8
ロックウッドの率いる反乱軍は予想以上の勢力で王都軍に向かってきた。
交戦して間もなく二つの軍は入り乱れ、どちらも押せど引きはせず、そこかしこで剣の打ち合いや矢が飛び交った。
その後方では数多くの破裂音が鳴り響いている。おそらく、前衛を越えた王都軍がその音と対峙しているのだろう。
どうかシスベルではありませんようにと願いながら、私は王子と共に騎乗して戦場を駆けていた。
「殿下、やはり二手に分かれましょう。私が一緒にいると余計に狙われます」
「どうせ狙われるなら、護りを固めるためにもこのままでいい」
私と王子の周りには鎧をつけた騎士達が馬を並べて走っている。
仰々しく集団で移動しているため当たり前に目立つし、攻撃の的にもなっている。護衛の騎士達は優秀だが、だからこそ二手にと私は申し上げたのに。
王子は「だが、お前は馬に乗れないだろう」とあっさり却下してしまったのだ。
「後方には銃撃隊も控えている。防具をつけたとはいえ、撃たれた衝撃で落馬すれば途端に死んでしまうぞ」
「それは殿下も同じです!」
「リーゼロッテ。お前はそんなことを気にせず、件の従者を探すんだ。お前にしか従わないのだろう?」
そう言われてしまえば、私はぐっと押し黙るしかなかった。
前線に出たいと頼んだ理由。反対する王子を説き伏せたのは、私ならばシスベルを従わせて反乱軍を壊滅させられると見栄を切ったからだ。
もちろん私の助力がなくても王都軍は勝利するかもしれないが、シスベルを王都軍側に、私の従順な従者として引き込む必要があった。
「……爆発音のある方へ」
流されぬよう声を出せば、王子は騎士達に指示を下して後方への足取りを強くした。
振り回される剣や飛び交う矢の雨をくぐり抜け、だんだんと近づく破裂音に私は耳を澄ませた。規則正しく並び、等間隔で聞こえる破裂音はきっと銃撃隊によるものだ。
王子率いる騎士達は恐れることなく一直線に進む。まだ弾は届かないが、こちらに向けられた銃口が次々に破裂音を生み出していた。
「殿下、無茶は……っ」
「頭を低くしろ、突破するぞ!」
地面を弾き、馬の足元を銃弾が流れていく。
銃撃隊の射程距離に入った騎士達は王子の前方に護りを固め、その身を盾に馬の走りを速めていく。
続く王子も自身の身を私に覆い被せるようにして手綱を強く握った。
目前に迫った銃撃隊が私達に狙いを定めて射撃を開始する。
「…………っ!」
刹那、銃撃隊の足元で大きく地面が爆発した。
「な、なんだ!? 止まれ!」
王子が騎士達を止めると、急停止により何頭もの馬が嘶いた。
その間にも爆発は止まらず、銃撃隊の足元は地面が崩れて大きな穴となり、兵士達が吸い込まれていく。それでも銃を構えようとする兵士の手元では銃だけを弾き飛ばす小さな爆発が起こっていた。
呆然と見ていた私はハッと我にかえった。
見覚えのある外套姿がフードを目深にかぶり、その手で指し示したところを爆破していた。
「シス!!」
私が乗り出すと、王子がとっさに腕を回して私の動きを抑える。
振り返ったシスベルは騎士達に囲まれ、剣を突きつけられた。
「剣を下げてください! その者は私の従者です!」
「あまり乗り出すな、リーゼロッテ。危険だ」
フードを目深に被ったままのシスベルがぴくりと反応した。
「リーゼロッテ……?」と小声で聞こえたが、それに気づかない王子は私を抱えたままシスベルに命令した。
「フードを外せ。本当に黒の子供か?」
「殿下、間違いありません。シス、フードを外して」
シスベルはまたぴくりと反応した。
渋々といった様子でフードを外すと、煙や金臭い戦場にシスベルの漆黒の髪がなびいた。
「なるほど、間違いないらしい。ではその者と共に……」
「お前が俺の主人を追放した王子かよ」
シスベルは突きつけられる剣に物怖じすることなく王子を睨み上げていた。
下から向けられる敵意に王子も王族特有の威圧感を与えたが、シスベルがそれに屈することはなかった。
ちら、と私を見て、その鋭さのままで言い放つ。
「命令しろ。ロックウッドでもその王子でも、あんたが望むものを吹っ飛ばしてやる」
「シ、シス! 不敬よ!」
「知るか。命令しろ!」
命令を命令しろとは。
ぐっと近づけられる剣先にまったく動じないシスベルに、逆に私がはらはらとしてしまう。
私を抱え込んだままの王子の腕をついぎゅっと力を込めて掴んでしまうと、王子は「まったく……」と息をついて騎士達に剣を下げるよう命じた。
「反抗的なのか忠義に厚いのか、よくわからない奴だな」
「申し訳ありません……」
きっと、シスベルは私のかわりに怒ってくれているのだ。片一方の私の話だけしか聞いていないシスベルが王子に良いイメージを持つわけがなく、反感を持つのは当たり前だ。
私の従者であるがゆえの無知さに居た堪れなくなる。
ムッと眉間に皺を寄せるシスベルを無視して、王子は騎士に馬を用意させた。
「シスよ、馬は乗れるか」
「お前がシスって呼ぶな」
「リーゼロッテがそう呼んでいる。名は違うのか?」
「リーゼロッテとも呼ぶな!」
シスベルの口からはじめて私の名を聞いた気がする。呼ばれたわけではないのにそれが嬉しくて、けれども喜んでいる状況じゃないのが悔しいところで。
険悪さが漂う二人の間でようやく王子の腕から逃れた私が口を挟む。
「名はシスベルです。乗馬の技術に不足はありません」
「おいっ……」
「シス、この方に無礼を働かないで。大人しく従ってちょうだい。私の立場がなくなるわ」
いろいろと、それはもういろいろと。
頭の回転が早いシスベルならすぐに察して、思った通りに不満げに口をつぐんだ。
騎士から渡された手綱を掴むと、シスベルは鎧に足を掛けて身軽に馬に跨った。そして私に手を差し出す。
「あんたはこっちに」
「うん」
けれど、私がその手を握る前に王子の馬がわざと下げられた。
物理的にできた距離にシスベルはまた王子を睨んだ。
「……どういうおつもりで?」
かろうじて敬語に直されたが、そこには隠そうともしない怒りが含まれていた。
「リーゼロッテは私の馬に乗っていた方がいい。君には主人を守る防具も鎧もないだろう」
「それが何か。王子殿下が主人の盾になってくれるとでも?」
「元よりそのつもりでここに乗せている」
「にわかには信じがたいお言葉です」
「君は本当に……いや、君の言い分もわかる」
殿下が私の盾になる。え、なぜ?
板挟みの私は王子の発言に理解が追いつかず、シスベルの主張に共感して頷いてしまう。
でも、言い分もわかるって?
言い淀んだ王子の顔を見ることはできないけれど、なんだか気まずい雰囲気を背中にひしひしと感じた。
「リーゼロッテを追放したお前が、と言いたいのだろう。その点については私が悪かったのだ。婚約者がありながら違う女性を見ていた、私に非がある」
「で、殿下!? そのような発言は……っ」
急に始まった告白に私は慌てふためき、馬上だというのも忘れて振り返った。
演技でもなく申し訳なさそうに目を伏せる王子の口を無礼と知りながらも押さえようとして、けれどもその手は掴まれてしまった。
シスベルから「あっ」と不快そうな声が上がった。
「聞け、リーゼロッテ。私が悪かった。お前を蔑ろにして惨めな思いをさせた」
「お、おやめください殿下」
「追放も、自分のことを棚に上げて度が過ぎた罰を与えてしまった。謝罪しても私への不信感は消えないだろう」
「殿下、臣下の前です。どうかおやめください」
「構わん。私の立場上、間違いと知りながら突き進まなければならないことも多いが、お前のことはそうではない。一人の女性を貶めた最低な男の謝罪を、許さなくてもいいから、どうか受けてくれ」
まるで時が止まってしまったかのように周囲の音が聞こえなくなった。
騎士達も、不機嫌そうなシスベルも、誰も微動だにしない。私の心臓だけがドキドキと高鳴っているように錯覚する。
だけど、私をまっすぐ見ていた王子の目がまた伏せられて、心をくすぐられる気がした。
失敗を経てしょんぼりと肩を落としたようなその姿は、リーゼロッテの記憶の中に強く残っていた。
「もうおやめください、殿下。謝罪はお受けしますし、そもそも私は殿下を恨んでなどおりません」
「本当か?」
「もちろんです」
パッと上がった顔は気まずさを含みながらも期待があり、粛然と王子らしい謝罪を受けたにも関わらず、許しを得た犬のような爛漫さが見えた。
器用なのに不器用。未熟な王子の失敗を隣で見てきたリーゼロッテは、王子のそんなところに惹かれたんだろうなと私は思った。
「それに、私こそご令嬢に許されないことをしてしまいました。殿下が怒るのも当たり前なことでした」
「発端は私だ」
「行動に移したのは私の意志です。殿下のせいではありません。……ですが、殿下のお気持ちが少しでも軽やかになるなら、ひとつお願いを聞いてくれませんか?」
「なんだ?」
「ご令嬢に謝罪をする機会をつくってほしいのです」
そう言えば、王子は迷うことなく頷いた。
「わかった。必ずつくろう」
「よろしくお願い致します」
笑みを交わす私達は、戦場にも関わらず柔らかな雰囲気になる。
元婚約者でありながら、長年の友と仲直りしたような、そんな感慨深さ。
リーゼロッテではなく私として出会ったのは追放後で、向き合った時間はとても短いのに、実直な性格の王子はやっぱりヒーローに相応しく好感を持てる人物だった。
「……なんか解決してるけど、俺は許してないから」
そんな私達をシスベルは変わらず不機嫌に眺めていた。
空気を読む気もないその発言に、王子は呆れた様子でため息を吐く。
「お前の従者は野良猫のような奴だな。よく手懐けたものだ」
「えぇ、苦労しました。ですが、可愛らしい一面もあるんですよ」
ふふ、と微笑ましく笑えば、シスベルは余計なことを言うなと言わんばかりに私を睨んだ。
そんなに怖い顔をしても私と二人の時は甘えたであると同時に甘やかしてくるとんでもないツンデレさんで、正ヒーローである王子に負けないくらいにかっこいい。
私だけが知っているシスベルは、私の物語には欠かすことのできない王子様なのだ。
「シス、私は殿下の馬に乗らせてもらうわ。あなたもその方が動きやすいでしょ?」
「別に。俺より王子殿下の方が信用できるのかよ」
「ちょっと前までずいぶんと優しかったのに、急に意地悪になったのね?」
「……あんたを心配してたからだろ」
ふいっと顔を背けられた。
ロックウッドの邸宅でもお互いの身を案じて会うことができず、私はまた拉致も同然で王都軍に引き渡されてしまったのだ。
立場が逆ならどれだけ身を切られる思いをするか。シスベルの心配を痛いほどに感じ、それを嬉しく思った。
それに、今だけとはいえ、私が王子を選んだことに対する嫉妬も。
「私は誰よりもシスを信頼しているわ。だから、邪魔になるようなことをしたくないの」
「邪魔なんて思わない」
「この反乱を止められるのはシスだけよ。お願い、きいてちょうだい」
「……」
シスベルの横顔がまたさらに不機嫌さを増す。
わずかに尖らせた唇は融通がきかなく、けれど何も言わないということは私の言葉を受け入れてくれているということで。
少しの沈黙の後、ようやく諦めて深く息を吐いた。
「わかった。けど、いろいろと心外だ」
「心外?」
シスベルの瞳が私を向く。
漆黒の中には挑発的な色が見え、隠すことなく声に乗せる。
「あんた、俺を見くびってるよ」
「え……?」
「まぁいいや、命令して。俺はあんたにしか従わないから」
信頼しているとは言ったものの、途端に不安に包まれる。見くびってるって、どういうこと……?
瞬時に思いつく事はなく、考える時間もシスベルに確認する時間もとっくになくなっている。
まっすぐ見つめてくる瞳はちらりと王子を向き、好戦的に口元が吊り上がる。
シスベルの不穏さに戸惑いながらも、私はシスベルに命令を下すしかない状況になっていた。
息を呑み、私は口を開く。
「――シスベル、命令です。ロックウッドが率いる反乱軍を壊滅させなさい」
「あんたの望むままに」
恭しく馬上で礼をとり、シスベルは馬を駆けさせた。
そこからは呼吸を忘れるほど鮮やかに反乱軍は壊滅していった。
シスベルが一度指を鳴らせば地中で数多の爆発が起こり、まるで蟻地獄のように人が滑り落ちた。
飛び交う矢、銃弾、砲弾ですらシスベルひとりに弾かれ、私は疎か王子にも護衛の騎士達にもその攻撃は届かない。
手に持つ武器も次々に爆破して壊し、王都軍と反乱軍の戦地だったはずが、シスベルの独壇場へと化していた。
シスベルはただ、指を鳴らしているだけだった。
「並外れた力だと? これは桁違いだぞ、リーゼロッテ……」
「チートぉ……」
シスベルの後ろで唖然としていた王子と私はそれぞれの感想を口にして、敗走し始めた反乱軍を見てさらに呆然とした。
シスベルの「見くびっている」の言葉の意味を存分に理解した。させられた。
これなら、たしかに私がシスベルの馬に乗っていても邪魔にならないし怪我をすることもなかったわ……。
壊滅した反乱軍はシスベルによって一人残らず穴に落とされ、ロックウッドは王子の手により捕らえられた。
その際に「リーゼロッテ」と名前を出されたけれど、もはや何の効力もなかった。ロックウッドは王子に殴られ、シスベルには蹴られていた。
騎士に引き渡されると、狡猾な蛇はすっかりと毒牙を抜かれてしまったようだった。
完全なる勝利が決まり、王子が私に手を差し伸べる。それを良しとせず割り込んできたシスベルは私を背に隠してしまい、後ろ手で私の手を握った。
ようやくシスベルに触れられたことに、私は笑いながらも涙が溢れそうになった。
原作とは大きく変わった結末。
大切な人達を誰ひとり失わずに生き残れた、私にとってのハッピーエンド。
大きな安堵と達成感から空を仰げば、小説のものではない、私だけの世界がどこまでも広がっていた。