第十五話: 励む男と励ます少女
精霊術の開発を一段落させた僕は、気分転換も兼ね、ここしばらく日課としている鍛錬に移る。
軽い準備運動の後、壁に立てかけておいた登山杖を手に取り、スコップへと変形させる。
持ち手と柄をそれぞれしっかり握り、まずは中段に構えてからの素振りだ。
頭上まで振り上げ、真っ直ぐに振り下ろし、そこから続けてやや斜めに振り上げ、水平薙ぎ、脇で力を溜めて踏み込みつつ中段突き……と、演舞めいた型を繰り返していく。
まぁ、尤もらしくやってはいるものの、僕には剣道や薙刀といった武道の経験など、せいぜい学生時代の体育授業レベルしかないため、これらはすべて適当極まる我流である。
そんなでも、心強い相棒であるこの頑丈なスコップの取り回しを身体に叩き込んでおくことは、決して無駄にはならないだろうと思い、毎日、決まった型の素振りを行うようにしたのだ。
そう言えば、僕の得物を改めて紹介しておこうか。
このスコップは、美須磨から借り受けている市販のアウトドア用品だ。
全体の長さは八十センチほど、軽量かつ折りたたみ式なので持ち運びに便利な上、登山杖、斧、鍬、ノコギリ……などに変形させることも可能なマルチツールとなっている。
複雑な機構をしている割りに作り自体は極めて頑丈で、硬い岩盤に突き立てようが、こうして派手に振り回そうが、分解や刃こぼれを起こしたことはない。
やや小振りなことと軽量ゆえの低威力さえ除けば、頼もしい護身用武器と言えるだろう。
さて、徐々に身体が温まってきた。
ここからはスコップの素振りにサバイバルナイフの抜刀と切り払いを混ぜていく。
日本であれば携帯しているだけで間違いなく銃刀法違反となる刃渡り十センチ近いヤンキー産サバイバルナイフを、スコップを振り抜いた直後、胸元の鞘から抜き放って前へと突き出す。
これはスコップを躱された際のフォローを想定したつもりだ。
始めのうちは、片手をナイフに持ち替えようとしてスコップをすっぽ抜けさせてしまったり、抜き打ちで自分を斬りつけそうになったりしたものだが、もう扱いにも大分慣れてきた。
左右に向かってナイフを振り、一歩下がって鞘に納めたら、また両手でスコップを構える。
そんな一連の型を休みなく、数時間に亘り、ひたすら続けた。
「――ふっ! と、これで、千セット完了。ハァ、ハァ、ハァ……」
頭が空っぽになるまで動いたお蔭で、どうにか悲観で塗りつぶされていた気分も上向いてくる。
その場にどっかと腰を下ろし、息を整えながら少しばかり考えを整理してみよう。
「しっかし、どうしたもんかねぇ。このままじゃ採集にも出られないままだぞ。相手が何なのか、どれだけいるのかも分からないってのはきついよな。僕なんて食べても美味かないだろうに……いや、そもそも餌にしようとしてるのかさえ分からない。ともかく、何であろうと、ちょっとは加減してくれって話だ。こっちは貧弱なシティボーイなんだから」
疲労のせいもあって、まだ思考が上手くまとまってくれない。
とりあえず、自分で言っててボーイはないなと思う、いくらなんでも。
「正体不明で神出鬼没の敵だ。今のところ、自衛できるようにしておくくらいしかないだろう?」
「――罠ではいけないのですか?」
「小動物も掛からないような罠じゃなあ。第一、獲物は僕の方だよ」
「襲ってくることが予想できるのでしたら、精霊術の罠へと誘い込めるのでは?」
「なるほど、それなら……いや、危険すぎる。こないだはたまたま襲われる直前で気付けたけど、普段は気配すら感じさせない相手なんだ。どれだけ大規模で強力な罠を仕掛けようと、そこまで上手く誘い込めるとは思えない。まず、設置している最中に襲われかねないし」
「そうではなく、あらかじめ精霊にお願いしておいて、近付いてきた敵を捕らえる……といった精霊術の罠はできないものでしょうか?」
「あらかじめ? そうか! 出発前から仕込んでおけば……って、美須磨っ!?」
驚いた……。いつの間にか傍に来ていた彼女と会話をしてしまっていたようだ。
こんな並外れた容姿と存在感をしているのに、なんとも気配を消すのが上手い少女である。
『いや、ちょっと待て。僕は変なことを口走ったりしていなかっただろうな』
「あ、あの、美須磨……どこから聞いて……」
「白埜先生、やっぱり危険な目に遭ってらしたんですね」
「う……」
どこからも何も、今の会話の中で現状をあらかた喋ってしまっていた。
自分だけの問題ではないので、いつまでも黙っておくつもりはなかったのだが、まさかこんな恥ずかしい形で明かすことになるとは思いもよらず、まったく心の準備が足りていない。
「このような状況ですから避けられない危険もあるかと思いますけれど、せめて何かが起きたらお一人で抱え込まず、すぐに相談してくださいませ」
「すまない……その、君に、心配を……かけたくないと……」
「逆に心配です」
「……だ、だが、僕は大人で教師なんだし……やはり……」
「今の状況ではもう関係ありませんよね?」
「はい……」
全く以て彼女の言う通りだ。
改めて己が言動を省みれば、心配をかけたくないなどと言いながら、その実、この期に及んで教師だ大人だと小さなプライドを守るために弱さを隠そうとしてしまっていたらしい。
今更ながら、自分自身の卑小さに気付かされ、しょんぼりと項垂れてしまう。
「あの、そんなに落ち込まないでください。これでも私は先生のことを頼りにしているのですよ」
「……うん、ありがとう。気遣ってくれて」
「ですから、あの……お分かりになっていませんね? 先生が私のような子どもを心配なさって、いつも頑張ってくださっていること、ちゃんと理解していますから」
「うん?」
「その上で、パートナーとして、もっと私のことも頼ってください……ということです」
は? この子は一体、何を言ってるのやら。
まるで僕がこれまで美須磨のことを頼っていなかったみたいな言葉である。
どう考えても、そんなわけはなかろうに。
「……ずっと頼りっぱなしだったように思うが?」
「そんなことはありません」
「……いや、実際に僕の方が一方的に助けてもらってばかりだろう?」
「何を馬鹿なことを仰っているのですか」
「本当に、僕は……君の助けになっていたのか?」
「先生がいてくださらなかったら、あの街で、この雪山で、私はどうなっていたかも知れません。なんなのですか、もう」
あまりハッキリとした感情を表に出さない彼女が、心底呆れたような顔をして言う。
気付けば、僕の目の前すぐのところにその美しい貌があった。
真っ直ぐに向けられてくる視線は、今のやり取りが阿諛追従の類ではないと訴えかけるようで。
『そう、だったのか、これでも僕は何かの役に立てていたんだな……そうか――』
なら、そういうことなら、これからも頑張らないわけにはいかないだろう。
おいおい、なんだ。やりたいことが山積みじゃないか。何をぐずぐずしているんだ、僕。
この忙しいのに、いつまでストーカーなんぞにかかずらっているつもりだったのやら。
そうだ! あんなもの、さっさと片付けてしまうしかないじゃないか! なぁ!





