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勇気と無謀の違いは神様も教えてくれなかった  作者: 九条 寓碩
第二章 生命の欠片(かけら)
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いきなりの挫折

 カロリック管区に入って、最初にたどり着いたのはスペクロという町だ。この町は、東西に走る塩街道と南北に走る真鯖街道が交差する位置にあるので、人や物の往来が多く、栄えているようだ。


 町の中央部にある教会――正確には、教会の廃墟――には、十人ほどの人たちが集まっていた。

 僕はいつものように法術を発動させ、守護天使バクティを具現化した。集まった町人の病や怪我を癒した。

 「おおっ」という人々の感嘆の声。感謝いっぱいの表情。しかし時間が経つにつれ、数人がそわそわし始める。「用事も済んだし……そろそろ帰らせてもらっていいのかな?」と迷っている様子だ。


 これまでだったら、こんな雰囲気になる前に、ヨハヌカン先輩が営業を開始する。

 神の守護のありがたさ、地獄の恐ろしさを諄々と説き、免罪符を買うことを勧める。

 けれども、今の僕は一人だ。ロランが僕と行動を共にすることを断ったからだ。

 僕は一人で、目の前のこの人々に対して、教えを説かなくてはならない。


「えーっと、皆さん……」


 僕が口を開くと、全員の視線がさっと僕に集中した。何かものすごく期待されている様子なのがつらい。僕は何と言えばいいのかわからずにいるというのに。


 僕は人前で話すのが苦手だ。緊張しやすいたちなのだ。布教にいちばん必要なのは説法の技術なのに、学生時代、説法の成績は最悪だった。法力の強さだけで卒業できたみたいなものだ。

 ヨハヌカン先輩はどういうことをしゃべっていたっけ? 出だしのせりふは何だっけ? 思い出そうとしても――頭の中は真っ白だ。


「ドヴァラス正教について、少し話をさせてください。ドヴァラス正教というのは、ザンクト・ドヴァラスによって開かれた教えです。ドヴァラスはゾルバドス地方に住む名もない石工でしたが、ある雷の夜に天啓を受け……」


 僕は思いきって話し始めたが、あっという間に、人々の目が泳ぎ始めた。町人たちが、僕を中心にして半円を描くように並んで立っているので、全員の反応がすぐに見て取れるのだ。

 歴史を語るのは良くないかもしれない。僕だって、学生時代いちばん退屈だったのは教史の授業だった。免罪符を売るのが目的なのだから、そういう話にもっていかなくては。

 僕は咳払いをして、


「えーっと。話題を変えます。皆さんが自分のものだと信じているその体は、神からの借り物です。魂は、何度もこの世界に転生を繰り返します。神からまっさらな体を借りてこの世に生まれ、数十年生き、最後には体を神に返して死んでいく。そしてまた、いつかどこかで、新しい体を借りてこの世に生まれ直す。魂はその循環を無限に繰り返すのです」


 これだけのせりふを言い切るのに、ずいぶん長くかかってしまった。つっかえたり、言い直したり、途中で考えたりしなければならなかったからだ。

 町人たちの顔がぼんやりしてきている。ああ、まずい。急いで話を進めなくては。


「人間の魂とは本来純粋で無垢なものですが、生きているうちにどうしても汚れてしまいます。盗みや人殺しなどの悪行だけでなく、人の目をごまかす、嘘をつく、裏切る、意地悪をする。そんな些細な行為でも、積もり重なると、魂を穢すことになるのです。そしてその穢れは、転生しても持ち越されます。人の魂は、数え切れないほどこの世に転生を繰り返しているうちに、少しずつ汚れ、歪んでいきます。汚れた魂を持つ者は、悪い運命をたどり、ますます罪と穢れを重ねていきます……」


「お話し中すみません、使徒様。家で子供が待っておりますので……」

「すみません、ちょっと急ぎますので……」


 ぺこりと頭を下げ、二人の女性が足早に離れていった。残った町人たちも顔を見合わせている。僕はあせった。しかし、途中で話の筋を変えられるほど僕は器用ではない。元の話題を続けるしかなかった。


「……あまりに穢れ過ぎた魂は、転生の循環からこぼれ落ちてしまいます。地獄に落ちるのです。二度と新たに肉体を借りることもできず、魂のまま苦痛に満ちた永遠をさまよわなければなりません。生命あるうちに悔い改めて善行を積めば、地獄行きを逃れることもできます。しかし、汚れてしまった魂が更生できることはほとんどありません。穢れた魂は、もう悪いことしか考えられないからです。悪い発想しかできないのです……」


 町人たちが次から次へと、軽く会釈して、あるいは会釈もなしに、立ち去っていった。


「……そんな魂をてっとり早く救済するための手段が免罪符です。どんな穢れた魂の持ち主でも、免罪符さえ買えば、すぐに救済されます」


 僕がようやく本題にたどり着いたとき。

 教会の中には誰もいなくなっていた。小走りに去っていく最後の町人の背中が見えるだけだった。


 どっと疲れが押し寄せてきた。法術で十人を癒した疲れ、緊張して慣れない説法をした疲れだ。また今日もだめだった(・・・・・・・・・・)。椅子にでも腰を下ろしたいが、廃墟同然の教会の中には、座れそうなものは何も残っていない。


 ぱたぱた、と軽い足音がした。うなだれていた僕は顔を上げた。十歳になるかならないかの男の子が三人、遠慮がちに近づいてくるところだった。今まで大人が大勢いたので中に入ってこられずにいたのだろう。

 子供たちは僕のすぐ前まで来て、好奇心いっぱいの目で僕を見上げた。


「ねえねえ使徒様。どうしてあんな魔法みたいなことができるの? 部屋を森に変えたり、病気の人を治したり……」


 この子たちはどうやら、僕の法術を見ていたらしい。

 僕はひとりでに笑顔になった。興味を持ってもらえたのがうれしかった。たとえ相手が子供でも。できるだけていねいに答えた。


「あれはね、神様の力さ。君たちも天使を見ただろう? 銀色の髪をして、水瓶を持っていた男の人が天使なんだ。天使は神様から力を借りて、この世に不思議を起こすことができるんだよ」

「天使って誰? どこから来たの?」

「天使は人間の魂の一部。誰でも魂の中に天使を一人持ってるんだ。君たちの中にも、天使が一人ずついるんだよ。まだ名前がついていないだけで」


 僕の言葉は子供たちに激しい興奮を引き起こした。顔を見合わせ、さえずるように早口の囁きを交わす。

 一人の子供が目をきらきら輝かせながら僕を見上げた。


「じゃあ僕たちもいつか、あんな魔法が使えるようになるの? 使徒様みたいに?」


 僕は笑いながらうなずいた。


「きちんと勉強すればね。天使を呼び出せるようになるためには、一つ大切なことがある。聞きたいかい?」


 聞きたい、と子供たちが高い声を揃える。僕は話を聞いてもらえる喜びに勇み立ち、熱を込めて説明した。


「君たちは、天使を呼び出すための『力』を身につけなくちゃならない。人間が神様と話をして、神様の力を借りるためには、大変なエネルギーが必要なんだ。そのエネルギーを法力といってね。人によって、生まれ持った法力の量には差があるけど、神様を信じて一生懸命勉強して、『人のために役立ちたい』と願っていれば、どんどん強い力を手に入れることができる。そのために神学校というところに入って勉強するんだよ」


「へーーっ」

と子供たち。ぴんとこない、といった表情だ。


 僕の話はやっぱり退屈なのか。わかりにくいのか。大人相手の時よりは、すらすらしゃべれたと思ったのに。

 落ち込みそうになる気持ちを懸命に奮い立たせ、僕は笑顔を保った。


「難しく考えなくてもいいよ。僕だって、君たちぐらいの年頃は、何も知らない子供だった。……毎日、お父さんやお母さんの手伝いを一生懸命して、友達と仲よくして、そして夜寝る前には神様にお祈りしていればいい。正しい生活は魂の力を強くするからね。そして大きくなったら、教会で『魂の命名』の儀式をしてもらいなさい」




 去っていく子供たちの背中を見送り、僕はうなだれた。

 ひとりでに、重い溜め息が漏れる。

 

 どん底。お先真っ暗。泥沼。

 それが今の僕の心境だ。十八年間生きてきた中で、いちばん低いところまで落ちた気がする。


 夜明けから日没まで毎日がんばっても、免罪符を一枚も売れない。

 正直言って、この先どれだけ努力を続けても、売れそうな気がまったくしない。


 スペクロの町に着いてからというもの、売上ゼロの日がずっと続いている。


 離れて初めて痛感した。ヨハヌカン先輩はすごい人だったんだ。あんなにもやすやすと免罪符を売っていたのだから。

 癒しに専念していた僕は、販売の難しさを知らないままここまで来てしまった。

 先輩と離れることがあらかじめわかっていれば、こつを教えてもらったりして準備もできただろうが。別れはあまりにも突然に訪れた。



 始祖ドヴァラスは、子供向けの教本『若木のための三十節』の中で、「反省と後悔は違う」と述べておられる。

 僕にはその違いがよくわからない。勇気と無謀の違いがよくわからないのと同様に。


 けれども今、僕の胸をよぎるこの感情は、きっと「後悔」というやつなんだろう。


 ミーナを助けに行ったことは間違いではなかった。ゴーダム邸で大暴れしたのも、やむを得ないことだった。

 だがその結果、頼りになるヨハヌカン先輩との同行を解除されてしまったことは、猛烈に悔やまれる。

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