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第1章

五年前に書き上げたいわゆる処女作です。

良いか悪いかは置いておいて、他の作品とはだいぶ書き方が違います。

忌憚のない感想をお待ちしています。

    第一章

 

 君ならどうするだろうか。

 もし好きな子が陸上部のエースで、自分はサッカー部の落ちこぼれだったら。

 僕は大庭侑司といい、この春、高校生になる。

 中学一年の僕は、一人の女の子と隣の席になる。

 

 入学式から帰ってきた教室。

 生徒は、それぞれグループを作ってしゃべっている。小学校が同じなのだろう。

 黒板に書かれた席に着き、かばんを下ろす。黒のスクールバッグは中学生になったことを強く感じさせる。

 なんとなくみんなと話す気にならない僕は、窓の外の桜を見ている。

「大庭くんだよね」

 よく響く高い声が後ろから聞こえる。

 僕は右を向くと、背の小さな女子が鞄を右肩にかけて立っていた。

「わたし、高原詩織っていうの。よろしくね」


 入学間もないある日の休み時間。

 あの子が僕にほほ笑む。

「へ~、侑ちゃんも長距離やってたんだ。サッカー体力いるもんね。RCで?」

 RCというのはランニングクラブの略で、陸上競技のクラブである。

 真顔で返す僕。女子にちゃん付けされるのは少し抵抗あるけど。それと、くん付けからあだ名への切り替えが早い。

「いや、うちの先生が見てくれてたクラブで。練習あるの、朝と昼休みだけだったけど、僕なりにけっこう頑張って、六年のマラソン大会で一応七番だったよ」

「ふーん、東小もあったんだ。南小(ミナショー)もあってさ、わたしはRCと両方やってて、小学校時代、ずっと走ってた感じだなぁ」

「うちの小学校、レベル低いんだけどね。二組に樋口っていて、そいつがうちのトップなんだけど、大会で南小(ミナショー)の古川だったかに抜かされたって言ってたし。そもそも人数も少なかったから、僕でも七番取れたんだよ」

「そうかもしれないけど、頑張ったのはいいことだよ。あ、そうそう。南小(ミナショー)は男子では藤本って子が一番早かったんだけど、五年生の途中で転校しちゃってね……」

 裏表のない、明るい笑顔。

 女子とこんなに長く話したの久しぶりだ。すごいしゃべり易い。

「あ、そうだ。僕、二個下に妹いるんだけど、妹も同じクラブで長距離やってるみたいでさぁ」

 彼女の目が輝く。

「そうなんだ。陸上部誘ってみてよ」

「あ、うん。ちょっと言ってみる」

 チャイムが鳴り、授業が始まる。

 

「ある数の原点からの距離を絶対値といい、絶対値が最小の数は……」

 彼女の視線が黒板とノートを往復するたびに栗色の髪が揺れ、僕の意識は視野の右端のそちらに向く。

 どうしたもんかな。授業が耳に入らない。

「大庭君! 聴いてるの?」

 先生の声でハッとする。

「すいません」


 僕は彼女のことが好きだった。初恋だった。

 しかし、子供社会は運動ができる子の天下だ。小学校の体育のバスケ、経験者は話題の中心だし、マラソン大会で一位を取ったりしたら、一年間ヒーローだ。

 逆に、運動音痴の形見は狭い。教室で腕相撲大会があれば、力のない子は惨めな思いをすることになる。

 

 サッカー部の僕も精一杯頑張った。頑張ったんだけど……。

 

 十一月のある日、部活ではシュート練習が行われており、僕はほかの一年生と球拾い。

 誰かが蹴ったボールをその人の代わりに取りに行く。チームのために必要な仕事なのはわかるけど、これほど虚しいことはない。

 グラウンドの隅では陸上部が筋トレをしている。クラスでは見せない真剣な表情で、男子に混じって腹筋をするあの子。

 僕は、そこからできるだけ離れて球拾いする。今の姿は絶対見られたくない。

「大庭ー、真面目にやらないんなら帰っていいんだぞ」

 先生の呆れた声に我に返る。


 次々と開花していく同級生の中、運動音痴な僕は、練習についていくことすらできず、自分に自信が持てない。

 

 三学期の始業式。中学の始業式は、表彰式も兼ねている。

「一年一組、高原詩織」

「はい」

 澄んだ声が体育館に響き、彼女は壇上に上がる。

 僕たちとあの子の標高差は、そのまま人間ランクの差を示しているかのようだった。

 


 式の後の教室。

「詩織ちゃんすごいねー」「もう何度目だろ」

 あの子がみんなに囲まれて嬉しそうにしているのを、自分の席で見ている僕。


 その日の放課後の掃除の時間。

 僕たちは二人で掃き掃除をしている。

「侑ちゃん、寒くなったねぇ」

 いつも通りの口調。

「ああ、うん」

「夏のときは早く冬になれって思うけど、冬のときは早く夏が来てほしくなるよね」

「そうだね」

「最近どう?」

 イライラが抑えられない。

「最近どうって何が?  というか今掃除の時間でしょ。表彰されたからってフワフワしないで、掃除に集中しようよ。」

 あの子は掃き掃除の手を止め、悲しそうな表情を浮かべる。

「掃除ちゃんとしてなかったのは謝る。でもわたし、フワフワなんてしてないよ」

 ああ、そう。

「侑ちゃん、なんか最近、冷たくない?」

 陸上部エース様にはわからないだろ、僕の気持ちは。

 心の中だけで返事して、掃除を続ける。

 小さなため息が聞こえた。


 部活で全く芽が出ない僕は、うまくいかないイライラと嫉妬で、あの子に辛く当たるようになる。

 今以上に子供だった僕は、みんないろいろあるってことがわかっていなかった。

 後で聞いた話だが、そのとき彼女は上の大会に出るのにはタイムが足りず、練習後には悔しさのあまり、涙を流すこともあったという。それを表には出さずに明るく接してくれていたのだ。しかし、僕はあんな態度を取ってしまった。

 だから当然、関係が進展するわけもなく、クラスが離れてしまう。

 

 僕は彼女になにかを残せたのだろうか。たとえば、久しぶりに開いた中学のアルバムで僕を見つけたとき、あの子は何を思うのか。


 入学式が終わり高校初めてのクラス――一年二組で、自己紹介が出席番号順に行われた。

 長々と楽しそうに話す人を見ると、昔の自分を思い出す。


 小学校時代には委員長を何度も務め、六年のときには児童会長をするほど外向的だった。先生の言うことはちゃんと守り、いじめなんかは許さない典型的な委員長タイプで、そんな自分が好きだった。

 しかし、中二の初めに事件が起こる。

 体育の百メートル走の計測。

 隣は剣道部。当然、勝たなきゃいけないんだけど…。

 笛の音とともに走り始める。

 並んでたのは最初だけ、すぐに離される。

 横で見ている友達の、「侑ちゃ~ん」という呆れて笑っているような声、ちょっと黙っててくれ。

 一秒近く差をつけられてゴール。

 

 元々運動音痴なのに加え、部の練習についていけなくて運動全般に苦手意識を持っていて、やる前から気持ちが折れていた。その結果、百メートル走は十五秒台、砲丸投げはただ一人四メートル台、走り高跳びは百十センチメートルという屈辱の記録に終わった。

 友達は、え~、マジで? みたいな反応だった。それでも、しばらくすれば以前と同じように話しかけてきてくれたのだが、情けを受けているようなのが嫌で、僕はその子たちと距離を置くようになる。優しさは感じるんだけど、いつかまた同じような対応を取られることを思うと、暗くなるのが最も楽だった。それから皆に注目されるのが辛くなり、委員長キャラを捨てた。小学校の同級生に会うとよく、覇気がなくなったね、と言われる。

 結局、部ではベンチ入りすらできず、何もできずに終わったという感じだった。

 高校ではサッカー部で活躍し、友達ともうまくやっていけたら、と思っているんだけど。無所属は嫌だし、頑張っていくつもりだ。中学の練習についていけないやつがついていけるのかとも思うが、なんとかするしかない。

 

 昔はあんな感じで、明るく自己紹介していたなぁ。今となっては、なぜ児童会長なんかやろうと思ったのか全くわからない。

 僕の番がきた。緊張し、どもりながらも、名前、出身中学、サッカー部入部希望であることは言っておく。変なことして引かれないようにしないと。

 一仕事終えて席に着き、肩の力を抜く。声が裏返らなくて良かった。

 次に気になるのはサッカー部に入る人なのだが、なかなかいないみたいだ。言わないだけかもしれないけど。

 

 サッカー部仲間が一人も見つからないまま、最後の一人が立ち上がりしゃべり始めた。やや背が低めの女子だ。

「私は服部紗江っていいます。入試はぼろぼろで、絶対落ちたと思ってたら受かってたので、多分このクラスで一番勉強ができないです。」 

 その後も、彼女はかすかに笑みを浮かべながらしゃべり続けた。雰囲気としては、ヒーローインタビューを受ける野球選手に近いものがある。

 少し茶色がかった黒髪を、前髪は眉にかけず、後ろは肩のあたりでそろえており、目元からは勝ち気そうな印象を受ける、奇麗な子だった。

「幼稚園のときにサッカー始めて、中学入ってからはfcフログモスという女子サッカーチームでやってます。フログモスってのは古代ギリシャ語で炎って意味らしくて、もうちょっといい語感の言葉はないのかっていつも思ってます。それと私の兄はこの高校のサッカー部のキャプテンで、小さいころから一緒にボール蹴って遊んでました」

 女子でサッカーをしている人がいるとは予想外だった。男の僕より足速いだろうな。

「理想は全員仲良いクラスです。みんなこれからよろしく」

 拍手があり、彼女は席に着いた。

 ――というかサッカーの話してるとき、こっち見ていた気がするのは自意識過剰だろうか。

 僕の一番苦手なタイプは、運動神経のいい人である。他人の運動能力を気にする子が多いし、僕の能力を知ったときの引きっぷりが一般人とは段違い。

 というわけで彼女については、どう付き合っていくかをじっくり考えなきゃいけない。まあ、一度も喋らず一年終わる可能性が高いことぐらいわかってるけど。

 チャイムが鳴り、机の上のプリントを片付けた席を立ち、教室の出口に向かうが、

「大庭君、サッカー部入るの?」

と、後ろから声がかかる。

 おそるおそる振り向くと服部さんだった。

「う、うん。まあ一応」

と小さな声で返事をする。

 

 顔立ちは整っている方なのか(見慣れているので自分ではわからない)、僕は女子に話しかけられることも少なからずあるのだが、中二体育事件以来、こういう対応をするようになる。そんなことしてるから、私と仲良くする気ないのかな、と思われ、だんだん話しかけられなくなるようだ。

 中三のときに、高原さんと塾で再会した。

 友達と歩く彼女は、一年生の時よりかわいくなっていた。こっちに気づいて、二年前から変わらない笑顔を僕に向ける。

「侑ちゃん久しぶり~、元気してた?」

 冷たくしていたことなどなかったかのように話しかけてきてくれた。なのに、

「……」

 口を少し開き、おう、みたいな感じの僕。

 それを返事と受け取ったのか、そのまま彼女は僕を過ぎ去る。

 一年の時、どうやって話していたのかもうわからない。僕、あの事件で変わっちゃったんだな、と一番強く感じたのがこのときだった。


「サッカーいつからやってるの?」

「えーっと、中学から」

「ポジションどこなの?」

「い、一応、サイドバックだったけど……」

 矢継ぎ早に質問をしてくる服部さんに、僕はどもりながら返事をした。

 面倒なことになった。この子も僕の能力を知ったら態度変えそうだな。

 しばらく言葉を切ってから、おもむろに口を開く。

「Aじゃなかったけどね」

 これだけは伝えておかねばならない。

 ちなみに、中学サッカーでは一軍のことをAチーム、二軍のことをBチームという。Bチームって何度聞いても嫌な響きの言葉だな。

「あ、そうなんだ」

と表情を変えずに答える彼女だったが、こいつダメじゃん、とか思っているのかもしれない。

「ちょ、ちょっとトイレ行くから、また後で」

と早口で言い、僕は教室を後にした。

 

 その日の授業は次で終わりで、放課後もあの子話しかけてくるかな、とびくびくしていたが、彼女は荷物をまとめるとすぐに帰ってしまった。失望したのだろうか。ちょっと寂しい気もするが、仕方がない。僕をヘタレだと思っている人にまで、仲良くしてもらいたくはないし。

 

 うちの学校は、この学区では一番の進学校である。

 三年生のときに、僕はこの高校のオープンハイスクールに参加した。そのときにサッカー部の説明会もあり、そこで知ったのは、彼らの目標は県大会に出ることだが、それは進学校だから飛び抜けて優れた選手は集まらないせいで、決して遊びでやっているからではないということだった。

 それを示すかのように、入学式の日から昼食後に練習はあり(こんなこともあろうかと、持ってきておいた弁当を誰もいない教室で食べた。他の部は休みなようだ)、入部希望の一年生は着替えて部室前に集まった。

 全員で十一人。まだ仲良くなれてないのだろう、みんな無言だった。この身の置き場のない感じは苦手だ。

 みんな僕よりうまそうに見えるなぁ。実際そうだろうけど。

 やっぱりあのクラスでサッカー部は僕だけのようだった。同じ中学のやつもいないし、知り合いはゼロ。

 今日はボール拾いかな、と思っていると、いかつい顔の先輩が練習から抜けてきて、

「おう、集まったか。じゃあとりあえず校舎周り十五周走っといて。受験で足腰なまってるだろうし。終わったらうちの雰囲気をつかむためにも、俺らの練習見といてくれ」

と言った。

 みんな、「はいっ」と返事して、先輩が練習している中、走り始めた。

 下校しようと自転車の鍵を開けたり、ヘルメットをかぶったりしている生徒の後ろを走り抜ける。

 こうやって春のにおいをかぎながら走っていると、小六の陸上競技場での練習を思い出す。あのころは将来への希望しかなかったな。今はサッカー続けるべきかって不安が大きいけど。


 僕も何の準備もなく、中学でサッカー部に入ったわけではなかった。小五で陸上の長距離を始め、六年のマラソン大会では七位をとった。持久走は昔からそれほど苦手ではなかったのに加えて、真面目に練習したのも良かったのだろう。これで僕もあっち側か、と視界がぱっと開けたのを覚えている。中二以前はそのことを鼻にかけていたから、今の僕と昔の僕のどちらがいいのかはわからないけど。

 ボールを扱う練習も我流でしており、そこまではシナリオ通りだったんだけど、誤算があった。中学生の男子は、成長期で運動能力が飛躍的に上がる子が多いのだが、僕の場合、背が伸びるばかりでそれがあまりなかった。得意の長距離も、小学校のときは勝っていた人に負けるようになる。それと、サッカーは持久力よりダッシュ力の方が大切なのだ。マラソンは遅くても、試合になると溌剌と走りまわる人もいる。

 こうして主に身体能力という点で皆についていけなくなり、高原さんやサッカー部レギュラーなどの、運動部でばりばり活躍する人たちに嫉妬し、中二体育事件などもあったせいで、僕の中学生活は暗いものでしかなかった。

 

 春休みにそこそこ走ってたこともあり、真ん中くらいの順位でゴールすることができた。短距離もこのくらい走れればいいんだけど。しかし、本当に速いやつは速い。たった十五周で二回も抜かれるところだった。

 ランニングを終えた僕たちは、少し歩いて息を整えてから、先輩たちの練習と、その後の小さめのコートでのゲームを見た。

 やはり中学とは雰囲気が違った。技術的なこともあるが、なんといっても一番の違いは活気である。

 中学の練習は黙々と行われていた印象があり、試合のときも静かな感じだった。

 しかし、先輩たちは、ゲーム中には指示の声、通常練習では気合い入れのかけ声を、ひっきりなしに出していた。「声出していこう!」「元気出していこう!」とか、勇ましい声が切れ目なく聞こえる練習風景は、圧倒されるものがあった。さっき走っていたときもそれが小さく聞こえていた程だ。

「集合ー!」

 キャプテンが叫ぶ。

 先輩たちは、かけ声で応じてからダッシュで戻ってきて、キャプテンを中心とした円を作る。

「キャプテンの服部です。今日から新入生入ってきました。一年のために説明するけど、うち進学校だから、ゴールデンウィークあたりの総合体育大会、総体で三年生はほぼみんな引退です。だから、二、三年はかなり気持ち高まってて、入りたて一年と比べるとだいぶ温度差あるんで、一年は先輩の邪魔だけしないようにしてください」

 語調が強まる。

「今日の練習でももっともっと声出して、盛り上げてやってけると思うんで、テスト後の練習はそれができるようにしましょう。テスト休み、当たり前だけど、体力落とさないように各自走っとくように。以上っす」

 それに答えて、「っした!」、と声を上げる先輩たち。ありがとうございました、の略だろう。

「よし、そこで横一列に並んで、グラウンドに挨拶!」

と、グラウンドの端を指差し言うキャプテン。それに従い整列する。

「気をつけ!  礼!」

「ありがとうございました!」

 練習は五時前に終わった。

 体育会系全開でしゃべったキャプテン――服部兄は妹に話し方がそっくりだった。特に自信満々なところが。

 今日一日でわかったのは、この部は聞いていたとおり、本気のサッカーをしているということだった。やっていけるだろうか……。

 皆が部室に戻ろうとすると、キャプテンが声を張り上げる。

「ごめん、一個忘れてた。この後、校門からすぐのファミレスで、一年の歓迎会みたいなのやるけど参加するやつ―。テストもあるし、そんなに長くはせんけどな」

 一年生は全員手を挙げたので、僕もあわてて挙げる。

 

 夕飯には少し早い時間なので店は空いていた。サッカー部二十数名は、通路を挟んだテーブル四つを占領した。

 僕は、通路の近くに座った。メニューを店員に伝えた後、周りにどう話しかければいいかわからず、携帯を見ながら考える時間を稼いでいた。

 すると、右隣のがたいのいい子がこっちを見ながら、

「おう、ちょっといい?」

と話しかけてきた。

「俺、赤崎。よろしく」

 僕は顔を上げて

「あ、うん。よろしく。僕は大庭」

と小さな声で返す。

「自分、ポジションどこ? 俺はセンターバックだけど。」

と聞いてきてくれた。

「一応サイドバックだったけど――」

 かっこ悪いが言わねばなるまい。

「試合には」

出れてなかったから、と言おうとした瞬間、

「おーっす」

と、別のテーブルからこっちにきたキャプテンが割りこんできた。

 僕は右に詰め、場所を確保すると、彼はそこに座り、

「よし、自己紹介していこうか。俺の右の君から反時計回りで。このテーブル終わったらそっちのテーブルな」

と皆に向かって言った。僕は居住まいを正した。

「僕は大庭侑司といいます。一年二組です。神中でサイドバックでした。先輩方にはご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、これからよろしくお願いします」

 パチパチと拍手が起こる、

 なんとか噛まずに言い終えた。部での自己紹介の緊張度は、クラスでのそれの比じゃない。変なこと言わなかっただろうか。

 ほかの子の紹介は出身中、ポジション、意気込みを言うくらいだった。みんな先輩の前で萎縮していて、下手なことを言わないようにしているのだろう。

 全員の自己紹介が終わると、キャプテンが話しかけてきた。

「大庭だったよな。二組ってことは紗江と同じクラスだな。妹でサッカーやってんだけど」

 入学一日目で妹のクラスを把握しているのか。妹と仲いいんだな。

「はいっ、自己紹介でサッカー部希望って言ったら、早速話しかけてきてくれました」

と縮こまりながら答える。

「ああ、あいつらしいな。気は強いけど悪いやつじゃないから、できたら仲良くしてやってくれ」

「はい」

 彼はほほえんで僕の肩を叩き、

「うち本気でやってるから、しんどいこともあるだろうけど、まあ頑張ってこうぜ。じゃ、また」

と言い、別のテーブルに行ってしまった。そちらでも同じようなテンションで話している。

 あの子と仲良くか。がっかりされたみたいだから、もう喋ることないかもしれないんけど。

 あっ――Bチームだったって言うのを忘れていた。Aだったと思われてるだろうな。もう遅い。

 そういえば、誰一人として試合出てたかを言わなかったが、高校で続けるなら、中学でレギュラーなのは当たり前だからだろうか。僕はこの部に入って良かったのか。

 キャプテンの発言を聞いた赤崎が、興味深げに尋ねてきた。

「えっ、お前のクラスにキャプテンの妹いんの? どんな子? かわいい?」

「ああ、まあ普通にね」

「へー、また見に行こ」

と楽しそうな坂本。

「まあそれは置いといて。頑張ろうな。ディフェンスライン組むことになりそうだし」

「う、うん、もしかしたら」

 君と試合出ることはないかもしれないけど。

 さっきのランニングでは僕のが早かったので、まともな運動能力を持っていると思われているようだ。

「俺一応、東播トレセンだったけど、今日の練習見てる限りじゃ今すぐは通用しないかもな。キャプテン動き速すぎるわ」

「ああうん、あれはびびった。高校は違うなーって思ったよ」

 この人とは喋りやすいかもしれない。

 そのあとも主に赤崎と話していた。僕のことを気に入ったのか、かなり親しげに話す彼には、なんとなくBだったことを言えなかった。

 まあ、これから頑張ればいいか。

 初対面で気を許しすぎた感じもするけど、快活な人たちと喋って、なんとなくこの部でやっていけそうな気になった。

 明日はテストなので、会は一時間弱で終わった。

 

 春休みの課題テストを終えて数日が経った。

 朝、登校して教室に入り、席に着こうと教卓の前を通っていると、近くの席の男子が「おう、大庭おはよう」と声をかけてきてくれた。僕はそっちを見て、小さく「おはよう」と返す。

 この人、今のところいいやつだけど、なんか軽そうな感じがしてるんだよな。

 仲良くできそうな子も何人かできた。だけど、問題はこれから。今は体育の授業では幅跳びをしており、僕は人並みにはできている。もし、中二のときのように苦手な種目が続き、ぼろぼろでも、態度を変えずに接してくれるのだろうか。そう考えると、まだ彼らを、いつでも離れられる程度にしか信用できない。信頼しすぎると裏切られたとき辛いから。新歓会の赤崎とは、やっぱりちょっと打ち解けすぎたかも。

 中二体育事件のとき立ち直れたのは、稲岡恭平――小学校からの幼なじみのおかげだった。運動ができるけどスポーツに対するこだわりが弱く、あのときも、落ちこんで泣きそうにさえなる僕を元気づけてくれた。

 彼とは同じ高校に入学し、幸運にもクラスまで一緒になれた。

 彼は中高と吹奏楽部で、ずっと同じ部の村瀬葵という子を彼女に持っている。クラスは離れてしまったけど、彼女も幼なじみだ。二人には本当に良くしてもらっている。


「英語どうだった?」

と、さっき帰ってきたテストについて聞いてくる恭平。

「九十四点」

「はー、やっぱりすごいな」

 普段は自慢っぽく聞こえないように、一応九十四点、みたいに返すけど、こいつだと遠慮はいらないから、すぱっと答えられる。

 僕は昔から勉強だけは得意だった。この高校入るのにもたくさんの人を押しのけてきてるし、しっかりやらないとな、と考えてはいる。

「侑司、最近サッカー部どうなの?」

「一年は校舎周り走り終わったら、先輩が練習してるの見ながら、声出し兼ボール拾い役してるかな」

「ああ、うちの練習中にも声聞こえるよ。やっぱ、運動部って吹奏楽部とは雰囲気違うわ」

「まあそりゃあね。初めは声出すのためらっててキャプテンに怒られたりしてたけど、みんなだいぶ慣れてきたよ。」

「キャプテンって服部さんのお兄さんだよな。やっぱりうまいの?」

「あぁ、あの人ね。まず足がとんでもなく速い。僕とかならスピードだけで抜けると思う。自分で言ってて悲しくなるけど」

「ああ。まあ、頑張れよ。応援してるしさ」

 会話を一旦やめ、弁当に箸をつける。

 教室のドア近くでは、服部さんが二人の女子と食事している。髪の長い子はまだわからないけど、短い方は金沢って名前だったはず。

 表情豊かに長めに話すほか二人に比べ、服部さんは真顔で、比較的端的に返しているようだ。

 あれから喋ってないけど、彼女は僕のときみたいな感じでクラスメイトと接していて、すっかりこのクラスの中心人物となったようだ。

 全員と友達になるのは、昔は僕も目標だったけど、委員長キャラとともに捨ててしまった。誰とも、敵対だけはしないように頑張っているつもりなんだけど。あの子はどこからそんなバイタリティーが生まれるんだろう。無理してないのかな。

 長髪の子の方が尋ねる。

「紗江ショート似合うね~。どこで切ってんの?」

「えっとね、私、お金かかるの嫌で千円カット行ってるのよ」

 服部さんとあの二人ではだいぶタイプが違うように見えるけど、本当に仲がいいのかな。女子の交友関係はわからない。

 金沢さんが口を開いた。

「そうなんだ。きれいに切ってくれるのね。ショート好きなの?」

 二人の間で会話が続く。

「いや、こだわりはないんだけど、伸ばしちゃうと、サッカーのときにヘアバンド使わなきゃいけなくなるのよ。あれしちゃうと、髪の方気になって集中できなくなるから。ちょっと伸ばしてみたい気持ちもあるけど、今は見かけより実益優先」

「ふーん、すごいね。スポーツにかけてるって感じよね」

「まあそうかな。それと私、服とかもけっこう適当なのよ」

 それを聞いた金沢さんは目を輝かせた。

「ねえ、また一緒に買い物行かない? 服見繕ったげる。あたしけっこう詳しいのよ。紗江素材いいし、超かわいくなるって。」

 服部さんは少し表情を曇らせた。

「私、自己紹介でも言ったけど、ほんと勉強ついてける気しなくて、遊んでる暇ないのよ。サッカーもあるし。だから気持ちは嬉しいけど、ごめん」

 金沢さんは一瞬、不満げな表情を浮かべるが。

「……そうなんだ。無理言ってごめんね。サッカー頑張ってね」

 と優しく返した。

「うん、ありがとう」

 女子もいろいろ大変そうだ。

 それと、あの子、やっぱりサッカー本気なんだな。


 その夜から、春休みにしていたランニングを再開することにした。我ながら単純だけど、頑張っている人がいたら自分もって気になる。

 母さんに外を走ってくると告げて、体操と柔軟を済ませて走り出す。人気のない家並みを抜けて、農面道路へ向かった。車の走行音が遠くに聞こえる。

 二回吸って、二回吐いてを繰り返し、足をリズミカルに動かす。

 こうやって走ってると、自分が強くなってる感じがしてなんかいい。ボクサーが走り込んでるイメージ。

 二キロほど走って息を整える間、達成感に包まれる。やっぱり持久走は好きだ。

 

 翌日、学年の掲示板にテストの成績上位者が発表された。昼休みに見ても良かったけど、混むかもしれないし、僕は少し早めに登校して見に行った。僕は九位だったけど、一位とは二十点近く離されている。

 進学校だけあってすごい人がいるな。

 教室に入るとなぜか服部さんが来ていた。僕の方を見ると、テストを持って早歩きで近づいてくる。

「大庭君、ちょっとお願いがあるんだけどさ。英語の問題でちょっとわかんないのがあるのよ、一限始まるまででいいから、教えてくれない?」

 もう話しかけてこないと思っていたので、少し驚いた。

「ああ、わかった」

と控えめに告げて、自分の席に向かう。彼女は僕の後について来た。僕はいすに座ったけど、服部さんは僕の席の前に立ったまま、テストを見せてきた。

「この主語入れる問題で、なんで動詞がreadなのに主語がIじゃなくてsheが正解になってるの? sheだったらreadsじゃないの?」

「readは過去形と現在形が同じ形で、ここは文脈から考えると『彼女は読んだ』が自然だから」

「あ、なるほど。理解できたよ。ありがとう」

 なんかわざとらしい。

「すごいね九番って。私、中学でも一桁取ったことないのよ」

「ま、まあ、勉強は昔からなぜかできるから」

「そうなんだ」

「うん、だから今とかでも、嬉しいってよりはほっとしたって感じで。親とかのためにも頑張ろうとは思うけど」

 ふーん、と言い考え込む彼女に、僕は少しためらったが本音を告げることにした。浮ついてたせいもあるけど。

「勉強もあれだけど、やっぱり僕は部活頑張りたいかな。中学のときずっとAにあこがれてて」

 二度目の会話にしては踏み込みすぎかも。

「サッカー部どうなの?」

「走って球拾って声出してるだけだから、まだなんとも。ちゃんと練習混ざるようになってからついてけるかがちょっと不安だったり」

「まあそうよね。ブランクもあるしね。同じ見てるのでもさ、先輩の動きをよく観察して、色々考えてればいいと思うよ」

「ああ、うん」

 彼女は後ろを向いて、

「あ、海原さん来たから私もう戻るね。教えてくれてありがとう」

と言った。そして立ち上がり、自分の席に帰っていった。

 喋りながら、塞いでいる席の子が来ないかも気にしていたのか。

 それと、あの問題なら僕に聞かなくても答はわかるだろうから、聞いてきたのは僕と話すためだけだろう。しばらく僕に話しかけてこなかったのは、中学Bだったって聞いて、別の話題ができるまで待っていたからだろうか。だとしたら、気が利く子だな。

 思いの外、服部さんとの会話は楽しく、黒歴史の中学時代についても触れてしまった。それでも、中二体育事件には言う気にはなれなかった。サッカー真剣にやっているあの人だからこそ、あれを知ったら、部活辞めた方がいいとか言うかもしれない。

 あの事件を過去の物にするために、ランニングはあれからも続けていた。

 本当のところ、僕にはサッカーは向いていないのだろう。だが、僕は部活を頑張りたかった。辞めでもしたら、サッカー部退部した根性なしって思われるのが嫌っていうのもあるけど。


 それからもときどきは服部さんとしゃべり、少し仲良くなれた気がしてうれしかった。彼女は決してサッカーの話を自分から振ってはこなかった。当たり障りのない内容から会話を始めて、僕がサッカーに触れるとアドバイスをくれたりした。人の嫌がることしないように気をつけているのが見えて、彼女の株は上がる一方だった。

 

 しかし、恐れていたことが起こる。

 その日から一年生は、本格的に練習に参加した。

 ストレッチが終わってから、ペアが投げたボールをいろんな方法で返す基礎練習を、二年の先輩と行う。

 次に、二十メートル四方の四角形で、六人対六人で数分間、ひたすらボールの取り合いをした。先輩たちほどじゃないけど一年生も上手で、何より思ったのは、よくそんなに走れるなということだった。

 ボールが僕の近くを転がるが、届かない。

「大庭―。そこで取れってー」

と先輩の一人がいらだたしげに叫ぶ。

 取れるのなら取ってますって。足が動かないんですよ。

 

 「大庭っ!」

 先輩が僕の名を呼び、インサイドでパスをくれる。

 ふらふらしながら左で止めて、右足で左にパスを出す、が読まれていて敵に取られる。

 さっきの先輩の舌打ちが聞こえる。

 この感覚懐かしい。みんなに手の届かない。

 

 その日は最後に、五十メートルほど先の白線に触り、戻ってくるという練習があり、顧問が決めた秒数以内に戻って来られるまでエンドレスで行われた。

 僕は始める前から、それまでの練習で疲労困憊だった。

 笛の音と共に走り出す。先頭はキャプテンで僕は最下位。

 一本目が終わり、数人が抜ける。あれだけ足早ければ学校生活楽しいだろうな。

 少しの休憩を挟んで、再び笛が吹かれる。

 

 他の人がどんどん抜けていく中、僕は一人でずっと走っていた。

 完全に疲労で心が折れる。

 「大庭ー、頑張れよー」

 あれはキャプテンだろう。悲痛な声が聞こえる。

 「あいつのあれ、走ってるのか?」

 二年生で一番の俊足の先輩がつぶやく。

 なんだこれ、なんで僕だけこんな目に。

 先生はだんだん制限を緩くするのだが、僕はそれでもあがれなかった。

 

 百メートル走るのにそれだけかけるのはマラソンだろ、って制限時間で、ようやく練習を終えることができた。

 吐き気を催し、練習後もしばらくその場にしゃがみこむ。

 

 少し気分が良くなってから、着替えもせずに荷物を取り、冷め切った空気の部室を跡にする。みんなの視線が痛かった。

 中学のときのように泣きそうになることはなかったが、呆然とした気分だった。

 

 家に帰って着替えを済ませ、リビングで椅子に座り考えこむ。

「侑司、そろそろ夕飯だから」

 野菜炒めをテーブルに置いた母さんが言う。父は今日も遅くなるようだ。

「ああ、うん」

 母がよそうご飯を運びながら考える。

 高校でもこうなるのか。これからどうしよう。短距離って生まれ持った才能が大きいって聞くしな。せめて人並みに走れるように生まれたかった。

 もっと頑張るべきなのか、それともサッカー辞めるべきなのだろうか。

 そうして一人で考えても、答えは出なかった。

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