第三話: 取り替え子と朝の仕事
ほんの悪戯心だったのだが、ファルと二人、すっかり泥だらけになってしまった。
水が極めて貴重なこの村では、水場はある種の聖地のような扱いとなっており、たとえ雨季の最中であろうとも、こんな風に遊びで水を浴びたりすることは滅多にない。
たとえば、日本の子どものように水面に向かって石を投げたり、飛び込んで泳いだりしているところを大人たちに見られようものなら只では済まない……そういうレベルだ。
スプリンクラーごっこの痕跡はしっかり消しておく必要があるだろう。
ファルの方は、まだ涼しい朝方なので比較的薄着をしており、そのまま水の精霊術【洗浄】を掛けてやれば、余分な湿気と共に汚れをすべて吹き飛ばすことができた。
僕の方は少し面倒だが、一旦、肌着以外の衣服を脱ぎ、身体と一緒に【洗浄】を掛ける。
「水の精霊に我は請う、身を浄めて」
請願に応じ、虚空から湧き出た純水が、僕の全身と手に持つ衣服の表面を高速で流れていった。
微かにくすぐったいような感触が一瞬で消え去ると、塵や埃、爪の垢まで綺麗に洗い流されたさっぱり感だけが後に残される。
水気は元からあった分もある程度まとめて蒸発するため、もう湿っぽさも感じられない。
「白ぼっちゃん! 今の、おどろいちゃったけど、ちょっと気持ちよかったかも!」
「そう言えば、これをファルに使ったのは初めてだったかな?」
「うん! 水汲みのやり方も変わってるし、白ぼっちゃんは変わってるね! 白いからなの?」
「肌の白さは関係ないかなぁ……」
この子とこんな風に二人っきりで話すのは、もしかしたら初めてかも知れない。
遠間からこっちを見ているか、他の子たちと一緒に遊ぶか、いつもそんな感じだったからな。
なんだか、今は距離感もやけに近い気がするけれど。
この村では数少ない子どもの一人であり、僕にとっては唯一の同年代となるのがファルだ。
今年五歳になった僕たちだが、村の年上はみんな十歳以上、年下には赤ん坊しかいない。
その辺りは、まだ出来て三年しか経っていない開拓村なので仕方ないところである。
幼児を連れての移住、先が見えない状況での妊娠出産、どっちも難しいよな……という話だ。
と、それはさておき。
地の精霊へ願い、水を汲み終えた三つの大きな樽を村の中央までゴロゴロ転がしていく。
手ぶらで歩く僕の後ろには、何故かファルもちょこちょこと付いてきていた。
「変わってるって言えばファルだって変わってるじゃないか」
以前、軽く触れたかと思うが、この子――ファルの本名はファルーラと言う。
ファルというのはあくまで愛称で、基本的には子どもか親密な関係の相手しか使うことはない。
襟足で結んで二本のお下げにした栗色の髪と淡い褐色の肌を持つ幼い女の子だ。
くりくりとして大きな翠色の瞳がよく動く。
しかし、一際目に付く特徴は、頭の左右にピンと伸びた長めの耳だろう。
幅広で先端が尖ったその形は大きな笹の葉……もっと言えば日本の武器・笹穂槍を思わせる。
それは、この世界でよく見られる身体的特徴の一つ……などというわけでは、勿論ない。
村の住人で似たような耳を持つ者は一人もおらず、彼女を生んだ実の両親さえ例外ではない。
「そっか、じゃあファルと白ぼっちゃん、おんなじだね!」
「うん、まぁ、変わり者同士だね。同じくらい変わってるんじゃないかな」
「おんなじ! うれしい!」
どうやら、ファルは【妖精の取り替え子】と呼ばれる存在らしい。
この世界の人間は、僕の知る地球人類とほとんど違いが分からないほど似通っているのだが、実は、こちらの“人類”は単一種族ではなく、他のいくつかの異種族を含めた総称なのだと言う。
ただし、人口の上では人間が圧倒的に多いため、普通に暮らす限り、他の種族に出逢うことは、そうそうあることではないようだ。
実際、僕はこれまで一度も――ファルを除けば――見たことはないし、ここみたいな田舎だと異種族はお伽噺と変わらない調子で語られていたりする。
そんな異種族の一つに【妖精】というものがいる。
曰く、見た目は人間に似ているが、尖った長い耳を除けば、容姿は非常に美しい。
曰く、その肉体は老いることなく、若々しいまま長い時を生きていく。
曰く、不思議な力で自分の姿を隠し、人間の住む場所に忍び込んできては様々な悪戯をする。
そして、彼らの最も好む悪戯が、自分たちの赤子と人間の赤子をこっそり取り替えていくことなんだとか……。
いや、そんな話がどこまで事実に即しているかは、とりあえず措いておくとして。
この世界では、昔からごく稀に普通の人間を両親としてエルフの赤子が生まれることがあり、それをエルフに取り替えられてしまった子――チェンジリングと呼び習わしているのだ。
たぶん、ただの隔世遺伝の先祖返りか何かだろうと言いたくなってしまうが。
その美しい容貌のお蔭もあり、チェンジリングは特に忌み嫌われる存在というわけではない。
とは言え、やはり奇異な目に晒されることは避けられない。
ファルが生まれたことで一家は住んでいた町に居づらくなってしまい、うちの開拓に参加する領民募集に申し込んできたのだと聞いている。
「よーし! こっちの柵も問題なし。ファル、そっちはどうだい?」
「あのね、あっちにミーアキャットがいたよ」
「うん、柵はまだ見てないんだね」
「つかまえられないかなぁ」
「絶対、柵の外には出ちゃ駄目だよ? またザコオニにさらわれちゃうといけないから」
「白ぼっちゃん、つかまえられる?」
「……ミーアキャットなら今度つかまえてあげるから、今はちゃんと僕に付いてきてね」
水汲みを済ませた後、なんとなく流れでファルと一緒に仕事をすることになっていた。
正直なところ、ほとんど戦力になってはいないのだが、五歳と言ったら、まだ幼稚園児である。猫の手も借りたい開拓村であっても、流石に労働を強制するのは忍びなく思う。大人としては。
というわけで、簡単な仕事だけを任せ、ある程度は自由に遊んでもらっている。
なんだか、前世で施設の小さな子たちを面倒見ていたことが思い出されるな。
「柵の点検は終わり! じゃあ、次は採集に行くよ」
「うん! ファル、ハーブつむの上手だよ?」
「そうなんだ? ならハーブを集めるのは任せちゃおうかな。僕はその間に――」
「なんだぁ? あんなとこに耳長がいるじゃねえか!」
その声は、柵の外、二十メートルは向こうに広がる草むらの方から聞こえた。
ニタリ……と口元に笑みを浮かべ、大きな鎌を持った見慣れぬ男が一人、そこに立っていた。
そして、奥からは彼と同じような雰囲気をまとった数人の男たちがゆっくり近付いてきている。
「おじちゃんたち、だぁれ?」





