最終話: 雲翻りし朔の頃
あの雲中の決戦から二週間。
鳥のジャンボはまだ一度も飛来しておらず、遙か上空を飛ぶ姿も目撃されていない。
逆に、空には季節外れの大きな雲がいくつも浮かび、まるでこれから雨季が始まるかのようだ。
皆の見立てによれば、今年は遅く乾期が訪れ、やや短く終わるのではないかと言うことだ。
『それはそれで次の雨季に悪影響がないか心配になってくるけどな』
「でも、間違いなく乾期を乗りきるのが楽になるわけだから、今だけは本当に助かるよ」
どうやら王都周辺も手酷く蝗害にやられているらしく、どうあっても飢饉の訪れは免れない。
しかし、イナゴに食い荒らされた大草原には僅かながら回復の兆しが見られ、ダンジョンから持ち帰った牧羊樹などの物資があれば、ギリギリ我が領地では餓死者を出さずに済みそうである。
――きゃっ、きゃっ。きゃっ、きゃっ。
「わーい、ヒツジふわふわーっ! ひびのつかれがいやされるわぁ」
「早く替われよー。ボクはこいつを一周キメてからじゃないとお昼寝できないんだよー」
「メエエエエ」
すっかり村の児童遊具と化したメリーゴーラウンド――牧羊樹で戯れる子どもたちの顔にも、もはや影は見られない。
ようやくイナゴの後始末が終わり、ここ数日は比較的穏やかな日常が戻ってきた感さえある。
「もっと速く走んなさい、ハイヨー! ですわっ!」
「あんまヒツジを叩かんでやってくれんかね、真白お嬢さま。こいつらは騎獣じゃねえでよォ」
「んベェエエエ」
ときには、和やかな雰囲気が少しばかり削がれることもあるが。
……てか、我が姉であるところのクリス嬢には自分の愛羽がいるだろう。牧場へ行きなさい!
「あたま?」
「あー、はいはい。もっふる、もっふる……と」
今は僕ものんびり、午睡がてらナイコーンさまの頭を撫でさせられている最中だ。
「でざいあー、でざいあー……むむむむむぅ……ねーえ、白ぼっちゃん、もういい?」
「だめだよ。まだ一回もできてないじゃないか」
「だって、これ、つまんないんだもん。みんなしてファルのこと無視するんだもん。なんで? でざいあーでざいあーでざいあーでざいあー……」
あの後、両親からこっぴどく叱られたファルには、更なる厳しい躾の日々が待っていた。
その一環として我が領主家での奉公も始まっており、お手伝いさんの雑用を手伝わされる傍ら、空いた時間には僕個人のお付きとして行く先々にくっついて回っている。
と言っても、僕には取り立ててファルの手を借りたいことなんてないため、専ら、こんな風に精霊への請願を練習してもらったりしているのだ……が。
見ての通り、そちらは非常に難航している。
はてさて、何がいけないのやら、初歩な精霊術さえ成功しない。あれ以来、ただの一度もだ。
「頑張れ。妖精の取り替え子に限った話じゃなく、妖精という種族は、精霊に好かれやすいって言うからさ。あのとき雲の中ではちょうちょを喚べたじゃないか」
聞けば、ファルは辺りに遍在する精霊の姿をぼんやり視ることはできるものの、声を聞いたり聞かせたり、身振り手振りなども含め、一切のコミュニケーションは叶わないらしい。
『まぁ、明らかにやる気がなさそうだしな。だいぶストレスも溜まっていそうだ。これは気長に興味が向くのを待った方が良いかも知れないぞ』
「精霊術師が領地にもう一人いれば何かと助かるだろうけど……それがファルじゃねえ」
「でざいあでざいあっ! もぉやだぁ! んきゃーっ、オトモシャボテーン!」
「あたま……さわって?」
突如、奇声を上げたファルが、僕の足下でぐでーっと地面に伸びているナイコーンさまの背に全身を投げ出せば、モフモフの長い毛はそれを容易く受け止め、宙高く弾ませてしまう。
「ちょおっ! なんで飛び掛かってくるのさっ?」
「あははは! でざいあー!」
そうしてファルは、さながらボディプレスを繰り出すかのように僕へ激突してきた。
仰向けに押し倒されつつ、ふと空を見れば、すこぶる好天だ。この後は何をしようかな?
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
場面は変わる。
そこは、今現在のシェガロには知り得ないどこか別の場所。
窓の一つもなく明かりも灯されていない真っ暗な……おそらくは屋内の一室。
調度品どころか広ささえも知れないこの場には、ただ、ひそひそと響く小さな声だけがあった。
「――ということです。おそらく、精霊術師であることは確定と見てよろしいかと」
「年端も行かぬ平人の男の子が大怪鳥を……」
「そちらも確度の高い情報となっています。特級魔獣をたった一人で退けたというだけでも俄に信じがたいことですけれど」
「くすっ、まるでお伽噺のよう。為人は少し、心象から外れていますね」
声は二つ……どちらも年若い女性のものと思えるが、囁きであるため、断定するのは難しい。
互いに言葉遣いは平民のそれでなく、卑しからぬ身分の主従であろうことだけは窺えるか。
「それで……空を、飛ぶのでしたか?」
「まるで鳥のように身一つで翔ぶのだとか。風の扱いに長けているそうです。属性は当てはまり、年齢と性別は一致。お捜しの御方である可能性は、現時点においても相当高いと思われます」
「どうでしょう。実際に会ってみなければ……いつ、喚べるのですか?」
その問いに対し、微かに身動ぐ気配が返された。
「……申し訳ありません。召喚に関しては難航し、未だとりつく島もなく」
「あら、貴女にしては珍しい不手際ですね」
声は決して咎める調子ではない。
しかし、投げかけられた側はやや緊張の滲む声で言葉を発し始める。
「下級とは言え、貴族家の嫡男となれば、年齢や立場も併せて働きかけは殊更に難しくなります。方々からの目に余計な勘ぐりをさせぬためにも慎重を期さねばなりません。加えて戦乱と災害、動きにくい周辺情勢が今後も長く続くことが予想され、現状ではどうしても」
「……煩わしいこと」
小さな嘆息の後、会話が途切れる。
暗闇の中、物音一つ立たず、誰もいなくなったかのような静寂がどれだけ続いただろうか。
「ふぅ、待つしかないのでしょうね。これまでと同じように」
「非才のこの身をお許しください」
「似合わない謙りは結構ですよ。それよりも見極めだけは早急に。できますね?」
「は、はい。他の候補よりも優先度を上げ、直ちに詳しい情報を集めさせます」
「よしなに」
と、一つの気配がこの場を去る。
後に残されたのは、先ほどまでとは比較にならない真の静寂。
それは、もはや気配すら感じられない闇そのものだった。
やがて、ポツリ……と。
「寒い」
僅かな衣擦れの音を交えつつ、呟きが漏れた。
「あなたはどこにいるのですか?」
擦れるような声、問いは誰の下へも届かぬまま闇に染み入る。
「ここへ来て、私を見付けてください。名前を、呼んでください」
たとえ感情を込め、希おうとも何一つ変化は訪れない。
「あなたが足りなくて……このままだと、私……世界を壊してしまうかも知れませんよ?」
第二部第一章はここまでとなります。
予定していたよりもボリュームが大増してしまい、ようやく一区切り付けることができました。
もちろん、お話はまだまだ完結しませんが。
次の第二章ではイケメンな新キャラが登場予定。
引き続き、お楽しみいただけますように!
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