第十一話: マイペースな母、ままならない僕
「おっと、いけねえ! そろそろ畑の様子を見に行かねえと」
「そう言えば、朝ご飯の準備がまだだったわ」
「もう日が昇っちまう。朝仕事は仕舞いだ、仕舞い! おめえら、さっさと帰るぞ!」
そんな言い訳めいたことを口にしつつ、クモの子を散らすように村人たちが立ち去っていく。
僕らを遠巻きにしていた人だかりは瞬く間に消え失せ、後に残されたのは、僕とマティオロ氏、そして冒険者【草刈りの大鎌】メンバー六人だけとなった。
「あらあら、うふふ。随分と賑やかだったのに、あっという間に静かになってしまいました」
そう言いながら、一人の女性がしずしずと歩み寄ってくる。
我が家である二階建てログハウスから扉を開けて出てきた彼女は、僕の……現在の僕の母だ。
名前はトゥーニヤ。
あえて言う必要もないだろうが、父マティオロの奥さんである。
年間を通して強い陽射しにさらされるこの土地にあって、新雪のように真っ白な肌の色を保つ小柄な美女であり、長めの銀髪をふんわりと後頭部でまとめてシニヨンにしている。
ベールとスカーフで頭全体を覆い、女性用の華やかな外衣と丈の長いワンピース風の羊毛布をまとっているため、ハッキリと容姿を確認することは難しいものの、その程度で彼女の優美さは到底隠しきれず、雰囲気からしていかにも貴族の奥さまという感じだ。
「……領主様。……ア、アタシらもそろそろ――」
「あら、ジェルザ。もう帰ってしまうの?」
「――っ!?」
大声を張り上げることなく、大柄な身体をやや竦めるという、彼女らしからぬ態度でそそくさ立ち去ろうとしたジェルザさんが、母トゥーニヤの穏やかな言葉を受けて動きを止める。
「……いや、アタシらァ、今さっき草原から戻ったばかりで汚れてるからねえ。小屋に――」
「あらまあ。でも、それならなおのこと、うちへ寄っていくと良いわ。ね? ショーゴちゃんと今まで遊んでくれていたのでしょう? ちょっとくらい私にも付き合ってくださいまし」
「あ、ああ、じゃあ、そうさせてもらおうかねえ」
と、やや目を逸らしながら答えたジェルザさんに、冒険者の一人が声を潜めながら問いかける。
「ちょっ、姐御。大丈夫なんすか?」
「……お前は、奥方様の誘いを断れるって言うのかい?」
「へっ、へへ……すいやせん、無理っすね」
淑女然とした母だが、意外にも荒くれ女冒険者のジェルザさんとは仲が好いらしい。
見た目通りに貴族出身の令嬢でありながら、押し込められた修道院で神聖術師として名を挙げ、マティオロ氏のパーティーに加わって活躍した元冒険者だったりするのだから、意外と言っては多少語弊があるか。
ともあれ、【草刈りの大鎌】が村へやって来て以来、二人は茶飲み友達となっている様子だ。
「よし、今のうちに……。シェガロ、今朝の鍛錬はここまでだ。家に入るぞ」
そう僕に言いつつ、マティオロ氏がこそこそと母の目を避けるように場を立ち去ろうとする。
「あらあら、あなた?」
「――っ!?」
「そんなに急がなくても好いじゃありませんか。こちらへいらして? ショーゴちゃんも、ね?」
「む、むう、なんだ? 謝らんからな? 俺は悪くない――」
「うふふ、どうしたんです? おかしなあなた。……さ、みんな、こちらへ集まって」
母トゥーニヤに促され、僕ら八人はログハウスの前へと集められた。
「そのまま動かないでちょうだい……。ポフ・ターシュ、穢れなき処女神レエンパエマ、捧げし祈りにお応えください。我が意によりて不浄を祓い、全く浄くあらんことを。確と聖覧あれ!」
神に仕える聖職から還俗し、疾うに冒険者も引退した身でありながら、いまだ神官のスキルを有する彼女の祈念によって、その場に集まった僕ら全員の身体が一斉に淡い光を放った。
この神聖術【聖浄無垢】の効果もまた地球の常識からすると非常にデタラメだと思う。
ざっくり言えば、僕が使う水の精霊術【洗浄】をより厳密化したものであり、対象物の汚れを綺麗さっぱり落とすことができるのだ、が。
繊細な水流を以て対象の汚れを洗い落とす【洗浄】に対し、【聖浄無垢】は術者の意を汲み、汚れと認識している物のみを跡形も残さず消滅させてしまうのである。
……うん、ちょっと意味が分からないよな、いろいろな意味で。
対象自体に強固な意志があったり、明確な所有者がいる場合を除き、たとえば汚水に含まれる不快・有害物質、染物の布に付いた染み、もちろん普通のゴミ、臭い、細菌……など諸々含め、都合良くそれらだけが消えてくれるのだから不思議……いや、おかしいとしか言いようがない。
おっと、つい話が逸れてしまった。
「うふふ、すっかり綺麗になりましたわ~」
僕らの姿を確認し、母トゥーニヤが満足げに目を細め、柔らかく笑む。
早朝から草原へ繰り出し、ザコオニの置き土産である罠を探して解除したり、危険な動植物を間引いたりしていた冒険者たちは言うに及ばず、鍛錬で汗まみれだった僕とマティオロ氏の身も、まるで風呂上がりに洗い立ての服を着たかのような清潔感を見せていた。
「さあ、お家へ入ってちょうだい。食事の支度ができていますからね」
「そうだな。お前たち、遠慮はいらん! 付いてくるが良い!」
「ああ、邪魔させてもらうよ」
「どうも」
「……失礼いたす」
まずマティオロ氏が扉を潜り、続いて冒険者たちがぞろぞろとログハウスの中へ入っていく。
その様子を横目にしつつ、僕は彼らの側から離れ、鍛錬に使っていた木剣などを片付けるため、一人、小走りで家の横にある納屋へと向かう。
ほんの数分も経ず、玄関扉の前まで戻ってきてみれば、その場にはもう母トゥーニヤだけしか残ってはいなかった。
自然、目を合わせると――。
「おかえりなさい、ショーゴちゃん」
彼女はこちらへ向かって大きく両手を広げ……って、いかん!
「ママーっ!」
「まあ、かわいい」
僕が駆けていってぎゅーっと腰に抱きつけば、彼女もこちらの背を抱き返してきた。
押し付けた頭と額に当たるふわふわとした感触……ああ、これが母性!?
『……って、そうじゃない!』
頼む! どうか、どうか何も言わないでいてほしい!
これは僕じゃない。断じて僕ではないんだ。身体が……そう、身体が勝手に!
「あらあら、うふふ。今朝も甘えんぼさんですね」
『おい! 楽天家! 年を考えろ! いい加減にこれは卒業してくれ! おい! 聞けよ!』
「ママァ!」
う、うああああ! 誰も見ないでくれっ! 違うんだあああああぁぁぁーー……――っ!!
※重要なお知らせ。
いくつかのシーンで第二部主人公の名前が間違っておりました。
×シュガロ しゅがろ ユ ゆ
○シェガロ しぇがろ エ え
初登場した序幕の時点で既に間違っており、非常に混乱させてしまったかと思います。
誠に申し訳ありませんでした!
以降は【シェガロ】で統一します。「しぇ!」で、よろしくお願いします。





