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最初の一週間は、何も起こらなかった。
「ねえ、ジン。本当にこの子は狙われているのか……」
チェンがまたしても遊びに来て、アニーとトランプをしていた。古い世紀から続く遊びは、現代でもなお廃れずに残っている。アニーは神妙な顔をしつつ、チェンの手札を引き抜く。抜いた途端、チェンがガッツポーズをした。
「おっし、ババ抜いたっ」
「あっ」
チェンがアニーの手札を引く。そして勝ち抜ける。これで三戦二勝だった。
「大人げないな、チェン。花をもたせてやらないのか」
「へへん」
チェンは何故かしたり顔で応える。そして、ソファの背もたれに顎を乗せると、
「ジンー、でもホントに来るのか。この子がいつかホントに襲われるとは信じがたいんだけれど」
「まあ、テッドから言わせると、アニーが生きていようが死んでいようが構わないらしいからな。大事なのは脳に付けられた記憶装置の方だ。そして、それはあと一週間以内にある何かのために必要なんだ……」
「何かって、なんだよ」
「それがわかれば苦労はしない」
実際、情報は鮮度が命だ。特に、予定などの情報は。取引の内容、時期、場所、参加者名簿、もしくは取引される金額。……どこからどう脚が付くのかわからないが、とにかく人間は生きている限り、情報を発し続ける。痕跡を残さずには生きていけないのだ。情報を懸命に追っているであろう連中は、さながら足跡を追いかけている狩猟民のような気分なのだろう。
「にしたって、一週間何もなかったんだし……」
「いや」
とアニーが遮った。
「奴らは必ず来るよ。テッドさんが絡んで来なかったら、しょうじき僕もショットガンをぶちかましてたと思うんだ。でも、テッドさんが『君はそんなに粗雑なことをすることはない』って言って、笑ってたんだ。
あいつらは……〈闇黒街〉の人たちは、ビジネスになるものなら何にでも手を出す。電子ドラッグ、生体改造、記憶薬、その他もろもろ。でもスラムにいる僕の友人が僕を売ったってわかったときには、ヤバいと思った」
「裏切られることが……」
「違う。スラムに裏切りなんて当然のことだ。そうじゃなくて、自分が何をしているのか、自分のしていることが、〈闇黒街〉の興味をそそるような内容だったということ。僕は何事もなく過ごしている方が良かったんだ。それが、いつのまにか危ない橋を渡らされている。いつだってそうさ。強い奴は弱い奴を手駒のように使いまわした挙げ句、捨てる」
「ま、それが現実だわな」
「……聞きたくなかったわ」
チェンが額に手を当てる。
「未来は明るくあって欲しいものよ……」
「それはただの願望さ。現実はとても汚い。お前の兄貴は知らないでいて欲しいようだが、俺らはとことん汚れた仕事ばかりしているんだぞ」
「まあ、別にクリーンな仕事をしているとは思ってないけど」
チェンは苦笑する。その笑顔には諦めと、馬鹿にするなという意志が込められているように見えた。
「まあ、実際は見ない方がいい。観たら最後、もう二度とまともな世界には戻れなくなる」
「おお、怖い怖い」
それにしても、アニーの様子が気にかかる。言葉に感情は感じられず、まるで一つの計算機のように無表情を貫いている。恐怖を感じないのだろうか。いや、それとも……
「アニー」
俺は呼びかけてみる。
彼はゆっくりと反応した。無感動な瞳、感情の弱いリアクション。
「お前、まさかとは思うが……」
と言ったときだった。
全身をぴりぴりと張るような違和感を覚えた。そしてすぐさま俺は飛び出した。アニーとチェンを突き飛ばす。すると彼らのいた床に金属片のようなものが刺さった。すかさず立ち上がり、周りを確認する。
「あら、外しちゃった」
敵は天井に潜んでいた。
長い黒髪は、後ろで束ねられ、東欧系の彫りの深い貌は、厳格な女神のようにも見える。ハッキリと開かれた瞳からは圧し殺された殺気が漂い艶のある唇からは妖婉な気配がある。
「……くノ一か」
「ご明察。名前はリヴィエラ」
「ご用件は」
「暗殺」
「なら断る。うちのクライアントなんでね」
「許可なんて要らないのよ。殺るか、殺られるか、それだけしかこの世にはないの」
「さよで……」
言ったそばから、天井の女は金属片を投げてきた。
「チェン、アニー、逃げろっ」
俺はこう叫ぶと、左腕で金属片をガードする。そして痛覚をそのままに、壁にある火災警報機を叩き壊した。
烈しい警音。殴るように音が聞こえ耳を聾し、スプリンクラーが自動で噴き出す。くノ一は顔面に水を浴び、床に落ちてきた。俺はその身体に向かって拳を振り上げたが、巧みな身のこなしで避けられる。女は華麗な受け身をして立ち直る。
だが、窓際だ。
俺はドア付近に立ち、自分を盾に二人を逃がすルートを作った。




