞ!』
美須磨が持ち込んだ小さなフライパンへ、とりあえず二個。
十分に熱して油も引いてあるので、じゅわ~っという音が即座に上がり、食欲をそそる匂いも立ち上がってきた。
火の精霊術で火力を調整しつつ、肉の中心まで火を通してやる。
「よぉっし! これぞ、白埜特製クマ肉ハンバーグ!」
端の方を少しだけ切って味見してみると――。
「うん、上手くいってくれたな。ミルクセーキとシャキシャキ草、繋ぎのキノコ、信じてたぞ。 おぉーい、みす……つ、月子くん! こっちは出来上がったから、よければ食事にしよう」
自信を持って二人前のハンバーグを皿に載せ、玄室の談話室へと運んでいく。
同じ作業室の離れたところで道具作りをしている美須磨に声を掛けるのは言うまでもない。
「松悟さんがずっと何を作っていらしたのか楽しみです、くすっ」
「ああ、ようやく、つっ、つき……君に振る舞えるよ。お気に召してもらえるかな」
皿をテーブルに並べ、精霊術でお茶を淹れ、席へ着いた。
「それじゃあ」と、顔を見合わせ。
「「いただきます」」
ハンバーグを銀のフォークで押さえ、銀のナイフを入れる。
すると、仄かな湯気を立てる切れ目より、艶やかで透明な肉汁が流れ出す。
断面を見てみれば、中心までちゃんと火が通っており、かなり綺麗な桜色に仕上がっていた。
やや大きめサイズの一切れにフォークを突き刺し、ゆっくり持ち上げ、パクりと食む。
『……うむ、やはり上出来』
本来、硬く筋張ったところのあるクマ肉も、挽き肉にすれば問題ない。
繋ぎに使った干しキノコのお蔭もあり、この上なく、ふっくら柔らかに仕上がっている。
ミルクセーキ氷果の上品な甘さとまろやかさ、シャキシャキ草のピリッとした辛さ、それらが渾然一体となった肉の味には、あの嫌な臭みだけが消え、なお独特の癖こそ感じられるも決して不快ではなく、力強い濃厚な旨みが感じられた。
これまで鼻を摘みながら食べてきたクマ肉とは、もはや別物と思えてしまう。
凍った肉を解かすときに旨みや脂まで逃がしてしまっていたこと、調理する前に急激な温度の上げ下げをしすぎていたこと、味付けがほとんどされていなかったこと……など、最悪の要因がいくつも合わさってしまった結果が、あの悪臭だったのだ。
ここに辿り着くまで数多くの試作と失敗を重ねてきたが、とうとう苦労は報われた。
『次は、ケチらず美須磨の胡椒を使わせてもらっても好さそうだ。あとはソースの研究か……』
正面に目をやると、一口一口、じっくり味わっている上品な様子が目に入る。
とは言え、彼女にしては、そのペースはやや速めか。
どうやら気に入ってもらえたようだ。
僕らの食料事情は、こうした偶の贅沢が許される程度には改善されてきている。
ストーカーのヒョウ肉は、独特のアンモニア臭があり、期待したほど美味くはなかったものの、クマ肉と比べれば普通に食べられるし、ウサギ肉やウズラ肉、新たに発見したいくつかの野草、そして多様な味の氷果。それらはどれもなかなか美味かった。
しかし、僕が何も言わなければ、美須磨は未だ大量に残っているクマ肉を食べることが多い。
食に拘りがないという理由も大きいのだろう。
ただ、僕がほとんど手をつけない食材を引き受けてくれているのは確かなのだ。
そのことに気付いたとき、僕は心に決めた。
必ずやクマ肉を美味しく食べられるようにしてみせよう、と。
以来、手当たり次第に食材を集め、組み合わせ、調理法を考えてきた。
僕自身、元々は食に拘る方ではなく、知っている料理のレシピなど両手の指にも満たない。
調味料や道具さえまるで足りていない現状では試行錯誤の連続だった……。
「我ながら、なかなか上手くできたと思う」
「はい、とても……美味しいですね」
ああ、その言葉が聞きたかったんだ。





