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6.監禁と密会、口づけ


「南部から取り寄せた珍しい茶葉です。お茶をどうぞ、ヘンレッティ嬢」


 足の低いテーブルを挟み、向かいに座るロックウッドは自ら淹れたお茶を私にすすめた。


 広さは十分にある一室の窓際。

 調度品は見るからに上質なものが揃えられ、それらを扱う侍女達も抜かりない教育を受けている。

 床に敷かれた毛足の長いラグはふんわりと心地よく、細部に至るまで丁寧に模様が描かれた壁紙にはつい目を惹かれてしまう。


 貴族邸宅。

 まさに、王都に住んでいた頃の私が過ごしていた部屋のような。

 そんな一室を、ロックウッドは私に与えていた。


「一体どういうことなのでしょう、ロックウッド卿」


 すすめられたお茶どころか、カップにすら手を伸ばさず私は毅然と立ち向かった。ロックウッドは今度は自身のカップにお茶を淹れている。

 立ち込める甘めの茶葉の香りがこの状況に似つかわしくなかった。


 いや、似つかわしくないのは、状況を唯一把握できていない私だけかもしれない。


「どう、とは……。我が邸宅にあなたを招待しただけですよ。ようやく目覚められて安心しました」

「招待ですって? こんな乱暴なやり方が、ロックウッド卿にとっては招待なのですか」

「逃げられると追いたくなる質でして。そもそも、持ち掛けた取引に対し、手紙ひとつで断られたものですから。水臭いではありませんか」

「これでは脅迫も同然ですよ」

「ふむ。使いの者が少々手荒だったようです。その点はお詫びしましょう」


 ロックウッドは白々しく、のらりくらりと私の追求をかわしていく。まるで蛇のようだ。

 私は目線だけで部屋の中にいる使用人達を確認し、また目線を戻した。


「シスベルはどこです?」


 ロックウッドは「ふふ」とわざとらしく声を漏らした。ソファの背もたれに片腕をかけると、優雅にカップを口元で傾けた。


「この屋敷におりますよ。あなたと共に来ていただきました」

「まさか、シスにも乱暴をしたのではないでしょうね?」

「心配なさらずとも、怪我はひとつもございません。彼は自分の意思でここに来ておりますから」


 向けられた瞳がいやらしく細められる。カップから離れた口元にちろりと細長い舌が見えた気がした。

 執拗で陰湿、裏社会で生きてきたこの男が蛇だと言われていたのは、誰もが知ることだった。


「……私を囮にして連れてきたんですね」

「素晴らしい主従関係です。あなたを手元に置きたくなる理由が増えたほどに」


 のらりくらりと追求をかわされるだけならまだしも、ロックウッドは時折こうしてよくわからないことを口走る。

 私が眉を寄せると、気づいたロックウッドはまた笑う。


「あぁ、ところでこの部屋はヘンレッティ嬢が居心地良く過ごせるよう、あなたの趣味に寄せてご用意したのです。お気に召していただけましたか?」

「……どういうことなのか、そろそろ答えてほしいですわ。ロックウッド卿」


 最初に覚えた感覚はやはり間違いではなかったらしい。王都での私の自室。

 同じものは一つとしてないはずなのに、部屋の雰囲気が私の趣味そのもの。


 調べられていたことに、ゾッとする。


「当初の私の予定では、ヘンレッティ嬢に提示した取引きは滞りなく結ばれるものだと考えておりました。あなたはただ黒の子供、いえ、奴隷を興味本位で買っただけで、執着心はないものとお見受けしておりましたから」

「……あなたはいつから私のことを探っていたのですか?」

「私もあの奴隷市場にいました、と言えばあなたの疑問のいくつかにお答えできるでしょうか」


 にこりと、この男にとってはお遊びの笑顔を向けられる。


 つまりそういうことだと、予想の通りだといきなり答えを突きつけてきた。

 奴隷市場でシスベルを買った私に目をつけ、短くはない年月をずっと探り続けられていたのだろう。

 シスベルの過去についても調べ尽くし、その力を欲して私に近寄ってきた。


 ただ、それでもやっぱり私にこの部屋を与えている意味はわからなかった。


「認めたくはありませんが、今シスベルはあなたの手元にいるのでしょう。私に何を望んで、部屋まで用意してここに留めるのですか?」

「事が終わるまでここでお寛ぎいただければ、と考えておりました。取引きが成立すればヘンレッティ嬢は私側につくことになりますので」


 ここでもやはりロックウッドは明言しないが、要は反逆の意志を私も持つということになる、ということだ。

 保護のために用意した部屋。聞こえはいいが、この男に打算なしの善意などあるわけがない。

 私はロックウッドとの会話を思い返し、引っかかるものを引き出した。


「……私を手元に置きたい理由とは?」


 この状況で考えられることはひとつだけで、これに関しては確定で間違いない。

 囮として捕まったくらいなのだから、私はシスベルの弱みとして見られているのだ。もしシスベルが思い通りに動かなければ、私を使って脅すつもりなのだろう。


「私に何かあったとしても、シスベルはあなたには従いませんよ」

「ふふ。そうでしょうか」


 わからないのはもうひとつの理由だ。ロックウッドは「理由が増えた」と言っていた。

 増えた理由が、私がシスベルの弱みとなったことなら、それより前にあった私を手元に置きたい理由とは一体なんなのか。


「何を企んでいるのですか? 私をどうするつもり?」

「そのうちわかりますよ」


 ロックウッドは悪びれることなく言う。


「私がそれまで大人しくしているとでも?」

「逃げられるならばご自由に。私はヘンレッティ嬢には見張りも拘束もつけておりません」


 素人である私を捕まえるのは容易い、ということだろう。

 すでに容易く捕まったあとなので私は何も言い返せなかった。


「ですが、あなたは逃げる事はしないでしょう。無論、あの従者もそうです」

「……おかしな信用があるのですね?」

「えぇ。あなた方はお互いがお互いの人質となっておりますから」


 私はお茶を飲み干すロックウッドをキッと睨みつけた。嘲笑うように私達を見透かすこの男に腹が立って仕方がない。

 ロックウッドは私の怒りに動じることなく、余裕の態度で空のカップをソーサーに置いた。


「念のため申し上げておきます。私にとってヘンレッティ嬢は使い道のある方ですが、だからと言って私があなたを殺すことはありません」


 立ち上がるロックウッドに、使用人はすぐに反応して部屋の扉を開けた。

 ロックウッドはいつまでも蛇を潜めた笑顔を崩すことなく、紳士に、けれど最後は強気な発言を残した。


「大人しく私に協力すべきです。今度こそ、最善を選ばれますように」




 ❇︎




 ロックウッドの言った通り私には見張りも拘束もついておらず、部屋を出て邸宅内を歩いても使用人達から咎められることは一度もなかった。

 ならばと部屋をひっくり返す勢いでシスベルを探して歩いたが、爵位を剥奪されたロックウッドにどうしてこれほどの資金があるのか不思議なほど邸宅は広くそして複雑な造りをしていた。


 数日をかけてようやく全ての扉を開き終えた私は、シスベルが見つからないことと窓から見えた別棟らしき立派な建物にがっくりと肩を落とした。

 見張りはないけれど報告だけは使用人達から受けているであろうロックウッドの嘲笑が脳裏に浮かぶ。


 苛立ちのままに明日はあっちの建物をと意気込み、だけど敷地内とはいえ邸宅を出たらさすがに何か言われるかな? とわずかな不安を抱く。


 そうして用意された寝心地の良いベッドで眠れば、窓にコツコツと何かがぶつかる音で目が覚めた。


「なに……?」


 時刻はすっかり明け方で、昇り始めた朝日がうっすらと部屋に差し込んでいた。

 コツコツと止まない音に警戒しながら窓に近づく。


 部屋は二階にあるので、そっと顔を覗かせて下を確認する。だけど、何もない。

 小首を傾げて目線を上げると、問題は目の前にある木の上にあった。


「シス!?」


 太い枝に腰掛け、いくつもの小石を手の中でじゃらじゃらとさせているシスベルがいた。

 どうやら小石を窓にぶつけていたらしい。


 私が窓を開けると小石を捨てて「そこどいて」と枝の上で体勢を直している。

 素直に従うと、割と距離のある木の上から部屋の中へと器用に跳んできた。


 私はすかさず飛びついた。


「シス……! 会いたかった!」


 着地直後に私に抱きつかれたシスベルは体勢を崩して尻もちをついた。

 「あんたなぁ……」と数日ぶりの小言を無視して、私はシスベルに掴みかかったまま捲し立てた。


「怪我はない? 酷いことされてない? ごはんはちゃんと食べてる?」


 そして乗り出して気づくのは、シスベルの首に見覚えのある鉄製の首輪がついていることだ。

 かつて奴隷市場でシスベルがつけられていたのと同じ首輪。魔力封じの力を持った、黒の子供専用の首輪だった。


「何よこれ! あの蛇男、どういうつも」

「シーッ! ちょっと落ち着け」


 憤った私の口は手のひらで覆われ、もごもごと続きを遮られる。そこでようやくシスベルと目が合った。

 髪色と同じ漆黒の瞳に朝日が差し込んで、まるでガラス玉の中に宝石を見ているようだった。

 その綺麗な瞳が私を見つめ、「静かに」と念を押されて私はこくこくと頷いた。


 部屋の外に感づかれた様子はない。

 シスベルは手を離すと、深く息を吐きながら私の肩に頭を落とした。


「ちゃんと守ってやれなくて悪い。ここに来るのも見張りがしつこくて遅くなった」

「そんな……私こそ捕まっちゃってごめんね。それに、シスを見つけられなかった」


 私には見張りも拘束もなかったのにと、しおしおと返すと頭をぽんぽんされた。


「あんたは何も悪くないよ。怖い思いさせてごめんな」


 私に非を責めないシスベルの優しさが沁みる。

 気丈に振る舞っていたけれど、シスベルに会えないこの数日間は心配と不安で胸が押しつぶされそうだった。

 触れる場所に感じるシスベルの体温に、私の緊張はようやく解きほぐされていく。


「あの男に何か言われたか?」

「協力しろって脅されたわ……」

「俺も同じだ。あんたの為を思うなら従えってさ」

「私のためって何よ。私を利用しようとしているくせに」


 ロックウッドがどう私を使おうとしているかはいまだにわからないけれど、それがシスベルを従わせようとするための何かだということだけはわかる。

 思い通りになってたまるかと思いながら、私はシスベルの首元に触れた。


「ねぇシス、この首輪外そう。こんなもの付けなくていいよ」


 顔を上げさせ、シスベルの体温が伝わった鉄製の首輪に手をかける。

 繋ぎ目にある小さな穴に指が触れ、以前にシスベルの首輪を外した時のことを思い出した。


「鍵って……」

「あの男が持ってる。あんたには外せないよ」


 「まぁ別に問題ない」とシスベルは言うけれど、私にとってこれは大問題だった。

 シスベルがなぜそこに頓着しないのか、私の中で急に出てきたリーゼロッテが小さな炎を燃やす。


「問題あるわ。それを付けたままじゃ逃げられないじゃない」

「魔法を使えなくても逃げることはできる。あんたは、魔法を使えない俺じゃ不安なのか?」

「シスと一緒なら不安なんてないわ。魔法が問題なんじゃない」

「じゃあ、あんたにとって何が問題なんだ?」


 本気でわからないと私を見るシスベルに、私はムッと唇を尖らせる。

 鉄製の首輪を睨みつけ、私の中で燃えている炎が少しずつ大きくなる。


「許せないの。私のものに他人の首輪がついてるなんて」


 私ではなく、リーゼロッテがかつて感じていた気持ちが大きく前に出てくる。

 淡い恋心をすっぽりと隠し込んでしまった高いプライド。それを作り出した主な原因は、王子に対する独占欲だったのだろう。

 リーゼロッテは王子が自分だけのものにならなかった悔しさを持っていた。


 その気持ちを今、私は共有してしまっている。


「シスは私の従者よ。私だけのものなのに」

「…………私のもの」


 シスベルは目を丸くして瞬きした。

 奴隷の過去を持つシスベルに「もの」なんて言葉を使いたくなかったけど、燃え始めた炎はそんなことはお構いなしだった。

 私はまた言葉を強くして「シスは私のものよ」と言った。


 すると、シスベルは片手で口元を隠すとくっくっと声を殺して肩を震わせた。


「うん。うん、俺はあんたのものだよ」

「どうして笑うの?」

「いや、あんたの問題があまりにも可愛くて」


 突然の「可愛い」に私の中のリーゼロッテは赤面し、炎は一瞬で消え去ってしまった。再燃を許さないほどの不意打ちだ。

 固まる私に、笑顔になるとやっぱりギャップの激しいシスベルがさらに攻撃を仕掛けてくる。


「あんた、俺のこと好きすぎだろ」


 嬉しげな笑顔を向けられれば、私の頰にも一気に熱が駆け上がる。

 シスベルだって自分で言って頰を赤らめている。なのに、その余裕の笑みはなんなのだろう。

 思わず顔を伏せると、手を広げたシスベルに抱きすくめられた。


「あの男の言いなりになるつもりはないけれど、ギリギリまで猫を被っててもいいかもな」


 身動きの取れない私は「え?」と声を上げた。


「鍵を奪うにはリスクが高いし、言われたことも一理ある。あんたの為なら暴れてやってもいい」

「シス、何考えてるの? そんなのダメ」


 顔を上げれば、先ほどよりも明るみの強い朝日がシスベルの瞳を透かしてみせる。

 吸い込まれそうなほどに澄んでいて、シスベルの真摯な気持ちが伝わってくる。


「どれだけ危険かわかってるの? お願いシス、やめて」

「俺はあんたのいうことしかきかないけど、あんたの為にきけない時もある」

「シス!」

「大丈夫。あんたが恐れることにはならないよ」

「でも……っ」


 朝日が強くなるにつれ、邸宅内で人の動き出す気配を感じる。シスベルに一瞬だけ警戒の色が見えた。


 またぎゅっと抱きしめられて、耳元にシスベルの声が近づく。


「その時がきたら、あんたは俺に命令すればいいんだ。俺を信じて」


 すっと体を離したシスベルは私に微笑み、おでこに「ちゅっ」と甘さ溢れる感触を残した。

 立ち上がったシスベルは、さらに私の髪をすくってそこにも口づけを落とす。


「俺があんたのものなら、あんたも俺のものだよ」


 ひらりと窓枠を越えて、シスベルは颯爽と姿を消した。

 残された私は呆然と窓を見つめ、自然と思い返されるやりとりに、時間の許す限りその場で悶え続ける羽目になった。





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― 新着の感想 ―
[一言] 好きいぃぃ!!!! (あられもなくすみません) 神回ですね!! 更新ありがとうございますニヤニヤが止まりません!!!!! (尊い)
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