第十九話: 幼児、鳥を思う
とある日の昼下がり、僕は乗用の大型鳥に跨って領内の見回りをしていた。
隣にはノブさんが別の騎羽を並足で進めている。
「オーオー、この辺の路は大分狭くなっちまってんなァ」
「うん、そのうち大きな荷馬車とか来るようになったら通れないかも知れないね」
「チッ……どいつもこいつも好き勝手にテメーの畑を広げてっからよ」
「決められた区画をまたがないように言っても、地面に線が引いてあるわけじゃなし……って、ちゃんと分かるようにしておこうって話だ。主要な路くらい敷いとけっていう。都市計画なんて、もっとずっと先のこととして見てたけど、そろそろやらないとダメかあ」
「坊が最初に地図を作らせたの、ありゃあ正解だったぜ。面倒言いやがってと思ったもんだが」
この地に移住し、土地を切り拓いていくに当たり、まず最初に行ったのが周辺の測量だ。
残念ながら、専門の測量士などは連れてこられなかったため、両親の開拓経験、全員の知恵、素人である僕のうろ覚え前世技術を総動員し、基本となる領地の見取り図を書き上げていった。
幸いなことに、ノブさんの持つ野伏スキルには、距離や方向といった空間認識に係わるものが数多くあり、それらのお蔭もあって完成した地図はなかなかしっかりした出来となっている。
「区画整理については、ひとまずパパと相談かな」
「また俺の仕事が増えそうだ……」
「今だったら、野伏はジェルザさんもいるし、手伝ってもらえるかも知れないよ?」
「あいつらァ、もう今日にでも契約切れて撤収だろうが!」
そんな話をしていると村の中を一通り巡回し終わってしまう。
東西・南北にそれぞれ二〇〇メートルかそこらの狭い村、すべての路地を見て回ったとしても、さして時間など掛かりはしないのである。
実のところ、領内の見回りという建前で二人して散歩をしていたというのが正しい。
僕らを背に乗せているこの巨大な鳥はモントリーと呼ばれている。
見た目は、太く長い脚を除けば、まるまる太ったスズメと形容する他なく、羽毛はふわふわとしているのだが、体内の熱を発散する能力に優れており、人間と比べて体温がかなり低いため、こうしているだけで多少の涼を取ることができるのだ。
ちなみに、モントリーは空を飛ぶことはできない。
その翼は地面を疾走する際、空気抵抗を操作し、身体のバランスを取るために広げられる。
草原に数多く棲息する野生のモントリーは、そこから繰り出される嘴や蹴りの一撃で樹の幹をへし折り、ライオンやラーテルなどの猛獣さえ撃退する強力なモンスターなのだが、卵を孵し、雛のうちに人と馴らすことでこのように忠実な従魔とすることも可能だ。
飼育下においては大人しく、頑丈でほとんど世話要らず、唯一の難点は肉や卵がとんでもなく不味いってことかな。
「そんなこと、さしたる問題じゃないね。この熱帯の大草原では得難い騎獣だよ」
ああ、念のために言っておこうか。
他の地域で騎獣と言えば、前世でもお馴染みだった馬やロバ、ラクダなどが一般的である。
だが、この草原ではいずれも扱いにくく、気候からしてあまり飼育環境に適していないのだ。
「チュンチュン!」
「うん、少し休憩かな? イーソー」
少し立ち止まっていると、僕の愛羽イーソーが鳴き声を上げて餌をねだる。
モントリーは基本的に草食性なので、餌もそこら中に生えている丈の長いイネ科の草の実――砂粒のような硬く小さな穀物。煮ても焼いても人間の食用には適さない――だけで事足りる。
「とっても経済的だ! なんて素晴らしい生き物なんだろう!」
『お前……このオオスズメのこと好きすぎじゃないか?』
「え? モントリー可愛くない?」
『まぁ、愛らしいと言えなくもないし、役立つのは確かだが……。でかいスズメは不気味だろ』
「そうかなぁ」
と、もう村の広場に到着か。
祭りなどで使われる集会場とまだ空っぽの神殿(仮)に囲まれた四十平米ほどの一画である。
ここから東へ行けば領主屋敷、西側は南北に向かって村人の住む小屋が数十戸も建っており、大した規模ではないものの集落を形成している。
「ノブさん、僕はちょっと用事があるから、この辺で」
「おう、俺は屋敷に戻って寝るわ」
「うん、それじゃまたね」
ノブさんと別れ、僕はイーソーの背に揺られながら村の南側へと進む。
「……ま、実を言うと、用事なんて何も決めてないんだけどね。今日はのんびりするんだ」
この辺りは建物がやや少なく、まだ多くの草地を残していた。吹き抜ける風が心地好い。
――ガサガサ……。
「あ、白ぼっちゃんだ」
「やぁ、ファルか。最近はよく会うね」
路肩の小さな茂みを掻き分け四つん這いで現れたのは、近頃とみに顔を合わせることが増えた妖精の取り替え子の女児である。
身にまとっている長布が泥だらけだ。また親御さんに叱られなければ良いけど。
「どこ行くの? 鳥さん、かわいいねー」
「うん、僕は今から――」
「チュチュン」
「わぁ、鳴いた!」
相変わらず人の話を聞かないな……いや、小さい子ってのはこういうものだったか。
どういった意図があるのやら、ファルはイーソーの行く手を阻むように正面から向かい合い、長い耳をふるふる揺らしながらスクワットじみた身体の上下運動をしている。
その動きが気になるのか、イーソーも大きく首を上下させていた。
「見てて! ほら! ね?」
「ん? うん、えっと……すごい、ね?」
「ねー」
意味が分かるのか、楽天家? 僕にはさっぱり理解らない……が、それはともかくとして。
『おい、この炎天下で子どもに長々と立ち話をさせておくもんじゃないぞ』
「それは尤もだね。……ファル、もしヒマならこの子に乗っていくかい?」
「いいの!? 乗ってみたい!」
「よし。イーソー、ちょっと屈んで」
イーソーが羽体を低くすると同時、ファルがその背にしがみつき、よじよじと登ってきた。
差し伸べようとした手を引き戻しつつ、僕はファルを身体の前へと導いていく。
そして、手綱を握る両手の間で、抱きかかえるようにしっかりと固定した。
モントリー用の鞍は一人用なので、こうしていないと振り落とされてしまう虞があるのだ。
「きゃっ、たかーい! あ、動いた! 動いたよ! きゃっきゃっ」
「ちょ、暴れないで……ちゃんと座って……」
「風、涼しいねー。どこに行くの? 溜池の方?」
イーソーが立ち上がり、ゆっくり進み出せば、途端にファルがはしゃぎだす。
そんな彼女が羽上から転がり落ちないよう、僕はかなり必死になって身体を押さえつける。
そのとき――。
ふっ……と、辺り一帯が薄暗い闇によって覆われた。
反射的にファルと二人、失われた陽射しを求め、頭上に広がる空を見上げてしまう。
探す必要はなく、それは視界を埋め尽くした。遙か高みに悠然と浮かぶ巨大極まるソレは――。
「ルフだー」
そう、それが太陽をすっぽりと覆い隠し、この地上へ巨大な影を落としたものの名だ。
飛んでいる高度と影のサイズからすれば、間違いなく前世の大型旅客機を超える大きさだろう……おそらく全長一〇〇メートルも下ることはないように思われる。
僕の常識的にはありえない、いっそバカバカしいほどの大きさを誇る飛翔体……ルフ……。
遠目には翼を広げて滑空する鳥の姿に見える。
強いて言えば、ワシやコンドルといった猛禽類が近いだろうか。
唐突に起こった皆既日蝕は、やはり唐突に終わり、辺りにはたちまち強い陽射しが戻ってきた。
しかし、ルフの姿が完全に空から消え去るまでには、まだしばらくの時間が掛かった。
「もうあいつが飛び始めちゃったか。次の乾期はいつもより早そうだなぁ」
ルフの訪れ。
夏の終わりの風物詩であり、この地へ乾期がやって来る先触れである。





