第七話: 暗闇の中、二人で四苦八苦
唯一の光源であった懐中電灯を失い、星明かりさえ届かぬ洞窟内は真の闇に覆い尽くされた。
「くっ、すまないっ!」
「いえ、今のは仕方ないかと。私も注意を怠ってしまっていました。それよりもどうしましょう。残念ですが、他に明かりを灯せるものは持っていません」
「……ああ、スマホも何故か電源が入らないしな」
一寸先すら見通せない闇の中、縦穴を前にしては身動きするだけでも危険だ。
慎重に手で周囲を探ると、美須磨の手を捉えることができたので、そのまま互いに握り合う。
『困ったときには、とりあえず精霊頼み……だが』
「地の精霊に周りの状況を教えてもらえたりはしないか?」
「そこまでの意思疎通は無理そうです。風の精霊では?」
「僕の方も無理だな」
他には、水と……火か。
水に関しては、この状況で有効そうな使い道が浮かばない。
対して、火の方はいろいろとできることがありそうに思える。
「まず、直接的に火を起こしてはどうでしょうか? 松明の代わりにはなりそうですけれど」
「それができれば話は早いよな。ただ、こんな狭い場所だと空気が保つのか心配なんだ」
精霊術により起こされる火は、可燃物がなくても発生し、しばらく空中に留まってくれる。
しかし、一旦、燃え上がった火は通常通りに周囲の物を燃やし始めるのだ。
つまり、今現在、風の精霊がせっせと集めてくれている酸素をたっぷりと消費してしまう。
「火を着けた途端に酸欠ということもありえますね」
「逆に、周りの酸素濃度が高すぎて、いきなり激しく燃え上がったりしそうだし、正直なところ、火を使うのは怖い。なるべくなら最後の手段としておきたい」
心の隅には、火を恐れすぎではないかという気持ちもあるのだが、心配なものは心配なのだ。
『火……燃焼……熱……温度……温度? 赤外線センサー!』
このアイデアには美須磨も「面白そうです」と乗り気を見せ、早速、試してみることに。
「火の精霊に我は請う、熱を目に見えるようにしてほしい。赤外線、分かるかい?」
火の精霊たちの反応を、なんとなく感じられはした。
分からんぞ。視えないのか? どうやって見せればいいんだよ?とでも言われていそうな……こちらも上手く説明することができず、何も起こらないまま請願は立ち消える。
「ダメか……。悪くない考えだと思ったんだが……」
「火の精霊に光るという性質が備わっていてもおかしくなさそうに思えますものね」
「説明の仕方が悪かったかなぁ」
暫し、二人で頭をひねるも、結果的にこの案は諦めざるをえないとの判断に至った。
同様に、水をレンズにして微光を捉えられないか、空気の振動で超音波ソナーができないか、地形を操作して安全に移動できないか……等、あれこれと試した全ては不発に終わってしまう。
少なくとも、こんな状況で命運を託す気にはなれない。
……どうやら手詰まりか?
それなりに時間が経ったにも拘わらず、目が暗闇に慣れてくることもなさそうだ。
「こうなったら、もう覚悟を決めて小さな火でも点けてみるしか……」
「そうですね。換気と消化の準備はしっかりとしていただいて」
勝手の分からない洞窟の中、真っ暗闇でいる状況は精神的にきついものがある。
いつまでもグズグズしていられるほど余裕があるわけではないのだ。
「結局、水・火・風・地の中だったら、火にするしか――」
と、その瞬間、ふと微かな閃き。
『そう言えば、他にも精霊はいるかも知れないだろう? すっかり忘れていたぞ』
「いや、やっぱりもう少しだけ考えてみよう。この際、他の精霊に呼びかけるのはどうかな?」
「以前に反応が得られませんでしたから、無意識のうちに除外して考えていました。でしたら、この場で真っ先に思いつくのは、明かりや暗がり……光と闇になるでしょうか」
「やってみよう……光の精霊に我は請う――」
お、手応えあり!?
「――辺りを照らし出せ!」
ごちゃごちゃ考えていた時間が無駄だったと思えてしまうほど、それはあっさりと成功した。
「周りの様子が見えてきましたよ、先生」
「ああ、上手くいった……が」
「はい、期待していた効果とは大分違いましたね」
空中に電球的な発光体ができるとか、身体が閃光を発するとか、そんなイメージだった。
見れば、暗闇の中、僕ら自身を含めた物体すべてが輪郭に沿ってぼんやり蛍光色を発している。
「まぁ、真っ暗闇に比べれば全然マシだ。行動するにはまだ相当な不安があるにせよ」
「それに、光の精霊がいらっしゃることも証明されました」
「確かにな。君も何かしら思いつくことがあれば試してみてくれるかい?」
「そうですね……では、私は闇の精霊を」
「闇か、どう頼めば良いものか」
古来、人々は世界を包み込む闇を、光の対極にある存在・エネルギーのように解釈してきた。
宗教などにおいては、人の営みに不可欠な光を生命や正義の象徴と見なし、とかく闇には死や悪といったネガティブな要素を結び付けたりしがちだ。
とは言え、それらはどうにも概念的なイメージと言わざるを得ない。
実際の暗闇とは、言ってみれば光が当たらない状態を指しているにすぎないのだから。
闇の精霊という存在は、僕の頭ではどうにも上手く受け止めきれないものがある。
「闇の精霊に我は請う、薄れてください」
『随分と素直に行ったな』
しかし、どうやらそれは正解だったようだ。
不自然極まりない表現になってしまうが、彼女の請願に従い、見る見るうちに暗闇は薄まり、あらかじめ光の精霊に頼んでいたのが功を奏し、入れ替わりに周囲の蛍光が濃さを増していく。
どう言えば伝わるだろうか。
物体だけを蛍光着色し、輪郭線を強調した白黒写真とか?
昔の軍隊などで使われた旧式の暗視スコープの映像がこんな風だったかもしれない。
とまれ、これなら行動するのに支障はなさそうだ。
「ふぅ……一時はどうなることかと思ったよ」
「感覚的には慣れませんけれど、日中の屋内とさほど変わらない行動が可能だと思います」
こうして暗視能力を得た僕らは、目の前に空いた深さ二メートルに及ぶ急勾配の縦穴を下り、降り立った底で先ほど取り落としてしまった懐中電灯を発見する。
回収したそれは、幸いにも壊れてはおらず、無事、美須磨の手に返すことができた。
ああ、余談だが、事の発端となったあやしい陰はと言えば……。
「この岩壁の凹凸ではありませんか?」
「じゃければ、そっちの角かな……どっちにせよ気のせいだ。重ね重ね、面目ない」
「くすっ、どうぞ、お気になさらず」
泰山鳴動して鼠一匹とは、まさにこのことだ。
その後、光と闇の精霊については多少の検証を行い、松明や懐中電灯のような光球を作ったり、暗視装置のように闇を見通すこともできるようになったものの、最終的には初めにやった蛍光と薄闇の組み合わせが最も見やすく、僕たちはその状態を基本と定めたのだった。
さて、間抜けな事故で思わぬ時間を食ってしまったが、先はあとどれくらいあるのやら。





