第十七話: ストーカーと戦う男
前方六七メートルは離れた位置にいるストーカーが徐々に雪景色と同化していく。
まるで透明になったとしか思えない迷彩術……いや、実際に魔法の一種なのだろう。
どうやら、仕切り直す気はなさそうだ。
慎重なこいつのことだから、襲撃を防いだら即退散してしまう可能性もあった。
実を言えば、そうして奇襲と離脱を繰り返されることになるのを懸念していたところ。
完全決着まで付き合ってくれるのなら、こっちとしては大いに助かる。
『狩猟者としてのプライドを傷つけてしまったのかな? 知能が相当高い獣だと思うし……まぁ、それはそれ、相手の準備が整うまで黙って見守ってやる義理も余裕も、僕にはないんだよ』
「地の精霊に我は請う、杭を成して撃ち抜け」
深く積もった雪を割り、太い……いや、ぶっとい岩の杭が地面より轟然と突き出してくる。
ストーカーは地響きを聞いた途端、素早く真横へ飛び退くが、半透明になりかけていた身体が見る見るうちにハッキリと可視化されてきた。
ひょっとすると、透明化には、しばらく動かずじっとしている必要があるのだろうか。
だとするなら、その隙を与えず畳み掛けていくとしよう。
「火の精霊に我は請う、燃えろ!」
奴を一所に留まらせないよう【火球】を投げつけて牽制していく。
この【火球】は、以前に試した通り、大きさはバレーボール大、生身の人間に当てれば相当な火傷を負わせられるくらいの威力がある。
とは言え、僕の全周一メートルほどを護る精霊罠【炎の棘】の火力には遠く及ばない。
あれを顔に喰らってピンピンしているような怪物に対しては、たとえ直撃させられたとしても驚かせるくらいにしかならないはずだ。
しかし、別にそれでも構わない。あくまで牽制、躱してくれるだけで十分なのだ。
そうしながら少しずつ間合いを詰め、一足飛びの距離まで近付く……そこで、【火球】を撃つ振りをして回避行動を誘うと同時、僕は奴行く先へ向かって一気に滑走した。
スコップを肩に担ぐようにして振りかぶり、突進の勢いを乗せて両手で真っ直ぐ振り下ろす。
――ドゴォッ!
しかし、そのスコップが奴に届くことはなかった。
いきなり真横より襲い掛かってきた何かに叩きつけられ、激しく吹っ飛ばされたのである。
受けた衝撃は丸太で殴られたかと思えるほど、かろうじて視認できたソレは物干し竿……いや、ストーカーの長い尻尾による横殴りであった。
「――ガハっ!」
雪を捲き上げながら、僕の身はゴロゴロと雪面を転がっていく。
ようやく止まったところで、ごほっ、ごほっ……と咽せながら身を起こして膝立ちとなる。
『くぅっ、防具がなかったら只じゃ済まなかった。いくらなんでも正面から戦って狩れるような相手じゃなかったな。流石は異世界の怪物ということか。調子に乗ってたよ』
幸い、着用品を含め、これといって破損は見当たらず、身体の痛みも無視できるレベルだ。
しっかりと全身に防具を装備していたことが効を奏したか。
強化銀で覆っている首と腹の他にも【氷樹】の樹皮を様々な金属で補強した防具を着けている。
硬度はお察しなものの、こちらは衝撃にかなり強いのが特徴となる。
そう言えば、これだけのことがあっても精霊術【環境維持(個人用)】は安定している。
これはもう時間切れ以外の要因で解除されてしまうことはないんじゃないだろうか。
と、心中で安堵していたせいか、少しばかり長く目を離しすぎてしまったかもしれない。
どうにか体勢を立て直し、周囲を窺ったときにはストーカーの姿形は完全に消え去っていた。
『しまったな。奴はどう来る? 僕がやられて一番困ること……だとすれば?』
「地の精霊に我は請う……」
間違いなく襲いかかってくるであろうあの攻撃に備え、じりじりと移動する。
凄まじい轟きは、視線を向けていたのとは逆方向より、即座に襲い来た。
やはり! 威力はお墨付き、透明迷彩からの尻尾攻撃だ。
僕の身に触れようとする物を焼く【炎の棘】でも、この勢いで振るわれる尻尾の先ともなると大したダメージは与えられない。敵ながら賢い選択と言えるだろう。
「――けど、それは読んでいた!」
思考を読みきってしまえば、視界外からであっても不意打ちとはならない。
直前の請願により背後に屹立させた岩の杭が尻尾を受け止める。
そして、僕自身はその間隙を縫い、動きを止めた見えざる尻尾を逆に辿るように滑走し、願う。
「光の精霊に我は請う、閃光となって弾けろ!」
瞬間、前方空中に出現した光の玉が、間近の稲光をも凌ぐほどの眩い【閃光】を発する。
雪靴で滑りながら目を覆った僕とは違い、ストーカーはこれをまともに直視してくれたらしい。
秒も数えず光が消えた後、低く咆哮を上げ、頭と両の前脚を振り回して悶える姿があった。
どうしたことか、その身を隠す透明迷彩が失われ、全身は露わとなっている。
『目潰しのつもりで放った閃光が、思いも寄らぬ副産物をもたらしてくれたものだ。この最大の好機、絶対に逃すわけにはいくまい』
僕は、雪面を蹴って急加速しながら、三つめの罠となる最後のカードを切る。
手首より取り外したのは美須磨から借り受けてきているワイヤーリールだ。
そのワイヤー先端は、既に後方の岩の杭の根元で固定されており、今も伸び続けている。
これを、闇雲にのたうち回るストーカーへ向かって、すれ違いざまに投げつけた。
出発前に美須磨が掛けてくれた地の精霊術により、ある程度、意のままに動かすことができる極細ワイヤーが、巨大な獣に絡みつくように飛び、長い尻尾と四肢を胴体と共に縛り上げていく。
視力を奪われたストーカーは、おそらく何が起こっているのかも理解できぬまま、ガッチリとワイヤーロープで全身ぐるぐる巻きにされてしまう。
「地の精霊に我は請う! やれ、ワイヤー! 固まって岩をまとえ!」
この請願は、最後のダメ押し――ただでさえ高い強度を誇るワイヤーがそのままの形で固まり、雪の下から次々と飛び出してくる岩塊によって覆われていく。
本来、僕には使いこなせないが、ご覧の通り、効果は絶大……最後の精霊罠【大地の楔】だ。
拘束を極めされた上から重い岩塊に圧し潰されては、もはや身動きできようはずもなし。
僕はゆっくりとストーカーの側へ近付き、その頭の前に立った。
「ギィニャアアアアア! グワァァアアアオ!」
恐ろしげな吠え声で威嚇され、冷静になってきた心が怯みかける……が、無視!
『恨み言や交渉だとしても獣の言葉など理解できない。殺るか殺られるか、お互いを獲物として生命の取り合いをした相手だ。ノーサイドと健闘を称えるのも、殊更に勝ち名乗りを上げるのも違うだろう……って、僕は誰に向かって言い訳してるのやら。時間に余裕はないというのに』
鋭く長大な牙を生やした口の中へスコップを突き込み、頭を押さえつけながら願う。
「火の精霊に我は請う、熱を奪い尽くせ」
スコップから逃れようとストーカーが激しく首を捻り、刃渡り三十センチはある短剣のような牙が目の前で振り回される。
しかし、その動きは見る見るうちに緩慢で弱々しいものへと変わってゆき、ほどなく、口外へ突き出された舌が真っ青になったところで動きを止めた。
口の中はスコップ諸共、完全に凍りつき、鼻や目玉の内側からも霜を吹き出していた。
「……はぁ、はぁ、殺した。こんなに大きな生き物を……僕が……くっ……」
今になって手が震え出す……いや、まだだ。まだ仕事が終わったわけではない。
即座に頭を振って意識を切り替える。
『そう、すぐに血だけは抜いておかなければ。クマ肉の轍は踏むまい』
凍ったままのスコップから手を放し、サバイバルナイフを抜いてストーカーの首を切り裂く。
頸動脈からどくどくと血が流れ始めたのを確認したところで、地の精霊に頼んで拘束を解き、絡まったワイヤーも外し、再度、地の精霊に頼んで石柱を立てて逆さ磔とする。
水の精霊には、内外で凍っている氷を液化させると共に血抜きを頼んだ。
僕と相性の悪い水・地の両精霊が、いい加減、渋い反応を返してくるも、何とか頼み込む。
火と風の精霊術【環境維持】のお蔭で実感しにくいが、この場の気温は氷点を数十度も下回り、ついでに気圧も極めて低い。
死体から流れ出す血など瞬く間に凍りつき、それは死体そのものも同じこと。
血肉が凍らないよう、されど肉の状態は傷まないよう、温度調節に火の精霊も大活躍だ。
周囲に別の生き物が寄ってこないかと警戒しながら一時間近く掛けて作業を終わらせた僕は、疲れた心身に鞭打ってストーカーの巨大な死体を引き摺り、家路を急いだのだった。





