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シスベルは私の従者として屋敷に置くことになった。
それを伝えた時のシスベルは笑ってしまうほど目を丸くしていたし、直前に爆破魔法を見たノーマは鬼の形相で全力で否定していた。
危険極まりない魔法なのだからとノーマは言うけれど、危険だからこそ私はそばに置くべきだと考えた。
それが私なりの責任の取り方であるし、ノーマが提示した仕事を与えることにもなるだろう。
何より、ちらっとよぎった疑念を放置するには、シスベルの唯一使えるらしい魔法が強力すぎた。
もしシスベルが今後『兵器』になり得るなら、彼のことを何も知らない今、私は離れるべきではない。
もしもの未来のために、私はシスベルを知る必要があった。
私の従者にするということで、シスベルはノーマから直々に仕事を教わることになった。
ピリピリとした空気を纏わせてノーマは仕事を教えていたが、シスベルは無愛想を一貫しながらもするすると教えられた仕事を覚えていった。
必要であればノーマ以外の使用人に声をかけることもあるし、先回りしてノーマの仕事を奪うこともある。
あまりに出来のいい教え子にノーマが渋々と合格宣言を出したのは、シスベルが私の部屋の壁を爆破してからわずかひと月ほどのことだった。
無愛想が覆ることなく、だけど不足なく私のお世話をしてくれるシスベルは堅物の年配侍女をすっかり唸らせてしまった。
「ノーマの教育厳しかったでしょ。おめでとう、シスベル」
「……ありがとうございます」
屋敷の中庭でシスベルにお茶を淹れてもらい、ティータイムを外で過ごすのはここ最近の日課となっていた。
ほどよい温度のカップを口元に持っていくと、柔らかい口当たりにほんのりとした甘みが広がる。
美味しいお茶の淹れ方はノーマに教わったはずだけど、きっとこの味はノーマにも出せないだろう。
「美味しい」
もう一口楽しんでカップを離せば、揺れる琥珀色に晴天の陽が降り注ぐ。
ちらちらと光を反射して、今日は陽が強いなと見上げて目を細めた。
王都にいた頃のリーゼロッテなら、こんな日は絶対に日傘を欠かさなかっただろうに。
「お嬢様、日傘を持ってきましょうか?」
ふと問われ、シスベルに目を向けた。
そんな気遣いができるのねと驚いたのが半分、従者といえどシスベルから声をかけられて驚いたのが半分。
そしてそれを上回る、はじめての「お嬢様」呼び。
私はふっと息を漏らした。
「ノーマにそう呼べと言われたの?」
「はい」
「お嬢様なんて、そんな風に呼ばなくていいわ。シスベルには名前で呼んでほしいの」
「それはできません。怒られます」
「ノーマのいない所でならいいでしょう? それなら、私もあなたのことをシスと呼ぶから」
「勝手に愛称で呼ばないでください」
「親しみがあっていいでしょ?」
ムッと眉間に力が入るシスベルに、私はにこにこと笑顔を向けた。
無愛想で危険な魔法を持つ少年。けれど仕事に対しては誠実で熱心で、私のこんなわがままにもなんだかんだと付き合ってくれる広い心を持った少年。
ここひと月ほどで知った、優しい彼の性格。
ふぅーっとため息を吐けば、嫌々ながらも「分かりました」と返事がかえってくる。
「で、日傘。いりますか?」
「いらないわ。日光浴も大事だから」
「あんた、ご令嬢でしょう? 日焼けを気にしないんですか。毎日毎日、外でティータイムなんて」
あ、あんた……。
名前呼びを期待したのに、シスベルからは親しいのか親しくないのか微妙な呼び方をされてしまった。話し方が気安くなったのは嬉しいけど、名前で呼んでくれないのは意外とショックだった。
まだまだそこに至るには道のりが長そうだ。
「リーゼロッテ!」と主張したいところを飲み込んで、私はカップを置いてシスベルの肌を眺めた。
「前よりは健康的な肌色になったね、シス」
「……は?」
打撲痕もほとんど消えたし、髪の艶も戻りつつある。年齢相応な体型にはまだ及ばないけれど、健康的な食事と休息。
そして大事なのが、陽の光を浴びること。
太陽って偉大だなぁと、この世界にきても改めて思う。
「…………は?」
私の意図をようやく理解したらしいシスベルは、それでもやっぱり理解できないという顔をした。
私がまた一口お茶を楽しんだのを待って、素直に言葉にしてぶつけてきた。
「俺のため?」
そんなシスベルの反応がおもしろくて、私はただ笑顔を答えとして返した。
固まるシスベルの手に持つティーポットの中から、ポンッと小さな破裂音が聞こえた。
❇︎
シスベルは本当に優秀な少年だ。
従者としてはもちろん、私のそばにいるならとノーマが剣を習わせると、これまたすんなり剣技や身のこなしを覚えて雇った教師を喜ばせた。
ただ残念なのは、覚えた動きに見合う体力と筋肉がついていないということ。
人並みほどの体型にはなったとはいえ、運動もしている育ち盛りの男の子には食事が足りないのかもしれない。
私にできることは食事の量と質の改善を料理長に頼むことだけで、あとは空いた時間に剣を振るシスベルを眺めるだけだった。
苦ならやめていいと言う私をよそに、シスベルは流れる汗の感触を楽しんでいるように見えた。
そして、そんな傍らでさらに文字の読み書きまでシスベルは学んでいた。
教えるのは私で、本格的な授業としてではなくティータイムに本を一緒に読む程度の。
書きは実践が必要なのでまだ未熟だけど、読みは私が指でなぞった文章をゆっくりと読めるほどに覚えがよくて。
地頭がいいんだなぁと感心するばかりだった。
「シスってば、覚えるのが早くてびっくりしちゃう」
「そうですか」
今は少し難しい童話を一人で黙々と読んでいる。
いつもなら私のカップが空になる前におかわりを聞いてくるのに、飲み終えても気づかないくらいの集中力で文字に向き合っている。
隣に座る私が遠慮なくその横顔を覗き込んでも、まったく意に介する様子もなくて。
まじまじと、健康を取り戻したシスベルを観察することができた。
細身なのに捲られた袖から出る腕はがっしりと硬そうで、本を持つ手にはいくつも剣だこが出来ている。色白なのは元々らしく、ティータイムで外に出ているのにむしろ日焼けをしたのは私のほうだった。
前世で見慣れた黒髪はそれよりも深みがある漆黒で、とても綺麗。前髪が長めなので邪魔にならないのかなと手でよけると、通った鼻筋と驚いた瞳がこちらを向いた。
わぁ、シスってまつ毛も長いんだ。
声も少年の見た目に反して低いし、このギャップはなんというか。
「シスって、すごくかっこいいと思う」
将来が楽しみなイケメンである。
つい乗り出して口走ると、中庭に飾られた陶器の置物の一部がパンッと割れた。
「えっ? なんの音……」
それだけでなく、続け様に花のアーチの一部、花壇の石ブロック、そしてワゴンに乗せてあった替えのカップまでが割れた。
突然のことに呆然と割れたものを目で追っていた私は、最後にのけぞっているシスベルに目が止まった。
頰が隠しようのないほど赤らんでいた。
「シス?」
「あ、あんた、そういうことを軽々しく言うなよ!」
「そういうこと? 別に軽々しく言ったわけじゃないけど……」
「は、はぁ? あんた、目がおかしいんじゃないか?」
シスベルは私の隣から勢いよく立ち上がると、すっかり距離を取って離れてしまった。
私はむっとなって言い返す。
「目がおかしいですって? かっこいいと思って何が悪いのよ」
「わ、やめろ! 俺の何がかっこいいって言うんだよ。おかしなこと言うな!」
「おかしくないわ! シスはかっこいいよ!」
「こんな気持ち悪い魔力持ちのどこがだよ!」
シスベルの自分を卑下するその言い草にカチンときた。
私は大きく息を吸うと、少し前に心の内で思ったことを声を大きくしてすべてぶちまけた。
「艶のある黒髪は綺麗だし、色白なのも羨ましい。鼻もすっと通って高いわよね? シスは知らないでしょうけど、本を読んでいる時にその長いまつ毛は影を落としているのよ!」
「な、何言って……」
「教えたことは真剣に学ぶし、体が細いからって毎日鍛錬を欠かさない努力家だし、ここ数ヶ月の間にぐんぐん身長が伸びて私と同じ目線になったし、そんなの傍で見ていれば素敵だって思うじゃない!」
「や、やめ……」
「シスは見た目も中身も、私が出会ったどんな令息達よりもかっこいいよ!」
バンッとこれまでにない大きな爆発音がした。
ガラガラと崩れ落ちる音、水が不規則に飛び散る音。私は恐る恐るそちらを振り返って青ざめた。
中央にあった噴水が見るも無惨に形をなくしていた。
「だからやめろと言ったんだ。せっかく魔力を制御できてたのに……」
これ以上は色づかないというほど真っ赤になったシスベルが、片手で顔を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
理性を取り戻した私もシスベルにぶつけた言葉を思い出して恥ずかしいやら、粉々になった噴水に青ざめるやらで気持ちが落ち着かなく、その場に座り込んだ。
ノーマの、避雷針すら燃やし尽くす勢いの雷は、二人で仲良く受けることとなった。
再度言うが、シスベルは本当に優秀だ。
ノーマの説教後に魔力が暴発した理由を聞くと、感情が揺さぶられたからだと答えた。
感情が揺れると暴発を起こすのは昔かららしく、それが危険なので感情を表に出さず、何をされても心を殺すようにしていたらしい。
すごいと思う反面、そんな言葉で片付けるほど単純な話でもないことだけはわかる。
その真意を知らないその時の私は、ふんわりと表面上の話だけを理解していた。
「ごめんね、シス。あんなことになると思わなくて」
「あんたが謝らないでください。というか、蒸し返さないでください」
「ごめん。でも謝らないとと思って。……その、もう言わないから」
「……いや、もう大丈夫なんで」
なんとも言えない空気が私たちの間に流れる。
恥ずかしさと気まずさ。それと、なんとなく「大丈夫」だと話題を切り上げられた感じ。
恋して告白したわけでもないのに、どこか落ち込んでいる私がいる。
黙り込んだ私に、シスベルはすごく迷って言葉を続けた。
「もう、大丈夫です。暴発させません。…………あんなに褒められたのは、はじめてだったんです。びっくりしたけど、嬉しかったです」
シスベルはまた頰を染めて、気まずそうにそっぽを向いた。
「シスのこと、また褒めてもいい?」
「……はい」
「かっこいいって言ってもいい?」
「いや、それは……いや……慣れます」
「慣れちゃだめよ。喜んでくれないと」
「…………喜んでるよ、ずっと」
ぽろりと漏らされる本音に、私は嬉しさを通り越して感動してしまった。
耳まで赤くして顔を背け続けるシスベルはかっこよくもあり可愛らしく、つい、愛でたい気持ちが私の中で振り切れた。
「シス、大好き!」
抱きつけば、体は細いのによろけることなく私を受け止めてくれる。そして咄嗟に出された手は私の背中に触れず、宙に浮いたままで硬直した。
ポンッと軽い弾ける音がどこからともなく耳に届いた。
「ぐっ……耐えろ、俺……」
シスベルの小さなつぶやき通りに、それ以降は魔力が暴発することは一度たりともなかった。
そうして私たちの月日は過ぎていき、決して良かったとは言えない出会いから一年の頃。
シスベルはすっかり私の身長を通り越し、それに見合った体つきへと変化していた。これだけ育てば見た目と不釣り合いだった低い声もようやく馴染むもの。
誕生日を知らないシスベルにサプライズでパーティーを開くと、ぐっとしかめっ面をして感情が暴走しないように堪えていた。
その姿がまた可愛らしくて、「おめでとう」と頭を撫でれば告げられた年齢が私と一緒だった。
たしかに今の見た目は……と思うものの、その時の衝撃はいつになっても忘れられない。声の低さなんて、個性だと思って疑いもしなかった。
「これからもよろしくね、シスベル」
期限ある平和なこの時間をいつまでもと願いながら、今はストーリーのどの辺りだろうという心配は尽きなかった。