第一話: 熱帯の朝、目覚める幼児
窓から吹き込んできた爽やかな風に顔を撫でられ、気持ちよく朝の目覚めを迎えた。
元が日本人だからなのか、雨上がりのほどよく湿った風が肌に合うように思われる。
まぁ、生まれ変わって身体は別人に変わっているはずなので、それは気のせいなのだろうが、心地好く感じられるのは確かだ。
まだ寝ている姉妹たちを起こさないよう静かに寝床を出て、「んんっ!」と大きく伸びをする。
現在、この地はちょうど雨季の最中となっている。
と言っても、日本で言う梅雨とはまるで違い、日中に雨が降ることなど滅多にない。
専ら、夜間に激しいにわか雨――スコールとしてまとめて降り、太陽が昇りきる頃には強烈な陽射しにより比較的カラッとした陽気になってしまう。
また、夜と昼の寒暖差も激しく、夜中には体感で十度以下の寒さに震え、日中は三十度を超す暑さにうだるといった具合なので、こうした空気を感じられるのは朝方の僅かな時間だけである。
地球の気候帯に照らし合わせるなら、明らかにサバンナ気候の特徴だな。
この昼夜の気温は、年間を通して、さほど大きくは変わらない。
ほとんど湿気のないサウナとでも評すべき乾期を思えば、一年を通して最も過ごしやすい時間。無駄に寝て過ごすのは勿体ないと言うものだろう。
「さて、まだ肌寒いけど、とっとと着替えちゃおうか」
物盗りではないが、こそこそと自分用の衣装棚を漁って衣類を取りだしていく。
寝間着である厚手の衣を脱ぐと、作務衣に似た薄手の衣服を着て、腰帯を巻き、革靴を履く。
その上からカフタンと呼ばれる前開きのゆったりとしたガウンを羽織り、鍔なし帽子を被ると、非常に長い幅広の羊毛布を身体に巻き付けるようにしてまとった。
顔と手くらいしか肌が見えない、こんなスタイルが、ここいらでは外出時の普段着となる。
ゴテゴテとした恰好に感じられるだろうが、風通しが良いため、実はかなり着心地は良い。
手足の動かし方にさえ慣れてしまえば意外と動きやすく、なかなかに洗練された民族衣装だ。
「……んゅ? ショーゴ? まぁだ、起きてんの? はやく寝なさぃ……すぅ……」
二段ベッドの上で朝とは思えない寝言をぬかしているクリスは無視しつつ、着替えを済ませて子供部屋を出る。丸太を組み合わせた壁に片手を突きながら細い廊下を進み、キシキシと鳴音を立てる階段を下り、大きなテーブルと木椅子が並ぶリビングへと降り立つ。
見れば、ガッシリとした体付きの老人が一人、椅子に腰掛け、暖炉の残り火に当たっている。
外見的には年寄りの印象などなく、まだまだ老人と呼ぶには憚られる風貌なのだが。
「おはよう、ノブさん」
「ああ、おはよう、シェガロ坊。今朝も早いな」
シェガロ、それは僕の名前だ。
今年で五歳となった男の子で、髪の毛は灰色、肌の色は日焼けしていても割りと白い。
顔立ちは……自分で言うのは少々面映ゆいが、そこそこ整っているのではないかと思う。ただ、丸く大きな団子鼻のお蔭で、成長しても良くて二枚目半といったところだろう。
いや、身の回りに質の良い鏡がないため、おそらくになるのだが、成長したら前世とそれほど変わらない容姿で落ち着きそうな気がする。
言うほどコンプレックスを感じているわけではないものの、正直に言えば、愛すべき団子鼻とすっぱりお別れできなかったことだけは少々残念に思ってしまう。
……せっかく生まれ変わった今生では、少しくらいイケメン気分を味わってみたかったよ。
ああ、うん、お察しの通り……それとも、知っての通りか? 実は僕には前世の記憶がある。
地球という世界、日本という国で三十年有余を生きた一人の男――白埜松悟の記憶が。
これは、流石にまだ誰にも話したことがない秘密なんだけどな。
――ヒュン!
「と!?」
僅かばかり黙り込んでいた僕の顔面に向かって、不意に何かが飛ばされてきた。
反射的に手で受け止めてみれば、それは大粒の豆だ。
「おっ!? なんだ……寝惚けてるわけじゃなかったか」
「もう! びっくりさせないでよ」
「昨夜の雨は大分激しかった。狩気を出してる獣にはくれぐれも気を付けるんだぞ」
なるほど、ぼ~っとしていた僕のことを心配してくれたのか。
ノブ爺さんが滅多にしないような忠告をしてきた。
「うん、柵の外には行かないよ」
「そうしとけ。まぁ、坊なら心配ねえだろうが」
このご老人は、うちで雇っているノブロゴさん。毎晩、ここで不寝番をしてくれている。
若い頃は腕利きの狩人――この世界では野伏と言うらしい――だったそうだ。
って、ひとまず今は詳しく紹介しなくても良いか。
貴重な朝のひととき、のんびりとしていられるほど時間に余裕はないのだ。
「じゃ、行ってきます。薪割りと水汲み、柵の見回り、あと採集と農具の手入れはやっとくって皆には伝えておいて」
「待て! 後ろの二つはクリスタ嬢を起こしてやらせろ」
「あはは、それだと日が昇っちゃいそうだからさ」
「チッ、あんまり甘やかしてやるなよ」
振り向かずに手を振りながら、僕は扉を押し開いて家の外へと出た。





