第六話: 砂塵に吹かれて
気が付けば、もう朝食に遅れてしまいかねない時刻、僕ら三人と一匹は急ぎ足で帰路に就く。
いろいろあったせいで、知らず時間の間隔を狂わされていたらしい。
と言っても、急激に強まる陽射しと塵風を遮るため、表装布を整える余裕くらいはまだあるが。
「いやはや、気温の高さもさることながら、この埃っぽさは些か以上に堪えますな」
「まだ二年目じゃ慣れませんよね。司祭殿、何かお困りなら遠慮無く仰ってください」
「フッ、私も風土の違いは覚悟してきたつもりです。お心だけ有り難く頂戴しておきましょう」
確かに、アドニス司祭は口ほどには不快な風でもなさそうだ。
見た目からは汚れや汗などを感じさせず、そうそう感情的になることもないイケメン振りは、大袈裟なジェスチャーも相まって、どこかテレビ画面の向こう側にいる俳優か何かを思わせる。
「そう言えば、都の辺りとは、そんなに気候が違うものなんですか?」
「まるで違いますね。王都はそろそろ寒さを感じ始める時分でしょうか。多少は雨も降ります。流石に雪が降るにはまだ早いですが……ああ、雪はご存じでしたかな? 確か――」
「ええ、我が家は北方出身なので、雪と氷は昔馴染みたいなものです」
この国の王都はここから見て一、〇〇〇キロも北にあり、気候はかなり異なっているらしい。
聞くところによると、そちらは比較的ハッキリとした四季があるようなので、前世日本に近い温暖湿潤気候なのではないかと思われる。
ちなみに、僕が生まれた旧マティオロ騎士爵の開拓村は、このエルキル男爵の開拓村とは真逆、王都より更に一二〇〇キロほど北方に位置し、真夏でさえも肌寒い雪国だった。
「ファルも! ファルも雪、知ってるよ! 白ぼっちゃんが見せてくれたの。冷たかった!」
「そうですか。良かったですね。シェガロ様の精霊術は雪も作れると」
『雪か……なんだかもう懐かしいくらいに思えるな』
「まぁ、この乾期も、カがいなくなるのと、洗濯物がよく乾くのは悪くないんですけどねえ」
「ぷ……っく……いや、失敬」
そんなこんな話しながら足早に歩いていれば、ほどなく村の中央広場が見えてきた。
アドニス司祭が住まう神殿は、この広場に面して建てられている。
役場を兼ねた大きな集会場、冒険者組合の出張所、今年の初めにようやく決まった村長の家、ついでにファルーラの家……等々、すべてが周囲に沿って軒を連ねており、文字通り、開拓村の中央区と呼ぶべき一画となっていた。
「おやおや、これは司祭さま。実にお早いお戻りで。サボりはもうおしまいですか」
その声はあたかも鳴子の如く、僕らが広場へと足を踏み入れた瞬間、高らかに投げ掛けられた。
反射的に声のした方へ目を向ければ、神殿前の小さな門柱を背にした少女の姿がある。
子どもと呼べそうな年齢には見えないものの、背丈はかなり低い。
前世の記憶にある英国風メイドを思わせる衣装――実際にはあまり似ていないが――をまとい、エプロン風にアレンジされた真っ白な表装布が覆う胸元へ、三つ編みにした黒髪を垂らしている。
神殿に仕える女性の常として、顔は薄い面紗によって覆われていた。
とは言え、母トゥーニヤがいつも付けているものよりは布面積が小さく、表情は見て取れる。
「フッ、また私の帰りを待っていてくれたのですね。ご足労を掛けました、巫女ミャアマ」
「は? 詫び入れるんでしたら、仕事ほっぽり出して勝手に茶ァしばきに行った件が先でしょう。別に好きで出迎えてんじゃないんですよ。こっちは司祭さまがいなきゃ始めらんないんですよ」
かろうじて敬語の体を為しているとは言え、その言葉は棘だらけの毒塗れである。
ベールの奥、眠そうな目をした無表情な顔から発せられているとは思えない舌鋒の激しさだ。
「ふむ、そうは言いますが、私にも目覚めにカフェを楽しむ権利くらいあってしかるべきでは?」
「そういうのはちゃんとやることやってる人だけに許されるセリフじゃないですかね。あたしに一声もなしで気が付きゃいなくなってるような甲斐性なしがいっちょまえに何を仰るのやら」
「うん? 待ちなさい。声を掛けてから出たような覚えがありますが?」
「まさか惚けてやないでしょうね? あたしゃ、お年寄りの世話しに来てんじゃないんですけど」
「フ……よもや私の記憶違いとは。これは怠慢の謗りも甘受する他はなさそうです」
ミャアマという名で呼ばれた彼女は、アドニス司祭と共に赴任してきた神殿の巫女である。
もちろん、この世界の司祭が前世地球の宗教とは何ら関係ないように、巫女もまた馴染みある日本の神道におけるそれとは別、神々を祀った神殿で下働きを担う女性聖職者のことを言う。
本来、神殿の階位では、司祭よりもずっと下なのだが……まぁ、彼らにもいろいろあるようだ。
「さあ、置物の美男子像じゃあるまいし、いつまでも表に突っ立ってないで入ってくれませんか」
「……と、いうわけですので、シェガロ様、私はこれにて失礼させていただきます」
「あははは、お勤め、ご苦労さまです」
「言っときますけど、もう食事なんて片付けてしまいましたから、そのおつもりで。さあさあ」
「フフ、そう急かさずとも逃げはしませんよ――」
少女に背を押されるかのように神殿の門を潜っていくアドニス司祭を見送り、僕らも動き出す。
「それじゃあ、こっちも家に戻ろうか」
「はーい! さあさあ、いつまでもつったってないでおうちへかえってくれませんか!」
「君も一緒に帰るんだよ、ファル。パパとママが留守でも朝会はあるんだからね」
「あ、そっか、ファルはまだお仕事終わりじゃなかったねー」
「さわって?」
今いる神殿のちょうど真向かいに見える実家にて、両親・兄と暮らしているファルーラだが、毎日、朝早くから午前中一杯までは我が家のメイドとして勤めてもらっているのだ。
いや、まだ数え年でも九歳、しかも不老長寿と言われる妖精族であるためだろうか、比較的、幼い言動が目立つ女児なので、実態は行儀見習いと呼べるかもあやしいところだけれども。
『この時分、昼日中はけっこう平和だろう。帰ったら後は休ませてやればいいさ』
「まぁね……って、いいかげん急がないと、クリスに何を言われるか分からないや」
「真白おじょうさまたち、白ぼっちゃんにきびしいもんねー」
「うん、走るよ! 風の精霊に我は請う……」
最後の一頑張り、向かい風に逆らいながら僕たちは揃って走り出した。





