第二十三話: 疲労困憊、災禍の痕
蝗害はひとまずピークを過ぎた。
とは言え、残念ながら、すぐさま個々のイナゴまでが消えていなくなるわけではない。
数日前までは見渡す限りの大草原だったと言われても俄に信じられないほど荒廃した平野には、葉と穂をすっかり失った枯草色の細い茎ばかりが寂しげに立ち並び、その中で疎らに立つ樹にもたった一枚の葉すら残されてはいなかった。
しかし、そんな草木にさえ未だ意地汚く集っているのが、数匹から数十匹のイナゴどもである。
広く散らばった村の男たちは、それらを片っ端から叩き落とし、憎々しげに踏みつぶしていく。
「チクショウ! 食ったもん吐き出しやがれえ……! クソッ! クソがっ!」
「オーイ! こっちの荷車満杯だァ。早く持ってってくれえ」
「おう、待ってろ! 今行く!」
辺りには、黒山の如く荷を積み上げた大八車がひっきりなしに行き来している。
この数日間で虐殺し続けた結果、今以てなお辺り一帯に堆い層を成すイナゴの死骸を少しでも有効利用すべく一箇所に集めて回っているのだ。
正直なところ、あまりにも量が多すぎるから、その場で焼いてしまいたいんだけどな。
臭いと見た目も、こう……非常に堪え難いものがあるし。
「白坊ちゃん、こっちの方、どえれぇ多そうだァ」
「了解! すぐ行くよー!」
ぼんやりと草原の方を眺めていると、やや離れたところから一人の村人に声を掛けられた。
そちらへ向かって返事をし、僕は川縁に沿って歩き出す。
向かう先では、数十人の大人たちが川の両岸に別れ、それぞれ土を掘り返す作業をしている。
「うわ……確かにこれはまた多いなぁ」
「へえ、たのんます」
イナゴ群の本隊が通り過ぎた今、真に恐ろしいものは、滞留する僅かな残敵などではない。
村人が指し示す川辺の湿った地面にザクリ!とスコップを差し込み、一塊ほど土を掘り返せば、小さな玉蜀黍か海葡萄かというような丸い粒を無数に連ねた房状の物体がわんさか出てきた。
これらの粒一つ一つが、あのイナゴどもによって地中に産み付けられていった卵なのだ。
蝗害の再発を防ぐためには、可能な限り、卵や幼虫の数を減らしておくことが重要らしい。
僕の乏しい知識の中にも連中の卵に関する注意点はあったが、幾人かの村人は実際に先人から受け継いだ知識を披露し、熱心にその危険性を訴えかけてきた。
その言に従い、現在は草原の残敵掃討と並行し、水辺での卵処理に勤しんでいるわけである。
ちなみに、今いる川縁のような湿った土がイナゴの産卵場所だということも彼らの知識だ。
流石に僕もそこまでは知らなかったので、本当に助かった。
ヘタをしたら、大草原を端から端まで掘り返す羽目になっていたかも知れない。
「水の精霊に我は請う、気化しろ」
足下一帯の土から水気を奪い尽くしてやれば無数の卵は一瞬でカラカラに干からびてしまう。
ご覧の通り、見つけてしまえば処理は簡単なのだが……。
「たとえ水辺の側だけでも、僕一人で対処できる範囲を超えすぎてるからね」
数十人の村人が水辺の周りを丹念に少しずつ掘り返し、卵を見つける傍から潰していく。
特に多く埋まっていそうな地点だけは、周囲の土ごと僕がまとめて処理をする。
イナゴの群れが去ってから三日、そんなこんなで領地はまだ平穏とは言えない状況にある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日が暮れると、僕らは草原で働いていた大人たちと合流して帰途に就く。
領地を囲う柵に開けられた臨時の出入り口を皆でぞろぞろ通り抜けていけば、村の様子が目に飛び込んできた。
イナゴの生き残りや卵を殺し続け、少しばかりハイになっていた心が一気に沈み込む。
村人たちが住む粗末な小屋のほとんどは、扉や屋根の端をかじられ、すきま風、昼間の陽射し、夜中の豪雨、いずれも防ぎきれそうにない無惨な姿を晒している。
各々の庭先には、温泉にでもすればさぞかしゆったり寛げそうな広さの穴が掘られているが、中を溢れんばかりに満たすものは黒々と小山を成すイナゴどもの死骸である。
村の中での作業を担当しているのは主に女性や老人たちだ。彼らはとっくの昔に体力の限界を超えて道端や家の軒先にへたり込み、ハイライトが消えた瞳でぼ~っと虚空を見つめていた。
なんとも言えず気が滅入る光景に胸の奥がしくしくと痛んでくる。
「体力だけじゃなくて気力も底を突いちゃってるからね。なにせ畑が……」
『ああ、村人の畑は文字通り全滅だからな。領主の直営畑を守るだけで精一杯だったと聞くが、自分たちの家や畑を放っておくよう命令されて駆り出された彼らの心痛はいかばかりか』
帰宅するため、それぞれ方々へ散っていく大人たちと別れ、僕は村の広場を通り抜けた。
領主屋敷へと続くこの辺りには民家はなく、通りの周囲には領主直轄地の畑が広がる。
その中では、まだ大勢の村人たちが仕事を終えず働いていた。
畑のあちこちには一辺十メートル以上もある目の細かい網が掛けられたままになっているが、村人たちが激辛ハーブを煮込んだ除虫薬をパシャアッ!と撒き散らせば、ところどころに空いた虫食い穴や合わせ目の隙間から少なからぬ数のイナゴが飛び出してくる。
彼らは金物をガンガンと打ち鳴らしながらそいつらを追い立て、一匹残らず潰していく。
「精霊術【洗浄】辺りで、奴らだけ、どこかへザーっと押し流してやりたくなるよ」
『浄化の神聖術じゃあるまいし、そんな器用なことできるものか。作物まで一緒に流してしまう。ここに彼女がいてくれたら、それくらいできたろうが……』
「地の精霊に我は請う、撃ち抜け、礫」
足下から浮き上がった小石が弾丸のように射出され、飛び交うイナゴ数匹の頭を撃ち抜く。
こちらに向かって礼をくれる村人たちへ手を振り返しながら僕はその場を後にした。
暗い気持ちのまま、歩を進めていると、正面からこちらへ向かってくる一団が見えた。
我が家はもう目と鼻の先、左手に曲がる脇道の奥に建っている。
が、どうやら彼らもうちに用があるらしく、ちょうどその辺りで足を止め、各自が持つ荷物をまとめ直したりし始めていた。
「……って言うか、あの人たちって」
『ああ、そのようだな』
日が沈みかけ、やや薄暗くなってきているとは言え、大して距離が離れているわけではない。
注意して見てみれば、それはまだ記憶にも新しい馴染みの一行だった。
「なんだい! 暗い道を一人でとぼとぼ歩いてるちびっ子がいるかと思えば! 坊じゃないか!」
「ジェルザさん!? 来てくれたんですか?」
「ああ! またしばらく、ここで世話んなるよっ!」
そう、彼らは六人組の中級冒険者一行【草刈りの大鎌】。
夏の終わりに去っていった彼らがこの村に戻ってきてくれたのである。





