拝啓、左右差別主義者たちへ
『今日は三十一回右に曲がり、左には二十三回しか曲がらなかった。明日は八回多く左に曲がらねばならない。電車の吊革は、立ったまま居眠りをしてしまうまで交互に掴まることができたが、お陰様で右手で一回多く掴まってしまった。明日は左手から掴まらねばならない』
私はここで筆を置いた。今度は左手で書かなければならない。
『生まれてこの方四十五年、左右を差別しないことを心に決めて三十五年が過ぎた。私はよく人から変人扱いをされる。しかし、私から言わせてもらえれば、皆の方がおかしい。何故右ばかり、はたまた左ばかり選ぶのか、甚だしく理解に苦しむ。あらゆる平等が叫ばれて久しい昨今、次は左右も平等扱うべきではなかろうか。最も身近な差別こそ左右差別であると私は説く』
そろそろ右手に持ち替えよう。
『右の方が使いやすいから、左の方がいい。かつて私が左右平等について認識調査を行ったときに得られた回答だ。これらの回答は、漏れなくどちらか一方しか使えない人々からもたらされたものだ。その数は全体の九割八分にも上る。残りの二分は両利きの人である。私はあまりの認識の低さに驚きを隠せなかった。一度、右手に煙草を挟む男に、左手が可哀想だと思わないのかと尋ねたところ、鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をしていた。やはり、一般人にはこの程度の認識なのである』
おおっと、危うく書き過ぎるところだった。左手に持ち替えよう。
『人々にとって左右を選ぶということは、何ら差別ではないらしい。寧ろ、差別をしているという自覚すら持っていない人々もいる。私はこの問題の根幹はここにあるのだと考えている。彼らに左右を選んでいるという認識を持たせることができれば、この先の未来に燃え上がるであろう左右差別問題をもっと理解を得ることができるのでは、と考えている次第である』
さあ、右手の出番だ。
『これらのことを踏まえて、私はここに左右平和連合を立ち上げることを宣言する。世界に真の平等を、真の平和をもたらすのだ。さあ、立ち上がれ左右解放戦士諸君。人々に左右を選択、もとい差別していることを気がつかせるのだ。振り上げる拳は常に両方であれ。振り下ろす拳もまた然り。片目を瞑るなら両目を瞑れ』
さて、そろそろいい時間だから眠る事にしよう。
明日は左手から書き始めねばならないな。