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園内はひと気がまったくと言っていいほどなかった。ロボットすら居ない。正真正銘の廃園、〈解体ギルド〉の作業を待つだけの、経済の墓場であった。
『なに、どうってことはない。簡単な仕事ですよ』
俺は仮想対談の内容を反芻していた。磐座の代理人であるそいつは、今夜会うはずの男だった。
『簡単とはなかなか妙なことを言ってくれるな』
と、俺は言っていた。
『簡単こそが至難であり、至難こそが単純なのである。俺の信条なのさ』
『随分と用心深いな。それでこその傭兵だ』
男は、急に真顔になった。
『んで、仕事の内容はなんだ』
『まあ焦らないでくれ。盗聴が怖い。電磁遮蔽はちゃんと出来ているのか、気になるじゃないか』
『それについては問題ないよん』
テッドの声が響いた。仮想空間だからか、まるで脳で直接鳴るような声だった。
『視覚化してくれないか』
『ふふ、用心深いね』
『お互い様だ』
ぱちん、と指を鳴らす感触。テッドが操作を切り替える仕草だ。途端、透明なユークリッド的幾何学空間に、滲み出るように色が現れた。忽ちにして俺たちは黒い立方体のなかに閉ざされた。
『これでも、疑うかな』
男はゆっくりと空間全体を検分すると、納得したように、
『なるほど。疑ってすまない』
『いえいえ』
お辞儀するイメージ。
俺は空間に椅子を呼び出した。座った傍からアンティークに彩られた、高雅な部屋が生まれた。
『さて、商談に入りましょう。お掛けになってください』
男は座った。俺の座っているのと同じ、上物の黒檀の椅子。
『まあ、要件は非常に簡単なのです』
と、男は真顔なまま言った。
『……英里紗お嬢様を連れ戻して欲しいのです』
……ふと、視られている感触がして、俺は回想を中断した。だが周囲を見回しても、あるのは止まったメリーゴーランド、錆びれたジェットコースターのレール、そして澱んだ水を湛える噴水などであった。
小雨が降っている。歓楽街の喧騒はすでに遠く、雨音がしとしとと空虚な音を立てて廃園の駆け回っている。
だがそこには生命の感触はなかった。ここではネットは死んでいる。近いはずの都会は、もはや海を隔てたように遠い。
ネット。今では〈惑星〉と呼ばれる巨大ネットワークは、地球のありとあらゆる箇所を複雑に結んでいる。仮想現実はすでに肉体現実へと侵入し、また同時に肉体現実は仮想現実を侵食しているのだ。喩えるなら、陰陽図やウロボロスのように互いが互いを喰らい合っている。
そんな世の中でネットから孤立することは、肉体という牢獄に閉じ込められることだった。感覚だけがすべてだ。理知や論理なんて要らない、感覚と機転だけが支配する世界……
またしても、視られているような感触がする。
スマートガンを向ける。だが対象が見つからない。それは実物としての対象が居ないことを指している。
そこで俺はレンズを仮想視野に切り換えた。
瞬間、目映い光の洪水が視界を覆った。俺は目を瞬かせたが、耐えきれずに目を瞑った。
時を置いて、目を開く。
四辺にはネオンの輝きが充ち満ちていた。メリーゴーランドは回り、噴水は勢良く噴き出し、ジェットコースターは音を立てて進む。
だが無人だった。どこに行っても人間だけが居なかった。
『はあ、なぜ遊園地なんですかね……』
ふと、回想が脳裡を過ぎる。
『お嬢様は先日亡くなられた先代を非常に慕っておりました。その先代が遺した仕事に、愛着があったのではないかと』
『その言い方だと確実ではないようだな』
『しかし生体情報が検知されんのです。〈惑星〉内でなら検索可能なはずのものが見つからないとすれば、よほどの僻地か……』
『廃棄区画しかない、てことか』
しかしこの廃園が密かに活きていたとなれば、話は大きく違ってくるだろう。
《おいテッド》
テッドに話し掛けようとしたが、その瞬間、回路が遮断された。
それだけではない。
砂嵐のような音が耳を劈いた。
俺は耳を抑えたが、無駄だった。これは脳に直接響く雑音なのだ。
しばらく耐えていると、雑音はやがて意味のある音声に統べられていった。
《キミは誰だ》
その声は、幼さの残る少女──英里紗・磐座のものだった。