最終話: 疲れた勇者と迎える美姫
「おかえりなさい。お怪我はありませんか?」
洞穴の入り口まで獲物を引き上げ、達成感で思わずふぅ~っと大きく一息吐いたタイミングを、まるで見計らっていたかのように岩壁が開放され、その向こうより声が投げかけられてくる。
澄みきった綺麗な声は、寒々しい雪風の音と恐ろしげな猛獣の唸り声しか聞かせてこなかった両の耳へと沁みこみ、心の中に直接響いてくる錯覚まで起こさせる。
心身に負った大小の傷さえ急速に癒やされそうなリフレッシュ気分に浸り、鏡に映したならば自分でも子どもっぽすぎると思うだろう満面の笑顔で声の主――美須磨へ声を返す。
「あぁ、ただいま。楽勝だった……とまでは言えないけど、見ての通り、大怪我はしてないよ」
「くすっ、本当にご無事で何よりです。狩り、おつかれさまでした」
洞穴の入り口を岩で塞ぐと、美須磨は柔らかな微笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「見栄を張らずに言うと実際くたくただよ。こんな大物だとは想像もしてなかったからね」
「このヒョウがストーカーの正体だったんですか」
「驚いたろう。こいつが透明になったり空を飛んだりするんだ……信じられるかい?」
持ち帰ってきたストーカーを眺めて目を丸くする彼女に、その驚くべき能力を語っていく。
感心しながら合いの手を入れてくれるもので、しばらく話が盛り上がった。
が、このままでは延々と話し続けてしまいそうだと、一段落したところで適当に打ち切り――。
「さて、ひとまず、こいつを早めに解体してしまいたいな」
「私は準備をしておきますから、先生はお風呂とお着替えをなさってきてはいかがですか?」
「そうさせてもらおうか……すぐ戻るよ」
岩屋に【環境維持(部屋用)】を施し、防具や道具だけを置いて、僕は玄室へ下りていく。
そして、軽く休憩した後、再び岩屋へと上っていった。
既に準備万端、美須磨が整えていてくれたため、すぐストーカーの解体に取り掛かる。
以前、巨大グマで経験して手順は覚えているものの、まだたったの二度目だ。
前回よりは少しだけ手際よく、されど苦労はしつつ、内臓を抜くところまで工程を終わらせた。
「よし、ここまでにしておこう」
疾うに血は抜いてあるので、傷みやすい内臓だけ処理できれば、残りは急ぐ必要もあるまい。
「それでは、手早く片付けてしまいます。そこで待っていてくださいね」
「ははは、もちろん待っているよ」
どうやら僕には手伝わせてくれないらしい。
珍しいことに、美須磨はかなり浮かれているように見えた。
まぁ、実際、その気持ちは僕もまったく同じくするところである。
こうして見ると、ストーカーの毛皮は非常に美しかった。
口元から片耳の辺りにかけて焼き焦がしてしまったことを残念に思えてしまうほど。
肉質もクマと比べて柔らかそうで、新鮮なこともあってか何となく美味そうに見えてくる。
やはり、クマ肉の不味さは死後の処理が遅れたことに起因するのか……それはさておき。
毛皮と肉に加えて気になるのは、やはり特徴的な二本の長い牙だ。
これほどの硬さと鋭さがあれば、サバイバルナイフを凌ぐ武器へと加工できるかもしれない。
『うんうん、どれもこれも苦労に見合う価値がありそうに思えてきたぞ』
「お待たせしました、先生」
「ん、じゃあ、下に行って休むとしよう」
解体途中のストーカーを氷漬けにし、岩屋内を綺麗に洗い流して換気まで済ませた美須磨が、足早に僕のすぐ傍まで近寄ってくる。
結局、後片付けをすべて彼女に任せてしまったな。
しかし、お蔭でまた身体を休ませることができ、狩猟・解体という二連戦の後にも拘わらず、すっかり調子が楽になってきていた。
「ところで、美須磨」
「どうかなさいましたか?」
「今更ながらに思うんだが、その……もう教師でもない身で、いつまでも先生と呼ばれるのは、些か面映ゆいものがある。いや、別に卑屈な気持ちから言うのではなく、事実として、な」
「確かにおかしいかも知れませんね。どうしましょう? 白埜さんとお呼びした方が?」
「ああ、そこは君の好きなように呼んでくれて構わない」
奥の洞窟通路に続く壁の方へ、二人揃って歩き出す。
と、すぐに美須磨は、僕を先導するかのようにすすぅっと前へ進み出てしまう。
「地の精霊に我は請う――」
彼女の請願に応え、もうすっかり見慣れた四角い穴が生まれる。
『ふっ、なるほど、今日はもう何一つ僕に仕事をさせてはくれない気だな』
嬉しさと微笑ましさの入り交じった感情が胸の中に湧き上がり、顔がにやけそうになる……。
それが隙となったのか、歩き出した美須磨により、ごく自然に手を取られてしまった。
『ん? 何故、手を? おや? あれか? えっと、足場が悪いからか?』
「参りましょう、松悟さん」
「え? な、あ、僕か……?」
『え? ショーゴ……今、名前を呼ばれたよな……なんで? それに手が? んっ?』
元より出来が悪く、少しばかりハイにもなっていた頭の中が、混乱の渦によってかき回される。
その後のことは、実を言うと、ほとんど記憶に残ってない。
暗い洞窟の中、己が身に何が起きているのかさえ理解することができず、雲の上を行くが如くふわふわとした心持ちのまま、ずっと歩を進めていたとしか……。
そして、玄室に戻れば、再びとなる美須磨の肩叩き――しかも前回とは比べものにならぬほど勘所を押さえ、念入りとなったソレが待っており……。
僕は、為す術もなく、深い深い夢心地へと転げ落ちてしまったのだった。
「くすっ、本日はお疲れさまでした。ゆっくりお休みになってください、松悟さん」
『あ、ああ……おやすみ、みす……つ、つ、つきこくん……?』
当初は雪山を出るまでを第二章とするつもりだったのですが、長くなりすぎてしまったので、ここでひとまず章を切ることにします。
読んでくださった皆さんに感謝を。
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