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評論家の評価基準は「凄い」であって、「面白い」ではない

作者: いかぽん
掲載日:2017/03/29

 作品の評価をつけるというのは、本来は非常に難しい。

 何をもって高評価をつけるべきなのかが、判然としないからだ。


 ある作品を読む。

 すると、「あ、この作者さん間違いなく実力あるな」というのが分かることがある。

 文章、構成、見せ方。どれも相当考えて作られているというのが分かる。


 でも、その作品が面白いかどうかと聞かれると、首を傾げる。

 もっと読みたいか、と聞かれると、別に、となる。


 それは実力がないんじゃないか、と聞かれると、「実力」という言葉の定義の問題になる。


 「面白い」とは何なのか。

 これは考えると沼に嵌まる。

 正解がないようでいて、実はいくつかの種類に分類していけば説明できるような気もして、でも僕という個人では、感性の問題で受け取れる面白さの種類が限られてくる。

 自分の感性で受け取れない面白さを言葉で説明するのは、相当無理がある。


 例えば、「感動」というのは「心が動くこと」だ、という面白さの定義の仕方がある。

 読者の心を動かすような作品が面白い作品であり、面白い作品とは読者の心を動かすような作品である、とする。

 これはわりと筋のいい見方で、そこそこ多くの作者・読者が納得するのではないだろうか。


 ただ、それでも不十分。

 世の多くの人に気に入られた娯楽作品のすべてがこれで説明できるかというと、流石に無理がある。


 だというのに、だいたいの「面白い」を語る人というのは、このレベルでストップしている。

 それはいいのだが、そこでそういった要素のない娯楽作品を否定するようになると、これは考えのレベルが低いとしか言えなくなる。


 とあるなろうユーザーさんは、「面白い」という言葉を使うのが悪いと言う。

 これは分かる話だ。

 「面白い」という言葉を使った議論は、その言葉の多義性と絶対性ゆえに、あっという間に変な方向に転がり込む。

 特に意見の食い違う他者の議論なんて、とてもこの言葉を介してでは行なえたものじゃないし、そんな議論見れたものじゃない。


 「面白い」の中にもいろんな価値が内包されているし、作品の中には「面白い」という言葉に馴染まない価値を含んでいるものもある。

 「読んでいて気持ちいい」とか「萌える」とか「ほのぼのする」とか「何となく先を読みたくなる」とか、世の中には「面白い」という言葉で表現しづらい価値を内包した作品が、たくさん存在する。



 一方で、評論家という人たちがいる。

 自分で評論家を名乗らずとも、作品の良し悪しに個人の主観ではなく一般的良悪をつけて論じていれば、それはもう評論家の領域に片足を突っ込んでいるのは間違いない。


 ただ僕は、「面白い」について論じている評論家を、寡聞にしてあまり知らない。

 彼らが論じるのは、ほぼほぼ常に、「凄い」かどうかであるように思う。


 彼らの中には、作品に対する「凄い」という自分の中の想いによって生じた興奮・感動を、作品の面白さであると認識している者もいるだろう。

 これはサーカスを見て感動するのと同じだ。

 彼らは作者の技術を見て、その凄さに感動する。


 そして、別にこれを誤りであるとする必要はなく、「凄い」という想いから生じる興奮・感動も、その作品そのものが持つ面白さの一つの種別として分類・定義するのは構わないだろう。


 ただこれは、その作品を「凄い」と感じる前提知識や認識を持っている者たちのみが得られる興奮であり感動なのであって、つまりは評論家筋の人のみが感じる面白さと言える。

 こういったもののみを作品の価値と置いてしまうと、一般人置いてけぼりの識者たちだけが満足する評論ができあがってしまう。




 ではさて、作品の評価とは、どのようにして下すべきなのか。

 これに対して、誰もが納得する答えなんてものは、存在しないんじゃなかろうか。


 「小説家になろう」にも、読者が作品に評価をつける機能が存在する。

 これに対して、「自分なんかが作品を評価するなんておこがましい」と思って、評価を控えている人もたくさんいると思う。


 でも、おこがましいのは、誰だってそうだ。

 どんなに賢くて文芸やエンタテイメントに長けた知見を持っている人だって、作品に対する絶対的に正しい評価なんて下せるわけがない。


 ただ、僕には思うところがあって、それは「凄い」に対する評価は知見ある個人によって行なえるとしても、作品の娯楽的価値に対する比較的正しい評価は、個人ではなく、集団でしか行なえないのではないかということだ。


 100人の読者が作品を読んで、つまらないと思う人が30人、面白かった・良かったと思う人が60人、めちゃくちゃ面白かった・素晴らしいと思う人が10人いて、その総合としてしか、その作品の価値の高さは、語れないのではないか。


 ただ現実問題としては、圧倒的多くの読者は、読んだ作品に評価なんてつけない。

 評価をつけるタイプの読者というのは、評価をつけるタイプの読者であるという時点で、その性質に偏りがある。

 ゆえに、世に出てくる結果としての評価の数字というのは、常にゆがみを帯びている。

 


 ちなみに個人的には、もっとも適切に機能している評価システムは、ツイッターのリツイート&イイネのシステムだと思うのだが、いかがなものだろうか。

 イイネぐらいの、良さに対して比較的誰でも気楽に付けることができる評価方式と、すごく良いと思ったものを広めたい、知人と共有したい願う想いが繋ぐリツイートの合わせ技には、ちょっと感心するしかない。


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