04 最期のねがい✧︎
当時13歳だったわたしは、自分以外にも、他者とのズレに苦しみながら生きている人がいることに、大きな衝撃を受けていた。
──仮令、それが小説内の架空の人物であったとしても──大いに励まされたのだ。
だが、古倉さんの物語は、これだけでは終わらない。
コンビニ内で水を得た魚のように働く彼女の姿を、周囲の人間たちはバカにし、覚めた目で見ていたのだ。誰よりも真面目に働いているというのにっ。
古倉さんは大学を卒業しても、就職せず(出来ず)、バイト暮らしを継続していた。
社会との接点は、コンビニバイトと妹だけ──。
そして、彼氏いない歴イコール年齢のアラフォー女性。
普通の人間は18年間もバイトだけで生きている人間を、尊敬することはない。蔑んでいる。
普通の人間は36歳にもなって、恋愛経験のない人間を、どこかバカにしている。下に見ている。
そういうことだった。
この物語は──社会には多様性が大事とか──人それぞれの個性や価値観を大切にしようとか──“みんな違って、みんないい”とか──そんな世の中の建前や綺麗事を──実に鮮やかに皮肉っていた。
この世には、“いい個性”と“ダメな個性”があるのだ。
周囲に迷惑をかけることなく、貧しく穏やかな日々を只々過ごしているだけなのに──世間の“正しさ”は決してそれを許しはしない。
市井人は、“ダメな個性”に介入することが、正義であると寸分の疑いもなく信じているのだ。
それが、どれほど傲慢な行為であるか……彼らはそんなことに思いを馳せることなく、今日も醇乎たる隣人を裁きに掛ける。
この作品は──社会の底辺で裁かれ続ける“歪な人々の生きづらさ”が、実に周到に描かれていた。
わたしは『コンビニ人間』を読んで以降、村田沙耶香(以下、沙耶香様)の小説を、貪るように読み漁った。
次に読んだ小説は、『しろいろの街の、その骨の体温の』だ。
これは……スクールカーストの底辺で生きる女の子の、自己受容の物語。
当時、主人公と齢が同じだったこともあり、わたしはスムーズに作中世界に没頭出来た。
主人公の苦悩が、狂おしいほど心に刺さる。
そんなこんなで、沙耶香様ファンになったわたしは……地球最後の日をコンビニ店員として過ごしたい! そう思ったのだ。
そして……地球最後の日を、普通にバイトをして過ごす……そんなことは勿論思っていない。
コンビニで──コンビニ店員として──。『コンビニ人間』を読む! これがわたしの人生最期の願いだった。