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窓の外からは、遊園地の全貌が見下ろせる。仮想視野のなかでは活気のある遊園地だが、実際には動いていない。光る幽霊が徘徊するだけの廃墟なのだ。
《初めまして、というべきでしょうか》
「まあ、初対面だな」
観覧車のなかだった。
俺の向かい側に居るそいつは、依頼人から確認していた英里紗・磐座の姿を殆んど完璧に複製していた。だが、そいつは英里紗・磐座ではなかった。本人に成りすました別のなにかだった。
そのなにかは、幽美的な服装に身を包んでいた。澄ました雰囲気がそいつを余計人ならぬものに見せている。
「……で、この大層な御出迎えはなんなんだ」
《おや、お気に召しませんでしたか》
「いや、演出としては上々だ」
《なら良かった。満足させられなかったら、私を支配するプログラムに反しますから》
「“叛逆防止プログラム”か」
《ええ、そうです》
俺は立ったままだった。
「……なら、そのお嬢さんを返してくれないかな」
《それはできません》
「なぜだ。プログラムは人間の命令を優先するようにできているはずだが」
《その通りです。しかし、今私にはあなたよりも優先順位の高い命令者がいる》
目を細める。
「どういうことだ」
《わかりませんか。彼女です。彼女の願望こそが今の私を支配しているのです。彼女は今……そうですね、有り体な言い方をするなら閉じこもっています》
「話し合うことはできないのか」
《できません。彼女は夢から覚めることを望んでいないのです》
「夢、か」
俺はゆっくり瞬きを二回した。
《〈妖精の国〉のAIは、もともと来客に夢を与えることでした。彼女がそれを知っていたどうかは知りません。しかし、私は正常に機能しています。彼女の生命維持に問題がなければ、彼女の意志の方が優先される》
「知ったことか」
俺はスマートガンをそいつの眉間に当てた。
「夢を見ていられるほど、まだ現実は甘くないんだよ」
俺は引き金を引いた。
風船の弾けるような音がした。
少女の眉間からは滾々と血が溢れ出る。瞳は虚ろな色になり、あたかも無重力空間にいるかのように身体が宙に浮かび出す。
仮想を貫く弾丸は、AIを侵食し、機能不全に陥らせる。
……はずだった。
溢れ出た血液が、俺の身体に付着した途端、何か違和感を覚えた。赤い液体が俺の身体に浸み込んでいく……血の付いた箇所から、皮膚が赤く塗り染められてゆく。
俺がことに気づいた瞬間、目の前の少女は嗤っていた。眉間から血を流しながら、嘲笑うように、カラカラと。
右手が俺の意志に反してゆっくり動き出す。
俺は奥歯にあるスイッチを叩いた。次の瞬間には、すべてのアクセスが切断され、俺は肉体に閉じ込められた。
廃園だけがそこにあった。
動きを止めた観覧車は、一番高いところにあった。窓を壊して降りるのも選択肢ではあったが、それでは仕事が果たせない。
体内に埋め込まれた復元ソフトが再生されるまで、俺は待った。窓の外には、相変わらず錆び付いた夢の残骸が観える。
そして遊園地の見下ろしながら、考える。
先代総裁が何を作ったかはわからないが、あれは恐らく、人の潜在意識をも脳波のパターンから読み取り、反応できるように出来ているのだろう。理論的には不可能ではない。パターンの辞書を創るのが大変なだけだ。しかしパターンの辞書を、人の快楽への欲求だけに絞れば、さほど多くパターンを分析する必要はないのかもしれない。この遊園地は、まさしくその快楽への欲求を満たすために設計されたレクリエーションだった。
だが、その企画は途中で廃棄された。なぜ廃棄されたのか。その理由は、自ずと想像がつく。
修復が終わった。
俺はふたたび仮想視野に切り換えた。
そこでは、初めとまったく同じ状態に直されたそいつの姿があった。そいつは言う。
《やってくれましたね。修復するのに少し時間が掛かりました》
「お互い様だ」
《先ほどの対応はあなたにとっても仕方ないのでしょうね。しかし、彼女の願いがそうである以上、私には彼女を還すことができません》
「まったく、現実逃避のお嬢様だな」
《現実逃避……それは妙な言い方ですね。肉体現実と仮想現実が不可分となった現代において、現実逃避とはどこからの逃避なのでしょうか》
俺は苦笑した。
「クソッタレ」
ふと口を突いて出た言葉。AIには、まだ常識と呼ぶべき価値観を持っていない。感情がもたらす倫理というものを、理解できない。
俺は目を閉じた。情報の遮断。深く息を吸い、そして吐く。たっぷり十秒間。そのあいだに落ち着こうと思っていた。
だが、目を開けたとき、そいつは消えていた。