第六話: 洞窟の奥、間抜けな事故
踏み込んだ洞窟の中は、まるでどこかの部屋へと続く通路といった雰囲気だった。
どうやら鍾乳洞ではないらしく、美須磨の手にあるLED懐中電灯で照らし出される光景に、鍾乳石や石筍の類はまったく見られなかった。
自然に出来たものだとは思うが、洞窟と言うよりは坑道といったイメージが近いだろうか。
それはさておき。
「奇妙だな」
「どうかされましたか?」
「うん、なんだかこの洞窟の中、さっきの岩室よりも気温と気圧が随分と高いみたいだ」
「それは、精霊たちにお願いしているお蔭ではなくて……ですか?」
「精霊には心持ち控えめにしてもらっても良さような、上手く言えないが……。そうだ、ほら、足下を見てごらん。元より凍っていた様子もなく岩の隙間まで濡れているだろう?」
「はい、外は氷点下ですから、確かにおかしいですね」
「もしかすると、この山は火山なのかも知れないな。浅い地点にマグマが溜まっているとか……」
このサバイバルにおいて、環境維持が精霊頼みという点は大きな不安定要素と言える。
気まぐれで効果が不安定な精霊の御業を頼るしかない現状に一抹の不安もないとは言い難いし、一方ではその唯一の命綱となる精霊術をいつでも万全に使えるようにしておきたい気持ちもある。
火と風の精霊を専業で働かせっきりにせず済むのなら精神衛生上とても助かるだろう。
「あちこちの小さな岩の裂け目から空気が出入りしている様子もある。だが、それで何故……」
「くすっ、不思議なことを考え始めると切りがありませんよ」
「密閉されていた空間だからなのか……うーん、まぁ、ともかく、場合によっては拠点をここに作るのも悪くなさそうだってことを言おうとしたんだ」
確かに、この場で理屈を考えても仕方ない。
いずれ地底生活をする可能性が出てきたということだけ考慮に入れておくとしよう。
『地の精霊に慕われている美須磨がいれば崩落などに見舞われる可能性も低そうだし、な』
当面、差し当たっての問題は、探索中に中で迷って戻ってこられなくなることだろうか。あー、異世界ということだし、危険生物が棲みついていることもありえるか? 別の出入り口があれば、おかしなことじゃない。こうなると、ナイフとスコップがますます頼りになるな。
ちなみに、今まで見てきた限り、この異世界の物理法則や自然環境は地球と大差ない。
精霊術や神ちゃん関連を別として、雪の高山なんて特殊環境がそもそもの話、僕らの常識から程遠いという事実もさておけば、あきらかに地球で起こりえない事象は確認できてはいなかった。
おかしなことと言えば、美須磨の学生用端末と僕のスマホに揃って電源が入らない不具合……後は、せいぜい死骸として出遭ったギネス級の巨大グマくらいだろうか。
あらかじめ異世界と聞かされていなければ、ヒマラヤ山脈にでも飛ばされたかと思うところだ。
「白埜先生、頭上にお気を付けください」
「ん? おっと、あぶない、あぶない」
洞窟内の広さは標準的な体型の大人二人が並んで歩くのに丁度というくらいだろう。
飛び跳ねたり手を大きく振ったりしないよう気を付けさえすれば縦横にけっこうな余裕がある。
足下はごつごつとした岩場ながら、少し波打っている程度で凹凸はさほどでもない。
酷く湿り、かつ勾配のある下り坂にしては、意外なほど歩きやすい。
暗闇の中、小さな懐中電灯を照らしながら進んでいく僕らにとっては救いと言える。
『これといって変わった物もありそうにないんだけどな』
ちょっとした広間、すぐに一方が行き止まりとなる雑な分岐点、数十センチから数メートルの深さで上下に伸びるいくつかの縦穴……などを通り過ぎながら、ゆっくりと洞窟を進む。
特に危険もなく気が緩んでいたのだろう。
そんな中で一つの事故が起きた。
「とうとう行き止まりに突き当たったか」
ここまで、足場や周囲を警戒しながら進んできたために相当な時間を掛けている。
特に収穫もなく、緊張だけを強いられる洞窟探検には、いいかげん気が滅入ってくる頃合いだ。
結果的に一本道だったこともあり、最短ルートを辿れば帰途はあっという間だろうが……。
「ここで終点といった感じではないよな。美須磨、どうだ?」
「はい、まだ先がありそうです。地の精霊に我は請う――」
例によって岩壁にぽっかり四角い穴が空く。
だが、先ほどとは些か規模が異なり、次の空間と合流するまでにくり抜かれた岩盤がやや多く、距離にして二三メートルはあろうか。
また、まっすぐだった前回と違い、ほとんど縦穴と呼べるほどの急勾配で階段状になっていた。
「ふぅ、また空気を入れ換えるから下がっていてくれ」
と、美須磨に声を掛けて空気の入れ換えを実行する。
待つこと暫し、やはり気圧と気温について心配する必要はなさそうである。
そのとき。
「おや、今のはなんだろう? 美須磨、ちょっと照らしてみてくれないか」
「何処でしょう。天井の辺りですか?」
チラっと、奥の方で横合いから伸びる陰が視界を掠めた。
懐中電灯で照らしてもらおうとするも、口頭では思うように場所を伝えきれない。
「もう少し下の向こうの方なんだが……すまない、ライトを貸してくれ」
「はい、どうぞ……あっ!?」
「ん!?」
うっかり、手渡された懐中電灯を掴み損ねた僕は、指で弾いてそれを取り落としてしまう。
厚い手袋をしていたせいで感覚が狂った……いや、そうじゃない。なんて愚かなんだ、僕は! こんな足場の悪い真っ暗闇で最も大切なのは明かりだというのに、その認識を決定的に欠かし、取り扱いをぞんざいにしすぎていた。
美須磨は懐中電灯に付いたチェーンを常に手首に引っかけ、落とさないよう注意していたのだ。
対する僕は、そんな命綱に等しき貴重品を指して軽い気持ちで『貸してくれ』などと言い放ち、さして気を付けもせず無造作に受け取ろうとしてしまった。
そのような心得違いでは間抜けな事故が起こるのも必然と言える。
そして、このような必然的なミスには最悪が重なる。
地面に落ちた懐中電灯は小さくバウンドしながら目の前の縦穴を転がり落ちていく。
更に、スイッチが押されたのか、壊れてしまったのか、途中でふっと灯りを消失させる。
残されたのは、完全なまでの暗闇だった。





