第三十六話: 汚羽根に浮かされる幼児
森のように密集した木立の上空で三羽の怪鳥に襲われている僕。
ここからでは見えないが、眼下に茂る木々の中ではマティオロ氏や【草刈りの大鎌】らが別の敵と交戦中であり、折悪しく上と下とに分断される形となってしまった。
「キィー……イ? ケタケタケタケタッ!」
『おい、早く何とかしてくれ! 鼻が曲がりそうだ。こんな奴ら、大したことないだろ?』
「どうにかしたいけどさっ! 意外に……面倒なっ、状況なんだよ! 臭いしっ! 汚いしっ!」
改めて言っておくと、現在の僕が位置しているのは地上から十五メートルほどの空中である。
実のところ、これは風の精霊術【風浪の帆】の限界高度をかなりオーバーしていた。
それですぐさま墜落したりすることはないにせよ、問題なのは、地上から離れれば離れるほど風の精霊が勇み立ち、身体のバランス制御を難しくしてしまうことだ。
「ヒヤアーッ! ヒヤアーッ! ヒヤアーッ!」
猛禽類の翼と脚を持つ女性浮浪者というような見た目の半人半鳥クサイドリどもは、ふらふら浮かんでいるだけで精一杯の僕に対し、両足の先に伸ばした汚らしいかぎ爪で斬りつけてくる。
三羽揃って下方に位置取り、順々に空中でバック転をするようにして蹴り上げる連続爪攻撃。
それらは、幼児の僕が、こんな不安定な状態で受けきれるほど柔なものではない。
スコップで牽制しながら躱し続けるも、少しずつ体勢は崩れ、浮遊状態の維持が困難になる。
気分はおっかなびっくり狭い足場の上に立つ新米軽業師といったところか。
しかも、やむなく上へ回避するしかない場面も多く、高度が更に上昇していってしまう。
「ひの――我は請う……はぁはぁ……臭! 臭!」
極めてまずいことに、頼みの精霊術も上手く請願できない。
絶え間ない攻撃と、奴らの汚穢塗れの身体がまとう悪臭により、集中と呼吸が乱されるのだ。
『こうなったら一か八か……いや、待て! 逆だ! 逆に考えるんだ、楽天家!』
瞬間! 頭の中に閃いたその発想に従い、僕は飛ぶ。
目指すべき下方ではなく、上方の太陽へ向かって!
「「「ケヒャッ……アーン!?」」」
一瞬の間、戸惑うクサイドリども。
だが、僕にとってはその一瞬だけで十分だ。
清浄な空気を思いっきり吸い込み、身体を捻って振り向き様に、一息で願う。
「光の精霊に我は請う、弾けろ閃光!」
背にした太陽よりレーザービームが照射されたかのように、眼下の景色を真っ白に染め上げる。
上方の僕を見上げていたクサイドリどもは、その強烈な光に眼を焼かれ、悲鳴をギャアギャア、羽ばたきをバッサバッサ、虚空で激しくのたうち回った。
しかし、それもまた、ほんの一拍の間の出来事に過ぎない。
「風の精霊に我は請う、全部叩き落とせ! 衝撃の鎚!」
元より、こんな怪鳥の二羽や三羽、まともに行動できれば苦戦するほどの相手じゃないのだ。
しっかりとした質量さえ伴う大気の塊【衝撃の鎚】が、ぐるぐると旋回していたクサイドリを三羽まとめて真下へ叩き落とす。
僕自身も垂直に吹き下ろすその突風の尾に乗り、ほとんど落下するに等しい勢いで後を追った。
密集する枝葉の合間をザザザァ!と抜ければ、既にクサイドリは深い下生えの草に吸い込まれ、その底に広がる大地へと全身を打ち付けられたところだった。
だが、華奢な体付きに見えたとしても相手はモンスターである。
五階建てのビルに相当する高空からの墜落に耐え、よろめきながらではあるものの、三羽共、すぐさま立ち上がってバサリ!と大きな翼を広げた。
「ギャーア! ギャーア!」
奴らはその場で羽ばたき、しゃがれた叫びを上げて威嚇してくる。
まぁ、樹木がひしめき合う木立の中、もはや飛び立たせてやっても脅威にはならないが……。
『かと言って、こんな下劣なモンスターを野放しにしておくわけにはいかないだろう』
「水の精霊と火の精霊に我は請う、高熱蒸気であいつらを覆い尽くせ」
近くにあった梢に降り立つと、僕は地上のクサイドリどもに対して精霊術による高温スチーム攻撃を仕掛けていくのだった。悪臭退散!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
風の精霊術による双方向音声通信は既に途切れてしまっている。
僕自身と他の皆が激しく動き回ったため、風の精霊が両者の発信位置を見失ってしまったのだ。
だが、まだ大して距離が離れたわけではないだろう。
いくら脳筋のマティオロ氏であっても、幼児を置いて遠く離れていったりはしない……はずだ。
と、よく耳を澄ませば、皆がいる方向はすぐに探ることができた。
木々の間を飛び抜け、そちらへ向かっていくと……そら、見えた!
数本の倒木により開けた広場を成す一画にて、皆が多数の小さな何かと戦っている。
「あたまさわって!」
「ひえっ! また来た!」
「オラァッ! 邪魔だ! てめえらァもっと下がって騎羽にしがみついてろ!」
周囲に展開する【草刈りの大鎌】はもちろん、モントリー騎羽団も激しい攻撃に晒されており、元冒険者のマティオロ氏や野伏のノブさんはともかく、三人いる従士見習いは襲い掛かられる度、モントリーの背に身を伏せてたじろぐばかりのようだ。
小さな……と言っても体長は六七十センチほどになるだろうか。
それが少なくとも十数匹、倒木の上から、草藪の中から、探索隊一行へ向かって引きも切らず飛び掛かっていく。
「なんとしても耐えしのぐんだよ! こいつらは殺せない! 傷さえ付けらんないんだからね!」
「次くれ! 魔術師!」
「――オーキヒ・ピリビ! 創世の理を識る者の解を……」
「あたま! あたまさわって!」
「どおおおっ……せえい! ハァ、ハァ……見た目の割りにパワーありすぎだろうがよ!」
一匹一匹はクリーム色をした毛玉のような、パッと見、強敵とは思いづらい姿形をしている。
……と言うか、それはそれとして。
『やっぱりあいつだ。僕はあいつを知っている!』





