「アリ くん」
いつの間にかクラスにいて、いつの間にか町からいなくなってしまった同級生がいました。
小学校低学年のその男の子の記憶がないので、たぶん転校生だったのでしょう。
小学4年生頃だったでしょうか。ある日、その子の家にアリを見に来ないか、って誘われました。
たぶん、席が近かったとか、そんなんで話すようになったんだと思います。
いつもの登下校に通る道をちょっと横にそれたところにその子の家がありました。
こんな所に家があること自体知りませんでした。
広い平屋の古い家でした。
家の中に通されて縁側で待っていますと、その子が縁側の袖から顔を見せて、大きな箱を引きずってきました。
箱を覆っていた側面の紙をはがすと、透明の箱の中でアリがせっせと巣をつくっているのが全開で見ることができました。
「すごいね。」
わたしの驚いた顔を見てその子は嬉しそうに笑いました。
それだけのことでした。
わたしは家に帰って、わたしもアリを飼いたいと言ったのに、親から「アリなんて。」と反対をされて結局できませんでした。
その翌日か、その翌々日だったか、親から「あの子の家で何をした?」と聞かれましたので、わたしは、「ただ、アリを見せてもらっただけだ。」と答えました。親はしばらくわたしの顔を見てから「いいから、もう、あの子の家には行くな。」と言いました。その後、その子に再び誘われることはありませんでしたし、クラスで話すこともなくなってしまいました。それに小学四年生というものはいろいろと忙しいものです。わたしはアリを見ても、アリを飼いたいと以前に思っていたことなどすぐに忘れてしまいました。地元の中学に入学した時にはもうその子の姿はなかったので、いつのまにか転校していってしまったのでしょう。
あの子の家に遊びに行った直後だったのでしょうか、中学にあがる前だったでしょうか。
外で一度だけ、あの子とその母親に会ったことがありました。特に母親と紹介された訳ではなかったのですが、その子のお母さんってことはすぐにわかりました。なにせ、顔がそっくりでしたから。でもそのお母さんの顔は男の子の顔よりもどんよりとしていて、彼女は無言でわたしのことをじっと見ていました。隣にいたその子も私のことを見てはいましたけれど、もう何も言いませんでした。クラスの中で、「アリを飼っているんだ。うちに見においでよ。」って誘ってくれた明るい笑顔はもうありませんでした。
お母さんは、わたしからその子をとられたくなかったんだなって瞬時に思いました。
たったの小学四年生だったのに。
その子のお母さんがどんよりとした目でわたしを見つめる顔を怖いと思いました。
その後、私はその二人のことをすぐに忘れてしまいました。
だってまだ小学四年生でしたから・・・。