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短時間で収束した反乱は王都軍側の被害と領地民の犠牲者を最小限に抑えた。
また、今後長引いた場合による領地民への被害損害も防いだとして、シスベルはその功績を称えられ王子の帰還を祝した凱旋パレードに参列する運びとなった。
「なんで俺が」と渋るシスベルに、王子は「褒美として好きなものをねだれるぞ」と誘っていた。
まるで野良猫を引き寄せたい口ぶりの王子にシスベルは見向きもしないと思ったが、意外にもそれで揺り動かされていた。
何か欲しいものでもあるのかしらと、私はシスベルが決めた参加に微笑ましく頷いた。
「シス、着替え終わった?」
衣裳室の扉を叩いて声をかけると、すかさず「入って」と返事があった。
言われた通り室内にお邪魔すると、いつも私のそばにいた執事服ではなく貴族にも見劣りしない正装のシスベルがその着こなしに苦戦していた。
「ちょっとこれやって。上手くできない」
「クラバットね。いつもはクロスタイだものね」
向かい合って、苦戦した跡の残るクラバットを流行りの結び方にしようか迷う。
リボンも工夫をすれば男性を華やかに見せるけど、シスベルには……見上げると、妙に表情を硬くしたシスベルと目が合った。
やっぱりシンプルなのが一番かしらと、ネクタイ結びをしてピンを留めた。
「今日のシスは一段とかっこいいわ」
襟元や袖口を確認して細かな部分を直しながら褒めると、シスベルは硬い表情のまま頬を色づかせて目を伏せる。
「……あんたも、今日は……」
すると、シスベルの言葉を遮って衣裳室の扉が前触れなく開かれた。
突然の訪問者にシスベルは「来んなよ……」と顔を顰めた。
「準備はできたか? ……あぁ、リーゼロッテもいたか」
護衛騎士を部屋の入り口に待たせ、晴れの舞台にふさわしい煌びやかさでやってきた王子は私の前で眩しく笑顔を見せた。
「変わらず綺麗だな、リーゼロッテ」
「殿下も、騎士団の正装がよくお似合いです」
王都にいるということもあり、私も普段よりは装飾の多いドレスで着飾っていた。
髪も纏め上げているので普段とは違う雰囲気の見た目になっているだろう。
王子が自然と私の手を取り、そのまま引かれて持っていかれる。
手の甲に唇が触れる直前に、シスベルが無遠慮にそこに割って入った。必然的に王子の手が離れる。
「……シス」
「なんだよ」
「あいさつよ」
「知るか」
貴族のあいさつだと説明しても、シスベルはなんだかんだと私と王子の間に入っては邪魔をする。
それがどれだけ無礼なことか膝を詰めて話したところでその場限りの返事しかせず、埒があかない。
「やきもち焼きな奴だなぁ」
王子がこの調子なので、従者を叱るべき私も半分諦めていた。
「ところでシスベル、あの件は考えてくれたか?」
「はい。お断りします」
間髪入れずに断るシスベル。
敵対心から多少は軟化したものの、王子に対するシスベルの対応は処罰されてもおかしくないほど雑だった。
けれど何が王子の気持ちに触れたのか、王子はやたらとシスベルを気に入っているのだ。
あの件、というのもそこに繋がってくる。
「断るのが早いな。よく考えたのか?」
「考えるまでもありません。俺は主人にしか従いませんし、王子殿下に望まれるような人間ではありません」
「忠義に厚い野良猫め」
「王子殿下には懐きません」
王子の目線が私に向く。この堅物をどうにかしてくれ、と訴えているらしい。
うーん……と、私は愛想笑いを浮かべた。
あの件。
王子がシスベルに提案しているのは、王子直属の騎士にならないかという栄誉ある誘いだった。
シスベルは私の従者であるからと断っているけれど、はっきり言ってシスベルにとって私の元にいるのとは比べ物にならないほど高待遇な引き抜き話だ。
給与も肩書きも私では与えられないものを王子は与えられるし、奴隷の象徴でもある黒の子供が王子の騎士となれば、今後の国の奴隷制度だって見直されるだろう。
黒の子供にとってシスベルは希望そのものなのだ。
私の気持ちだけを言えば手放したくないが本音だけど、先のことを考えれば、こればっかりは仕方がない。
「ねぇ、シス」
「俺を手放さないって言っただろ」
哀愁漂う、とは真逆のピリピリとした口調で食い気味に被せられた。
あぁ、うん、散々言ったけど……と私は二の句が継げなかった。
王子は冷静に「頑固な上に執着心も強いのか」とつぶやいた。
「私の誘いを断っても、どうせ近いうちに国がお前を連れに来るぞ」
「脅しですか?」
「いや、事実だ。そして私はそれが面白くない」
すると、王子は悪戯を思いついたと笑みを浮かべた。
「お前がそれほどまでにリーゼロッテから離れ難いと言うなら、もう一度妃の座に望むのもありだな」
「…………は?」
「私はお前を騎士として側に置きたい。お前はリーゼロッテから離れたくない。ならば、リーゼロッテを私の妻にすれば解決じゃないか」
わざとらしい王子の態度。
それにまんまと乗せられるシスベル。
「殿下の冗談よ」となだめても、シスベルは聞く耳を持たなかった。
「のちに私は陛下に進言するぞ。それまでに、答えを出しておけ」
畳み掛けた王子にシスベルは「脅しじゃねぇか!!」と声を荒げた。
腕を掴んで引き留めてると、私の目の前に王子の手のひらが差し出された。
「さて、パレードの時間だ。私の馬に乗ってくれるか?」
この方は、もう……。
シスベルを揶揄うのは楽しいことだけれど、それは私だけの特権だったのに。
「私はパレードには出ませんよ」と至極当然な断りを入れようとすると、抱え込まれるようにしてシスベルに肩を抱かれた。
「触んな。俺が乗せる」
「いや、私はパレードには……」
ふわりと、体が宙に浮く。
地面から足が離れ、不安定な体はシスベルの腕の中で横抱きにされた。
小さな悲鳴をあげてしがみつけば、シスベルの顔が目の前にある。
「俺が出るんだからあんたも出るんだよ」
「えぇっ? どうして!? 私は凱旋パレードには参加しないわ!」
王子は「心配するな」と笑っているだけで、私を抱いたシスベルはしっかりとした足取りで衣裳室を出てしまう。
「シス!」と何度訴えてもそれは聞き入れてもらえず、周りの目にだんだんと羞恥心が芽生えて私はシスベルの胸に顔を隠した。
窓の外ではすでに、多くの国民が王子の帰還を待ち侘びていた。
❇︎
大きな歓声。
沿道から投げられるたくさんの花。
王子率いる王都軍の帰還に、国民は大いに湧き上がった。
王子が通ればそこかしこで黄色い声が上がる。
その後ろを私とシスベルが通れば途端にどよめきに変わる。だって、黒の子供と追放された令嬢が凱旋パレードに参加してるのだから。
場違いな登場に奇異な目を向けられるのは当然のことなのだ。
…………と、思っていたのに、予想に反して私達は盛大な拍手で迎えられていた。
呆気にとられた私は呆然と沿道に並ぶ笑顔を見る。一体、何がどうなっているの?
戸惑いのあまりシスベルを振り返って窺えば、王子の背を見ていた漆黒の瞳が私に向く。
「あの王子、なんかしたな」
「殿下が?」
「きっと、反乱を治めてすぐに俺とあんたの話を王都に広めてたんだ。じゃなきゃ、俺がこんな大勢の人間に受け入れられるわけがない」
肯定したくはないけれど、シスベルの言うことは避けようのない事実だ。
本当なら私だって嘲笑の眼差しを向けられていてもおかしくはないのだから。
パレード直前に殿下が言った「心配するな」はこのことだったのねと、味方になったヒーローの背を眺める。
「どっちの馬に乗ってもあんたに注目が集まるのは仕方ないけど、これじゃ意味がない。変に目立つことしやがって」
「シス、口が悪いわ」
「気に食わないんだよ」
咎めるためにまた振り返った私にシスベルは「危ないから前向いてろ」と言い、わざと馬の歩調を乱した。
慌てて前を向けば、耳元にシスベルの気配を感じる。
「――今日のあんたは特別綺麗なんだ。王子の馬に乗ったら嫌でも見惚れる奴がいるだろうなと思って俺の馬に乗せたのに、今あんたに見惚れてるやつがどれだけいると思う?」
できるだけ顔伏せといて、と続いて。
ちょっと乱暴で強引な気遣いに、私はくすりと笑ってしまう。
「さっきも言ったけれど、今日のシスはとてもかっこいいの。あなたの隣に立っても負けないように、ちゃんと胸を張っておかなきゃね」
主人として、せっかく認めてもらえたシスベルの栄誉を傷つけることがないように。
しっかりと顔を上げて前を向けば、沿道に並ぶ輝かしい笑顔にも穏やかに向き合える。
「いや、目立たないでほしいんだけど……」というシスベルのぼやきは、子供達の歓声によってかき消されてしまった。
国王陛下の御前に到着すると王子による私とシスベルを持ち上げた報告がなされ、静かに国民からの熱い視線を受ける羽目になった。
陛下は王子の誇張報告をどれほど間に受けたかはわからないけれど、私とシスベルに大層な労いの言葉を掛けてくれ、久しぶりに見る笑顔を向けてくれた。
「大変な状況でありながら、反乱の企てを暴き、よく尽力してくれた。リーゼロッテ嬢には何か褒賞を与えねばな」
「当然の行いであり、恐れ多いことでございます」
「遠慮はするな。望むものはあるか?」
「王子殿下と和解できたのが何よりも嬉しいことです。他には何も望みません」
「ふむ……」
陛下が口をつぐんだところで、王子が手を挙げる。
「リーゼロッテ嬢とは和解も済み、追放もこれより取り消しますが、陛下から国民へ一声かけてはいただけませんか? 彼女が王都に戻りやすくなるように」
「そうしよう」
「国王陛下、王子殿下、ご配慮いただき感謝致します」
礼を執り、私は一歩下がった。
次はシスベルの番だ。陛下が好奇心を秘めた眼差しで見ている。
「リーゼロッテ嬢の従者、シスベル。そなたの働きは軍にも匹敵するほど強大であり、反乱軍を治めひとつの領地を救ってくれた。その精強な力を称え、褒賞を与える。何を望む?」
「……恐れながら」
陛下に問われ、答えるシスベルはしっかりと顔を上げながらめずらしく緊張しているようだった。
さすがに萎縮しているのかもしれない。これだけの民衆の前で国王に声を掛けられては、いくら強く気持ちを持っていても圧倒されるものだ。
シスベルの声は強張っていた。
「俺は過去に、この力で人を殺めたことがあります。叶うならば、その罪を償いたく存じます」
「人を殺めた……」
陛下の目つきが険しくなる。王子は驚きを隠していたが、丸くなった瞳は隠せていなかった。
シスベルが進んでパレードに参加するのは、それほど手に入れたい物があるのだと思っていた。私には与えてあげられない何かが欲しいのだと。
けれど違った。私は知っていたのに、そこに思い至らなかった自分が恥ずかしい。
シスベルも償う場が欲しかったんだ。
陛下は鋭い眼差しでシスベルを見据えた。
「なぜこの場でそれを求める? それは褒賞ではなく償いだ」
「堂々と手に入れたいものがあるからです」
「手に入れたいものとは?」
隣に立つシスベルの手が、突然私の手を掴んだ。
「えっ?」
「この人です」
掴んだ手を引っ張られ、シスベルの胸元へと持っていかれる。
「俺は、この人が欲しい」
「……なるほど」
陛下は静かに頷き、王子は頭に手を当てて無言で首を振った。何かを嘆いているようだった。
私はただひとり状況が理解できず、私の手を握ったままのシスベルにひそひそと訴えた。
「ね、ねぇシス? 心配しなくても私はどこにも行かないわ。罪を償うなら待ってるし、あなたの居場所はなくなったりしないから」
「そういうことじゃない」
「あ、殿下が言っていたことは冗談よ。殿下は私と結婚する気なんか……」
「違う。あんた、わざと言ってんのか」
陛下と目を合わせていたシスベルが私を向く。
「あれだけわかりやすく接していたのに、なんでわかってないんだよ」
ぎゅっと、さらに手を握られる。
幾度も違うと否定していた、思い当たるシスベルの行動がひとつひとつ私の中でフラッシュバックした。私を捕らえにくるシスベルの、従者の立場を越えた、あの真っ直ぐで甘い雰囲気。
絡め取られそうになって、今もようやく寸前で踏み留まる。
「…………だって、シスは主人の私を慕ってくれていたんでしょう?」
「主人にキスしたいって思うのかよ」
「……っ!!」
踏み留まったのも束の間、シスベルは遠慮なく私を絡め取りにきた。
そこまではっきり言われてしまうと私は逃げ場がなくなってしまう。
「奴隷で、黒の子供で、人を殺したって言うのに受け入れてくれたんだ。俺も手放さないって言っただろ」
「他にもあなたの良さをわかる人はたくさんいるわ……」
「それでも関係ない。俺はあんた以外は考えられない」
苦し紛れの抵抗も虚しい。
私は悪役令嬢なのに、このストーリーにおいて本来であればここに立っているべき人間ではないはずなのに。
その上サイドストーリーのヒーローなのでは? と思うほど優れた容姿、能力を持つシスベルに、どうして私が?
素直にこのまま受け入れてもいいの……?
「私のこと、好きなの……?」
消え入りそうな声で尋ねれば、シスベルは躊躇なく一言答えた。
「そんなんじゃない」
……?
私の思考がフリーズしたところで、陛下が改めてシスベルの名を呼んだ。
「シスベルよ。リーゼロッテ嬢はそなたがおいそれと望める女性ではないぞ」
「重々承知しております」
「例え償いと褒賞を別にして、此度の英雄だとしても、そなたにリーゼロッテ嬢は……」
固まった私の耳を素通りしていく陛下とシスベルのやりとり。
私って、そんなに難しい立場だっけ? 好きでもないのに求められる立場って何?
心ここに在らずで、だけど笑顔を張りつけて立ち尽くす私を見兼ねたらしい王子が、そっと陛下の話を遮る。
「陛下。申し上げます」
「話の途中だが」
「シスベルの立場に関することです」
「なんだ」
王子の割り込みにシスベルは嫌な顔をしながらも口をつぐんだ。
「シスベルは私の直属の騎士に迎えるつもりです。さすれば、陛下の懸念も消えましょう」
「罪人を手元に置くと?」
「シスベルの功績を考慮し、ご配慮いただければ」
王子は声を小さくして「一任してくだされば、お手を煩わせません」と続けた。
陛下はシスベルと私を交互に見ると、長考の末にふぅと息を漏らした。
「…………わかった。任せよう」
陛下の承諾を得て、王子はシスベルの前に立った。
誇らしい笑顔にシスベルはムッと不機嫌さを隠さない。
「シスベル。これが最後だ。私の騎士になれ」
望みのすべてを叶えたいならな、と。
暗に秘めた力強い王子の誘いに、シスベルはようやく意地を張るのをやめた。
「――拝命します」
仕方ないといわんばかり、ため息混じりのシスベルだけど、王子は嬉しそうだった。
「牢に入るよりも厳しく扱いてやる。覚悟しておけ」
「そこまで柔じゃありません」
「お前が地に這いつくばる姿を見るのが楽しみだ」
「……性悪王子め」
「そうだ、私は性格が悪いんだ。だからちゃんと繋ぎ止めておかないと、すぐに攫ってしまうぞ」
王子はちらりと私を見る。
その一瞬のやりとりに反応したシスベルは私の視界に王子が入らないよう立ちはだかり、向かい合って掴んだままだった私の手を握り直した。
きょとんとする私に「さっきの続き」と言って目を伏せた。
「……好きって、そんなんじゃない。好きとか愛してるとか、もうそれじゃ表せられないくらいのあんたへの気持ちが溢れてる」
地面を睨みつけるシスベルはどんどん頬を染めていく。
その様子に疑いようもなくなった私もまた、つられて熱が上がっていく。
「拒否したって無駄だからな。俺は絶対にあんたを逃してはやらない」
強気な発言にぞくりとしてしまう。
伏せていた目を私に合わせたシスベルは、漆黒の中に私を映し出す。
たしかにもう、私はシスベルの瞳から逃げられなかった。
「俺と結婚してくれ。――――リーゼロッテ」
私の中に蕾が弾けて花が広がる。じんわりとあたたかくて、夢を見ているような幸福感。
シスベルから伝わる緊張が嬉しくて、言葉にしてくれた想いが嬉しくて。
胸の中に広がっていく幸せに、つい、言葉が詰まってしまう。
何も言わない私の涙を拭ってくれるシスベルは、静かに私を追い込む。
「答えはひとつしか受け取らないから」
強気な姿勢でいて、実は私の涙を見て内心焦っている。
窺う瞳には気遣いと優しさが溢れているから、そんなシスベルに私はおかしくなってしまった。
「シス、大好き」
結局いつも通りの告白だけど、いつもとは明らかに違う。
あしらうシスベルはいなくて、眉尻を下げて柔らかに微笑むシスベルが、私の想いを受け取って。
わぁっと上がる歓声に驚いて振り向こうとする私を、「こっち見て」とシスベルの両腕が抱え込んでくる。
唇に触れる熱と柔らかな感触に、甘い吐息に自然と目を閉じた。
さらに大きくなる歓声は私には遠く、近すぎるシスベルの体温に眼裏がチカチカとする感じがして。
始まったばかりの私の物語はきっと、この人に甘やかされる人生なんだろうなと、終わらない口づけに蕩かされながら覚悟をした。