第十四話: 希う幼女、野生の対決
襲来した巨獣型モンスター・サバナ牛の相手をひとまず姉クリスタ率いる一行分隊に任せると、僕は辺りの警戒と危険排除に当たるため、その場からやや距離を取った。
雨季の最中ならば水をしっかり湛えた川であるはずのこの場所は、乾期の今、幅二十メートル、周囲との高低差四メートルほどの小さな渓谷と化し、中央付近をちょろちょろと流れ行く小川と、足下のぬかるんだ泥だけが往事の名残を留めていた。
仲間たちがサバナ牛と対峙しているのは、緩やかな坂を描いた谷の上――本来の川岸となる。
精霊術【風浪の帆】で宙を飛び、僕はまず小川の上空に陣取った。
そして、川岸の方からずりずりと坂の中程まで下りてきたファルーラへ声を掛ける。
「ファル、いいかい? ちょっとだけ時間を稼いでほしいんだけど」
「あの子と遊んでればいいの?」
「うん、話が早いね。だけど十分に気を付けるんだよ」
さしあたって、早めに対処しなければならないのは、こちらへ駆けてくる一匹のラーテルだ。
前世地球にも棲息していたはずの動物だが、これが意外と侮れない危険生物なのである。
見た目は体長一メートル前後の細長いクマといった風で、強力な爪と牙を武器としている。
しかし、何よりも恐るべきは、動く物に見境なく襲い掛かるほどの凶暴極まる攻撃性だろう。
『目を付けた相手に対して延々と攻撃し続けるしつこさだ。サバナ牛と戦っている皆の後ろまで、間違ってもこんな奴を行かせるわけにはいかないな』
とは言え、こいつは僕にとって些かやりにくい相手でもある。
空中に浮かんだまま精霊術で一方的に攻撃してやれば、何ら危険を冒さず倒せはするものの、背中の白い毛皮は柔軟強固、動きの俊敏さも相まってダメージを与えにくく、少なからず時間が掛かってしまう。また、ヘタを打つと獲物としての素材価値を台無しにしかねない点でも厄介だ。
そこで今回はファルーラにも協力してもらうことにした。
「来たぁ! はやい!」
元より、大して距離が離れていたわけではない。
僕らの存在に気付いたラーテルはすぐにファルーラがいる坂の下へと迫ってくる。
その速さに驚きを見せたファルーラだが、取り乱すことなく段丘状になった大岩の上に立ち、自分の足をひと口で食いちぎれそうな体長一メートル超のラーテルを見下ろす。
ごおっふ!と唸る猛獣、対する幼女は、場違いにもニコッと無邪気な笑みを浮かべた。
「ラーテル、カワイイね。それなら……デザイア!」
大岩を舞台に見立てたか、くるりと片足を軸に右回転、ポーズを決めて発するは請願。
続けて希う望みは、彼女の目にのみ映る精霊たちへ向けて。
「あそぼ! イヌマン!」
直後、ファルーラが立つ大岩の付け根辺りにボコっと盛り土が出現し、モグラの隧道のようにボコボコと前方へ伸び始める。
これに進路を遮られたラーテルが小さく跳ねて後退れば、入れ替わりに地中から飛び出すのは身長一三〇センチに満たないやや小柄な人影であった。
いや、テリア犬そっくりの頭を持ち、短い尻尾も生えたソレは明らかに人間ではない。
衣服は身に着けておらず、全身は撫でつけた長い毛にも見える柔らかそうな鱗で覆われている。
にも拘わらず、二本脚で直立し、手に園芸用の小さな金属スコップを持つのが奇妙なところ。
僕とはまったく異なるファルーラの精霊術――紛らわしいので【精霊召喚術】と呼ぼうか――によって現れ、使役することができる数種類のモンスターのうちの一体が、この怪人イヌマンだ。
「イヌマン、かばでぃー!」
「キャンキャン! キャンキャン! キャンキャン!」
ファルーラの指示に従い、イヌマンがスコップを振り回しながら前後左右小刻みに跳ね回る。
動く物に対して激しく攻撃する習性を持つラーテルは、それに一瞬で釘付けとされてしまう。
ぴょんぴょん同じようにステップを踏みつつ、二匹がそれぞれの武器で攻撃を繰り返す。
ととととっ! ラーテルが素早く駆け、すれ違い様に低い位置から噛みつけば……。
イヌマンはアクロバティックなステップで回避しつつ逆にスコップを突き出していく。
どちらも有効打にはならないものの、目まぐるしく攻守が入れ替わる激しい接戦に見えた。
「ギャン!」
「ああっ、がんばれー」
『おおっと? それでも流石に一対一ならラーテルの方が優勢かな?』
しばらくすると、ラーテルの黒い顎門が遂にイヌマンの脚を捕らえた。
脛の辺りに牙を突き立てられたイヌマンは、ラーテルの背に二度三度スコップを振り下ろすも、ゴムのように柔らかく分厚い毛皮に刺突攻撃は限りなく効果が薄そうである。
「キャンキャン、きゃん……くぅーん……」
「やぁ、まだ帰っちゃダメ! ステイ! イヌマン、ステイ!」
ガジガジと囓りながら、鋭い爪まで立てて組みついてきたラーテルをどうすることもできず、イヌマンは片脚を引きずって地面へ潜っていこうとする。
必死に留めようとするファルーラの声も、もはや届かない様子だ……が。
「――あいつらにまとわりつけ【粘液搦め】」
ここまで時間はしっかり稼いでもらった。
水の操作を苦手とする僕であっても、小川の水から大きな水球を作るのに十分すぎる時間だ。
「キャ、キャンキャン?」
「ごぉっふ……がふ……かふ……」
逃げる間もなく粘液のムチに巻き取られた二匹の獣は、直径二メートルほどのぷるぷるとした粘液球の中に囚われ、横並びとなって首から上をさらすだけとなってしまう。
どれだけ激しく手足を掻こうと、もはや抜け出すこと能わず。
それは、まるで双頭の達磨の如く、どっかと地面に鎮座したのだった。





