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第3章

    第三章


 家に帰り、すぐに服部さんに、明日、勉強を教えに行くとメールした。僕のせいで成績を落とさせるわけにはいかない。悪夢のダッシュ練習以来、あまり顔を合わせたくないキャプテンもいるかもしれないけど、彼女には世話になったから。

 勉強机で返事を待ちながら、今日の試合で感じたことをノートにまとめる。これは彼女に教わった事で、自分のプレーを振り返るのは大事らしい。

 三十分ほどすると返信が来た。

「ありがとう。じゃあちょっとお願いしようかな。明日帰るの六時くらいになるから、それから夕食までよろしく。うちの場所も送るけど、わからなかったら電話して」

 顔文字・絵文字一切なしのメールに、地図の写真が添付されていた。

「わかった。行かせてもらうよ」

と返信し、自分の小テストの勉強をする。


 次の日はオフだった。午前中に自分の勉強を仕上げてしまい、彼女にどのように教えるかを、ノートを見ながら考える。いい加減なことはできない。

 五時過ぎに出かけた。親には友達に勉強教えに行くと言っておいた。教える相手が女子だとは知らせなかった。うちの子もそんな年になったんだな、みたいに思われるの嫌だし。

 携帯で地図を見ながら、彼女の家を探す。

 表札に「服部」とある、よくありそうな家を見つけた。近くに同じ名前の家があるとは聞いていないので、ここだろう。近づいていってインターホンを鳴らすが、誰も出てこない。五時四十五分。少し早かったか。

 どうしようか迷っていると、左から自転車が走ってきた。チームのウェアを着た服部さんだった。

 彼女は駐車場の奥に自転車を止めて、僕の方に近づいてきた。

「来てくれてありがとう。今日はよろしく」

「ああ、こちらこそ」

「自転車は私のの隣に置いといてくれたらいいよ」

 言われたように隣に自転車を持っていく。服部さんはこちらを見ながら待っているので、急いで止める。それから、彼女に続いて家に上がらせてもらう。

 玄関で、服部さんは振り返って、

「ごめん、ちょっと着替えてくるから待っててくれる?」

と言われたので、待っていた。彼女は階段を上がって行った。

 しばらくすると、服部さんが奥から出てきた。私服見るのは初めてだ。女子の服装はよくわからない。おしゃれには見えたけど。

「じゃあ私の部屋行くからついてきて」

 階段を上がり、彼女に続いて部屋に入る。

 女子の部屋とか入るの初めてだ。予想はしていたが、とてもさっぱりした部屋だった。小学生が使うような学習机があり、それに備え付けの本棚には、教科書と数冊の参考書。机の隣の本棚には、すごい数の、サッカーに関する戦術本や雑誌、サッカー選手著作の本、DVDや、あの著者名は陸上選手だったかな、足が速くなる本というのもある。

 僕が机の方を見ていると、彼女は言う。

「そうそう、私まだ学習机使ってるのよ。買い換えるのもお金もったいないって思ってさ」

 ちょっと恥ずかしそうな口調だった。僕は慌てて弁明する。

「いや、別におかしいとか思ってないよ。そういう人多いんじゃないかな。僕も使ってるし」

 彼女は、

「ふふっ、ありがとう」

とつぶやくように言った。

 部屋にはそこ以外特徴がなく、男子の部屋だと言われても信じていただろう。

 机の前には、丸椅子と学習机の椅子が並べてある。服部さんは丸椅子の方に座って、学習机の椅子を指さした。

「そこかけて」

「ああ。わかった」

 彼女は机の上を片付けている。ペン立ての裏から写真が現れる。服部さんと一人の男子がツーショットで写っている。二人ともサッカーの練習着だった。

「これ誰?」

 反射的に聞いてしまった。

 彼女はいつもと同じ口調で答える。

「ああ、それ彼氏」

 ――うん、まあ予想はしていた。よく考えたら、この人にそういう話がないわけがない。

「僕部屋入って大丈夫だった? 言ってくれてたら他に方法考えてたけど」

「大丈夫。伝えてるから」

 服部さんは真顔で答えた。

 彼氏いるのに他の男子を部屋に入れるもんなのかな。またこの人独特の論理が働いている感じがする。

「そうなんだ。じゃあ勉強始めようか」

と、僕は何事もなかったかのように返す。こういう時、すぐ開き直れるのは僕の長所だろう。

 まあ、そういう関係になれなくても、あれだけ面倒見てくれた恩は返さなきゃならない。

「わからないところあったら聞くから、その辺の本読んでてくれていいよ」

「うん、わかった」

「ほんとに今日はありがとね」

 徹頭徹尾、普段と変わらない態度だった。


 七時になった。僕も精一杯教えたので、なんとか収拾がついた。

 彼女がシャーペンを置く。

「うん、あとは自分でなんとかなりそうだし大丈夫。遅くまでありがとう」

「いや、世話になったし、このくらいはね」

 僕は立ち上がり、荷物をしまった鞄を肩にかける。

「じゃあまた学校で」

と告げて部屋を出ようとすると、彼女は振り向いて、いいことを思いついた、って顔で口を開いた。

「そうそう。土曜に一個言い忘れてたのよ。大庭君、微妙にインサイドのトラップ悪いよ。もっと足のへり使わないと」

「そう?」

「うん。私で良かったら教えるよ。今日は無理だけど、明日でもどう?」

 また迷惑かけることになるかもしれない。だけど、できることは全部しておきたい。

「じゃあ悪いけどよろしく。あ、でも、彼氏の許可はちゃんと取ってね」

「うん、わかってる」

 その後、玄関まで送ってもらい、その日は別れた。

 二連敗か。彼女とかできるのかな。


 翌日の放課後、部室に向かう。グラウンドにはサッカー部員に混じって、見たことのない人いた。練習着でリフティングをしている。それもすごく滑らかで、時には肩まで使っている。 

 ――というか、昨日見たような。誰かの家の写真で。

 部室で着替えを済ますと、すぐにキャプテンから集合の声がかかる。

 部員は円になる。さっきの人も入っていた。キャプテンが口を開く。

「よし、じゃあ練習始めるんで。今日は先生いないけど、気合い入れてこう。それと、ちょっと紹介しときたい人がいて」

といい、例の彼の方を見る。

 彼は低めの声で、

「神田洋人です。一年です。服部先輩とは同中でした。アンフィニ加野川のユース入ってるけど、そっちオフんときは今日みたいに参加させてもらうかもしれないんで、よろしくお願いします」

と言った。

 身長は僕とあまり変わらないが、体格がいい。全国大会に出るようなチームの選手はこんな人ばかりなのではないだろうか。ちなみに、うちのサッカー部は、背は高くても細身の選手も多い。

 あと関係ないけど男の僕から見てもカッコいい。ちょっと濃いといえば濃いけど。

「よし、円なってストレッチいこう」

とキャプテンが呼びかけた。


 ストレッチを終えて、二人一組の基礎練に移る。先生には、ペアは毎回変えるように言われている。いろんな部員の特徴を掴むためらしい。

 迷っていると後ろから声がかかる。

「よお、大庭。やらねえ?」

 振り向くと神田洋人だった。名前を知られていた。理由は一つしか思いつかないけど。

「あ、うん。やろう」

と返すと、神田は近くのボールを足で上げ、僕の方によこす。


 僕が手で出したボールを神田が返すのだが、すごいのはどこに投げても同じ勢いで僕の胸元に返ってくることだ。それに加えて、彼は僕が投げる直前に首を振って左右を見ている。ルックアップの練習だろう。視野の広さってのはサッカーでは大切だから。

 近くで見ると、胸筋がすごいのがわかる。彼は完全に、運動選手の身体だった。

 一通り終えて、僕が練習する番になる。

 やはり、神田のようにはいかず、特に左足を使うときは返球が乱れがちになる。

 三球ほど返すと、

「おいおい、やる前に周り見ないと」

と神田。

 彼がさっきしていたように、ボールが来る前に左右を見るようにする。少しやり辛い。


 投げて蹴り返す練習を終えて、間隔を取ってロングキックをする。

 神田は軽く蹴っているように見えるのだが、全球、ノーバウンドでこちらに蹴ってくる。それもめちゃくちゃ早いので、トラップに苦労した。情けないことに、僕の返すボールは、最低ワンバウンドはするので、彼は時々前に出て、ノーバンのトラップの練習をしているようだ。

 しばらくして、キャプテンから「一対一いこう」と指示が出た。


 一対一の練習は、オフェンスとゴールの間にディフェンスがいて、オフェンスは、ディフェンスを抜くなり、抜かずにスキを見てシュートするなりして点を取る練習である。

 開始早々、オフェンスは神田、ディフェンスは赤崎という組み合わせになる。神田VSサッカー部一年のトップ。これは見もの。

 神田は細かいドリブルを始め、赤崎の少し前で左足でまたぐ。赤崎はつられない。

 右のアウトで赤崎の左後方にボールを出し、自分は左から抜きにかかる。赤崎、ボールは追わずに神田の方を抑えようと身体をあてるが、神田、構わず突破。

 ディフェンスを置き去りにし、シュート。ゴール右隅に決まる。

 今の、メイアルアっていうんだったか。すごいキレだった。


 神田VS僕。正直どうにもならなさそうだけど、できるだけやるしかない。

 来たボールを蹴り返す。スピード差があるから重心は後ろに。神田は少し前にボールを転がし、間髪入れずにノーフェイントで、僕の右を抜きにかかる。

 必死で追う。がこいつ速すぎる。そのまま左足のシュートが決まる。

 一番警戒していたところをやられた。手も足も出なかった。


 その日の練習は神田の独擅場だった。

 Aチームを二つに分けたハーフコートのゲームでは、フォワードで出てハットトリックを達成しただけでなく、恐ろしいスピード・運動量で、前線からボールを追い、相手ディフェンスにプレッシャーをかける。一点はディフェンスで回していたボールを奪ってだ。はっきり言ってキャプテンより格上だろう。

 

 練習後の部室。部員に混じって神田も着替えをしている。

「お前、エグいな。アンフィニってリーグ三部だっけ。お前、そん中でどんくらいなの?」

 隣で着替える赤崎が神田に絡んでいる。

「まあ客観的に見て俺が一番だろな。関トレ俺しかいないし」

 関西トレセン――。レベルが違う。

 着替えを終えて部室を出ようとすると、

「大庭お疲れー」

と、赤崎から声がかかった。

 こいつだけは、僕の能力知ってもこうやって話しかけてくるので、正直戸惑う。

 振り向いて、おう、と返事して部室を出て駐輪場に向かう。辺りには、部活終わりの生徒がいる。

「大庭」

と後ろから声がする。振り向くと神田だった。小走りで僕の隣に来る。

「うちのサッカー部、いい練習してんだな。今日参加して良かったよ」

「ああ、そう」

 彼は一呼吸おいて、彼女がいるのかを反抗期の息子に聞く父親のような口調で尋ねる。

「お前、紗江に練習見てもらってたんだよな」

 下の名前呼び捨て。ということは――。

「ああ、そうだよ。……神田君はあの人の彼氏的な……人なの?」

「まあ」

 間髪入れずに彼は言う。

「あ、別になんか文句ある訳じゃねえから。あいつから聞いてるし」

「本当に良いの? 今日も見てもらうし、嫌なら適当に理由つけて断るけど」

「いや、大丈夫だよ。中学ん時からあいつは自分流貫く奴だから。その辺は俺が一番理解してる」

 僕があの子のこと好きになったことは伝えない方がいいな。

「やっぱりあの人はそういう人とも学校の外じゃ会わないの?」

「ああ、そうだよ。正直、普通の彼氏彼女みたいなこともしたいけどな」

 真顔で言う神田。

 一年の自転車置き場が近づいてきた。

「そうそう、お前、はっきり言って能力低いけど、頑張ってるみたいだし、嫌いじゃないぜ」

 ストレートに思ったこと言うなぁ。言われなくてもわかってるし、嫌な気にはならないけど。

「じゃ、またな。ま、次いつそっち出れるかわからんけど」

 神田は自分の自転車の方に歩いて行った。

 あの子の彼氏は寛容ないい奴だった。


「サイドそんなにプレッシャーないんだから、落ち着いてやればいいのよ」

 夜の公園で、約束通り服部さんと練習する。

 足で書いた線を右に背負った僕は、服部さんからのボールをその線ギリギリに止める。前の試合でも先生に適当に蹴り過ぎって言われたから、コートをめいいっぱい使って、狙い定めて蹴り込めるようにしなきゃいけない。

 彼女は本当に楽しそうだった。この子がやりたい事やって生き生きしていられるのは、理解ある恋人のおかげなんだろう。彼女とどうにかなりたいって気持ちもあるけど、あの子が幸せそうならまあいいか。


 二十分程練習した。

「今日一日で上手くなったよ」

 クールダウンでアキレス腱を伸ばす僕に向かって、片手で身体の横にボールを持った彼女が満足そうに言う。

「そうかな」

「うん、絶対」

 本当に嬉しそうな声だった。

「今日はありがとう。また恩返しするよ。なんか僕にできることあったら言ってきてよ」

「わかった。そのときはよろしく。じゃあね」

 服部さんは帰っていった。

 二人の馴れ初めとか気になったけど、言いたくないかもしれないし、聞くのはやめておいた。

 

 翌日、登校すると、駐輪場に服部さんが自転車に鍵をかけていた。僕に気づくとこっちを見て、

「おはよう」

と声をかけてきてくれた。待ってくれているようなので急ぐ。

 彼女と並んで歩く。しばらくどっちも無言だった。何か話題を。

 昨日ありがとうって言おうと顔を上げると、前方に人がいるのを見つける。神田洋人だった。鞄を片手で肩越しに持ち、こっちを見ている。

 隣で服部さんが片手を上げる。

「おはよ」

「おう、おはよう。大庭も」

「あ、もう知り合いなんだ」

「昨日、こっちの練習出て、そんときに」

「へー。どうだったの?」

 楽しそうに話す二人の隣を歩く。

 ってダメじゃん。空気読まなきゃ。

 僕はしゃがみこみ、全くほどけていない靴紐を直す。

 結び終わり立ち上がる。が、二人とも少し先でこっちを見ながら待っていた。

 どこかの幼馴染カップルもだけど、本当に他の人いるの気にしないんだな。

 そこからは、二人の左後ろを歩いていた。

「克弥先輩足はえーな。五十、何秒なの?」

 神田が問う。克弥っていうのはキャプテンの下の名前だ。

「ちょっと前体育で測ったら、六秒ジャストだったらしいよ」

「あ、俺より速いわ。まあ、三年なったら抜かしてるだろうけど」

 服部さんも足は速いだろうし、僕はあらゆる意味で蚊帳の外だった。「五十メートル? ああ、六秒二」とか、一度言ってみたい。

 二人は手を繋いだりはせずに、微妙に距離を開け、前を向いたまま話しているが、その様子からは仲の良さが伺える。

 嫉妬とかはしない。二人とも好きだし。それと、男女交際面倒くさそうだけど、やっぱりこういう関係は憧れる。

 そのまま三人で校舎に入り、神田とは彼のクラス前で別れた。

 服部さんと二人で二組の教室に入る。すると、席に座っていた金沢さんが立ち上がり、ちょっと怖い表情で近づいてきた。

 服部さんは不思議そうな顔をしながらも、

「おはよう」

と小さめの声で挨拶する。

 金沢さんは表情を変えない。

「うん、おはよう。あのさー、紗江、ちょっと聞いときたいんだけど」

「うん」

「五組の子に聞いたんだけど、紗江さー、昨日、大庭君と会ってたらしいじゃん」

「……まあ」

 僕はそっちのけで会話が進む。

「勉強するって言ってあたしらとは遊ばないのに、それってどうかと思うんだけど」

「……いやちょっとサッカー教えてて。この人、困ってたから」

「ふーん、そうなんだ。でもそれって紗江がする必要あるの? サッカー部の人でいいんじゃない?」

「……」

「もうちょっとあたしらに気使ってくれても良くない?」

 黙り込む服部さん。

 金沢さんの言うこともわかるけど、正しいってわけじゃない。

 そして、服部さんの最大の理解者、神田はここにはいない。柄じゃないけどやるしかないか。

「えーっと、ちょっといいかな」

 金沢さんはこっちを見て、

「何?」

と強い口調で問う。

「この人、普段は時間有効利用したいから、学校の外じゃ誰とも遊ばないけど、誰かが困ってたらその分本気で助けようって思ってるんだよ、多分。別に薄情って訳じゃなくてさ。昨日、ほんと親身になって教えてくれてたし」

 控えめに、思っていることを伝えてみる。二人の視線が集まる。

「だからさ、人の考えは色々ってことで、受け入れてやってくれないかな」

 まだ何か言いたそうな金沢さんは、しばらく僕を見つめてから席に戻って行った。

 服部さんは、こっちは見ないで申し訳なさそうに

「あ、ありがとう」

と呟く。僕は

「いや、別に」

と軽く返事をした。

 久しぶりに委員長っぽいことしたけど、意外とこういうのも悪くない。

 

 それから数日、彼女が金沢さんといるところは見なかった。昼食も別の人と一緒に食べているようで、すっきり仲直りとはいかなかったらしい。

 中学までは、席の近い人同士、机を並べて食べるように言われていたから、高校では、自分で食事中の居場所を見つけなければならない。これは正直面倒くさい。会社とかなら、自分の席で一人で食べてても大丈夫そうだけど、高校でそれをしていたら、友達いない子ってことになるだろう。こういうところで、高校生はまだ子供なんだなって思う。


 総体のちょうど一週間前の昼休み、部員は空き教室に集められた。

 教壇の先生は真剣な表情で話す。

「昨日は出れなくて悪かった。ちょっとこの紙まわしてくれ」

 プリントが回ってくる。そこには総体の登録メンバーと、彼ら一人一人についてのコメントが書かれていた。赤崎の名前もある。

「これからはそのメンバーだけでやる練習も入れていく。一年では赤崎だけ登録している。状況によっては出すので、いつでも出れるようにしておけ」

「はい」

 赤崎は返事をした。

 

 その後、先生は登録メンバー全員について、それぞれに期待することを述べていった。例えば、キャプテンであれば、「チーム全体を引っ張る」というようなことだ。

 話が終わって先生が出ていくと、何人かの部員が赤崎のいる机に集まった。赤崎は、二年の先輩に激励の意味で背中を叩かれたりする。今のあいつは嬉しそうというより、正直、にやけているといった方が適切だった。そりゃ喜ぶだろうな、一年で一人だけベンチ入りできたら。

 キャプテンが赤崎の方に近づいていく。

 彼は熱を帯びた様子で、赤崎の肩に手を置く。

「おう、赤崎、おめでとう」

「ありがとござっす!」

「お前の力必要な時も絶対来るから頼むぜ」

「もちろんっす。任せてくださいよ」

 赤崎は好きだし、頑張ってほしい。けど、キャプテンからあれだけ信頼されていることについては、本当に羨ましい。こいつがこうやって認められているのは、それだけのものを積み上げてきたからなんだけど。

 

 それから一週間の練習は、鬼気迫るものがあった。

 体操と基礎練を終えると、赤崎以外の一年は別メニューの練習を行った。

 ある日には、今は大学生のOBが来て、僕たちの練習のセンタリングシュートでボールを出す役をしてくれた。かなり怖い先輩で、触れたボールを触らなかったりしたら、

「お前らのせいで先輩ら負けるぞ! しっかりやれや!」

と怒鳴られたりもした。

 別の日には、Aチーム対Bチームの紅白戦があった。赤崎はBのセンターバックだった。ちなみに、情けないけど僕は副審。

 彼は、いつもは飄々としており、これまでの試合でも、優しく頼むような口調で指示を出すことが多かった。しかし、このゲームでは違った。

 両サイドバックは二年の先輩だったのだが、試合中は敬語もなくなり、責めるような発言も見られた。それだけ彼も本気ってことだろう。試合中に先輩に遠慮なんかしていたら、統率が取れないし、そっちの方がいいんだけど。

 その日の最後には、トラックを使ったダッシュがあった。部員は数人のグループに分けられ、時間差をつけてスタートした。

 一本目。先生の笛と同時に走り出す。あの日よりは遅れていないが、やはり最下位。

 トラックの三分の二を超えたあたりで、

「ほら頑張れ頑張れ」

というキャプテンの声がして、僕の背中が叩かれる。

 彼は、そのまま僕を追い抜いていった。

 あの子との特訓はたった一週間。そのくらいで劇的に変わる訳ないのもわかっていたけど、やりきれない気分だった。


 総体一回戦前日の放課後。僕は教室を出ようとすると、

「大庭君」

と、後ろから静かな声が聞こえる。振り返ると、服部さんが体の前で鞄を両手で持ち、立っていた。

「明日だね。あ、私は練習で見には行けないけど」

 ――もしかしてこの人。

「わかってるだろうけど、僕はベンチにも入ってないよ」

 彼女は軽く笑みを浮かべた。

「ああ、まあ、ね。そうかもしれないけど、出る人だけが張り切ってたって勝てないのよ」

「うん」

 彼女は優しい表情で続ける。

「兄貴さぁ、県出て上の世界見たいって一年のときから言っててね。冬の選手権は知ってるよね? うち進学校だし、ほんと一部の人しか選手権まで残らないらしいんだけど、兄貴、父さんに総体終わったら勉強に専念しろって言われてるのよ。だからほんとにラストチャンスでさ」

「そうなんだ」

「うん。大庭君、今回は出ないかもしれないけどさ、それでもできることっていくらでもあるから。だから、明日はよろしく」

「うん、言われるまでもないよ」

 僕にはまだうちのチーム一員って意識はない。例のダッシュの日から部員とは距離置いてるし(赤崎はお構いなく話しかけてくるけど)。

 でも、面倒見てくれたこの人のお願いは聞きたいし、頑張っている先輩たちの邪魔はしたくなかった。


 その日は、赤崎以外の一年は本格的に練習していたが、総体のメンバーは鳥かごやシュート練習など、軽めのメニューだったようだ。

 

 翌日の一回戦、会場はうちだった。集合時間の二十分前に行ったのだが、多くの部員がもう来ており、グラウンドでストレッチやキック練習をしていた。

 試合用のコートの準備を終えて少しすると、キャプテンから集合の合図がある。

 まず先生から話を聞く。今日の相手は、弱くはないが決して勝てないことはないらしかった。そしてキャプテンが続ける。

「ついにこの日が来ました。これまでやってきたこと信じて、力出し切れば勝てると思うんで、気合い入れていきましょう」

 彼の眼差しは、かつてないほど鋭いものだった。「よし、ランニングいこう!」

 アップは過去最高の盛り上がりだった。最後のダッシュを終えて部室に戻る。試合開始まで少し時間があったので、僕は部室の近くでリフティングをしていた。すると、

「大庭」

と、名前を呼ばれたので振り向いた。キャプテンだった。

「基礎練したいからボール投げてくれ」

「はいっ」

 僕はできるだけ丁寧にボールを投げる。キャプテンはとてもピリピリしていた。あの日以来、幻滅しているはずの僕を選んだのは、練習相手なんか気になる状況じゃないからだろう。

 しばらく続けていると、キャプテンは、

「おう、サンキュ」

と言い、グラウンドの方へ歩いて行った。

 

 試合の時間になり、両チームのスタメンはタッチライン上に並び、礼をしてグラウンドに入る。センターサークルでの挨拶の後、円陣が組まれ、選手がポジションに着く。

 ホイッスルが鳴り、うちのキックオフで試合開始。フォワードからのボールをボランチが受け、左に展開。ボールを持ったサイドバックは、裏へ走りこむフォワードめがけてロングボールを出すが、敵ディフェンスに奪われ、相手ボール。


 開始十分、決定的なシーンはなく、一進一退の攻防が続いた。

 だが、前半十三分、うちのコーナーキック。キッカーはキャプテン。彼が蹴った浮き球を、相手に競り勝った二年生センターバック、張本先輩が頭で合わせる。ゴール右隅に決まり、1対0。

 ガッツポーズする張本さんにメンバーはかけ寄り、ふざけて頭や身体を叩きまくる。先輩は少し、走り方がぎこちない気もするが。

 

 その後、一点先取して気が緩むようなことはないようで、うちは相手に流れを渡さなかった。

 その十分後、キャプテンが相手の右サイド、ゴールライン際をドリブルで突破し、グラウンダーでセンタリング。マークを外したフォワードがダイレクトで合わせる。2対0。

 そのまま前半終了。選手含む部員はベンチに集まり、先生の話を聞く。

「おう、よくやった。いい形で二点取れたな。誰も怪我とかしてなければ、このままで行く」

 レギュラー陣はみんな、高揚した表情だった。

 キャプテンが、張本さんを見ながら言う。

「張本、お前、あの点取ったコーナーキックの後から微妙に走り方おかしかったけど、大丈夫か?」

 張本さんは決然と、

「大丈夫です。いけます」

と自分に言い聞かせるように断言した。

 先生は少し考え、

「いや、張本は代える。先の試合もあるし、無理する場面ではない」

と言葉を切って赤崎の方を向き、

「赤崎、張本と交代」

と告げた。

 うしっ、って顔の赤崎に、先生は続ける。

「公式戦での成長というのは大きいし、お前は将来の中心選手だから、ここで経験積んでもらう。」

 先生は視線を戻す。

「交代は以上。勝ち方も大事だから、しっかりやって次にはずみがつけられるようにしよう」

 部員一同、はいと返事する。

 

 後半、相手チームのキックオフ。敵の右サイドハーフがライン際を走り、ロングボールがそっちへ出されるが、左サイドバック、頭ではね返す。そのボールを受けたボランチは、プレッシャーのないセンターバック、赤崎に落とす。

 赤崎のファーストタッチ。頑張れ。

 しかし、事件は起こる。右の選手がフリーと判断した赤崎は、身体を開いてそのボールをトラップした。だがボールは浮き、彼の右手に当たり、笛が鳴る。ハンド。

 呆然とする赤崎。緊張しているのだろう、普段の彼、というか経験者ならまずしないミスだった。

「赤崎ー、気にすんなー。次々ー」

 センターサークル近くにいるキャプテンが、口に手を当てて叫ぶ。

 フリーキック。キーパーの指示で壁が作られる。

 敵の七番はゆっくり助走をして、右足を振り抜いた。鋭いボールがゴール左隅へ飛ぶ。キーパー、反応するが届かない。二対一。

 沸き立つ相手ベンチと対照的に、静まり返る僕たち。赤崎は肩を落とし、他のメンバーは深刻そうな表情をしている。キーパーから激励の声が飛ぶ。初の公式戦で、ハンドで自責点は精神的にきついだろう。なんとか立ち直れ。

 

 その後、赤崎は少し落ち着いたようで、ディフェンスでのボール回しは、よく周りが見えていた。

 五分後、うちはボールを細かく繋ぎ、右サイドバックを裏に走らせる。ボランチがそちらにスルーパスを出すが、敵センターバックはスライディングでカット。大きく蹴ったボールがフォワードに渡り、カウンター。

 うちと相手の人数は三対三。赤崎もいる。ここは味方の戻る時間を作るため、敵の攻撃を遅らせなければならない。僕でもわかるそんなことは、あいつはわかっているはず。

 しかし、一点返されて焦っているのか、ボールを持つフォワードをマークする赤崎は、スライディングで突っ込んでしまい、かわされる。他の敵を見ていた味方がそっちをケアするが、敵フォワードは、それを十分引きつけてから裏にパス。それを受けた選手、相手のフォローが来る前にシュート。キーパーの手は届かず、ボールはネットに突き刺さる。二対二。

 沈黙するうちのメンバー。その中で、全速力でボールをゴールから取りに行く人がいた。

「お前らもう負けた気か?」

 ボールをセンターサークルに戻したキャプテンが叫んだ。メンバーは顔を上げる。

「まだ同点だろ? なにふぬけてんだよ!」  

 彼は今度はベンチをにらみ、

「おらベンチッ! 盛り上げろって!」

 びりびりした声にはっとした僕たちは、大声でメンバーを鼓舞し始める。

 これが一つのチームのキャプテン。威厳や風格って言葉がふさわしい。

 

 キャプテンの言葉でチームは立ち直った。

「宮さん、縦切れ!」

 赤崎の声が響く。あいつもあれ以降目立ったミスはなく、冷静になれたようだった。

 両チーム無得点のまま時間が過ぎた。

 

 後半終了間際、敵のクロスを赤崎が右足ではね返す。相手ボランチ、そのボールをショートバウンドでシュート。

 歓声が一瞬止む。キーパー、右手で弾くがボールの勢いは止まらずゴール。二対三。

 味方ベンチを静寂が包む。

 うちのフォワードは急いでボールを戻し、キックオフするが、トップ下にボールを出してすぐホイッスルが鳴る。試合終了。僕たちの高校は、一回戦敗退が決定した。

 明るい表情の相手選手。一方、うちの選手たちはうなだれている。

 センターサークルでの握手の後、彼らはベンチ前に来る。

「気をつけ! 礼!」

 キャプテンの涙声が響く。

「ありがとうございました!」

 選手たちは大声で叫んだ。明らかに無理をしている様子だった。

 僕たちは全力で拍手する。それが弱まると、先生は頭を下げる。

「張本を代えたのは采配ミスだったかもしれん。すまなかった」

 何も言えない僕たち。頭を上げた先生はさらに続ける。涙目だった。

「今から全員でダウンして、終わったら集合してくれ」

 先生は去っていった。僕たちはその後、グラウンドに入り、円になってストレッチを行う。正面にいた赤崎の赤い目と、鼻をすする音が印象的だった。

 

 ダウンを終えて、先生のところに集まる。勝たせてやれなくて申し訳ない、明日から新チームで頑張っていこう、ということだった。

 その後、三年生は全員、前に出て、一人一人話をした。喋っている途中で泣き出す人もいた。

 最後、キャプテンの番になる。目は既に真っ赤だった。

「キャプテン任されてから、俺なりにいろいろ考えて、必死でチーム引っ張ってきました。総体はこういう結果に終わってしまったけど、自分のやってきたことに悔いはないし、このメンバーでサッカーできて良かったです」

 涙を拭い、息を吸いこんで続ける。

「俺は選手権残れないけど、俺なんかいなくても大丈夫だと思うんで、上目指して頑張って下さい。以上です」

 拍手が起こる。

 そのまま、一、二年は一列になり、三年生と握手していった。僕の前にいる赤崎がキャプテンと話している。  

 赤崎はまだ泣いており、声が震えていた。

「ほんとすいませんでした……、僕のせいで……」

 キャプテンは優しい表情で答える。

「泣くなって。だーれもお前のこと恨んでないから。最後の方、落ち着いてやれてたし、いい経験なっただろ?」

「……」

「これからうち引っ張んのお前だから、自信持ってやってけ。な?」

「……はい」

 二人は固い握手を交わした。僕の番になる。

 総体直前も走りでふがいないところ見せたし、この人にとって、僕は最後までヘタレだった。お世話にはなったしお礼はしたいけど、複雑な気持ちだ。

 僕は、控えめな声で、

「今までありがとうございました」

とつぶやいた。

 キャプテンは不敵に笑った。

「おう、大庭。お前が人の妹とこそこそやってたのは知ってるぞ」

「――知ってたんですか」

 部員には知られたくなかったんだけど。

 キャプテンは僕の返事を待たずに続ける。

「運動能力ってこと考えると、お前はサッカー向いてないのかもしれん。けど、紗江のスパルタに根を上げずついていけるお前は、やっぱりうちには必要な奴だと思う」

「はい」

「お前にしかできないことは絶対あるから、頑張れ。雑音は気にすんな」

 軽く笑ったまま、キャプテンは僕の肩を叩く。

「ありがとうございます。頑張ります」

 今度は彼の目を見て返事した。

 この人はちゃんと僕を見てくれていた。中学では一度も持てなかったチーム意識が、この瞬間、僕の中で芽生えた。

 三年生はみんな、引退ということについて胸に迫るものがあるようで、解散の後もしばらく帰る人はおらず、後輩と話たりしていた。

 うちの代も、全員がこんな風に引退できたらいいだろうな。


 次の日の一限後の休み時間、机の上を片付けていると、

「大庭君」

と声がかかる。振り返ると、服部さんが少し後ろから僕の方を見ていた。その顔は、今にも泣き出しそうにも見えた。

 僕はいたたまれなくなり、先に口を開く。

「いい試合だったんだけどな」

「……うん」

 珍しく言葉少なだった。

「キャプテンと最後に挨拶して、そのときに、お前にしかできないことがあるって言われたから、これからそれ意識して頑張るよ」

 彼女の表情が真面目なものに変わる。

「本気でサッカーやってると、上手い下手関係なく辛いことはあるんだけど、兄貴は、少なくともこのチーム内では一番能力は高かった。だからみんなに認められてた。でも、君にはそこまでの能力はない。それ考えると、これからは今まで以上にしんどい目見ることになるよ」

 一息おいて続ける。

「そのしんどさってのは身体的なことだけじゃなくて、例えば来年、後輩できて、普段は敬語なのに、試合中にタメ口でボロクソ言われたりね。下手な先輩の地位ってどうしても低くなるからさ」

 それは中学で経験済み。あれはきつい。

「それでも君は頑張れる?」

「うん」

 僕の返答に、服部さんは表情を緩めた。

「なら応援するし、できる範囲でなら協力もするよ」

「ああ、ありがとう」

 茨の道ってのはわかってる。でもやるんだ。


 その日の昼休み、サッカー部は一年生教室を一つ借りて、学年のリーダーを決めた。多数決の結果、ほぼ全員が赤崎の名前が出たときに手を挙げた。

 その手が降りると、赤崎は、誰にも言われないのに立ち上がり、教壇に立つ。目が座っている。

「はい、昨日の総体は俺のせいで負けました。キャプテンは恨んでないって言ってくれたけど、俺すっごい後悔してて、一個上にはぜっっったいあんな思いさせたくない訳で。自分自身振り返ると、俺には一年のディフェンスリーダーって自覚がなくて、ふわふわしてたと思う。これからは覇気? みたいなもん出せるように、ガンガン言いたいこと言ってくんで、しんどいだろうけどついてきて下さい! 」

 有無を言わせない口調だった。

「えー、今から俺の感じてる一年の課題みたいなもん一人一人言ってくから」

 赤崎は、教室の左隅に座る僕の目を見て真顔で言い放つ。

「まずは大庭。お前走れなさすぎ。なんとかしろ」

「ああ、わかってる」

 真顔で返す。

「次、上坂、お前は声をだな……」

 赤崎は一年全員について述べていった。こいつも昨日一日で色々考えたのだろう。頑張る理由が一つ増えた。

 

 その日から数日、二年生を新キャプテンに据えて練習があった。メニューはポストシュートや一対一、ミニゲームなどだった。みんな真剣にはやっていたが、総体前の練習と比べるとテンションが低い。新キャプテンは真面目な人だけど、正直、カリスマ性では服部先輩に劣る。だから、これまでより部員一人一人がしっかりしなければならない。赤崎もそのあたりは感じているようで、一人、総体前の気迫を維持していた。やっぱりこいつは見習わないと。

 

 テスト三日前になり、学校全体で部活が休みになった。ただ、うちの部は体力を落とさないように、校舎周りをランニングしてから帰る人が多いようだった。僕なんかが何もせず、テスト後の練習に臨むのは自殺行為なので、放課後は当然、部室へ向かう。

 部室には、赤崎含む十人くらいの部員がいた。

 赤崎は、椅子に座って靴紐を結びながらこっちを見た。

「おー、来たか大庭。一年は合同でトレーニングするけど、お前もやる?」

「ああ、やるよ」

「よし、じゃあ着替えて昇降口な」

 靴紐を結び終えた赤崎は、部員から出て行った。

 

 その後、着替えてから、一年五人で校舎周りのダッシュをした。

「最後スパート!」

 歩いて息を整えていた一年生たちが、最下位の僕に発破をかける。

 あれ以来、赤崎以外の一年とはまともに話していなかった。でも、彼らも僕を受け入れてくれていた。やっぱり、一緒に頑張る仲間ってのはいい。


「やっと終わったな。次は体育祭か。まあ、俺は関係ないけど」

 金曜、中間試験最終日、午後からは授業があり、昼休み、僕は恭平と弁当を食べる。最近はもう二人と合計四人で食べているけど、今日は食堂みたいだった。友達グループ作ってそこに引きこもるのも、周りから浮きたくなくて必死みたいでちょっと嫌なんだけど。

 うちの高校には六月下旬に体育祭がある。全学年の全クラスを学年の偏りがないように、赤、青、黄、緑の四団に分けて、色んな競技で得点を競う。どの学年も八クラスあるので、各学年二クラス、合計六クラスで一つの団が作られることになる。中学までの運動会との最大の違いは、応援合戦というプログラムでダンスをするところで、振り付けは三年生の団長を中心とした団の幹部によって考案され、放課後の時間で練習するらしかった。ちなみに、うちのクラスは赤団。

「え、なんで? 体育祭、全員参加って聞いたけど」

「ああ、言ってなかったか。うちの部、その日の二日後定演あってさ、体育祭当日はリハで公欠するんだ。だからしても意味ないし、ダンスの練習も休むんだよ」

「そうなんだ。でも羨ましいよ。ペア決めとかめんどくさそうだし」

 少し前の朝のホームルームで、担任の先生から体育祭についての説明があった。それによると、ダンスには男女で踊るのもあり、そのペアを勝手に組んだら色々問題があるので、事前に決めるなと言われた。でも、周りの話を聞いていると、好きなもの同士で組むのが慣例みたいだ。先生も、世間の目とか気にして表向きそうやって言っているだけで、本気で禁止する気はないんだろう。違反の摘発方法なんかいくらでもあるし。

 恭平は箸を止めてつぶやく。

「まあ色々考えろよ。それと定演、できたら見に来てくれ。入場料タダだし」

 恭平が鞄からプリントを出した。僕はそれを受け取る。

「うん、わかった」

 教室を見渡す。どことなくみんな浮ついた雰囲気だった。テスト後の解放感もあるだろうけど。

 ペアか、どうしよう。組んだら何か面倒くさいことになって、後悔しそうな気がするけど、組まなけりゃそんなことないだろうし、余るでいいか。一緒に踊ろうって言って断られたら、立ち直れそうにないし。

 まして、服部さんを誘うなんてことは絶対にない。あの人の相手は決まっている。赤団所属は一年ではうちと六組、神田がいるクラスだ。別の団だったとしても誘わないけど。あの二人の仲に割って入る気はないから。

 

 六時間目、ロングホームルームの時間を使って、体育祭の開団式があった。各団毎に場所が違い、赤団は武道場。先生はいなくて、吹奏楽部は教室で自習らしかった。

 クラス毎に座って、始まるのを待つ。しかし本当にみんなよく喋る。そんなに楽しみかな、体育祭。

 しばらくすると、十人くらいの男女が前に出てきた。

「はい、注目。今から開団式を始めます」

 茶髪で短髪の、さわやかな感じの男子生徒が話し始めた。

「まず幹部の自己紹介からいきます。まず俺だけど、俺は団長の佐々木佑輔っていいます。せっかく団長やるんで、みんなの思い出に残る、最高の体育祭にしたいと思うんで、これからよろしく」

 そこそこ大きな拍手が起こる。この人、女子から人気あるだろうな。

 その後、幹部全員から挨拶があった。チャラくはないけど、リア充っぽい感じ。僕には幹部とか絶対務まらないだろう。

 最後の人への拍手が止んで、団長が再び口を開いた。

「はい、幹部はこんな感じなんで、一緒に頑張っていきましょう。次、競技の説明いきます。うちの体育祭で得点入る競技は、男女混合リレー、PTA会長杯リレー、大縄とび、玉入れ、創作ダンスに加えて、男子は侍リレーっていう男子だけのリレーと騎馬戦、女子はなでしこリレーっていう女子だけのリレーと綱引きです。で、これからそのメンバー決めてこうと思います。じゃ早速、ダンスから」

 団長はここで一息置いて、軽く申し訳なさそうな表情を浮かべて、

「えー、ペア決まってる人手挙げてください」

 一斉に手が上がる。僕以外、全員上げてるんじゃ。――なるほど、みんなテスト中から動き出してるんだ。まあ、そんな気がしたけど。

「組んでない人は組んでない人の中で決めるんで」

と団長。

 全ペア解体して、くじ引きとかで決めたらいい気もするけど。

 みんなの手が下がる。団長は無表情だった。理屈に合わないことをしていることがわかっているのだろう、先の声も控えめだった。

 がやがやしている中、どうしようか迷っていると、前の方で誰かが、手を上げた。

「あの先生組むなって言ったと思うんですけど、なんでみんな組んでるんですか?」

 武道場全員の注目が集まる。場所的に一年六組の男子だろう。イヤミなのか、真剣に疑問に思っているのかはわからない。

 面倒臭そうな顔の団長。

「いや、先生はああ言ってるけど、うちの高校勝手に組むのが慣例だから。君も今から組んだらいいよ」

「ですけど……」

 まだ何か言いたそうな彼を、その後ろの生徒が肩を掴んで止めた。

 気を取り直した様子の団長は、視線をこちらに向ける。

「はい、じゃあ組んでる人は俺から見て武道場の左半分、組んでない人は右半分に集まってください」

 みんなわらわらと動き出す。ほとんどの人が僕とは逆に動く。その中に、神田の姿も見えた。

 移動が終わる。武道場の反対側には楽しそうな顔が並んでいる。自分で選んだとはいえ、ほんときつい。さっきの彼以外、組んでない奴いるのかな。気になって後ろを振り向くと、意外な人がいた。

 服部さんだった。その表情は固い。女子は一人で、あとはさっきの彼と、もう一人、浮かない顔の男子だけだった。つまり一組は男子ペアってことになる。

 団長は僕たちを見て、

「えーっと、話し合ってペア決めちゃってください」

と、やや控えめに言う。

「グッパで決めようか」

 早く解放されたい僕は、小声で告げる。三人とも異論は無いようだ。

 一回目、僕と服部さんはパー、他二人はグーを出す。ペア決定。その瞬間、何も考えずに彼女を見ると、彼女は薄く笑って、

「よろしくね、大庭君」

と小声で言った。僕は、

「君ら、男子ペアでいいの?」

と残り二人の方を見て尋ねる。

「ああ、別に」

 さっき、団長を問い詰めていた人が真面目な顔で答える。もう一人は黙り込んでいる。まあいいのかな。

「うん、じゃよろしく」

 僕は服部さんを見て小さく返事をした。

 この人ならペア選び放題だろうに、なんでこんなことになっているんだろう。

 

 その後、他の競技のメンバーを決めた。リレーは必要な人数が多くて、鈍足の僕まで運動部ってことで男女混合に出ることになった。他は大縄とびと玉入れ。騎馬戦は、小学生のときに女子に瞬殺されたトラウマがあるので、当然スルー。

 メンバー決めが終わり、初めのクラス毎の並び方に戻って座った。団長は笑顔で、

「はい、今日はこれで終わりです。明日から毎日、五時まで練習あって、三年の指導役が各クラスでダンス教えるんで、これから頑張りましょう! 解散!」

と言った。

 出口を目指す人だかりができて、僕もそこに加わり、階段を降りる。

 一階の踊り場を抜けて食堂を出たところで、持ってきた筆箱を忘れたのに気づいた。

 踊り場の端まで戻ると、聞いたことのある声が聞こえた。

「大庭と組んでほしくなくて言ってるんじゃねえよ。体育祭学内だし、お前のルールに反してないじゃん」

「……うん、そうなんだけど」

 踊り場の真ん中に、うつむく服部さんと悲しげな顔の神田がいた。

 聞こえてしまった。見なかったことにして教室戻ろうか。

「あのさぁ、せめて俺と組みたくない理由教えてくれよ。俺ら一緒にどっか行ったりしてねえじゃん。俺、紗江と色々思い出作りたいんだよ」

 服部さんは、それを聞いてもしばらくうつむいたままだったが、やがて意を決した様子でつぶやいた。

「……あのね、特に理由があるわけじゃないの。ただ、自分の希望通して誰かにしわ寄せいくのがなんとなく嫌なのよ」

 神田は軽く苛立ちを覚えたみたいだ。

「言ってることわかるけどな、道路とかの譲り合いみたいなもんだって。自転車乗ってて、交差点で車に道譲ってもらうことあるじゃん。紗江だって、いっつも譲ってる訳じゃないだろ?」

「――うん」

「だから、今回はその譲ってもらう番ってことでいいじゃねえか。紗江と組めないんなら、せっかく誘ってくれたしクラスの子と踊るけど、どっちにしても俺、体育祭で我を通した分はどっかで埋め合わせする気だよ」

 黙り込む服部さん。自分の友達二人の仲違いは見たいもんじゃない。どっちが正しい訳じゃないけど、妥協案でも提案してみるか。無関係じゃないし。

 踊り場の中央へ歩いて行きながら、

「えーっと、立ち聞きしててごめんなんだけど、ちょっといい? 」

と下手に出てみる。二人が同時にこっちを見た。

「おう、大庭」

と軽く驚いた声色の神田。聞いていたこと怒ってはいないようだ。

 二人の少し手前で立ち止まり、再び口を開く。

「僕は別にペアにこだわりないし、服部さんがいいんなら、今からでも君ら二人組んだらいいと思う。神田君の言うこともわかるしさ」

 二人は身動きせずに聞いている。僕は神田の方を見た。

「まあでも、こうやって周りに気使えるのはこの人のいいところだし、受け入れてやるのもありかとは思うよ」

 神田は悩んでいる様子。しばらくみんな無言。

 首つっこまない方が良かったのかと後悔し始めていると、真顔の服部さんが静かな声で沈黙を破る。

「うん、二人でもう少し話し合ってみるよ。ありがとね」

「ああ、いや、まあ」

 僕は彼女の雰囲気に気後れしながら返事した。ここで立ち去るべきなんだろう。

「武道場に忘れ物して取りに戻ろうとしてたから」

と、聞かれてないのに言いながら、僕は階段の方へ歩いて行った。

 また調子に乗って委員長みたいなことしてしまった。お節介だったかもしれない。

 

 金土日と、部活は練習で、練習後の部室は、体育祭の話題で持ち切りだった。赤崎も部活後はリラックスしており、部員みんなに、ペア相手の女子の自慢話をしていた。


 休み明けの放課後、教室の机と椅子を後ろにみんなで運んで、ダンスの練習スペースを作る。初めは男女別で練習して、ペアでするのは、ある程度踊れるようになってからみたいだ。

 自分の机を運んでいると、

「大庭君」

と後ろから声が聞こえる。

 机を持ったまま振り返ると、服部さんが同じように机を運んでいた。

「洋人と話し合ったんだけど、私達、組まないことにしたの。あ、私達ってのは、私と洋人のことね」

 机を置いた僕は、完全に彼女の方を向いて答える。

「そうなんだ。神田君、ちゃんと納得してくれたんだね。良かったよ」

 服部さんは机を置きもせずにその場に固まり、

「うん、だからよろしく」

と言った。

 神田と和解できたのに、なんでこんなに寂しげに話すんだろう。尋ねようか迷ったけど、聞いていいかわからないのでやめておいた。

「――ああ、よろしく」

 彼女は机を運んで着替えを持ち、教室を出て行った。

 場所の準備を終えて、教室内で着替えたうちのクラスの男子は、踊れるように広がった。僕たちのグループの指導役の三年生は、坊主頭の男子生徒と、活発そうな短髪の女子生徒だった。

「はい、じゃあ今から私らで、一回通しで踊るから見ててね」

 女子の方が僕たちの方に背を向けて、CDプレイヤーを操作しながら言う。

 セットが終わったようで、二人は少し間隔を開けて手を後ろに組み、下を向いた。

 音楽が鳴り始める。それと同時に二人は前を向き、互いの方に手を出して握った。

 音楽の雰囲気が変わって、彼らは手を繋いだまま、両足を交互に浮かせて斜め前に出した。みんなでスクワットするときにやる動きだ。

 曲は、一昔前に流行ったアイドルグループのもので、歌詞には「愛」とか「恋人」みたいな単語が多い。小学生の時に、よくあちこちで聞いた。

 指導役の二人は終始笑顔で踊り続けた。時々かけ声も入る。ダンスの方は、健全な進学校の青春ダンスって感じで、接触っていっても、手を繋ぐとか腕を組むとかくらいのものだった。

 先生はダンスにはノータッチらしいので、これは団の幹部が考えたんだろう。時間もかかっただろうし、団員のために頑張っているのはよくわかる。もう少し、ペア決めの方法も考えてくれたらいいと思うけど。

 でもこれ、なんの気兼ねもなく好きな人とできたらいいだろうな。体育祭、みんな楽しみにするわけだ。

 

 腕を使ってペアでハートを作るのが、最後の振り付けみたいだった。

 ――いや、僕もあまり気が乗らないけど、これ絶対あの子やりたがらないだろ。

 男の方の指導役はハートを解いて、

「はい、これがペアで踊るやつです。ダンス全体の流れとしては、入場して男女別々で踊って、隊形変えてから今のやって、それで最後、団長の周りに集まって締めってのをやります。だから他にも色々練習しなきゃならないけど、まずは今の覚えてもらうんで。じゃあ踊れるよう広がって」

と言った。

 僕たちはできるだけ広がった。一部の人は廊下に出ていた。

 指導役の女子の方が口を開く。

「よし、それじゃ最初の振り付け今から練習します。まずは……」

 あのペア決めでやる気なくなったけど、服部さんに迷惑かけるわけにはいかないし、頑張るか。一部の人に嫌な思いさせるくらいなら、勉強とか部活とか、生徒には他のことに専念させた方がいい気もするけど。


「ほら大庭君、表情固いよ?。ダンスは雰囲気も大事だからさ、笑顔笑顔」

 必死でダンスする僕を見て、女子指導役がにこやかに声をかけた。一時間が経ち、僕たちは復習として、今日教わったところを踊っていた。

 練習は和やかな雰囲気で、喋ったりする人もいたけど、注意はされなかった。指導役二人は、僕たちと仲良くなろうとしているみたいで、今みたいに、朗らかに話しかけてきてくれたりした。

 まだ最初の振り付けだけで、それも難しくはないので、間違えたりはしないけど、どうもこのノリについていけない。

 教わったところまで曲が終わり、男子指導役はCDプレイヤーを止める。

「はい、今日の練習はこれで終わりです」

 彼は外を見て、

「ちょうど団長も来てるみたいだし、今から締めやります。練習終わりと、あと本番でも最後にやるんで、覚えてください。あとは団長よろしくー」

と言った。

 教室に入ってきた団長は、一緒にいた男の幹部に肩車された。

「幹部だけでするから見といてくれな。そんな難しくないから。じゃあ行きます」

と団長。

 幹部と指導役は手を繋いで輪になり、団長を囲んだ。それを確認した団長が口を開く。

「せーの」

「「♪あーかだん、あーかだん、さーいーきょーう、あーかだん♪……」」

 幹部たちは両足ジャンプで団長の周りを回り始めた。

 幹部たちは右手を天に上げて叫んだ。

「「優勝するのは赤団!」」

 手が降ろされる。団長は笑顔で僕たちを見て、

「よし、じゃあやってみよか!」

と言った。

 その後、締めは一発OKで、団長たちは帰った後、僕たちは机を戻した。時間は短いけど部活はある。僕はいそいで部室に向かった。


「みんなダンスのノリのまま部活やんのはやめよーな」

 先頭にいる赤崎は振り返り、三列に並んだ部員に向かって、呼びかけるように言った。

 今日は時間も短いので、みんな校舎の周りを走った後で、筋トレをするらしかった。

 走り終えた僕たちは、体育館の前で手押し車やスクワットをした。

 七月頭には一年生大会もあるため、一年はもちろんのこと、二年生も真剣な様子だった。体育祭のダンスもこういう雰囲気でしたら、時間割く意味もあるんじゃないだろうか。


 その日から体育祭の練習は毎日あった。ダンスの練習は、ペアのを完璧にしてから、男女別のに取りかかるようだった。

 七日目から男女混ざって、ペアのダンスの練習が始まった。僕たちのペアはうちの教室でだった。

 更衣室で着替えを済ませた女子が教室に入ってくる。金沢さんもいた。楽しそうに六組の子と喋っている。あれから、服部さんとは和解できたんだろうか。

 僕たちが、ペア毎に並び終わったのを見て、女子指導役が口を開く。

「はーい、今日からお待ちかねのペア練です。頑張っていきましょう」

 僕はちらっと右の服部さんを見た。真面目な表情っていえばそうなのかもしれないが、どこかアンニュイな感じもする。それと、やっぱりこの子、体操服着てると、見目麗しいスポーツ少女って感じ。正直ちょっと緊張している。

 男子指導役は、僕たちに背を向けてプレイヤーをいじりながら、

「まあとりあえず一回通してみるか」

と言った。僕たちは後ろに手を組んで俯く。

「よし、再生」

 音楽が鳴り始めた。教わった通り、ペアの手を握る

 音楽は進む。男子の方が跪いて、女子に両手で何かを渡すような振り付けの時、服部さんの表情が目に入る。今度は明らかに暗い。

 周りの人たちは、かけ声のところでは、かなりはっちゃけた感じだった。僕もこれまでで、少しみんなのノリについていくようになっていたけど、ペアがこの様子じゃ、そんな気にはなれない。

 曲が鳴り終わると、女子指導役が興奮気味に拍手しながら、

「いや、上手い上手い。もっと踊れないかと思ってた。これは優勝間違いないね」

と僕たちを褒めた。

 他の人は踊りの確認をしたり、ペアと話したりしている。

「なんか暗いよね」

 ちょっと迷ったけど指摘してみる。

 服部さんはハッとしたようで、慌てて答えた。

「ああ、ごめんね。ちょっと昨日、コーチに怒られてさ。心配してくれてありがとう」

 神田関係じゃなかったのか。でも、元気ないのは見てられない。

 よし、キャラじゃないけどやってみるか。神田もこのくらいは許してくれるだろ。

「うちの部の赤崎って知ってる?」

 声の調子を変えて尋ねてみる。

「うん、一応誰かはわかるよ」

と、不思議そうな声で返事が来る。

「あいつ、入学から気になってた子とペア組めたらしくてさ、一人で踊るときは超適当なのに、その子と踊るときだけ、すっごい溌剌としてるらしいよ」

 ――あ、ちょっと笑った。

「あの人、そういう感じなんだ。もっと硬派ってイメージあったよ。雰囲気的に」

「ま、あいつも必死なんだろ」

 少しは元気になったかな。

 笑顔の服部さんの向こうで、二つ隣にいるペアの金沢さんが顔をこっちから背けたのが目に入った。僕たちを見ていたのか?

 男子指導役が手を叩きながら、

「はい、じゃあお喋りストーップ。細かいとこ直してくんで、頑張りましょう」

と言うので、僕は前を向いた。

 やっぱりこの人は笑ってる方がいい。絶対。

 

 一緒に踊る中で、僕が彼女に話をふるのは、赤崎の話で笑わせた時だけにしようと思った。彼氏の神田に申し訳ないから。服部も話しかけてくる気はないようだった。推測するに、彼氏以外と仲良くするのは浮気だから、もしくは僕の神田に対する遠慮を汲んでいるからのどっちかの理由だろう。


 ある程度、ペアのダンスが完成してからは、男女別の方の練習が始まった。難しさは同じくらいで、なんとかなりそうだった。

 ダンス練習の合間に大縄跳びや玉入れの練習もあったが、入退場だけだった。幹部はこういう時も仕切ってくれていて、大変そうだった。僕が出る男女混合リレーの練習もあったが、軽く走ってのバトンパス練習だけだった。恥をかくのが本番だけで済むのは不幸中の幸い。

 

 部活は、超回復のことが考えられているようで、筋トレは三日に一度で、他の日は利き足と逆の足の練習だった。壁の手前にボールを置いて、足が当たる直前で寸止めする練習や、ポストシュートをした。もちろん練習後の部室は体育祭の話ばかりだった。

 

 本番が三日後に迫ったある日、うちのクラスの指導役から言われて、赤団は武道場に集まった。

 僕たちの前には団の幹部がおり、なぜか暗い表情だった。

「今日はちょっとみんなに謝らないといけないことがあります」

 団長は涙声で話し始めた。次の瞬間、幹部は全員土下座して、

「「すいませんでした!」」

と叫んだ。

 呆気にとられる僕たち。団長はさらに続ける。

「俺ら昨日、ダンスもっと良くならないか意見出し合ってて、時間見てなくて、先生が決めた下校時刻の八時、オーバーしてしまって」

 団長はしゃくりあげ始めた。

「それで三十点減点くらいました。ほんと申し訳ないです」

 ざわつく武道場。ちょっとミスして減点されただけで土下座って――。正直ドン引きだった。どんだけ本気なんだ、この人たち。

「仕方ない仕方ない。これから頑張ろうぜ」「誰でもミスはあるって」「泣くなー団長」

 励ますような声が上がる。団長は顔を上げて、

「バカな幹部で申し訳ないですが、これから時間気をつけて、頑張ってくんでよろしくお願いします」

 拍手が起こる。

 はっきり言って幹部なんかしてるのは、リア充っぽく見られたいだけだと思っていた。しかし、それは間違いだったようだ。

 

 体育祭前日の午前は、全校生徒でテントを建てたり白線を引いたり、会場の準備をして、午後からは予行演習があった。実際の会場で、入退場がうまくいくかの確認が目的なので、僕が出る種目も競技は行わなかった。しかし、全プログラムで一種目だけ例外があった。各団二チームずつ出場する男女混合のPTA会長杯リレーだった。この競技だけは予選と本選があり、予選は予行演習で行われるそうだ。ちなみに、配点が高いので各団はこれに最強メンバーを持ってくる。

 PTA会長杯リレーの選手四人がスタートライン上に並んでいる。第一走者は男子で、青団からはキャプテン、うちの団からは神田が出ていた。頭の後ろで肘を伸ばしている。やっぱりあいつは凄い。全学年から選抜だし、一年でメンバー入りしている人は多くないはず。

 ピストルが鳴り、四人は走りだした。

 初めのコーナーを抜けて、先頭は青団のキャプテンで、神田がそれに続く。他二人は少し遅れを取っている。

 キャプテンに着いていく神田。ほんとカッコいい。カッコいいとしか言えない。僕は、小中の運動会も、こんな風にリレーの出場者に憧れていた。

 トラックを一周し、そのままの順位で第二走者にバトンが渡される。うちは服部さんか。予想通り、足は速かったみたいだ。

 彼女はコーナーの終わり際で先頭に立ち、そのままリードを広げてダントツの一位で第三走者にバトンパスした。

 部活に高校生活かけてます、みたいな女子はうちにはいない印象がある。だけどそれでも凄い。やっぱりなんか、あの子と僕は住んでる世界が違う。

 神田も服部さんも、ああなる為にめちゃくちゃ努力してきたんだろう。僕自身、これまでを振り返ると、頑張ったり頑張らなかったりなので、二人を羨ましがる資格なんてない。だけど、もし僕が、ずっと短距離に全てを捧げても、きっと彼らみたいにはなれていないだろう。どうしようもない才能というものは存在する。立場は逆だけど、その事は勉強についても感じていた。

 リレーは第三走者までは一位だったが、第四走者、アンカーへのバトンパスがもたついて、結果は三位、予選敗退という結果に終わった。

 出場者たちが、音楽に合わせてかけ足をしなから帰ってくる。うちの団のアンカーは俯いており、その隣の服部さんは、優しい表情で声をかけていた。慰めているんだろうか。

 入退場ゲートを抜けると、出場者は列を解いて解散になる。赤団の、主に女子生徒がそちらに駆けよっていた。一人の女子が彼女たちに話しかける。

「みんなお疲れ?。京子、何で泣いてるのよ。頑張ったじゃん。泣くことないって」

 アンカーの女子の先輩は、その言葉で泣き止みそうな感じになった。

 服部さんは、女子たちに囲まれていた。

「服部さんすごいねー。青団のあの子、陸上部で短距離やってる子だよ」

 彼女はほんの少しだけ嬉しそうに、

「ありがとうございます。出ようか迷ったけど、出てよかったです」

と返事していた。

 そうだ、金沢さんはあの中にいるのか。気になって周りを見渡すと、僕たちがいるテントの端で無表情に服部さんの方を見ていた。やっぱりまだ仲直りしていないんだろう。なんとかしてあげたいけど。

 入退場ゲートの人混みから、神田が抜け出てきた。服部さんともペア組んでて複雑なことになっているし、あいつとはちゃんとコミュニケーション取っておかないと。

 僕はテントを出て、彼の少し手前で止まり、

「お疲れ。やっぱ凄いね。キャプテンに着いていってたじゃん」

と、できるだけ明るく話しかけてみた。ちょっと早口だったかもしれない。

 すると神田は、僕の存在に今気づいたようで、驚いた様子で、

「おお、大庭。ああ、まあなんとかな。じゃあまた」

と言い、テントに入っていった。

 自分の走りでも振り返っていたんだろうか。なんか虚ろな感じだった。

 うちの団はさっきのチームに速い人を集めたようで、PTA会長杯リレー、赤団二チーム目は四位で予選落ちという結果に終わった。

 その後、予行演習は何事もなく終わり、グラウンドが使えないので、部活は校舎周りのランニングだけだった。


 金曜日、体育祭当日、僕たちは教室に集まった。先生の諸注意を聞いてからグラウンドに出るらしかった。

 先生はまだ来ておらずすることもないので、僕は来週の英単語テストの勉強をしていると、

「大庭君」

と後ろから声がかかる。

 振り返ると、服部さんが感情の読めない目で、僕を見下ろしていた。

「私、なんか脚に違和感あるの。体育祭、参加してもいいんだけど、サッカーもあるし、大事をとって見学しようと思っててさ。だから悪いけど、ダンス一人で踊ってくれない?」

 僕は迷わずに答えた。

「ああ、わかった」

 一人でダンス、正直けっこう嫌だけど、まあ色々世話になってるし、我慢するか。

 脚に違和感か、少し心配。

 彼女は少し驚いた様子で、

「本当にいいの? 私たち、客席の前だしかなり目立つよ? 言っちゃなんだけど、あれ一人で踊ったらかなり間抜けだよ?」

と問い詰めてきた。

 自分で頼んでおいてなんでそんなこと聞いてくるんだろう。それと、目に涙が浮かんでるように見えるけど、気のせいだろうか。

「うん、いいよ。まあ正直ちょっと嫌だけど、男子ペアでやるよりはマシだから」

 同性愛がどうとかってじゃないけど、男女ペアが組めないなら、一人で踊る方が気が楽だし、ペアがいないと、何かあって相手の子休んだのかな、みたいに見てる人が思ってくれる可能性も高い。

「というか足は大丈夫?」

 どちらかというと、こっちの方が気になる。

 茫然とした表情の彼女は、

「……うん」

と呟くように答えた。

「はい、じゃあホームルーム始めるから、席に着け」

 教室に入ってきていた先生が僕たちに命じた。


 ホームルームが終わり、生徒はグラウンドに出て、団毎に、入退場ゲート前に並んだ。

 入場が始まり、赤団は団長を先頭にトラックを歩き始めた。ちょうど半分のところでは、立ち止まって、ダンスの「締め」みたいな小芝居をした。やっぱり小中の運動会とはノリが違う。

 開会式、体操が終わる。初めの種目は、僕も出場する男女混合リレーだった。本日最初の難関である。

 この競技は一人百メートルを走るリレーで、僕は第二走者だった。

 ピストルが鳴らされる。

 コーナーを抜けて、赤団は前後と僅差の二位だった。

 第一走者が近づいてくる。僕はできるだけリードを取ってバトンを受けた。必死で走る。が、だんだん足音が近づいてくる。

 結局、コーナーの終わりで抜かされて、三位でバトンパスした。

 走り終えた僕は、トラックの内側の他の出場者の近くに座りこむ。

 僕を抜かしたのは、関わりはなかったけど同じ中学で、部活に入っていなかった人だった。僕は、部活のダッシュとか色々頑張ってきたのに、なんなんだろう。ほんとダサい。

 リレーがまだ続いている中、ずっと俯いていた。

 競技が終わり、かけ足で退場する。ゲートを出てすぐのところに、服部さんが立っていた。

「お疲れ」

 口調が、あの日の靴箱のときと同じだった。

「……ああ、うん。ありがと」

 また醜態を見せてしまった。いたたまれなくなった僕は、彼女の横を通ってテントに向かう。


 体育祭は滞りなく進んだ。赤団は勝ったり負けたりだった。

 昼休みは部室で、母に作ってもらった弁当を食べた。クラスの友達と食べてもよかったけど、リレーのせいでそんな気分ではなかった。誰もいないと思ったのだが、部室では、何人かの部員が同じように昼食を取っていて、彼らと話しながら食べた。

 昼からは、僕も出場する大縄とび、玉入れがあり、両方、赤団が一位だった。

 最終プログラムは問題の応援合戦。赤団はトリで、しゃがんだまま他の団の演技を見ていた。

 三組目、緑団の演技も終わりにさしかかったころ、

「すいません、僕のペアがトイレ行くって言って帰ってこないです」

 声のした方を見ると、開団式で団長を問い詰めていた人だった。

「どこのトイレ?」

 団長が尋ねる。

「テニスコートの脇のとこに行ってました」

「わかった。ちょっと山川ー、トイレ見てきてくれー」

 テントの後ろにいた男子の幹部が、トイレの方へ走っていくが、すぐに戻ってきて、

「誰もいないです」

と、焦った様子で告げた。

 ざわつく赤団。「あいつ逃げたんじゃね?」「「ああ、そう言えば前、本番、休もっかなとか言ってたわ」という声が聞こえる。

「減点食らうから静かにしてくれ」

 団長の一声でお喋りがピタッと止む。

「佐原君、練習は男女どっちでしてた?」

「女子のダンスやってました」

 ペアに逃げられた子が答えた。

 そうか、男子ペアならどっちかは女子の振り付けすることになるのか。

「確か今日、女子一人見学だったよな」

 すると、テントの後ろから、服部さんの声がした。

「はい、私見学です。服部です」

「わかった。服部さんのペア、手挙げてくれる?」

 僕は渋々、挙手した。団長はその場で頭を下げて、

「悪いけど、佐原君と組んでくれ! 人数いるのにペア組んでないと不細工だから。頼む!」

と必死そうな様子。

 僕は、

「わかりました」

とはっきりと答えた。

 団長の体育祭にかける思いは本物だ。土下座事件だけじゃない。今日でも団長は、暑い中、ずっとうちの団のテント前にいて、団旗を振り回して応援隊長を務めていた。

 ああいう風にペアを決めたのは、毎年そうだしいいか、みたいに思ってだろう。許されるわけじゃないけど、今回はこの人の良いところを尊重して、協力することにした。悪いところは、今後誰かが直していってくれることを願う。

 団長は顔を上げた。

「わがまま聞いてくれてありがとう」

 団長の目は、土下座事件の時と同じ、真摯なものだった。

 

 緑団の演技が終わり、赤団の出番になる。

 団長は立ち上がり、笑顔を見せて、

「色々あったけど、みんな俺らに着いてきてくれて、マジでありがとう」

 拍手が起こる。

「やってきたことぜーんぶ出して、あと楽しんで、それで優勝いただいちゃいましょう!」

「「おー!」」

 スピーカーから「赤団お願いします」と声が響いて、僕たちは立ち上がる。

 音楽が鳴り始め、かけ声と共にダッシュを始める。ここまできたら全力でやるだけ。

 

 男女別のダンスは、大きなミスもなく踊ることができた。曲が変わり、男女ペアの場所、一般観客席のすぐ前へ向かう。

 あの後話し合い、佐原君が僕たちのペアのところに来て踊ることになっていた。ちなみに、僕たち余った二ペアの演技する場所は、どっちも目立つところだった。

 三曲目が始まり、僕たち男子ペアも踊り始める。

「うわ、あそこ男子ペアだよ」「女の子に相手にされなかったんじゃない」

 一番前の中学生っぽい女の子二人がクスクス若いながら話している。彼女たちの周りも、みんながみんな、馬鹿にしてるってわけじゃないだろうけど、僕たちに注目する人が多かった。

 もうどうにでもなれ。なんか開き直った僕は、逆に堂々と踊ってやることにした。佐原君も、少し恥ずかしくなくなったのか、動きが大きくなっていった。

 最後の振り付け、二人の腕でハートマークを作る。すると、観客席から僕たちペアに向かって、ねぎらうような拍手があった。意外と悪い気はしない。女子中学生二人は、相変わらずにやけながらこっちを見ていたけど。

「赤団集合ー」

 団長が声を張り上げ、男子生徒に肩車される。団員は集まり、団長たちを囲んだ何重もの円を作り、手を繋いだ。

「せーの!」

「♪あーかだん、あーかだん、さーいーきょーう、あーかだん♪……」」

 これするのも今日が最後か。感慨深いというか、なんというか。


 退場が終わってすぐ、閉会式が行われた。うちの団は二位だった。解散の後、赤団はグラウンドの片隅に集まり、団幹部から最後の挨拶があった。総合じゃ緑団に負けたけど、ダンスの順位では一番だったらしく、幹部たちは満足そうな表情で話していた。

 その後、全校生徒で片付けをした。ここでも赤団幹部はテキパキ動いていた。

 片付けが終わり、後夜祭に移る。学外での打ち上げは禁止されているため、これが体育祭の打ち上げ代わりらしかった。

 僕はクラスメイトたちに着いて、応援合戦の上映会が行われる体育館へ向かった。ちょっと怖いけど、僕たちのダンスがどう写っているのかを確かめとかなきゃならない。後夜祭は告白タイムって噂もあるので、下手にウロウロしてると、その現場に遭遇しそうだし。

 中庭や教室内では、生徒がダンスの衣装のまま、写真を撮ったり喋ったりしていた。浮きたくないから、僕も着たままだけど。

 体育館には、既にたくさんの人がいる。知り合いがいないかキョロキョロしていると、舞台からスクリーンが降りてきて、

「それではただいまより、応援合戦の上映会を始めます」

と、アナウンスがあった。歓声が起こる。

 上映は演技した順に行われた。赤団以外の三団も、俺たち青春してますって感じのダンスだった。男子ペアは、少なくとも見えるところにはいなかった。

 赤団の演技が始まる。一位を取っただけあり、他三つよりまとまりがある気がした。

 隊形が変わり、ペアのダンスになる。僕たちのペアは最前列なので、もろに写っていた。やっぱりかなり異彩を放っている。

「大庭くん」

 声がするので振り返ると、佐原君だった。彼は、スクリーンを見ながら諦めたような口調で言う。

「いやー、なかなか目立ってるなー」

 どう返事しようか迷っていると、

「あはははー、なんであの男子ペア、なんであんなやる気マンマンなのー」「周りのペア、みんなちょっと距離置いてんじゃん」

と、前の方から、女子のけたたましい声が聞こえた。

 それをきっかけに、みんな、僕たちのダンスに注目するようになったみたいで、ペアの接触がある振り付けのところでは、ドッと笑いが起こる。

 僕は佐原君に向かって、

「まあ、僕らいい経験したんじゃない。これに比べたら、大概の嫌なことは我慢できそうだし」

と、なんか明るく言ってみた。

「そうかもね」

 軽く話す佐原君。この人とは仲良くなれそう。

 その瞬間、

「うるさい!」

 体育館後ろから、聞きなれた女の子の声が響き渡る。

「頑張ってるやつを笑うな!」

 服部さんの一声でしんとなった。

 熱いものがこみ上げる。頬が緩むのを感じる。

 やっぱり僕はあの人が好きだ。いろいろあったけど、いい体育祭だった。


 自転車を出し、校門へ向かう。後夜祭は六時までで、僕はずっと体育館にいた。時間が遅いので、今日は部活もなし。家で走っておくように言われてはいるけど。

 校門前には服部さんがいた。自転車を脇に停めてこっちを見ている。

「お疲れ。ああ、さっきありがとう。僕も上映会いてさ」

 ブレーキをかけて、自転車に乗ったままお礼を言う。

「いや、ついね」

 決まり悪そうな様子。

 いつもすぐに下校しているのに、今日はどうしたんだろうか。

「誰か待ってるの?」

 服部さんは真剣な目で答えた。

「君を待ってたのよ」

 ダッシュ練習の時も先に帰ってたのに、なんでまた。

 申し訳なさそうな表情で続ける。

「みんな君らのこと、すっごい笑ってた。ほんとごめん。私が休んだせいで」

 なんだ、そのことか。

「いや全然。体調のことだから仕方ないよね」

「……嘘なのよ」

 え?

「脚に違和感あるとか嘘ついて、わがまま言って休んだらどういう反応するか試したの。そしたら一瞬も迷わず一人で踊るって言うし。男子ペア組むことになっても文句一つ言わないし」

 手で涙を拭い始める。

「ねぇ君なんなの? なんでそこまで私に着いてきてくれるの?」

 そんなのは決まってるよ。

「ああ、いや。前に、自分の時間削って面倒見てくれたでしょ。そのお返ししてるだけだよ」

 彼女は鼻をすすり、無理矢理泣くのを止めて僕の目をまっすぐに見つめた。

 何? 何その今にも告白しそうな顔は?


「――大庭君、私は君の事が好きです」

 

 周りの音が止んだように思えた。呆気に取られて、何も言えない。彼女の視線に縫い付けられて動けない僕の頭の中を、いろんな考えが巡る。――めちゃめちゃ嬉しいんだけど、でも。

「……いや、神田は。あんたには神田がいるでしょ?」

 やっと言えたのはこれだけだった。

 服部さんは、再び沈んだ表情になる。

「君に仲裁してもらった後、二人で話し合ったの。でもやっぱり私、周りに負担かけるの嫌だから、組まないって言い続けた。そしたら、洋人、俺と信念どっちが大事なんだよ、ってすっごい怒ってさ。笑っちゃうでしょ。こんなドラマみたいなセリフ、自分が言われる日が来るなんてね。それで、売り言葉に買い言葉で、信念って答えちゃったの。一瞬も迷わずに。そしたら洋人、ふっと諦めたような顔して、もういいって言って教室帰っちゃって、それっきり」

「……いや、もう一回、ちゃんと話し合った方が」

「話したって同じ。洋人には言いすぎたけど、私はこの生き方を変えるつもりはない」

 きっぱりと答えた彼女は、再び下を向く。

「あれからもうグチャグチャだった。それでサッカーもうまくいかなくて、コーチに怒られるし。それでなんか、もう全部どうでも良くなって、君にああやって嘘ついたのよ。ほんとにごめん」

 うつむいたまま、哀願するように言葉を紡ぐ。

「別れてすぐ他の子好きになる節操なしでも、人の気持ち確かめるために嘘ついて、みんなに迷惑かける自己中女でも、恋人より自分の信念優先する一匹狼でもいいなら、私と……」

 最後まで言いきれずに、再び泣き出してしまう。赤崎の話をした時は笑顔の方がいいと思ったけど、正直、泣き顔も魅力的だった。

 あの時からずっと、僕はこの子が好きだった。だけど……。

 このままこうしてるわけにはいかない

「――ごめん、ちょっと時間くれるかな? じっくり考えたいから」

 できるだけ静かに告げた。彼女は俯いたままだった。

「……うん、じゃあ月曜に返事くれる?」

「わかった。じゃまた」

 曖昧に手を挙げて反応も見ずに、逃げるように自転車を漕ぐ。

 

 家にどうやって帰ったか覚えていない。気付いたら自分の部屋のベッドに仰向けで寝転がっていた。

 あの子のことは今は好きだけど、これからずっとそうでいられるのか? 例えば、あの人の欠点を見つけてしまって、好きじゃなくなった時、どうすればいい?

 あの子は運動神経抜群で、だけど僕はその真逆で、釣りあい取れるのか?

 僕の学校でのポジションは微妙だ。間違っても、恭平みたいなクラスの中心人物じゃないだろう。恋人ができたらたぶんそれじゃダメで、ずっとカッコよくいなけりゃならない。そんなことできるのか?

 自分の信念曲げないあの子を、神田みたいに見捨てる人や、金沢さんみたいに疎む人が出てくるだろう。そんな時、僕はあの子を守れるのか?

 色んな考えが浮かんでは消えていく。

 部活で醜態晒した日と同じ、一人で考えても、答えは出なかった。


 土曜、日曜は、九時から昼まで部活だった。金曜のことを引きずって練習しちゃいけないのは分かっているが、時々、彼女の泣き顔が頭をよぎっていた。

 日曜の練習後、僕は人のいなくなった部室で、母さんに作ってもらった弁当を食べた。吹奏楽部の定期演奏会は十三時半開場。家には帰らず、このまま自転車で会場の市民ホールに向かう気だ。

 僕は、演奏会後、幼馴染二人に相談するつもりだった。彼らなら、僕の悩みに適切な答をくれるはず。

 演奏会はほとんど聞いていなかった。僕は、この後のことをずっと考えていた。

 演奏が終わっても後片付けがあるらしい。母さんに、今日は帰るの遅くなるとメールを送り、僕はホールの入口の横で待っていた。

 吹奏楽部が出てきたころには、あたりはもう暗くなっていた。入口を出たところで先生を囲んで話を聞いているようだ。

「では解散!」

「「ありがとうございました」」

 喋りながら、三々五々に帰っていく部員から、隣り合って歩く恭平と村瀬さんを見つけて声をかける。

「二人ともお疲れ。いい演奏だったよ」

 上の空で聞けなかったけど、こう言っておいた。

「侑ちゃん、来てくれたんだ~」

 体の前で軽く手を振りながら、笑顔の村瀬さん。

「おう、ありがとな」

 それとは対照的に、真顔の恭平。

 恥ずかしいけど、切りだすしかない。

「二人に相談があってさ。ちょっと長くなりそうだけど、今から時間いい?」

 恭平は少し考えたが、

「ああ、大丈夫。時間かかるんだな? 家に連絡する。少し待ってくれ」

と、鞄から携帯を取りだした。

「二人ともおなかすいてるよね? なんか買ってくるよ」

 村瀬さんは、道向こうのコンビニへ歩いていった。

「ごめんな、葵」

「ありがとー」

 恭平と二人きりになる。

 僕は、早くも相談を持ちかけたことを後悔し始めており、スマホを操作する恭平の横で、俯いて悶々としていた。

「そうだ、きょうへ――」

 顔をあげて話しかけようとしたが、隣には誰もいなかった。

 辺りを見回すと、恭平はコンビニの方へ走っていった。入口では、村瀬さんが柄の悪そうな、中学生だろうか、に囲まれていた。僕もそれについていくけど、どんどん離される。

 やっぱりあいつ、なにかとハイスペックだな。改めて思う。

 恭平はガードレールを飛び越えて、道路を渡り、少年たちの後ろで立ち止まる。

「君ら、何してるの?」

 問い詰めるような声だった。

 長身の恭平に圧倒されたのか、村瀬さんに絡んでいた三人は、小走りで去っていった。

 僕もやっと、二人の許にたどりついた。

 村瀬さんは息を吐いて、

「ありがと恭ちゃん。けっこう怖かった」

と言い、笑顔を恭平に向ける。

 恭平は後悔した表情で、

「葵一人で行かすべきじゃなかったな。悪い、うかつだった」

と答えた。

 そう、これ。これができなきゃ彼氏失格だろう。今の僕にはできない。


 僕たちは市民ホールの隣の公園に入り、そこのベンチに村瀬さんを挟んで座った。

「で、相談ってのは?」

「なんだろ。全く想像つかない」

 僕は深呼吸した。

「実は、体育祭の後、服部さんに告白されまして」

 早口で言い終えて隣を見る。二人とも目を見開いて、驚いた様子だった。

 表情を戻した恭平が、軽い笑みとともに静寂を破る。

「そうか、おめでとう」

 村瀬さんも優しい表情で、

「おめでとー、でどうするのどうするの?」

 第一の関門を抜けて、少し気が楽になった。

「それで、まあ一応、僕も色々あって、あの人のこと、まあ好きだったわけで」

 斜め下を見ながら返す。

「え? それならなんも悩むことないだろ? 相談って何?」

 恭平を見ると、ぽかんとした顔をしていた。

「いや、そういう関係になると色々あるでしょ。それ考えると簡単にはOKできなく」

 言い終わらないうちに、肩に衝撃が来た。僕はベンチから落ち、体の横を地面で打った。

 ベンチの方を見上げると、頭を抱えてこっちを見る村瀬さんの横で、立ちあがった恭平が失望したような表情を浮かべている。彼にこんな顔を向けられるのは初めてだった。

「だめだこいつ、話にならない。帰ろうぜ葵」

 鞄を持って歩いていく恭平。

 彼女はふうっと息を吐いて、転んだままの僕の方へにじり寄ってきた。諭すような顔つきで僕を覗き込んで言う。

「あ、ちなみに、私も同じ意見だからね。侑ちゃん、部活や勉強はすっごい頑張るのに、恋愛関係はそうやって中間守備なのね。そんなんじゃだめだよ。傷つくこととか怖がらないで、思いっきりぶつかってかないと、成長なんかできないよ」

 村瀬さんは荷物を持って立ち上がった。

「お互い好きなら答は一つ。アドバイスはそれだけ。確かにしんどいことはあるかもしれない。その時は言ってきて。今度こそ相談に乗ってあげる」

 そういうと、恭平を追って行ってしまった。僕はその場で座り込む。

 

「大庭君、お願いがあるんだけどさ」

 テストをもったあの子の真剣な表情。

 

「諦めるにしても、全力で頑張ってからにしないと絶対後悔するよ」

 靴箱での優しい声。


「まだ叩いてないでしょ! スピード緩めんなー」

 公園での厳しい叱り声。


「ああ、気にしないで。私が勝手にやってることだから」

 練習試合の日の諦めたような笑顔。


「うん、今日一日で上手くなったよ」

 ボールを手で持った満足そうな表情。


「あの人、そういう感じなんだ。もっと硬派ってイメージあったよ」

 赤崎の話をしたときの微笑み。


「頑張ってるやつを笑うな!」

 体育館での怒鳴り声。


「――大庭君、私は君の事が好きです」

 校門でのまっすぐな瞳。


 あの子との思い出が次々と頭に浮かぶ。

 服部さんはずっと僕のことを考えてくれていた。嘘をついたりしもしたけれど、あの人はちゃんと正直に謝った。そんな彼女を、僕は好きだった。この気持ちは誰にも負ける気がしない。

 そうだよな、一番重要なのはあの子を好きってことだから、選択肢は一つ。後のことはまた考えればいい。

 立ち上がり、自転車置き場へ歩いていく。月曜来るの待つ必要なんかない。

 全力でペダルを漕ぐ。風が気持ちいい。今ならなんだって出来そうな気がする。

 

 あの子の家に着いた。自転車から飛び降り、鍵もかけずにその辺に停めてインターホンを鳴らす。

「はい。って大庭」

 私服のキャプテンが玄関から出てきた。僕は息を切らせたまま、まくしたてる様に話す。

「妹さんどこですか」

 彼は呆気にとられたような顔をしながら、

「ああ、今日体育祭で練習休んだからって言って、公園に自主連しに行った。お前らが練習してた公園」

「ありがとうございます!」

 早口でお礼を言い、自転車に乗ろうとする。

「何だ? 告白でもすんのか?」

 茶化すようなキャプテンの声に、僕は振り向いて答える。

「なんで知ってるんですか?」

 えっ、まじで、と言いたげな様子の彼。

「当たりかよ」

「ええまあ」

 即答。僕は完全に開き直っていた。男子ペアダンスの時以上に。

「では失礼します!」

 まだ驚いているのか、無言のキャプテンを置いて、再び自転車を漕ぐ。


 公園に入る。ベンチの向こうの広場では、青いジャージを着た人が、僕に背を向けて片足立ちでももを伸ばしている。

「服部さん!」

 走り寄りながら叫ぶ。勢いに任せて、初めて名前を呼んでしまった。

 彼女はストレッチをやめて、はっとした顔でこっちに向き直った。

「大庭君、なんで――」

 数歩の距離を開けて止まる。

「金曜の返事しに来たんだ」

「――うん」

 ここにある想いを全て伝える。 

 ずっと好きでいられるかなんて今はどうでもいい。

 この子にふさわしいやつにはこれからなる。そのためだったらなんでもしてやる。

「練習見てくれてすごい嬉しかった。僕こんなんだから、中学の時みんなに見捨てられて、で、初めて手差し伸べてくれたのが服部さんだった。でもそれだけじゃなくて、自分の勉強放り出して試合見に来てくれて、その時からずっと好きだった。彼氏がいるってわかってからも、それは変わらなかった」

「――うん」

 息を整える。

「――あなたとずっと一緒にいたいです。僕の彼女になってください」

 言ってしまった。人生初。顔が赤くなるのを感じる。

 泣き笑いの服部さん。この時のことを、僕は一生忘れないだろう。


「喜んで」

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