第十四話: お城に着けなかった灰被り
再び屋台の暖簾をくぐる。
「店長ー、僕にはいつものお願い」
「おっけー。しょーゆラーメンさっぱり鶏ガラネギ多め一丁! あっ、お嬢ちゃん。それはね、メンマ! シナチク、知らない? えっと、中華風タケノコのお漬け物……みたいな?」
はは、美須磨が珍しい表情を浮かべている。
「がくえ……食堂にも確かラーメンはあっただろう。頼んだことなかったのかい?」
「はい、そういったものは口にしてはならないと」
「ラーメンも好きに食べられないなんて、いいとこのお嬢様も損してるわネ」
「あぁ、店長。この子はえっと……僕の知り合いの――」
「いいわヨ、わかってる。詮索しない方が良いんでしょ?」
「……うん、そうしてもらえると助かる」
彼女は脱走した学園生などでは決してなく、ちょっと迷子になった僕の連れ。そんなところだ。
「ハイ、お待ち!」
「来た来た。昼から食べそびれててすっかりハラペコだ。いただきます」
「私のせいですよね。すみません」
「いや、違う違う。食べるタイミングはいくらでもあったのに忘れてたんだ。よくあるんだよ」
「ショーゴちゃん、お昼抜きとか夕飯抜きとかしょっちゅう言ってるわよネ。ダメよ、ちゃんと食べないと。せっかく、いい体してんだから、壊しちゃったりしたら勿体ないワ」
「だね。今夜はちょっと日頃の不摂生のツケを感じたよ……ズズズぅーっ」
正直、身体はもうスタミナ枯渇寸前、脚なんて生まれたての子牛のようにブルブルしている。
考えてみれば、舞踏会でさんざん踊った後、そのまま街に出てきて駅周辺を歩き回り、果てはヤンキー相手にアレやソレである。いい年したおっさんにはオーバーワーク甚だしい。
目の前の店長みたいなムキムキ強面とはいかなくとも、若い頃のように少し肉体を鍛えよう。
反面、心の方はえもいわれぬ達成感で満たされ、些かハイになっている自覚がある。
本当に……美須磨が無事で、ホントに良かった。無性に酒が飲みたい気分だ。
「ごちそうさまでした。ラーメンって美味しいんですね」
「そーよぉ。分かってくれて嬉しいワー。気に入ったらまた来てちょうだい」
「はい、もしも機会があったら是非」
『ふむ、どうやら多少はいつもの彼女に戻ってきたのかな』
ヤンキー相手の逃走中に見せていた意外にタフな様子とは打って変わり、駅が近付いてくるにつれて見るからに意気消沈し、無理をして普通を演じようとしながらもどこか投げやりな態度を露わにしつつあった美須磨。
単純に肉体的な疲労によるものかとも思っていたが、勿論それだけのはずはないだろう。
彼女が学園を抜け出したのは、何かから逃げるためだ。
そして、それは失敗に終わった。
ならば、この先で彼女はどうなってしまうのか。
学園に戻され、大人たちよりこっぴどく叱られ、それなりに厳しい罰を受けつつも元の生活へ?
当然、そんな和やかな結末で締めくくられるとも思えない。
彼女が逃げ出したかった何か――それはほぼ間違いなく“家”だ。
美須磨家と言えば、旧華族にまで遡れる名家の一つと聞く。
子どもの人生における決定権のすべてを家長が持つ、旧態依然としたシステムを現代でもなお絶対的なものとして延々続けているらしい、うちの学園生の実家としては見本のような、しかし昨今ではうちの学園関係の中でさえ希有な存在と成り果てているコテコテの名家である。
そうしたシステムの下で繁栄を享受してきて、それに従うことで子孫も幸せになれると信じているのかも知れない。まぁ、きっと大凡においては正しいのだろう。だとしても、せめて当人が納得できるような複数の選択肢くらいは用意してやれないものかと思えてならない。
美須磨月子は賢い娘である。
今回のことにしても、あちこちへ多大な迷惑を掛けた挙げ句、自分の未来は何も変えられない……それらすべてを覚悟した上で、ただ一縷の望みに縋ったまでなのだ。
そうまで追い詰めてしまったという事実を、彼女の実家は重く受け止めてくれるだろうか。
『……いや、やめておけ。僕如きがこれ以上の深みへ足を踏み込むべきではない。教師として、生徒を無事に保護できた。それだけで十分じゃないか。自分の領分をしっかり弁えろ』
魔法使いならぬ凡庸な身では、灰被り姫を助けるドレスも馬車も与えられない。まして劇的に不幸な境遇から救い上げる王子様になど生まれ変わってもなれやしない。
そうだ、いいとこネズミ役の僕は、もう僕にできる以上のことをし終えたはずだ。
「ごちそうさん。店長、なんかいつも以上に美味かった気がするよ、ははっ」
「あらん、嬉しいこと言ってくれちゃって」
「はい、お勘定」
「あらっしゃっしたー! お二人さん、気を付けて帰んなさいヨ」
勘定のお釣りを受け取り、手を振って屋台を後にする。
暖簾を潜るところでペコリと背後に一つお辞儀し、美須磨も付いてきた。
さて、残るは帰りだけか。
時間を確認してみれば、ちょうど日が変わる時刻である。
いろいろあったが、終わってみれば思ったよりも時間は掛かっていなかったようだ。
「美須磨、タクシーで学園へ戻るよ。あっちに停まっている車だ」
「はい、すべて先生にお任せします」
強まる降雪の中、人通りも少なくなってきた駅前広場を、タクシー乗り場へ向かって歩き出す。
会話もなく、二人並んで歩く。
なんとなく手を繋いだ方が良いような気になるも、何故そんなことを思ったのやら。この期に及んで彼女が逃げるはずもなし。掴まえておかなければ何処へ走り出すか分からない、あるいはいきなり誰かにさらわれてしまったりするような幼い子どもでもあるまい。
そんな益体もないことを考えていたせいで、少し気付くのが遅れてしまった。
後ろの方から駅前ロータリーに走り込んできた黒塗りの高級車が、僕らの真横でキーッというブレーキ音を鳴らして停まる。
『まさか、さっきのヤンキー連中と繋がる反社会的組織の襲撃か!?』
慌てて美須磨の前に出て庇い、交番の位置や通行人などの様子を確認した。
同時に、いつでもタクシー乗り場へ駆け出せるよう身構えながら後ずさっていく。
背後では、疾うに少女が臨戦態勢だ。
しかし、車の中からは想像したイメージに近い黒服が二人降り立つものの、こちらに向かってくることなくドアの前で控えた。そして、一方が大きな黒い傘を差してドア前へとかざす。
続けて降りてきたのはぶくぶく太っ――恰幅のいい一人の老人だった。
「ぐふふ、ご苦労だったな、白埜クン。さぁ、屋敷へ行くぞ、月子。ぶっひゃひゃひゃひゃ!!」





