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第2章

    第二章

 

 次の日、さわやかな気分で目が覚めるのだが、数秒後に昨日のことを思い出した。今日ほど学校に行きたくない日もない。いつもは幼なじみ三人で登校しているのだが、そんな気にならなかった。

 服を着替えて、恭平に電話をかける。

「おう、おはよう。どうした侑司?」

「今日だけど、先行っててくれるかな」

「ああ、わかったけど、なんかあったのか? 声が暗いけど」

 やっぱりわかるか。

「まあ、ちょっとね」

「相談乗るぞ」

「ありがとう。でも、部活のことだし、話して解決することじゃないから」

「そうか。わかった」

「じゃあまた教室で」

「おう」

 電話が切れた。

 

 朝食を取り、支度を終えて自転車を出す。

 坂を上ってたどり着いた橋の上では、まだ肌寒い風が頬に触れる。

 あの二人と登校するのも楽しいけど、一人でいるのも嫌いじゃない。気持ちが落ち着くというか。

 

 学校に着いて自転車を停める。

 靴箱で靴紐をほどくのにもたついていると、誰かが入ってきた。そっちをみると、服部さんだった。

「おはよう」

と、いつもより落ち着いた雰囲気で話す彼女。

「おはよう」

 上靴に履き替えて僕を待っている。

「ごめん。今日はちょっと一人でいたい感じだから、悪いけど先行っててくれる?」

と告げると、彼女は無表情で、

「えっとね、昨日のことなら兄貴から聞いてるよ。」

と口にした。

 ――この子にだけは知られたくなかった。キャプテンどうして言うかね。

 靴箱の方を向いたまま固まってしまう。

「えーっと、言ってなかったけど――、僕さ、運動神経ゼロで、小さい頃から足遅いのがコンプレックスで、中三のとき百メートル十五秒台で……」

「そうなの」

 静かな声がする。

「一応今も自分で走る練習してるんだけど、昨日のざまなわけで……。どう思う? サッカー辞めた方がいい?」

と尋ねる。

 彼女は、少し間をおいて毅然とした声で言った。

「諦めるにしても、全力で頑張ってからにしないと絶対後悔するよ」

「うん」

「前、勉強の話してくれたよね。親のためにも頑張りたいって。あれぐらいサッカーもやる気あるんなら、私が練習見てもいいよ。一人で走るよりいいだろうし」 

 予想外の展開。辞めろって言われなくて安心したけど。

「それってキャプテンに頼まれた?」

「いや、私の独断」

 ――どうしよう。自分で頑張るだけではだめなのはわかったし、他の部員には昨日のこともあって頼みづらいし。

「うん、じゃあちょっとお願いしていい?」

と遠慮がちに口にする。それを聞いて、彼女はいつもの笑顔になった。

「よしっ! じゃあこれから一週間特訓ってことで。私、勉強ついていくだけで必死だから、それ以上はちょっと無理だけどね。それにうちのチーム、練習場所遠いのよ」

 教室に向かいながら相談した結果、服部さんの家の近くの公園で、夜にすることになった。彼女は、もっと僕の家からも近いところでしようと言ってくれたが、教えてもらう身だし、当然断わった。ストレッチは事前にしてくるようにということだった。楽しそうな彼女の横顔が印象的だった。

 他の部員に知られたら、女子にそんなことしてもらって恥ずかしくないの? とか思われそうだが、どうでもいい。今の状況をなんとかしないと。

 

 その日、部活に向かおうとすると部室の前に赤崎がいて、

「おー、大庭大丈夫か?」

と、軽く笑いながら聞いてきた。

 いや、あれで大丈夫だったらすごいだろ、と頭の中だけで返事をする。

 昨日のこと触れられないのも嫌だから、悪い対応じゃない。呆れているわけではないようだし、やっぱり赤崎はいいやつなんだろう。こいつに見てもらうって手もあったかも。

 その日の部活はダッシュ練習こそなかったが、皆が僕の方を気にしているようでやり辛かった。

 

 その夜、両親には、ちょっと走ってくるとだけ告げて、約束の時間の五分前に公園に着いた。服部さんは既に来ており、一人でフェイントの練習をしていた。赤いジャージを着た彼女は、僕に気づくと足の裏でボールを止め、片手を挙げて挨拶してきた。僕は中途半端な高さに手を持っていき、おう、と小声で返す。

 サッカーをしている彼女には、なんとなく近づきがたいものを感じる。オーラっていうのか。それにしても速いシザースだった。

「よしっ! じゃ、始めるか」

と、自己紹介時以上の笑顔。

 僕はそれに少しびびりながら、

「よろしくお願いします」

と、軽く礼をする。

「うん、じゃあ私が手を叩いたら全力ダッシュして、もう一度叩いたらジョグで。走る方向は適当でいいから」

「わかった」

「それじゃいくよ」

 パンッ、という音とともに走り出す。

 五秒ぐらい経って、もう一度手を叩く音が聞こえたので、ジョグする。

「そうそうー、そんな感じ。これを三十本やるからねー」

と声を張りあげる。

 三十本……。

 しばらくして、彼女は再び手を叩き、僕は全力で走り始める。

 遅っ、とか内心呆れているんだろうな。口には出さないのがいいところだけど。

 

 何本やったかわからなくなるまで走り、もうゼーゼーだった。

「まだ叩いてないでしょ! スピード緩めんなー」

と厳しめに言われ、気合を入れなおす。

 いや、これ昨日の部活のよりきつくないか。


 三十本やり終えて、息を整えるために歩いていた。ダッシュ後の、疲労に全身支配される感じ、何度味わっても好きになれない。マラソンの後とは少し違うように感じる。僕だけかもしれないけど。

 部活のダッシュよりは前向きな気持ちでできた。誰とも比べられないっていうのは大きい。

「はい、じゃあ今日はここまで。柔軟ちゃんとしてから帰るのよ。なにか聞きたいこととかある?」

「いや、大丈夫。ありがとう」

「それじゃ、明日も同じ時間でよろしく」

 言うが早いか、彼女は後ろを向き、停めていた自転車に乗り、僕を待たずに帰っていった。 

 クールダウンの柔軟をしながら考える。昨日までの自主練習はやっぱり自己満足だった。頑張る自分に酔っていただけというか。得意なマラソンばかりして、苦手なことから逃げていた。

 そして、さっきの彼女の様子は、クラスとは大きく違っていた。生半可な気持ちでやっていたら失礼だ。気引き締めてやらないと。


 翌日、集合場所の交差点に行くと既に幼なじみ二人は来ており、自転車にまたがって僕を待っていた。

「おはよう侑ちゃん」

と村瀬さん。

 昔はあおちゃんと読んでいたが、中学一年で恭平とこうなってから、この呼び方になっている。

 当時、これからはこの二人から距離を置くべきだと思って、そのことを彼らに伝えてみたけど、二人ともそれは嫌ということだったので、今でも関係は変わらず、三人で登校すらしている。

 でも実際どうなのか、カップルと登校する奴って。今だって、どうも自分が異物な感じがする。

 二人がこうなったのは嬉しい。でも、僕には付き合っている子に対する心の持ち方っていうのがよくわからない。中二体育事件以来、いわゆる人格者っぽい人以外とは距離を置き、完全には信頼しないようにしていたせいかもしれない。恋人にはそんなんじゃだめなのだろうか。そうだとすると、男女交際ってすごい気力がいるだろう。

「昨日はどうしたの?」

と、気遣わしげに聞いてくる村瀬さん。

「ちょっと部活でいろいろあったから」

「そうなんだ」

「まあ、いつものように、僕の運動能力があれなせいで。それで、同じクラスの服部って子に練習つけてもらうことにした。女子サッカーしてるんだよ、あの人」

「あ~、あの子人気あるよね。うちのクラスでもあの子の話よく聞く」

 恭平が割り込んでくる。

「そうか、良かったじゃん。でも服部さん、妥協とか許さなそうだよな」

「それはすごい思う。昨日かなりスパルタだったし」

「うん。ま、しっかり頑張れ。そろそろ行くか」

 会話を辞め、自転車を漕ぎ始める。

 

 校門付近になると、生徒の数も増えてくる。

 自転車置場に着き自転車に鍵をかけて、隣り合って歩く二人の、少し後ろをついていく。

「よー、稲岡」

 よそのクラスの男子生徒が恭平に挨拶している。

「葵ちゃんおはよ~」

 あの女子はうちのクラスだったか。村瀬さんはそっちに小さく手を振る。

 村瀬さんと恭平は二人とも、いろんな人に話しかけられている。入学して一ヶ月も経っていないのに、なんであんなに顔が広いんだろう。 

 中学の時も、全く接点のないクラスに友達がいる人がいたけど、あれはどうなってるんだろうか。

 美男美女で性格も良くってみんなに好かれてて、まさに非の打ち所が無いカップルって感じ。後ろ姿が眩しかった。

 

 部活では、ダッシュ練習がある日もあった。しかし、最後にグラウンドを五往復させられるだけで、競争じゃないから、あの日のような辛い目には合っていない。後から走り出した人に抜かされたりはしてるけど。特訓は効果出るんだろうか。

 彼女はやっぱり厳しいけど、見捨てずにいてくれるのがありがたかった。初日と同じように、終わったら僕を待たずに帰ってしまうんだけど。


 特訓六日目の日の四限目、一年生はホームルーム活動があり、うちのクラスはグラウンドでサッカーをした。クラスを四チームに分けて、試合のないチームの人は周りでボールを蹴ったり、試合を見て喋ったりしていた。僕と服部さんは経験者ということで、ずっとゴールキーパーだった。

 ボール扱うのはみんなよりは多少上手だけど、目立たないように無難にやっておこう。

 やっぱり、素人同士だと団子サッカーになるな。今でもボールに四、五人まとわりついてるし。

「円香ー、左空いてるよー」

「墨田君ー、中に絞ってー」

「シュートシュート」

 相手ゴールから大声が聞こえてくる。音源は言わずもがな。

 服部さんは裏方に徹していた。ボールを持っても近くの子に預けるしかしておらず、命令っぽく聞こえないように、柔らかくクラスメイトに指示を出している。

 みんなを引っ張るっていうのはやってみたいけど、僕は声出すのは部活だけで頑張ることにしよう。まだ全員とは距離感つかめてないし。

 それと、リフティング以外でボールを扱う彼女を初めて見た。左利きなのだろうか、右足をほとんど使わない。

 僕も彼女も適当に手を抜いてキーパーをしていたので、点はそこそこ入った。まあ、僕は本気でやっても点入るだろう。

 時間がなくなってきたので試合を終えて、ゴールを元あった場所に運ぶ。重いから十人くらいで運ばなくてはならない。コートの端で喋り続けている人もいるけど。

 誰かのああいうとこ見ると、その人と交流する気がなくなる。委員長キャラは捨てても、僕はこういうときに進んで動ける人でいたかった。

 倒したゴールの横の部分を持っていると、女子に囲まれていた服部さんがそれに気づき、走ってきて僕の隣を持った。

「大庭君お疲れ」

「あ、うん、お疲れ」

「たまにはこういう風に、わいわいサッカーするのものも悪くないかもね」

「まあね」

 僕は本気の方がいい。こういうとき経験者が必死でやっていたら、白い目で見られるから。変なことに気を使わないといけなくて疲れる。

「大庭君、インサイドうまいね」

「ああ、そうかな。中学の部の先生にもそれだけは褒められてたけど」

 インサイドというのは、足の腹を用いるキックで、初めのうちは先生にもそのことで目をかけられていた。まあ、だんだん見離されていったけど。

「お願いなんだけど、コツとか教えてくれない? 特訓の後にでもさ」

「ああ、自分でもどうやってるかわからないし、教えられないかもしれないけど、世話になってるしやってみるよ」

「ほんと? ありがとう」

 よくありがとうって言う人だな。クラスで人気なのはこの辺にあるんだろう。

 というわけで、ダッシュ練習の後にインサイドキックを教えることになった。この子にサッカーで教えられることがあるなんて、ちょっと感動。

 

その夜の特訓のこと。

「よし、じゃあ始めるか」

「うん」

「言い忘れてたけど、やっぱり大事なのは気合だと思うんだよ。経験上、スポーツでもブラシーボ効果ってのはあるから、走る前から絶対やれるって思ってないといけないと思うのよ」

と、やっぱりこの子はなにかやるなら本気でする方が好きなのだろう、僕が来て早々、自信に溢れた顔で言う。

 

 三十本終えて歩く。初日よりは少し楽に走れるようになった気がする。

 しばらく歩いて息が整ってくる。

 彼女は、スポーツバッグからボールを取り出し、

「じゃあ約束通り、インサイド教えてもらおうかな」

と言い、僕の方に蹴ってきた。

 それを止めてから、

「インサイド正確とか言われてたけど、実感湧かないから教えられないかも」

と返す。

「まぁしばらく蹴り合いしてみようよ」

と提案するので、しばらく無言で、少し離れてボールを止めては蹴り返すのを続ける。

 ボールが五往復ほどした。僕が来たボールをトラップして返そうとすると、彼女が口を開いた。慌ててモーションを止める。

「私さぁ、特訓の五日間ずっと、大庭君待たずに先に帰ったけど、薄情だなとか思った?」

 少し弱気な口調だった。

「いや、そんなことないけど。僕が無理言って見てくれてるんだし。帰ってすぐ勉強してるんでしょ?」

「うん。私、自分で決めてるルールがあって、学校の外では勉強かサッカーしかしないって決めてるの。やっぱりそのくらいしないとサッカー上手くなれないし、勉強もついてけないかなと思って。まあ、あんまり成績落ちたらサッカー辞めさすって、親に言われてるのもあるけど。時間の有効利用というか。友達は大切にしたいけど、遊んだりするのは学校限定ってことにしてるのよ。今みたいに、だれかの悩みを解決したりするのは例外だけどね」

 そうだったのか。ストレッチもしてくるように言ったのも、そのためだろうか。

「中学の時からこのルール守ってて、友達とかもほとんどの子は理解してくれるんだけど、休日とか遊ぼうって子の中にはこれ言って断ると、勉強はともかく、自分よりサッカーの方が大事なのかって怒る子もいるんだよね。あ、ボール回すのは続けて」

 彼女に向けてボールを蹴る。

 スポ根ってのが理解できない人もいるからな。休日に友達と思い出作るのもいいことだし、どっちが正しいってわけじゃないんだろうけど。

 ボールが一往復かする。何を言おうか迷っていると、彼女は止めていたボールを左足で上げて手に持ち、

「聞いてくれてありがとね。インサイドだけどちょっとなにか掴んだ気がする」

と落ち着いた声で話した。

「こっちこそありがとう。またよかったらお礼に勉強教えるよ」

と告げると、少し間が空いて、

「うん、じゃあ数学ちょっとピンチだし、昼休みにでもお願いしようかな」

と返事が来た。

「わかった」

「明日でラストね。今日と同じ時間でよろしく」

と言い、彼女はやはり、僕を待つことなく帰っていった。

 一人でストレッチをしながら考える。

 悩みを相談されるくらいには、僕は信用されているのだろう。もちろんとても嬉しいことだ。

 それにしても、学外では遊ばないことにしてるのか。突き抜けてるな。僕も、そこまで徹底した生き方ができるだろうか。

 

 次の日の昼休み、服部さんは授業が終わるとすぐ、椅子と勉強道具を持って僕の机に来た。

「じゃあ約束通り数学教えてくれる? 食べながらでいいから」

ということだったので、昼食を取りながら数学を教えた。女子の前での食事は、食べ方とか気にしないといけないし、少し面倒くさい。

 彼女とかできたら、こうやって気を張り詰めることが多くなるのだろう。それはなかなか疲れそうだ。

 僕は、質問される度に口を押さえながら答え、彼女はそれを聞き、考えたり書きこんだりしていた。周りの視線が気にならないと言ったら嘘になる。

「紗江ー、大庭君にべったりじゃん」

と金沢さんから茶化すような声が聞こえる。

「いや、勉強教えてもらってるだけだよ」

とそちらを見て真顔で返す彼女。

 真剣な表情でノートにメモしている服部さんを見る。

 ――うん、そんなことはない。


 その夜、最後の特訓だった。

 走り終えた僕に彼女は近づいてきて、

「お疲れ様。七日間どうだった?」

「えーっと、体力はわからないけど、ちょっと自信はついたと思う」

「なら良かった。近々試合とかないの?」

「ああ、今週の土曜にうちで西高と練習試合あって、一年もB戦で出すって先生言ってたから、僕も出るはず」

「そうなんだ、何時から?」

「Bは昼食後の一時くらいからかな。詳しい時間わかったら、また教えるよ。あ、でも、その次の月曜、確か数学と英語、小テストだし、無理しなくていいから。特に英語、今回範囲広いし」

「うん、その日、練習午前で午後から何もないから行かせてもらおうかな。ま、テストはなんとかなるよ。というか私の連絡先知らないよね。交換しとこうか」

 ということで、連絡先を交換した。

 交換し終えると彼女は「試合頑張ってね」と言い、僕に背を向けて早足で歩いていく。

「すごい助かった! ほんとありがとう!」

彼女の背中に大声で叫ぶ。服部さんは右手を上げ、こっちを振り向くことなく帰っていった。


 練習試合当日、集合時間の十分前に部室に入る。既にほとんどの部員は来ていた。着替えをしながら喋ったりしている。

 みんなで協力してグラウンドにコートの線を引き、ゴールを動かし、試合の準備をしていく。準備が終わり、アップの用意をしに戻った部室には、練習の時以上の締まった空気が流れていた。

 何度か試合はあったが、それに出るのは初めてだ。僕は既に、かなり緊張していた。

 アップ開始の時間になった。

「集合ー!」

とキャプテン。彼を中心に円になる。

「じゃあ今からアップ始めるんで。総体前の最後の試合だから、負けるのと勝つのとじゃ大違いなんで、絶対勝ちましょう。一年生は初試合で緊張してるだろうけど、現状でベスト尽くせるように頑張ってください。よし、ランニング行こう!」

「おうっ!」

 三列になって順番にかけ声を出しながら、うちの高校のアップ用のコートの縁を走る。

 その後、全員で円になってのストレッチ、手で出したボールを相手に返す基礎練習、二人で距離を取ってのボールの蹴り合い、サイドからのボールを中にいる二人が合わせるセンタリングシュートが行われた。最後に、手を叩く合図でダッシュ、ジョグを繰り返すアップが数本あり、それが終わると皆部室に引き上げた。

 アップ中、みんなのかけ声が途切れることはなかった。

 

 Aの試合は一対一で引き分けだった。うちと西高にはそこまでの力の差はないようだ。総体が近いだけあって、両チームともすごい気迫だった。三年間の練習の積み重ねは偉大なものだ。二年後、僕もあんな風にならないとな。

 ベンチの先輩と、上手な一年生の出るBの試合(赤崎も出ていた)も終わり、みんな部室で昼食をとる。

 食べ終えて少し時間をおいてから、グラウンドの端で同級生と軽くボールを蹴っていると、制服姿の服部さんが、自転車置き場の方からグラウンドに向かって歩いてきた。先生に挨拶した後、彼女はグラウンドの脇に落ち着いた。

 それに気づいたキャプテンは部室から出てきて、彼女の方へ向かう。

「おう紗江、来てくれたのか」

「うん、どうだったの試合?」

「1対1の引き分け。一点目、いい形で取れたんだけど、終わり際に江本にやられた」

「そう。まあ負けなくて良かったけど、勝てる試合はしっかり勝たなきゃね」

 僕に特訓付けていたこと、キャプテンには伝えてないのかな。そっちの方がありがたいけど。いや、今はアップに集中。


 しばらくして集合の声がかかり、出場者は顧問を囲むように半円となった。ポジションが発表され、僕は右サイドバックだった。

 皆、ぞろぞろとグラウンドに入り、センターサークル付近で整列し、相手チームと握手する。

 その後、円陣を組み、かけ声で気持ちを奮い立たせる。

 円陣が解かれ、僕はサイドバックの位置に着く。

 中学の時もよく思ったけど、サッカーコートは広い。走力で劣る僕は、この広さに恐怖を感じる。今日は走れるだろうか。特訓を信じるしかない。眼を閉じて深呼吸。

 三十分一本。相手ボールでキックオフ。ボールがトップ下に渡る。

 ほぼ同時に相手の、左サイドハーフだろうか、がサイドラインぎりぎりを走ってくる。そこを狙ってロングボールが蹴り込まれる。

 勢いが弱く、センターバックとの間でワンバウンド。右足で抑えて前を向く。味方右ハーフが空いている。そこにパスを出す。

 助かった。それにしても、こいつ速いな。

 

 十五分が経った。攻めたり攻められたりしているが、点は入っていない。そろそろ息切れが収まらなくなってきた。

 味方左サイドバックが、タッチライン際でドリブルを仕掛ける。

 頼むから、もうちょっと攻め続けてくれ。息整えたいし。って、これ中学のときもよく思ってたな。

 ボールが奪われ、相手トップ下に渡る。こちらは僕を含めて三人しかいない。

 敵からのグラウンダーのボールが、僕と右センターバックの間を抜く。外を走っていたサイドハーフに追いつけない。ワントラップ後、敵の放ったシュートがネットに突き刺さる。1対0。

 完全に僕の責任だ。周りの目が痛い。まだ十五分ある。これ以上点はやれないけど、体力は保つのか。


 試合はそのまま終わった。ふらふらになりながら、なんとか一失点で抑えることができた。失点シーン以外にも危ない場面も何度かあり、運が良かったのもあるけど。

 僕たちの試合が今日の最終だったので、終了後、みんなでストレッチし、上着を着て先生の話を聞いた。総体まで気を抜かず、頑張っていこうということだった。解散後、トンボをかけ、グラウンドを元の状態に戻す。

 片付けの後、部室に戻るのは僕が最後だった。中に入ると、みんな談笑しながら制服に着替えていた。自責点一の僕には、あまり馴染めない空気だ。

 自分の荷物の方に向かおうとすると、外から声がかかる。

「大庭君、ちょっと先にいい?」

 部員の注目がこっちに集まる。僕は逃げるように部室を出ていく。

 部室の裏に回ると、鞄を持った服部さんがいた。

「えっと、さっきの試合だけど……」

 みんなに聞かれるのも恥ずかしいので「ちょっと移動しよう」と伝えて、少し離れた自転車置き場に向かう。

 立ち止まった彼女は真面目な顔で言う。

「じゃあ今日見てて思ったこと言うから」

「ああ、よろしく」

「まず、指示の声をもっと出さないと。フォワードは点さえ取れればいいけど、ディフェンスは指示出して、周りと連携してかないとね」

「えーっと……、変な指示出すくらいなら、何も言わない方がいいかなって思ったんだけど」

「いや、指示出さないとその指示がおかしいってこと指摘できないよ。間違っててもいいから、がんがん言ってかないと」

「うん、わかった」

「それと、マーク。相手とボール、両方見れるようにしとかないと。そのへんちゃんとしてればあの一点はやらずに済んだかもね」

「うん」

「まあ、今言えるのはそれぐらいかな。これから頑張れば、もっとやれるようになるよ」

「わかった。今日はありがとう。それで念のため聞いときたいんだけど、」

一つ気になるのは、

「今日って午前は練習だったんだよね? 明後日大丈夫?」

「ああ、テスト。今週なんだかんだあんまり勉強できてないけど、明日は練習ないし時間あるから」

「なら良かった。無理して来てくれてるんじゃないかって心配してたんだよ」

「うん、そんなことないから大丈夫よ。じゃあ私帰るね。また学校で」

 笑顔で言った彼女は、僕に背を向けた。

 後ろから声がする。

「おう、紗江、帰んのか。明日一日だったよな、遠征」

振り向くと、制服に着替えたキャプテンがいた。服部さんはゆっくり向き直り、きまりわるそうな表情を浮かべる。

「う、うん」

「十時半まで塾あるからさ、終わったら見に行くよ」

「うん、ありがと」

 キャプテンは屋外トイレに入っていった。

 固まる彼女に僕は尋ねる。

「テストやばいのに来てくれたの?」

「……まあね。ああ、気にしないで。私が勝手にやってることだから」

 服部さんは薄く、諦めたように笑う。

「さすがに今日は帰って勉強するよ。じゃあまたね」

 そして、今度こそ彼女は帰っていった。

しばらく動けなかった。

 あの子は、サッカー頑張ってる人が好きなんだろう。僕が特別ってわけじゃなくて。それにしても、普通、テスト近いのにそこまでしてくれるもんかな。

 ……なんというか、靴箱で特訓の約束したときから、薄々こうなりそうな気はしていたけど。

 二度目か。今度はどうなるんだろ。


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