第四十三話: 立ちはだかる巨体
第二部のほぼ全話に亘り、一部表現を変更しました。
一.脳内の松悟(ヘタレ)が発するセリフを行頭“――”から“『』”括りに。
一.モンスター・ゴブリンの呼称をザコオニに(地の文とシェガロのみ)。
大したことではありませんが、どうかご了承ください。
いくら水気の少ない大草原と言えど、当然、場所によっては河川や湖沼が存在している。
眼下に広がる湖はよく水を湛え、ざっと見たところ、琵琶湖くらいの広さはあるだろうか。
湖水は極めて透明度が低い濃緑色ながら、エメラルドグリーンに輝く水面はなかなか美しい。
紅靄に遮られず見渡せる半径数キロの圏内でも、カバ、ワニ、フラミンゴ――どれも見知った通常の動物だ――などが群れをなし、多くの生き物たちのオアシスになっているようだった。
ここがダンジョンの奥地という特殊環境でなければ、様々な利用価値があっただろうが……。
その湖上を、ほとんど駆けているのと変わらないほどの早足で進む一団があった。
何故か誰一人たりとも水に足を沈めることなく、吹き抜ける風に波立つ水面を踏みしめていく。
数羽掛かりで非常に大きく重そうな荷を牽く騎羽たちでさえ、それは同様だ。
「「「メエェーエ」」」
「うへぇ、静かにしてくれよう」
「早く早く、早く早く……ハァハァ……」
「メエーっ」「んヴェェェエ!」
「オラオラ、ひよっこども! 鈍すぎてヒツジが欠伸かいてっぞ! もっと押せ、押せ!」
今更言うまでもないだろうが、このアメンボのような一団の正体は我らがエルキル探索隊だ。
護衛の【草刈りの大鎌】に前後を挟まれ、モントリー五羽と徒歩の男たち五人が重荷を運ぶ。
縦一列に連結された荷車三台に載る荷は高木――根と葉をそのまま残す、あの牧羊樹である。幹には果実である生きたヒツジたちも未だ繋がっており、非常に喧しく鳴き続けている。
「水ん中を近付いてくる奴はいないよ! アンタらの方でもよく気を付けててほしいけどね!」
「周りにも敵影は無し。精霊術【水面歩き】は急に切れたりしないから安心して」
相も変わらず上空にて哨戒と誘導を担う僕は、そんな一団が汗だくになりながらヒーコラ行く、湖中島から対岸までのおよそ二キロメートルに及ぶ水上曳行を見守った。
幸い、襲撃などを受けることもなく、半刻(一時間)も経ずして湖畔への上陸を果たす。
だが、異変が起きたのは、皆が地に足付けて一息吐いた、まさにそのときであった。
「全員! すぐに水辺から離れて! 何か上がっ――」
僕のその声を遮ったのは、突如として湖より噴き上がった巨大な水柱である。
高さ数十メートル、思わず間欠泉やクジラの潮吹きのイメージが脳裏を過ぎるも、膨大な水の中心部に浮かぶ濃い影がそんな長閑な現象などではありえないことを示していた。
噴水が宙へ飛び散っていった後に残されたのは、鎌首をもたげる長大な碧い蛇……か。
太さは前世で見掛けた風呂屋の煙突以上、長さは僕が浮かぶ地上十メートル以上の高さにまで達する。当然、それらは水中から垂直に突き出している部分だけでの話だ。
湖岸に向かって大きな波を立てながら、蛇体はぐんぐんと陸へ迫ってきた。
とは言え、僕らとて、いつまでもそんなものを悠長に眺めているはずもなし。
重荷を抱えているため、さほど移動速度は出せずとも、巨体を水中に浸した奴よりはまだ速い。疾うに揃って湖畔を脱し、相当に距離を離すことができていた。
『いや、駄目だ! これは、まずいぞ』
「みんな、もっと急いで!」
膨大な量の水を撒き散らしながら湖の中より上陸し、ずぅーん! ずぅーん!という地響きを立て始めたソレは、もはや蛇とは似ても似つかない全身像を露わにしている。
速度の方も水中にいたときとは比較にならず、あっという間にこちらとの距離を詰めてくる。
「……チィ、やっぱりそうなるわな」
「真っ直ぐ追ってくるのかい!? すると目当てはこのバロメッツかねえ!」
チラリチラリと振り返って確認する冒険者たちが、一様に苦々しげな表情を浮かべる。
「ギガント・ロクソドン……相手にしたくはなかったぜえ」
鎌首をもたげた大蛇と見紛う太さ長さの鼻を持つ、その姿は、山の如く巨大なゾウだ。
これまで幾度か、遠間で目にしていたが、先ほどまではどうやら湖の中を泳いでいたらしい。
初めて近距離で拝むこととなった巨体は、地面から頭の上までの体高にして三十メートル超。僕がかろうじて棒立ちで浮かんでいられる高度のトリプルスコアに達する圧倒的威容である。
鼻の長さだけでも二十五メートルを下ることはあるまい。これは精霊術の射程距離をも上回り、あの内側に入らなければ、僕は攻撃を仕掛けることすら能わないわけだ。
その鼻の太さは平均して直径四五メートルほどもあり、風や火で包み込めるサイズですらない。
「ちょ!? とても倒せそうな相手だとは思えないんですけどぉ!」
「ハッハー! だから前に忠告しただろう! 腕っ扱きを数百人も集めて周りを囲んでやれば、案外、何とかなるっていう話だけどさ!」
「いやいや、姐御よ。攻城兵器と魔術師団も外せねえだろ。……まっ、なんにせよ、今みたいな小勢じゃどうにも打つ手はありゃしねえってこったがな」
牧羊樹を積む荷車とヒツジの群れを牽いていく一団の最後尾にて、殿を務めるジェルザさんと戦士さんが軽い調子で言葉を返してくるも、その表情に余裕などまったく窺えない。
前世の建造物でたとえるなら、十二階建てのマンションといったところか。
そんな物が四本足でずんずん歩き、後を追いかけてくるとか、本気で勘弁してもらいたい。
背後より迫るジャンボとの距離は僅か二三百メートル程度、それも刻一刻と縮まってきている。
単純に考えて、奴の一歩はこちらの二十歩にも相当し、追いかけっこをして勝てるはずがない。
どうにか撒けないものかと樹木や岩石の陰に入るも、鼻や足の一振りであらゆる地形を粉砕し、奴は追いすがってくる。余計な動きは却って彼我の距離を縮める結果を生むだけとなってしまう。
凄まじい地響きに怯えるヒツジたちも足を引っ張り、もう追いつかれるのは時間の問題だ。
『そろそろ覚悟を決めるべきだろうな。どう考えても逃げきれそうにない』
「ぬぅん、このバロメッツ、今回は諦めるしかない……か」
僕と同じことをマティオロ氏も考えたようだ。
奴の狙いがこの牧羊樹だと決まったわけではないが、どのみち大荷物を牽くのも限界だろう。
「自生地はもう分かってんだ! また獲りに行けば良いさ! 今度はもっと慎重にね!」
「やむえまい! 貴様ら、荷車を――」
しかし、僕らがそれを実行に移す暇もなく、事態はまったく予期せぬ方へと動き出した。





