第一話: 雪の尾根を巡る二人
「火の精霊に我は請う、燃えろ! 燃えろ!」
火の精霊術【火球】を次々と撃ち出しながら獲物を追いかける。
狙うは前世地球でも珍しくはない真っ白な小動物――ウサギである。
と言っても、そこは野生の怖ろしさだろうか。
僕が知るペットのウサギなどでは及びも付かぬ素早さに加え、雪景色に馴染む自然な保護色と足下に深く積もった雪を利用した巧みな遁術により、ぐんぐん距離を引き離されてしまう。
『それだけじゃ説明しきれないくらい逃げ隠れが上手い気がするけどな』
向かう先や飛び込む雪の周りへ絶え間なく火の玉を撃ちまくることで、かろうじて見失わずに済んでいるものの、そろそろ追いかけっこも潮時が近付いてきたようだ。
「追い込む!」
一声、大きく叫ぶと、僕は前方左側から正面にかけて連続で火の玉を撃ち込んでいく。
燃え上がる炎と解け出した雪によって行く手を阻まれたウサギは、残された右前方へ向かって思いっきり飛び跳ねる、が。
突然、空中で血飛沫を上げたかと思うと「キュッ!」と小さな鳴き声を残し、そのまま雪面に落ちて転がったきり、完全に動きを止めたのだった。
――ひゅん!という風切り音が、直後、その場に響く。
ウサギが落ちていった辺りから何かが飛び上がり、思わず目で追えば、今の今までいなかった朧気な人影――白い毛皮をまとった一人の少女の姿が、右手の向こうに見て取れた。
その手が受け止めたのは大きめの短刀、持ち手の底――柄頭からは細い紐が垂らされている。
紛れもなく、たった今、目の前でウサギを仕留め、彼女の元へと舞い戻っていった武器だ。
「お見事! みす、月子……くん」
「くすっ、松悟さんも追い込み、お見事でした」
あえて言うまでもなかろう。人影の正体はもちろん美須磨月子――その女性である。
彼女の身を包む灰色の斑模様が散らされた白い毛皮は、あのストーカーのものだ。
奴が生前に見せた能力とは比ぶべくもないが、魔法じみた透明迷彩は完全には失われておらず、雪原で慎重に気配を消している限り、ほとんど透明と言っていいレベルでの隠れ身を可能とする極上の迷彩服として生まれ変わっている。
更に、巨大グマの毛皮と同様、精霊術【環境維持(個人用)】に親和性を備え、かねてよりの念願だった二人同時、三時間以上の洞外活動を実現させてくれることとなった。
彼女が手に持つ大振りな短刀もまたストーカーの遺物となる。
完全な状態で手に入った二本の牙は、それぞれ刃渡り三十センチ近い曲刃の短刀へと加工され、一対揃って美須磨が所持することとなった。
その一方にはご自慢の巻き取り式の鋼線が結ばれ、紛失する虞なく投擲が可能となっている。
そう、先刻、飛び上がったウサギの首を切り裂いた必殺の一撃である。
余談になるが、当初、一対の短刀は僕の物になるところだった。
僕としては初めから毛皮と共に美須磨へ譲る気しかなかったので、どうにかこうにか説得し、これまで借り受けていたサバイバルナイフとスコップを交換する形で最終的には落ち着いた。
『なんとなく、魔法の毛皮と一対の短刀は、彼女にこそ相応しいと思えるんだよ』
閑話休題。
仕留められたウサギを拾い、彼女の下へと向かう。
「そろそろ獲物も十分じゃないか? 一旦、戻ろう」
「ええ、それにしても今日は大猟ですね」
「ストーカーを倒したせいかな。あの巨大グマと言い、もしかすると、どちらも山の主みたいな存在だったのかもしれないぞ」
「それが立て続けにいなくなって生態系に影響が出てきたということでしょうか」
「以前と比べたら、目に見えて小動物の姿が増えてきているし、ありえない話でもなさそうだ。警戒していた二頭目と出くわす気配もなし……考えるほどに唯一無比な個体と思えてくるよ」
そんな話をしながら、僕らは雪原の中にあって一際目立つ岩の小山へと到着した。
僕の胸辺りの高さにまで盛り上がった岩は、まったく雪も被っておらず不自然極まりない。
「地の精霊に我は請う――」
当然、それは僕らが作っておいたものだ。
採集物や獲物が積み込まれた運搬用の雪舟を一時的に隠す停留場といったところか。
請願によって岩の覆いを解かれて現れたその荷台には、【氷果】や【氷樹】の枝といった既に見慣れた採集物の他にも、今し方、狩ったものと同じ種類のウサギ、ウズラに似るがクチバシに歯を生やした変わった野鳥、大小様々な鉱石……などが満載されていた。
僕たちは現在、下山する準備を調えながら春の訪れを待っている。
精霊たちとの親和を深め、精霊術の効果を高める。
同時に、広大な雪原を探索し、有用な物資を集めて道具を作る。
ストーカーを倒してから既に一週間。
それらすべては順調に進められつつあった。





