10.行く末はハッピーエンドで
ストーリーはすでに大きく変わってしまったけれど、原作では反乱後の王子は正ヒロインと結ばれて結婚する流れだった。
そのきっかけとなるのが反乱で負った王子の怪我で、だけど結局怪我はなく、つまりはヒロインの恋心が芽生えず王子もそちらを向かなくなってしまい。
あれ、私もしかして大きな道をひとつ潰したんじゃ……?
と不安に駆られていた矢先に王子からティーパーティーに誘われて、約束の機会を設けてもらいヒロインに謝罪することができた。
その後はありがたいことに意気投合し、友人としてのお付き合いをしていた。
ヒロインを無意識に逃してしまった王子はシスベルを扱くことが楽し……忙しいらしく、仕事を終えて帰ってくるシスベルは毎日どろどろに汚れて「あのくそ王子」と暴言を吐いていた。
だけど私に仕えていた時より体を動かす分、やりがいを感じているようだった。
なんだかんだと仲睦まじい様子に、私は王子に感謝をしながら微笑ましく思っていた。
王子にはたくさんお世話になったなぁと、こちらも今ではいい友人関係を築けている。
「夫人、到着しました」
御者に声をかけられ、変わらず私の侍女として仕えてくれるノーマに支えられながらバスケットを持って馬車を降りる。
それぞれに配置される守衛は顔パスで通してくれ、一度も足を止めることなく騎士団の訓練場へと到着した。
訓練用の木剣で激しく打ち合う音が近づくと、休憩中の顔馴染みの騎士達が場所を空けてくれる。
そして、太く通る声でシスベルを呼んでくれた。
私はその間に手に提げたバスケットを騎士達に渡す。中には手軽に食べられるパイを詰めてきていた。
「リーゼ……」
「よそ見をするなシスベル!」
木剣の激しく打ち合う音は、王子とシスベルのものだった。
明らかに私によって気が削がれたシスベルに向かって王子がここぞとばかりに打ち込む。すごく悪い顔をしていて楽しそう。
対してシスベルは私の方をちらちらと見つつも王子の太刀をすべて受け止めていた。
「集中しろ!」
「してる!」
「私を倒さないとリーゼロッテの元へは行かせないぞ!」
「……性格悪りぃんだよ!」
悪役さながらに笑う王子に、今度はシスベルが打ち込む。受け止めた王子の木剣が高く音を立て、勢いのままに王子の手から離れて飛んでいった。
そんな結末を見ることなくシスベルは私の元へと駆け寄ってくる。
「リーゼ!」
上がった息で、滴るほどの汗だく。
私は用意していたタオルでシスベルの顔を包み込んで汗を拭った。
「ごめんなさい、お邪魔だったわね」
「別にいい。それよりどうした? 動いて大丈夫か?」
「大丈夫よ。今日は、あいさつをしておかないとと思って」
「だからってこんな所にこなくても……」
心配事ばかり口にするシスベルの後ろでは木剣を拾ってきた王子がにやにやとしていた。
その視線に気づいた私はあいさつをしようとしたが、シスベルがそれを許さなかった。
「いい。ほっとけ」
「そんなわけには……」
「構わないよ、リーゼロッテ。お前の旦那はいつになっても嫉妬深いな」
くく、と笑いを隠さない王子に、周りの騎士達も便乗してシスベルを揶揄う。
明らかに仏頂面になったシスベルは騎士達をひと睨みし、私の手を取った。
「着替えるから応接室で待ってて」
「殿下にごあいさつをしたらすぐに帰るわ。気にしないで」
「何かあったらどうする」
「ノーマもいるし大丈夫よ」
「それでも……」
食い下がるシスベルに、後ろで控えているノーマがやれやれと呆れて首を振った。
あの無愛想でツンデレなシスベルがこんなにも過保護になるなんて、ノーマはおろか私ですら思ってもみなかった。
今にも抱きかかえられて応接室に連れていかれそうなところで、王子が助け船を出してくれた。
「シスベル、今日はもう帰っていいぞ。だからその前にしっかりシャワーを浴びて汗を流してこい」
「帰っていいなら今すぐ失礼致します」
「シャワーを浴びてこいと言ったんだ。汗臭い男など、いくら愛があってもすぐに嫌われてしまうぞ」
ぐっと黙るシスベル。
私を見る瞳は訴えかけてくるもので、うっかり「そんなことないよ」と言いそうになるのを必死で抑えた。
騎士として、爵位も授かった立場では、どんな時でも人目を気にして身なりを整えなければならない。
「シス、待ってるわ」
当たり障りなく言うと、シスベルは王子をキッと睨んでから走っていった。
「やれやれ。牽制のつもりかな?」
「夫がいつも無礼で申し訳ありません」
「リーゼロッテが謝ることじゃない。公私は弁えた言動と振る舞いをするし、私も楽しいからいいんだ」
公私を弁えた……。
確かにシスベルはそこの所は私に仕えている時もしっかりしていたけれど、なにぶん私の部分が強い印象がある。
現時点で仕えている王子と仲がいいのはともかく、あまりさらけ出していいものではない。
特に、私がたまにこうして登城してきた際にはその気が如実に現れるのだから。
「教育不足で申し訳ありません……」
やっぱり私は頭を下げるのだった。
王子は気にするなと笑い、自ら用意していたタオルで汗を拭った。
「私もシャワーを浴びにいく。応接室を開けるからシスベルが来るまで休んで待つといい」
「ご配慮痛み入ります」
「用意するのはお茶でいいか? 果実を絞った水やチョコレート、飲めるものを教えてくれ」
「お茶で大丈夫です。私にこうでしたら、殿下もずいぶんと過保護になることでしょうね」
「シスベルほどではないな」
ふふ、と私は笑ってしまう。
本当に、プロポーズを受けた日から手のひらを返して甘やかしてくるようになったんだから。
王子の言葉を借りれば、外では威嚇しまくりの野良猫だというのに。私の前では以前にも増して甘えたで甘やかしになってしまった。
「エスコートができなくてすまないな。ノーマ、頼んだぞ」
「かしこまりました」
そうして王子と別れ、用意してくれた応接室のソファに腰を下ろすと私はひと息つく。
淹れたてのお茶は程よい温度なのに香りが薄め。そんな茶葉もあるとは知っていたけれど、まさかここまで気を遣ってもらえるとは。
「ねぇノーマ。やっぱり殿下も過保護になるに違いないわ」
私の肩に薄手のショールを掛けてくれるノーマも穏やかに微笑む。
「元よりお気遣いの上手いお方ですが、本当によく周りを見ていらっしゃいますね。あの方がお妃に望まれる女性は幸せ者です」
「私もそう思う」
そこは私のポジションだったとか、ストーリーが変わってしまったせいでヒロインがそこに収まらなかったとか、複雑な思いはいろいろとあるけれど。
今は公務が忙しいからと縁談話を断り続けている王子は、なんだかんだとシスベルをいじめて日々楽しそうでもある。
「まさか、隣国のあの可愛らしいお姫様もお断りしちゃうなんてね」
「政略結婚は必要のない王子殿下の立場ですから、お気に召す方をゆっくり探されるのでしょう」
「可愛かったのになー。あのお姫様」
「お前も引けを取らぬほど美しいがな、リーゼロッテ」
コンコン、とすでに入室後のノックをしたのは先ほど別れたばかりの王子だ。
髪はまだ濡れているけれど、それでも時間に余裕を持っての登場だった。
「殿下、どうなさいました? お早いのですね」
「私は順番待ちをしなくていいからな」
「順番待ち……」
訓練場にはいくつかのシャワーが備えられているらしく、その利用順は早い者勝ちなのだとか。
騎士になる前のシスベルは自己流で鍛錬をしていたが、それでもやっぱり体格は現役の騎士達には及ばない。
剣を持てばそこそこ渡り合えるシスベルでも、力ではまだまだなのだ。
ちなみに王子は自室にシャワーがあるので、順番待ちとは無縁である。
「美しい友人が私に用があると言っていたじゃないか。いつでも会えるのに、なんのあいさつか気になってな」
「そのためにこちらにいらしてくれたんですか?」
「あぁ。シスベルがいないうちにと思って」
お茶を優雅に一口飲んだ王子はふぅとひと息つく。
シスベルのあのやきもち焼きはすっかり見透かされている。最近は特に警戒心が強くなっていたので、邪魔が入らない今は落ち着いて王子と話ができる。
「いつでも会えるとは嬉しいお言葉ですが、そろそろ私は動けなくなりますので。その事をお知らせしたかったのです」
「そうか。そろそろか」
「えぇ、予定ではあと十日ほどのうちにと」
「早いものだな」
「あっという間のことでした」
「楽しみだな」
お世辞でもなくそう言ってくれる王子は朗らかに目を細めた。その視線の先にある幸せを私は手のひらで優しく撫でる。
「安心して出産に臨め。たとえ黒髪の子供が産まれようと、差別のない時代をその子に約束する」
「ありがたいお言葉です」
不安がないと言っては嘘になるけれど、お腹の子供がどんな髪色だろうと絶対に愛する自信がある。
シスベルとの間に実った子なのだから、愛さないわけがないのだけれど。
それに王子とシスベルが差別をなくすために奔走してくれているのを私はよく知っているから、そこにはなんの不安も感じていなかった。
柔らかくほどける雰囲気に幸せを感じていると、おざなりなノックと共に扉が勢いよく開かれる。
私を見つけたシスベルが気の抜けた顔で口元を緩めた。
「リーゼ、待たせた…………なぜ王子殿下がここに?」
「早かったじゃないか、シスベル」
途端に眉間に皺を寄せるシスベルと、にこにこにこにことわざとらしく人の良さそうな笑みを浮かべる王子。
明らかに遊びのスイッチが入っており、シスベルは普段よりも警戒心を前に出しながら私を真っ直ぐに見ていた。
できるだけ王子を眼中に入れないようにしているらしい。
「帰ろう、リーゼ。ここは身体の毒にしかならない」
「私が毒だとでも言いたげな態度だな」
「立てるか? 面倒な奴の相手をして疲れただろ」
「果たして面倒なのはどちらだろうな」
「何が言いたいんです?」
「嫉妬深い夫を持つリーゼロッテは大変だなと思っただけだ」
ばちばちと一方的にシスベルから火花が飛ぶ。対して王子はそれをひらりとかわし、煽るように勝ち誇って見せた。
「なぁリーゼロッテ。嫌になればいつでも私の元へ来い。妃の座でも新しい夫でも、望むものを用意してやろう」
「なんだと!?」
二人のやりとりはいつも通りにしても、さすがに私はため息を吐いた。
これではあまりにもシスベルが不憫だ。
「殿下。素敵なお誘いではありますが、私がそのお話を受けることは生涯ないでしょう。ここではっきりとお断りさせていただきます」
「なんだ、つれないな」
「殿下から見てどんなに嫉妬深く面倒な男でも、私には可愛い夫ですから。あまり揶揄わないでくださいな」
「可愛い、か」
「可愛らしくて愛しい夫です」
シスベルの手を握りながら言うと、頬を染めたのはシスベルだった。
私達を交互に見る王子は両手を小さくあげて降参した。
「悪かった。もう言わないよ」
「殿下のお気持ちだけ受け取らせていただきますね」
「まぁ、何かあれば相談くらいはしてくれ。愚痴でもなんでも聞こう」
「心強いことです。……では、私達はそろそろお暇させていただきます」
シスベルに手を引いてもらい、重みに耐えて立ち上がる。こんな小さな動作でさえだんだんと不自由で、今がピークなのだ。
ふぅ、と息をつけばシスベルがそっと私の膝裏に腕を回した。
「え、え、シス待っ……」
抵抗する間もなく軽々と抱き上げられてしまった。
結局こうなるのねと、私はシスベルに腕を回した。
「歩けるのに。重いでしょ?」
「重くないけど、俺にもリーゼの苦労を手伝わせて」
「苦労だなんて……急いでシャワーを浴びて私のところに駆けつけてくれるシスの方が大変よ」
漆黒の髪から水滴が滴り、首筋には若干の汗が滲んでいる。
あんなに動いた後で汗が引くのも待たず私のところへ来てくれたシスベルに、胸がじんわりとあたたかくなった。
長めの前髪を後ろに流して撫でつければ、王子にも見劣りしない整った顔立ちが私を見つめている。
「……はぁ、もう。早く帰ろう。二人きりになりたい」
我慢できないと言わんばかりにおでこにキスを落とされた。
王子とノーマがいる前で、シスベルはこういうスキンシップをあまり遠慮してくれない。
「早く帰って休め。あまり無理はさせるなよ」
「王子殿下にご心配いただかなくとも。では、お言葉に甘えて失礼致します」
「またな、リーゼロッテ。無事産まれたら私から伺おう」
「いえ来なくていいです」
ぴしゃりと言い捨ててシスベルは応接室を出てしまった。
シスベルの肩越しに王子を見ると手を振ってくれたので、私も小さく手を振り返す。そんなことすらも必要ないとシスベルは足を早めるので、私は堪えられず笑ってしまう。
「やきもち焼きの可愛い旦那様。あまり私を困らせないで?」
「困ってるのは俺だ。愛しいリーゼを他の男の目に触れさせたくないから、いっそ監禁してやろうかと思うほどだ」
「もう、シスったら。怖いこと言わないで」
回した腕に力を入れてシスベルを引き寄せる。
あいにく唇には届かないので、頬にちゅっと音を立てて口づけた。
「愛してるわ」と囁けば、唇をむずむずとさせたシスベルが抑えて言った。
「…………今日は手加減できないかも」
それがきっかけとなったかはわからないけれど、その三日後にはシスベルによく似た黒髪の女の子が私達の元に誕生した。
元気な産声に反応して屋敷中の花瓶が割れ、そんなところまで似るのねと私は笑ってしまった。
前途多難だと頭を抱えるシスベルは、それでも小さな命の愛らしさに顔を綻ばせて娘を抱っこする。
この世界に転生してよかった。
シスベルに出会うことができてよかった。
出会いはきっと、転生の名の下ではありきたりなものだったと思う。
それでも私にとってはシスベルが唯一無二で、何よりも変え難くて。
いつかシスベルに言った「運命」という言葉を思い出した。
「あの時はそんなつもりじゃなかったのに……」
私とシスベルの出会いが本当に運命だったのなら、行く末はいつまでも隣で、絶対にハッピーエンド以外にはありえない。
腕に抱いた娘が笑ったと驚き喜ぶシスベルを見つめて、私は目を細めてそう思った。
幸せに満ち溢れた私達の未来は、どこまでも夢のように輝き続けている。
これにて完結です。
最後までお読みいただきありがとうございました(*´꒳`*)




