第十話: 女冒険者と戦う幼児
風の精霊術によってジェルザさんの胸元ほどの高さへ浮かび上がった僕は、空中を駆け、脇に構えたスコップを水平斬りで振り抜いていく。
大鎌というのは、見た通り、あまり小回りが利く武器ではない。
その巨大さには圧倒されるが、最大の攻撃力を備える刃は持ち主に対して内側を向いており、長柄武器でありながら突きや払いでは満足なダメージを与えられないという欠点も持っている。
今、その刃はジェルザさんの足下に横向きで置かれていた。
片手を腰へ当て、もう一方の手に持った大鎌を地面に突いている彼女は余裕の構えだ。
僕はまず、地面からまっすぐ立った大鎌の柄とは逆、腰に当てられた腕の側へ狙いを定める。
真っ正面から身体の前面を攻撃すると見せかけ、お互いの攻撃がぶつかる間合いに入る寸前でぐるりと大きく身を捻る。
一瞬にして空中で横向きになる僕、水平に構えられていたスコップが地面に対して真上へ伸び、ジェルザさんの肩口へ向かって振り下ろされ――。
「そいつは見え見えだねっ!」
――ることなく、ガツッ!という硬質な音によって阻まれる。
目標の腕とは反対側にあった大鎌の長い柄が振るわれ、底部の先端に取り付けられた金具……石突きでスコップを弾き飛ばしたのだ。
宙に浮いた状態でバランスを崩され、僕は錐揉み回転しながらジェルザさんの脇を通り過ぎる。
しかし、それで最初の攻防は仕切り直し……などという甘い展開にはならない。
――ドゴッ!
回っている僕の身体が仰向け気味になった瞬間、ジェルザさんの裏拳によって腹を強打され、凄まじい勢いで地面へと叩き落とされてしまう。
そこへとどめの一撃! 地を這い襲い来た草刈り鎌の刃で、憐れ幼い僕の胴体は真っ二つ……にはならず、まぁ、神聖術の加護のお蔭で痛みも怪我もまったく無いわけだけれども。
「これで一本かい!? 坊! ちょいとアタシを舐めすぎだよ!」
「……全然、甘く見てなんてなかったんだけどなぁ」
視界の端に浮かぶ、横向きの小さなバーが真っ赤に染まっていることを確認し、僕は脱力する。
このバーは他人からは見えず、僕だけにしか認識できない。おそらくジェルザさんの視界にも同様のバーが見えているはずだ。
お互いに対するダメージを完全に無効化するという滅茶苦茶な効果を持つ神聖術【誓和の護り】だが、それは攻撃が何一つ相手に影響を与えないということではない。
それぞれの身体能力に応じたダメージ許容量が青色のバーとして視界内にうっすらと表示され、攻撃を受ける度、片端から徐々に赤く染められてゆき、逆端まで達してしまうと一時的に身体の自由を奪われてしまうのだ。
――ざわざわ! ざわざわ!
「お、おい、白坊ちゃん……動かなくなっちまったぞ?」
「……まさか、本当に死――」
「んなわけあるかい! なんか喋ってただろ! だろ? なあ?」
「ひひっ、安心しなぁ。やられた方がちぃっと休んでるみてえなもんよ」
「そういうこった! 見てな! 少ししたら動き出すぜ!」
「いや、すげえ勢いで地面に落ちたぞ?」
「心配いらねえよ。怪我とかもしねえようになってんだ。何されても痛くも痒くもねえしな」
ああ、まだ初めて見る村人も結構いるのかな。
冒険者たちが説明してくれてるけど、事前に周知しておくべきだったかも知れない。
「あはは、知らないと心臓に悪い光景だしね……っと!」
しばらくするとダメージバー全体が青く染め直され、身体が動くようになった。
両手を突いて起き上がり、再び、宙へと浮かび上がる。
「シェガロ! 狙いは悪くなかったが、お前の速度と攻撃では通じん。もっと考えるんだ」
「はい、パパ」
「あと刃だけ警戒しすぎさね! 長柄も、手足も、アンタにとっちゃ必殺だよ! 気を付けな!」
「はい」
『確かに、少しばかり真っ直ぐすぎだったかもな?』
「……稽古なんだから、それで良いかなと思ったんだよ」
『いや、お前は普段から精霊術だけに頼りすぎな気があるぞ。ろくに間合いも見てないだろ? さっきみたいな突進じゃウサギにだって反撃される。もっと手持ちのカードを――』
「うるさいなぁ。僕にだって考えはあるさ」
「坊! 一人でブツブツ言ってないで構えな! 再開するよ!」
「よし! 立ち向かえ! シェガロ! さっきのお前を越えてゆくのだ!」
ひとまず先ほどよりも高度をやや上げ、ジェルザさんと目の高さを合わせていく。
左手でスコップの持ち手を握り、右手で柄を支え、右側下方へ垂らすようにして自然に構える。
と、今度はジェルザさんの方も構えを取るようだ。
彼女が持つ大鎌は、長い柄の先端に刃、末端に持ち手がそれぞれ横向きに取り付けられており、Zに近い形状を描いている。
やや腰を落とし、左手で持ち手を、右手で柄を握り、肩に担ぎ上げられた大鎌の刃が右側へと大きく伸びるその構えは、圧倒的な攻撃範囲があるだろう水平の薙ぎ払いを狙ったものか。
おそらく、その攻撃の前では、空中に浮かんだ小さな僕の身体など、鎌の刃どころか柄でさえ……いや、風圧を受けただけでも吹き飛ばされてしまうに違いない。
だが!
再び、僕は宙を駆ける。
全速力ではなく緩急を付け、真っ直ぐではなく上下左右に軌道をずらし、間合いを詰めていく。
「「「「「うおおっ!」」」」」
「なんだ、あの動き!?」
「よく目が回んないわね!」
「ハエみたーい」
的を絞らせず、その大振りな攻撃を躱して懐へ飛び込めれば、隙を衝くこともできるはずだ。
しかし、次の瞬間、ジェルザさんの姿が目の前から消えた。
は?と反射的に意識を周囲へ向ける僕。
それが隙! いきなり消失したと思えたジェルザさんの姿は、何も変わらず同じ場所にあった。目では見えていながら、ほんの一瞬だけ見失ってしまったからくりは、自分の気配を薄れさせる野伏スキル【隠身】の類か? いや、そんなことは今は良い! 僕の注意が逸れた瞬間、必殺の攻撃は既に放たれていた。
「風の精霊に我は請う、受け止めて!」
必死に身をよじり、襲い来る大鎌の刃の軌道から逃れながら、同時に請願するは風の精霊術【大気の壁】。
逆巻く突風と半固体化した大気が、水平に振るわれた大鎌の速度を一気に落とす。
それでもなお、ジェルザさんの剛力により刃は一筋の閃きとなって僕の身を捉え――。
「ない!」
巻き起こった【大気の壁】の突風は、宙に浮かぶ僕自身をも大きく前方へ吹き飛ばしていた。
それは迫る死神の刃に自ら突っ込むかのような暴挙と見えたが、大きく動いた攻撃目標に対し、流石に攻撃の軌道修正は間に合わない。
ツバメのように飛翔し、鎌の下をくぐり抜けた僕はようやくジェルザさんに肉薄する。
『よし! そのまま、まとわりつけ!』
「ここでせめて一発!」
弓から放たれた矢になったつもりでスコップを突き出す!
「いいね!」
信じがたい反応で打ち下ろされてきたジェルザさんの肘がそれを迎撃する!
重い肘が細い腕にかすったのと、鋭いスコップが硬い脇腹をかすったのは、ほぼ同時だった。
視界の端に映るダメージバーが二割ほど赤く染まる。
「まだまだ!」
「当然っ!」
すぐさま体勢を立て直した僕は、ジェルザさんと密着する距離でスコップを振るい続ける。
いや、スコップは構えたまま、小刻みに飛び回り、体当たり気味に刺突していく。
「ハッハ! すごいね、坊! アンタはハチかい!? こりゃ、かなりやりづらいよ!」
「くっ、全然……当たらないけど、ねっ!」
ジェルザさんは巨体に見合わぬ軽やかなステップでそれを捌き続け、長い柄による受け流しや打撃を繰り出してきた。
しかも、こんな至近距離だというのに、器用に鎌の刃の方でもしっかり攻撃を仕掛けてくる。
僕の軌道上にさりげなく刃が置かれていたり、長柄が振り抜かれた後から刃が続いてきたり、躱したはず刃が引き戻されて再び背後から襲ってきたり……と、一瞬も気が抜けない。
「「「「「うおおおおおお!!」」」」」
「シェガロ! 上だ! 違う! 上からだ! いかん、振りが鈍いっ! 素振りを思い出せ!」
「おっし! まだ当たってないよな!」
「ああっ、俺の朝メシが!?」
「そこだ! 当たれば大穴!」
「「「白坊ちゃん! がんばってー!」」」
「姐御! あぶねえ!」
「今の!? おい、見えたか?」
「いや、ってかよ……けっこうマジでやってねえか?」
いつの間にか観衆もかなり増え、どよめきはマティオロ氏の声援をかき消すほどとなっている。
僕の身体を担当する楽天家の意識には、もはや周りの様子など露ほども入っていないのだが、体感で十数分。実際は数分? それとも数十秒か……。
そんな場の盛り上がりが最高潮に達したかと思われた、そのときだ。
「あらあら~、みんなで何をしているのかしら? 今日がお祭りだなんて聞いていませんけれど」
瞬間、ピタリと全員の動きが止まり、すべての音が余韻だけを残して消えていく。
そして、次の瞬間。
「「ママ!?」」
「「「「「ひえっ! 真白奥さま!」」」」」
消えていった音が戻ってきたかのように、悲鳴じみた叫びが轟いた。





