第六話: 楽天的な僕
ジェルザさんの攻撃を認識した瞬間、僕は垂直ジャンプし、丸太の如き脚を回避していた。
「な、いきなり何すん――!?」
着地した僕は、すかさず彼女の凶行を咎める……しかし、堂々たる巨躯を誇るはずの女丈夫は、目を離した隙などほぼ無かったにも拘わらず、またもや眼前より消失しきっていた。
「きゃっ」
と、背後で小さな悲鳴が上がる。
振り返って見れば、ざっと五六メートルも離れた位置に仁王立ちしているジェルザさん。
彼女の片腕には……ファルが抱き上げられていた。
「坊! アンタは強いし賢いよっ! でもねえ、もしもアタシが魔物だったら、このちびっ子は今頃どうなってたか、そういう想像はできてないみたいだね!」
「わぁ、たかーい! たかーい!」
いや、分かってはいる。
草原の深い草むらの中には、何が潜んでいてもおかしくはない。
冒険者たちが周囲を警戒し、僕が側に付いていたとしても、草の根元に空いた小さな巣穴から恐ろしい毒蛇が飛び出し、ファルへと襲い掛かる……そんなことだってあったかも知れない。
隅々まで村人たちの目が行き届いた村の中とはわけが違うのだ。
「納得したかい! 自分だけの問題じゃなかったってことをさ!」
「はい」
「ぜるざおねぇちゃん! はやい! すごいねー! さっきのもう一回できる?」
「ちびっ子! アンタもあんま危ないとこに付いてくんじゃないよ! 分かってんのかい!?」
「きゃー! おっきな声!」
「……親に言っとかないとダメみたいだねえ、こりゃあ」
その後、改めて男たちを叱責し始めたジェルザさんに促され、僕たち二人は家路に就いた。
ファルを家まで送り届け、彼女の家族にジェルザさんからの言付け――今朝の出来事を余さず告げると、父親は頭を抱え、母親は目を吊り上げていた。
「ばいばい! また後でね、白ぼっちゃん!」
「うん、じゃあね。……たぶん今日はもう会えないと思うけど」
いや、この子のことだし、案外ケロッとした顔で遊びにやって来るかも知れないな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、僕の方はまだ朝の仕事が残っているし、後には両親に叱られるイベントも控えている。
そう考えると、少しばかり気が重くなってきた。
……まったく、まるっきり子どものような考えなしの性格が嫌になる。
女児と一緒になって泥だらけで遊んだり、仮にも三十年以上生きてきた大人なんだぞ、僕は。
こんな様を彼女に見られたら、一体どう思われてしまうことか、はぁ……。
「またあの子のことか。そんな風にうじうじしてるヘタレより大分マシだと思うけどね。実際、今の僕は子ども以外の何でもないんだしさ。おかしいことなんてあるもんか、年相応だよ」
『それはまぁ、外見だけはそうかも知れないが……って、おい! いい加減、ヘタレとか呼ぶの止めてもらえないか、楽天家!』
「お前が頭の中でぶつくさ日本語を喋るの止めてくれたらね」
『こちとら考えることしかできないし、お前以外に話し相手すらいないんだ。仕方ないだろう。気に入らないなら、そろそろ僕の身体を返してくれ』
「やだよ。もう怖いのや痛いのに耐えるときだけ呼び出されるのはまっぴら御免だね。ず~っとしんどいこと押し付けられてきたんだから、今度は役割交替と行こうじゃないか」
『……そこは申し訳ないと思っているよ』
端から見る者がいれば、独り言を口にしているようにしか思えないだろう。
たった一人、村の中を歩く幼児――シェガロは、僕の思考に対していちいち言葉を返してくる。
そう、姿なき僕とシェガロとの間に、疑いようもなく会話が成立しているのだ。
僕ことシェガロは、前世の記憶を持つ異世界転生者である。
が、実は、前世の僕である白埜松悟という男の中には、幼い頃から別の人格が存在していた。
僕自身、それをハッキリと認識していたわけではない。
ただ、堪え難いほどの痛みに見舞われたとき、時折、身体から心が追い出され、苦しみに喘ぐ自分自身を冷静に俯瞰しているような気になることがあった。
では、そのとき、僕の身体を動かしていたのは一体、どこの誰だったのだろうか?
「覚えてないだろうけど、他にもいろいろと僕が肩代わりしてきたんだよ? 感謝してほしいな」
つまり、今現在、僕の新しい身体となった五歳のシェガロは、厳密に言えば僕ではない。
この、もう一人の僕“楽天家”なのだ。





