第二十一話: 飛蝗と戦う幼児
蝗害とは、バッタ類の昆虫が大発生し、広範囲に亘って農作物の食害を引き起こす災害を指す。
ちなみに、僕はその原因を“イナゴ”と称しているが、正確には前世の日本に棲息する蝗とは別種の飛蝗によるものであり、実のところ、イナゴは風評被害の犠牲者だったりする。
まぁ、奴らも農家の敵には違いなく、通りも良いため、引き続き、そう呼ばせてもらうが。
「シェガロ坊、ぼちぼち出てくるぜ」
精霊術によって地上数メートルの高さを翔ける僕の前を、騎羽モントリーに乗ったノブさんが先導し、二人、迅速に大草原を突き進んでいく。
野外活動のエキスパートである職能【野伏】を有するノブさんが、この大草原の固有種であるモントリーを駆れば、その足取りはまさに無人の野を行くが如し。
地平線から伸び上がる黒雲めいたイナゴの大群が見る見るうちに迫ってくる。
意外にも、初めの数十分ほどは、その先触れを側で目の当たりにすることはなく経過した。
そこから、やがてポツポツと……いや、一旦、目に留まってしまえば、以降はもう周り中より湧き出してくるかのように、おびただしい数のイナゴが姿を見せ始める。
「こうして一匹一匹を見る限りは普通のイナゴだね」
「ああ、ただの虫けらよ。一匹だったならな」
捕まえて間近で見てみれば、サイズは大人の親指を一回り小さくしたくらい。
幼い子どもの手でも簡単につぶしてしまえる、何の変哲もない灰褐色のバッタ類である。
内心、危惧していた、この世界特有の獰猛なモンスターなどではなさそうだ。
だが、怖れていた以上に数は多い。
既に、前方では濃霧かと見紛うほどにイナゴどもが飛び回っており、ここまで来れば、もはや立ち止まっていても秒刻みで密度が増していく一方だった。
付近一帯、広大な草原が禿げ上がるのではないかという暴威を以て草木が食い荒らされている。
「風の精霊に我は請う、食い止めろ、逆風」
ひとまず群れの進行速度を緩めるため、向かい風を起こしてみる。
こいつらに対して威力など不要。替わりに風を起こす範囲だけをひたすら広げていく……が。
「ああ、これじゃ全然駄目だ。やる前から分かっちゃいたけれど」
無数のイナゴが風で押し戻され、地面へと落ちるものの、それはほんの数十メートルかそこら、僕の周囲だけのことである。
最大高度は数百メートル、左右の幅はおよそ数キロ、奥行きに至っては想像さえ追いつかない特大規模の群れ全体を足止めするにはまるで話にもならぬ効果範囲だ。
『村へ近寄らせないだけなら、暴風で吹き散らしたら良いんじゃないかと思ったんだけどな』
「いっそ焼き払っちゃおうか!」
『いや、野火になったら延焼がどれだけ広がるのか見当も付かない。もっと言えば、火の着いた虫の大群が村に飛び込んだりしたら、それこそ最悪だぞ。燃やすのはやめておけ』
そう言えば、ノブさんの方はどうしているのかと周囲を窺ってみる。
「チュチュチュンっ!」
やや離れたところで、風をまとったモントリーが大きく翼を広げ、跳ねるように疾走していた。
早くも足下の草を喰い尽くして地面を覆い始めているイナゴを蹴散らし踏みつぶし、宙を飛び交って空間を埋め尽くさんばかりのイナゴ群にぽっかりトンネルを穿つ。
騎手のノブさんが索敵し、特に群れの密集している場所を狙って走らせているようだ。
『それでも』
「うん、同じことを百人くらいでやらないと焼け石に水だ」
気が付けば、この場はぶおおお!という重低音で満たされていた。
いよいよ群れの本隊と接触したのか、無数の飛翔音が唸り声のように響き、僕の身を包み込む。
大して痛くはないが、バシバシと身体にぶつかり、髪の毛や衣服を囓り出すイナゴが鬱陶しい。
「ああ、もう!」
さて、どうしたものかな。
こいつらは、もしかしたら僕がこれまで出遭ってきた中でも最悪の敵かも分からないぞ。
これだけのイナゴが村に辿り着いてしまえば、収穫前の小さな畑なんて間違いなく丸裸だ。
さりとて、数を減らすにしても追い払うにしても……切りがなさ過ぎる。
巨大な石板で叩き潰し、砂の嵐ですり潰し、高熱の蒸気で包み込み……思いつく側から次々と精霊術を試していけば、いずれもある程度の戦果を上げはする。
しかし、威力と効果範囲の両立は難しく、とても決定打にはなり得なかった。
『水はあまり量を出せない。火は危険。地は効率が悪い。やはり風が決め手になりそうだが』
「雨雲が近くにあれば稲妻を落としてやるのに!」
まぁ、落雷は出火の虞があるにしても、雨を降らせたら足止めになりそうか。
今がカラッカラに晴れた真っ昼間じゃなければ、是非とも試してみたかったところだな……。
『いや、待てよ。雨雲……それに、確かイナゴってのは……。楽天家!』
「そうか! 思い出した! 火の精霊と風の精霊に我は請う、凍てつけ大気! 逆巻け大風!」
請願に応じ、付近一帯の気温が急激に低下し、同時に強風が大きく旋を巻き始めた。
旋風はイナゴを切り刻んで殺せるほどの強さではない。
だが、渦巻く上昇気流は周りの数メートル圏内に存在する空気・土砂を容赦なく捲き上げる。当然、無数のイナゴ諸共だ!
冷気はイナゴを凍りつかせて殺すほどの極低温ではない。
だが、中心部で吹きすさぶ寒風に触れた途端、羽ばたき蠢く奴らは身を竦めてピタッと固まり、多数がもつれ合って団子のようになりながら上空へと吹き飛ばされていく。
中心部の直径は六七メートル、高さは数十メートルといったところか、ゆっくり移動しながら成長を遂げていく竜巻は、群れなすイナゴの黒雲内を蛇行しながら激しくかき回していった。
「よし! 効果ありだ!」
前世で聞いた話によると、こうしたイナゴは比較的寒さに弱く、低温下では飛ぶことは疎か、まったく動けなくなってしまうのだそうだ。
この世界でも同じかどうか自信はなかったのだが、どうやら僕の読みは当たってくれたらしい。
すぐに凍死したりするわけではないため、この場では僅かな足止めにしかならないものの……。
「地面に落ちて動かなくなったイナゴなんて赤ん坊でも殺せるよ」
竜巻が通り過ぎていった後、空から無数のイナゴがボトボトと霰のように降ってくる。
地面に落ちても動き出す気配はなく、数分経っても脚や翅が縮まったままだ。
「ほう、これなら相当数を減らせんじゃねえか? モントリー走らせるよっか良さそうだ」
こちらの目処が付いた様子を見てか、戻ってきたノブさんが声を掛けてくる。
羽上でイナゴの破片や汁を払い落としながら大分疲れきった様子だ。
「お疲れさま。一旦戻って報告と準備を済ませようか」
「だな」
ひとまず、こいつらが村にやって来るまでの有余は一二時間ってとこかな。
身体を洗ったりするヒマは……たぶん、ないんだろうなぁ。





