第四十一話: 集られて宝出た沼畔
ぶんぶんと周りを飛び回る虫の大群は、先日のイナゴを思い出させた。
数で言えば数十匹かそこら、まったく比較にはならないものの、代わりに一匹一匹のサイズは桁違い、奏でられる羽音の五月蠅さでは引けを取っていないように思われる。
姿形は、この草原でも嫌われているハエとカを大きくしただけと言って良さそうだ。
しかし、一口にハエとカと言っても、当然ながら、どちらも単なる不快害虫などではない。
一方は、ツェツェバエと呼ばれる吸血性のハエである。
様々な精神障害と睡眠障害を経て最終的に死へと至る昏睡をもたらす“眠り病”の媒介主だ。
他方のハマダラカは一見するとごく普通のカでしかない。
だが、こいつは地球において毎年二億人にも上る罹患者を叩き出し、そのうち四十万人以上を死に至らしめているという、あの最凶の感染症“マラリア”の媒介主なのだ。
ただでさえ恐ろしいそいつらが、体長十二センチほどにまで巨大化し、目にも留まらぬ速さで襲い掛かってくるのだから、虫を苦手としていない僕であっても、かなりキツイものがある。
「走れ! 走れ! 集られんなよ!」
「「「うひいいぃぃ!」」」
マティオロ氏の騎羽を先頭に雁行を組んで疾駆する五羽のモントリーには、すべて火の精霊術【炎の棘】が掛けられており、虫どもを触れる側から自動的に焼き尽くしていく。
「ここが、水の近くでっ、良かったねっ」
『ああ、これは楽で良い。乾いた草原で火を使うわけにはいかないからなぁ』
「口を開くな、シェガロ! 舌を噛むぞ!」僕の背からマティオロ氏が叫ぶ。
流石の僕も、羽虫の群れ相手に一人空中というのは御免被りたく、今は彼の騎羽に相乗り中だ。
超速度で突き出される細長い口吻――病毒を注入しつつ、生き血を吸い出す禍々しい注射針を炎の守りで燃やすと同時、マティオロ氏の片手半剣が一閃すれば、本体のカもまた同じく一瞬で黒こげとなって散っていった。
後続のノブさんや三人の従士見習いたちにそんな芸当はできないが、羽体を覆う【炎の棘】が翅や口吻を燃やすだけでも虫の危険度は激減するため、見る見るうちに敵が片付けられていく。
見れば【草刈りの大鎌】も戦闘を優位に進めているようだ。
「ハッ! 病毒の息は効かないよ!」
「いやいや、もう効果が切れるんで! しっかり躱してくださいよ、姐御!」
一匹のハエが吐き出す黄ばんだガスを防いだのは魔法術【力の防護円】による半透明の力場だ。
あのガスには腐食性があるだけでなく、臭いを嗅ぐだけで頭と身体がまともに働かなくなり、状況によっては死ぬまで無抵抗で血を吸われる羽目に陥ってしまうのだと言う、が。
それも、そこらの村人ならばいざ知らず、六人もの中級冒険者に通用するほどのものではない。
魔法術の防護、神聖術の癒し、各人の武技により、ハエとカの攻撃は尽く凌がれていく。
ガスを吐き終え、空中でホバリングしていたハエを、すかさず戦士さんの刀が真っ二つにし、その隙を衝こうと飛来したカが斥候さんの投げ矢で射貫かれたところで、近辺を走り回っていた騎羽団が合流すれば、もう近くを飛ぶ羽虫どもは一匹もいなくなっていた。
「ふぅ、どうにかこうにか片付いたみたいだね。こんな沼に寄るんじゃなかった。普通サイズのハエとカも多くって堪らないや」
「むぅん、ダンジョンの中だからか、相変わらず虫除けも効きづらいな。よし! すぐ撤収――」
「いや! ちょいと待っとくれ! 領主様! 出たよっ!」
マティオロ氏による移動の号令を遮り、喜色を交じえたジェルザさんの声が響く。
彼女の指が指し示す先を皆で追えば、そこには先刻までなかったはずの物体が出現していた。
こんな野ざらしの沼沢には場違いな人工物に見える、その物体とは。
「やったぁ! 宝箱だ!」
『うーん、何度見ても奇妙ではあるが、これがダンジョンというものなんだよな』
宝箱……と言うよりは、古代の墓地に納められた石棺に近い形状のそれは、ダンジョンという特異な場で稀に見つけることができる不思議な器物だ。
あちこちに隠されていることもあれば、今のように、何かの拍子でいきなり現れることもある。
当然と言うべきか、何故かと言うべきか、ともかく、その中には様々な宝物が納められている。
動植物由来あるいは貴金属といった希少素材、人間の手では到底作り出せないような工芸品、強力な武具、そして、ときには、もはや奇跡としか思えない効果を持つ魔法の道具まで……。
「まるまる二日も探し回って、やっとこさ二つ目か。しけてやがるぜ」
「結局は数よりも中に何が入ってるか……だけどな」
「それにしたって、数が多けりゃ、それに越したこたァねえだろうがよ」
「……元来、屋外には多くない。まだ層も浅い」
「まぁな……てか、まさかゴブリンどもにぶっ壊されちまってんじゃねえだろうな?」
何はともあれ、こうした宝箱こそ、今回のダンジョン探索における僕らのお目当てなのである。
たとえば、空腹になるまでの時間を百倍に延ばす魔法薬。
内部が蔵ほど広い異空間となっており、入れた物が腐らなくなる魔法の箱。
たった一月であらゆる作物を実らせる魔法の肥料。
いくら食べても減ることがない魔法の肉塊。
取っ手をひねるだけで無限に酒が出てくる魔法の樽……などなど。
『いや、そんな神話/伝説級とか言われる魔道具が都合良く見つかるとまでは思わないけれども。直接的に食糧調達へと繋がる魔道具が手に入れば上等。そうでなくとも、武具でも手に入れば、村人だけでここまで狩猟や採集に来られるようになるかも知れないしな』
「ひひひっ、鍵も罠も無いぜぇ」
「よし! 開けろ」
果たして、この宝箱の中にはどんなお宝が入っているのか……。
「お、こりゃあ!」
「なんだ? 何が入っていた?」
「水属性の魔石ですぜ、けっこう大きめの」
「ふむ、それは高く売れそうだな。他には?」
「これだけっすね」
「「「「「はぁ~っ……」」」」」
全員一斉に深い溜息を吐く。
近隣全域に飢饉が迫っている現在、いくら大金を積もうと、買える食糧自体が存在しないのだ。
中途半端な換金物など、どれだけ手に入っても仕方ない。
大きな魔石ともなれば魔道具を作る際には役立つのだが、どちらにせよ今は不用である。
「またハズレかぁ。わざわざ牽いてきた荷車が一向に重くならないね」
「そう易々と目的が達せられると思ってはいかんぞ、シェガロ」
『こうした野外型ダンジョンで見つかる宝箱の中には、高確率で飲食物みたいな有機的な素材が入っているという話だったんだがな。魔道具もフィールドワークや農作業に役立つ物が多いとか言っていたか?』
「ダンジョンの奥へ行けば宝箱の数も増えるらしいから、今後に期待しておくとするよ」
気を取りなおし、一行は小さな沼を迂回しつつ、沼沢地を進み始めるのだった。





