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勇気と無謀の違いは神様も教えてくれなかった  作者: 九条 寓碩
第二章 生命の欠片(かけら)
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実業家登場

 実物のオーランド・ヴォルダは「こざっぱりした」という形容がぴったりの五十歳前後の男だった。髪をきちんと撫でつけ、恰幅のいい体を都会風の洗練された服に包んでいる。色白の顔に、にこやかな笑みを浮かべていた。


「この工房では、人が『命』なのです。すべてを生み出し動かしているのは人間の力ですからな。私は工房で働いてくれている職人に心から感謝しておりますし、職人を大切にしていきたいと思っております。ここでは今、三百二十四人の職人が働いていますが、私はその一人一人と家族同然のつき合いをしておりますよ。本当に、職人たちは私の家族のようなものです。いや、家族以上ですな」


 深い響きをもつ、耳に心地よい声。

 相手が予想通りの善人らしいので、僕はほっとしていた。どこの馬の骨とも知れない若造が何の約束もなく訪ねてきても、いやな顔一つせずに、すぐに会ってくれる。ずいぶん出来た人だ。


 ロランが周囲を見回し、吐き捨てた。


「薄気味悪ぃ工房だな、ここは。まるで死体の安置所だ。しーんとしていて……人の生気が感じられねぇ」


(うわーーっ! 会ったばかりなのに、いきなり悪口かよ!)


「ここで働いていたタクマインさんについて、お話をうかがいたいんですが……」


 僕は必要以上に大声を張り上げた。ロランとヴォルダの間に割り込み、僕の体がロランを完全に隠すようにした。

 ヴォルダはちょっとあっけにとられた顔で僕を見返したが、小刻みにうなずき、僕の質問に答えた。


「タクマインですか。ええ、覚えていますよ。とても腕のいい磨き工でね。うちとしても重宝していたのですが、健康上の理由でどうしても辞めたいと言って、二月ほど前に退職していきました。残念でしたし、意外でした。これと言って健康に問題がありそうな男には見えなかったので……」


 ヴォルダと僕は、工房の中を肩を並べて歩いた。広々とした空間だった。外から見ると三階建てと見える建物の内部は、実際には天井の高い一つの大部屋になっている。たくさんの窓から差し込む日差しのおかげで、室内は明るく快適だ。窯や大鍋、木製の長テーブルなどが整然と配置され、職人たちがてきぱきと作業を進めていた。

 忙しげにガラス瓶を磨いている職人の一人が、親しげにヴォルダに声をかけた。ヴォルダも笑顔で言葉を返した。なごやかな雰囲気が漂っていた。


 ロランは僕らと少し離れて、肩をいからせ、ぶしつけな鋭い視線を工房内の至る所に投げかけながら歩いていた。完全に、聖職者ではなくちんぴらの態度だった。不意に、尖った声で僕らのやり取りに割り込んできた。


「ここでの仕事がきつくて健康を害した、ってことはないのか?」


 また来たな。穏やかな雰囲気を一瞬でぶち壊す、真正面からの暴言だ。

 静かな空間に響いたその声は、ヴォルダにはっきり届いただろう。もう、ごまかすにも無理がある。

 僕は身の縮む思いで首をすくめた。


 ヴォルダは笑顔を崩さなかった。でも周囲の温度がすーっと下がったような気がした。


「……どういうことです?」

「何人もの人間が手分けして一つの製品を仕上げるってことは、誰か一人でもついていけない奴がいれば、全体の作業が止まっちまうってことだ。

 朝から晩まで一瞬も気を抜かず、常に周りに合わせて一定の速さで働き続ける……あんたが職人に求めてるのは要するにそういう事だろ。人間に、自動工具になれと言ってるわけだ。そんなんじゃ体を壊す奴が出るんじゃねえのか? それに、聞いた話じゃ、この工房の窯は決して火を落とさねえんだってな。昼も夜も製造を続けていると。働いてる連中をちゃんと休ませてやってんのか?」


 ヴォルダはしばらく答えなかった。

 どんな憤慨の表情を浮かべているだろう、と思ったが意外にも彼はまだ笑顔だった。ずいぶん失礼な事を言われているのに、気分を害した様子もない。


「……夜も窯の火を落とさずにいるのはね、人より多く働きたいという職人に機会を与えるためですよ。うちでは働いた者にはその分だけ賃金で報いることにしていますので。皆よくやってくれます。無理をしてでも夜中に働くように、私から指示したことは一度もありませんよ」

「その割に、こいつらみんな顔色悪いぜ。墓の下から這い出してきた死人みたいな顔じゃねーか」

「たしかに今はちょっと疲れ気味かもしれません。大口の注文が入って、しばらく忙しかったのでね。でも、休めばすぐ良くなる程度のものですよ。……お疑いでしたら、ここで働く者、誰にでも尋ねてみてください。私に深夜の作業を強制されているのかと。答えは、間違いなく『否』です。誰に訊いてもらってもいい」


 ヴォルダの応対は立派だった。落ち着いていて、堂々としていて、揺らぎがない。まさしく良心に曇りのない人の態度だ。


「ちっ」


 ロランがそっぽを向く。

 ――今、舌打ちしただろ? ちゃんと聞こえたぞ! なんて失礼な奴だ。


 僕はふと周囲を見回した。

 ロランに指摘されるまで気づかなかった、たしかにどの職人も、目のまわりがどす黒く縁取られている。異常なまでに疲れている様子だ。表情だけはやけに朗らかなのだが――。


 ヴォルダは急に足を止め、こちらに向き直った。両腕を大きく広げ、辺り全体を包み込むような仕草をした。


「ご覧ください、使徒様。ここにはまったく新しい形の『労働』があるのです。あなた方がよくご存知の古い形の労働とは違っているので、初めは受け入れがたいのも無理はありませんが。

 人と人とが力を合わせることによって、より大きな結果を生み出す。一足す一が二ではなく十にも百にもなる。それが分業の力。それが効率化というものです。すばらしくありませんか? この工房の成功は、協力というものの尊さを示しています。人の和を尊ぶのは神の御教えにもかなっていると思うのですが、いかがです?」

「ええ……そうですね」


 僕は相手の熱意に押され、あいまいにうなずいた。整頓された工房内で大勢の人間が休まず作業を進めている様子には、たしかにある種の美しさがあるな、と思いながら。


「私は予言します。ここ数年のうちに、このような種類の労働が国じゅうに広まっていくだろうと。なぜならこれは、神にも祝福された仕組みであり、万人に幸福をもたらす仕組みだからです」


 ヴォルダは瞳を輝かせ、夢見る人の熱意をもって語った。

 「進歩」を語るとき、人は往々にしてこういう憑かれたような表情をする。


 進歩について論じるのは僕の意図ではなかったので、話を本題へ戻させてもらうことにした。


「ところで、〈生命の欠片〉というのをご存じですか」


 ヴォルダは夢から現実に引き戻されたという風情で、急にまじめな顔になって僕をみつめた。


「私はアレリーズで薬師をしておりましたから、噂だけは聞いたことがあります。人の生命を燃え上がらせる禁断の薬だと。それが何か?」

「このカロリック大平原で〈生命の欠片〉が手に入るでしょうか? その、つまり……そういう薬を作ったり、売ったりしている人物の話をお聞きになったことはありませんか?」

「それは……もしかすると、タクマインのことと何か関係が?」


 僕は返事につまった。どこまで打ち明けていいのか、とっさに判断できなかった。

 ヴォルダは穏やかに微笑んだ。こちらの動揺を見て取りつつも、それを追及したりせず、その場をなごやかに収めようとする。大人の態度だ。


「聞いたことがありませんな。そもそも本当に存在するのでしょうか、そんな絵空事のような薬が? 私も名前だけは聞いていますが……実際にそれが作られたとか、販売されているとか、そういう話は聞いたことがありませんぞ」


 彼の返事はきっぱりとしていた。





 数刻後。ヴォルダと別れた僕らは工房の中庭に立っていた。


 外からは巨大な直方体に見えた工房の建物だが、実際は中庭を囲むコの字型をしていることがわかった。中庭は咲き乱れる色とりどりの花に埋めつくされ、殺風景ともいえる工房の外見からは想像もできない華やかさだ。

 工房の建物の、コの字の開口部を塞ぐようにして、住み込み職人の宿舎らしい建物とひどく古そうな石造りの建物が一列に並んで建っていた。


 花畑の織りなす明るい色彩の中で、ロランが僕を振り返った。


「ここからは別行動だ。じゃあな」


 今にも遠ざかっていこうとするその姿に、僕は胸騒ぎを覚えた。


「ちょっと待て。何をするつもりだ」

「聞きてぇのか? ちょいと職人連中の住処(すみか)を見てくる。ひょっとするとその辺に〈生命の欠片〉が転がってるかもしれねぇからな」


 ――うん。その返事は、聞きたくなかったな。


 このガラス工房へ来てからのロランの非常識な言動に、僕は、彼を見直す気持ちが霧散するのを感じていた。少しだけ――本当にほんの少しだけ、感心し始めていたのに。免罪符を売るためにあんなに分厚い資料を読み込むなんて、意外とまじめなんだな、と思っていたのに。


「許可なく他人の住居に上がりこむのは泥棒のすることだぞ?」


 僕は腹の底から声を張り上げた。ロランは気にとめた様子もなかった。


「何言ってやがる。神のために行う行為はすべて祝福された行為だ。コソ泥と一緒にすんな」

「コソ泥と一緒だよ。無断侵入してる君を発見した人にとってはね。……まったくもう、いい加減にしてくれよ。泥棒で捕まったらドヴァラス正教の評判がガタ落ちじゃないか。使徒は人から尊敬される人間でなきゃ。神の言葉の代弁者としての品位を……」

「めんどくせえ野郎だな。品位じゃ人は救えねえよ」


 僕は深く息を吸い、力をこめて言葉を吐き出した。


「ヴォルダさんは使用人思いのいい人だ。少なくとも、僕はそう感じた。考え方に多少突飛(とっぴ)なところもあるけど、たぶんそれが『新しい』ってことなんだろう。過去の価値観と違ってるからって、怪しんだり、不当な疑いをかけるべきじゃない」

「てめぇ、まさか、あのおっさんのたわごとを全部真に受けたんじゃねーだろうな? どれだけ甘ちゃんなんだ。言葉なんてのは、キレイであればあるだけ、疑うぐらいでちょうどいい。世の中の半分は嘘でできてんだぞ」

「ああ。僕は甘ちゃんだよ。悪かったな。だけど僕はっ……目の前の人を信じたいんだ」


 僕は自分がだまされやすいお人よしであることは自覚している。昔からずっとそうだったから。でも、僕に神を初めて教えてくれた故郷の村の司祭様は、「人を疑って、損をせずに生きていくより、人を信じて、だまされて損をしながら生きていく方が尊い」とおっしゃってくださった。その言葉は今でも僕の支えとなっているんだ。


 ロランが僕をじっとみつめた。その黒い瞳を、なんとも説明できない、不思議な表情がよぎった。


「じゃあ、とっとと失せろ。足手まといだ。図体のでかいアホがぼーっと突っ立ってたら人目をひくだろーがっ」


 そう言い捨てて、足早に職人宿舎へ向かっていった。

 僕はあっけにとられ、しばらくその場に立ち惚けていた。派手な罵声を浴びせられることを覚悟していたのに、ロランの声音は、彼にしては珍しく静かなものだった。


 もう帰ろう。ヴォルダはタクマインの問題と無関係なのだから、僕がここにいるべき理由はない。それに、ロランの無断侵入が発覚して騒ぎになったとき、こんな所にいて巻き添えを食いたくはない。

 だが――不思議だ。なんとなく立ち去りがたいものを感じる。足が地面に張りついたように動かない。そよ風に揺れている色とりどりの無数の花から目を離せない。何かが心にひっかかっている。それが何かはわからないが。


 突然、僕は、自分の心を悩ませているものの正体を悟った。

 花だ。花が不自然なのだ。


 カロリック管区は緑の少ない不毛の地。特に、管区の大半を占めているこのカロリック大平原は乾燥地帯で、木々を育むのに必要な雨がほとんど降らない土地だ。花畑なんて、この地方に来てから、一度も見かけたことがなかった。


 異常なほど生き生きと咲き乱れているこれらの花は、自然に生えているものではない。たぶんヴォルダが、帝都仕込みの科学技術を使って、人工的に花を咲かせているのだ。本当ならこんな不毛の地で咲くはずのない花までも。けれども――何のために?


 僕はゆっくりと花の中に歩み入った。目に見えないものに導かれるように。

 やっぱり、あった。小さいが、それはすぐに僕の目に飛び込んできた。丸帽子のような形の可憐な花。細長い葉。

 サハの花だ。

 一度発見してしまうと、どうして今まで気づかなかったのかと呆れてしまうほど、たくさんのサハの花が他の花に混じっていた。


 別に驚くには値しないのかもしれない。元は薬師であったヴォルダが、薬効のある植物を庭で育てていても不自然ではない。現にゼフォン博士の屋敷にもサハの花はあったのだから。でもこれを偶然と片づけられるだろうか。


 僕は痛いほどに高まる胸の鼓動を持てあましながら、花畑の中に立って、色彩の乱舞を見回していた。


 僕の目がふと、中庭に面した扉の一つに吸い寄せられた。古い石造りの建物にただ一つ付いている扉だ。それは、不自然なまでに新しかった。真新しい材木の色彩が際立っていた。

 あの扉の向こうには何があるのだろう。それを見ることができれば、いろいろな事が明らかになりそうな気がする。


 僕は緊張しながら石造りの建物に歩み寄った。おそるおそる扉を押してみる。施錠されていないようで、抵抗なく開いた。僕は扉をくぐろうとして身をかがめた――。


 すぐ背後で誰かの激しい息遣いが聞こえた。

 次の瞬間、鈍い衝撃とともに目の前が真っ暗になり、僕は果てしない闇の底へ引きずりこまれていった。

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