神の道具
日が西に傾き始めた。村人たちが去り、黄色っぽい光に照らし出された礼拝堂には、ヨハヌカン先輩と僕しか残っていなかった。
ヨハヌカン先輩は満足げな表情で、今日の売上金と売れ残った免罪符を整理し、かばんに詰めていた。
「お疲れさま、シグルド。ごらんよ、今日の売上を。一万ファーイラを超えたよ。一日でこんなに売れるなんて、さすがに、豊かな管区は違うねぇ。バンディアステラー管区は帝国で一、二を争う裕福な管区だ。こんな辺境の農村にまで富があふれているんだから、すごいよね」
「先輩。ちょっとお話が」
「しゃくにさわるのは、例のトリスティスも、このバンディアステラー管区配属だってことさ。君も聞いたことあるだろう? ロラン・トリスティス。教団内で最強の法術の使い手といわれてて……免罪符の売上は二年連続ナンバーワンだ、若手のくせに」
聞いたことはなかった。教団内の順位とか評判とかに、僕はあまり興味が持てないのだ。
「ずるいんだよなー。こんな豊かな管区を担当してりゃ、売上成績も良いに決まってる。私だって最近は、売上ランキングの二十位台に手が届きかけてるが……あんな規格外の男に上位に居座られちゃ、いつまでたっても上がれないよ。トリスティスなんか、もっと僻地に配属されればいいんだ。競争は公平でなくちゃ」
「聞いてください、先輩!」
僕が声を張り上げると、先輩は口をつぐんだ。「声が大きいよ、シグルド。君は何事にも、加減というものを知らなさすぎる」とぼやきながら耳穴をほじくる先輩に向かって、僕は老人から聞いた話をすべて伝えた。
僕が話を終えると、ヨハヌカン先輩の顔に悲しげな表情が浮かんだ。
「気の毒な娘さんだ。心が痛いよ。ミーナさんのために神に祈るとしよう」
「…………それだけですか?」
「それだけって。私たちは神の使徒だよ? 神に祈る以外に何があるというんだい?」
ヨハヌカン先輩はきょとんとしている。本気でぴんときていない様子だ。
相手が先輩でなければ、僕はもどかしさのあまり両肩をつかんで揺さぶっていただろう。
「急いで助けに行かなくちゃ! 苦しんでいる人を助けるのが、僕たち使徒の使命のはずです」
「それはそうだけど。私たちの役目は、苦しんでいる魂の救済だよ。人さらいに対処したり、治安を維持したりするのは駐屯兵の仕事だ。少女がさらわれたことを駐屯所に届け出れば……」
「駐屯所に届け出たって、実際に動いてもらえるまで何日もかかります。そんなに待っていられません」
ヨハヌカン先輩は、ふううっと音を立てて息を吐いた。そして白くて薄い手のひらを僕の教服の胸に当てた。金の詰まったかばんより重い物を持ったことのなさそうな、すんなりした手だ。
「信仰を思い出せ、シグルド・エスフェル。君は使徒だろう? 高等神学校を卒業して、こうやって布教の旅をしている身だろう? 信じるんだ、全能なる神を。そして、もたれ切れ」
「はあ」
「もし神が、さらわれた少女を助けようとお決めになったら、神は必要な道具を手配して、それを実現なさるだろう。この世において、神にできない事はないのだから。
もちろん、知っての通り、この世のすべての不幸が回避できるわけではない。不幸は否応なしに襲いかかる。誰を救い、誰を救わないか。すべては神のご意志だ。人間に、神の思惑を推し量ることはできない」
「……はあ」
「だから、祈るんだよ。彼女を助けてくださるように神に祈るんだ。それが私たち使徒の役目だ。万能なる神の慈悲にすがり、救いがもたらされることを願う。私もぜひ、一緒に祈らせてもらうよ。二人で彼女の無事を願おう」
澄んだ瞳を輝かせて見上げてくるヨハヌカン先輩に向かって、僕は「はあ」と三度目の生返事をした。
正直、さらわれた少女のことで頭が一杯で、先輩の言葉はまったく耳に入っていなかった。
「わかりました。じゃあ、僕一人で助けに行ってきます」
僕は駆け出した。
「……って、全然わかってないよね? 待て、シグルド、行っちゃだめだ!」
後ろから先輩の声が追ってきたが、僕は振り向かなかった。