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動機  作者: 嘉那
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第五話「回想」

―三年半前…

世間はゴールデンウィークと騒いでいるけれど、私には関係なかった。

相変わらず仕事は忙しい。


好きで始めた仕事じゃなかった。

ただ、ほかにできることなんてなかっただけ。

高校生の間、夜はずっと母の店の手伝いをしていた。

家計が苦しいのもわかっていたし、母ひとりにすべてを押し付けられるほど、莉乃は子供じゃなかった。

当然、勉強もできなかったし、できたとしても大学に行くお金なんてなかった。

母子家庭だし、仕方なかった。

大学に行きたいわけでも、何がしたいわけでもなかったけど、知っていた…母が、莉乃が夜の世界へ入っていくことを望んでいないこと。

だから、スカウトされたとき、迷ったけど、受けることにした。

高卒で、何の能力もない莉乃が太陽の下での駆け上がっていける道はそこにしかなかった。

百合は、喜んでくれた。

莉乃の『リ』とユリが銀座で源氏名として使っていた『リリー』を取って、芸名は『リリ』にした。


モデルをはじめて5年になる。

今では、月に2〜3冊の雑誌とたまに広告の仕事をもらう。

忙しくなったけど、充実していると思う。

彼に出会ってから、前よりも仕事が楽しくなった。

いい表情[かお]するようになったって言われるようになった。

ずっとクール系とか持て囃されて、そんなイメージばっかりだった。

でも最近、もっと色々な物をやらせてもらえるようになった。

すごく幸せだと思う。

たとえ、彼との関係に未来なんかなくても…


いつもより早く仕事は終わった。

みんな連休中だし早く帰りたかったのかな。

私は、どうでもよかった。

彼は海外出張って言っていたし、たまには実家に帰ってみようか。なんて考えながらスタジオを後にした。

マネージャの渡部さんはまだ来週の打ち合わせがあるみたい。

実家に帰ると決めたから、渡部さんにはそこで別れを告げた。


スタジオの出口は少し奥まった路地の中にあった。

タクシーを呼ぼうと大通に向かう。

その時―誰かが私の背後から近付いてきた。

相手が何人なのか、性別すらわからない。

でも、背の高い私より大きかったから、きっと男の人。

その瞬間…

「キ…」

叫ぼうとした唇は、布を握った手で押さえられた。

何かを嗅がされた私から、意識が遠のいていくのに時間はかからなかった。




体の痛みと息苦しさに目を覚ました。

体が動かない。

辺りは真っ暗で、頭が割れるように痛い。

朦朧とする意識の中で、拳を握る。

つかんだのは、湿った土のようなものだけ…

「―土」?

少しずつはっきりし始めた意識の中で、私は気付いた。

埋められたのだと。

幸い頭を上向きに、そして、かぶせた土を直後の雨が洗い流したために窒息しなくて済んだのか、生きていた。

自由の利かない身体に鞭打って、少しずつ身体をずり動かした。

何時間かかったのだろうか、やっと自由になった手を使って、下半身に重くのしかかる泥をよけるようになると、急速に体に自由が戻ってきた。

這い上がったとき、もう体に力は残っていなかった。

自分がどこにいるのか、なぜこんなことになったのか、どこへ行けばいいのかわからなかった。

私にはこれより先の記憶がない。

どうやって、発見された県道までたどり着いたのか。

早朝に近くの村人が、野菜を市場に運ぶ途中で私を発見したらしい。

私が目覚めたのは次の日の夜、病院のベッドの上だった。


私は身分を示すものを何一つ持っていなかった。

医師と年配の看護師が1人いるだけの山間の小さな医院では、『リリ』を知る人はいなかった。

優しそうな、50代位の医師は目を覚ました私に、殴られた形跡があると告げ、『明日の朝には、警察が来るから、安心しなさい』と優しく云った。

しかし、私は『警察』と聞いて、恐ろしくなった。


中学生の頃、一緒にいた友人が万引きで捕まった。

その時、彼女は泣きながら私に命令されたと云った。

私は否定したが、警察は“水商売”女の“私生児”のレッテルを私に貼って、“家庭環境の良い”彼女を、“被害者”にした。

そんな話は、少なくなかったが、警察でさえ信じてくれないのだと思い知ったとき、私は心のどこかが氷ついていくのを感じた。


私の凍りついた心を少しずつ溶かしてくれた人…宗一郎…会いたい。

もう一度命を狙われるか、警察に捕まって長い時間拘束され、また屈辱を感じるのか…

―逃げよう。

そう思う足はもう、動き出していた。

ほかの入院患者の財布から2万円を抜き出し、置いてあった洋服に着替えた。

きれいに洗濯され、こびりついたはずの泥や血は目立たなくなっていた。

見知らぬ誰かの優しさに、胸は締め付けられたけれど、静かに外へ出た。

私は本当の加害者になってしまった…そう思って自嘲した。


『東京100km』の看板が立つ国道を、東京に向かって歩いた。

タクシーも走っていない。

電車の駅すら見つからない。

駅があったところで、終電は終わっているだろう。

一台の車が後方からやってきた。

必死の思いで車を止めた。

恐れはなかった。

失うものはなかったし、このままなら、本当に死ぬかも知れないと思ったから。

その車は野田ナンバーで、私は内心ガッツポーズをした。

中には若いカップルが乗っており、ホッと胸をなでおろした。


女のほうがすぐに莉乃に気がついた。

「リリ…」

頭に包帯を巻き、顔にいくつかすり傷があったが、顔自体は大きな損そうはなかった。

「こんばんは、撮影で事故にあっちゃって、でも、どうしても東京に帰らなきゃいけなくて・・・」

嘘の言い訳を並べると、女は疑いもせずに車に乗せてくれた。

男は、やや胡散臭そうな顔を浮かべていたが、女に押し切られる形で、乗せてくれた。

彼らは、長野の友人の結婚式に参列し、帰宅が遅くなってしまったらしい。

高速代も使い果たしたというあきれた二人は、国道を通って帰るらしい。

ちなみに彼女は明日仕事があるという。

私が一万円差し出し、高速に乗るように促し、車は高速入った。


車中で、女はいかに『リリ』のファンであるのかを、延々と語りだした。

私は、心底ついていると思った。

彼女が『リリ』を知らなければ、私はこの車に乗れたのかも危うい。

一通り話し終えると、女はスヤスヤと寝息を立て始めた。

運転している男に悪いかなとは思ったが、無言のままの二人の空気にいたたまれず私も目を閉じた。

うっすら目を開けると、東の空が白み始めていた。

車は一気に高速を降りて、男が言った。

「ここでいいのか?」

私は、「ありがとう」と伝え車を降りた。

男はポケットを探っている。

ペンを見つけると、彼女の鞄から雑誌を取り出して言った。

「サイン…書いてやってくれるか?コイツ仕事あるし、このまま寝かしてやりたいけど、このままアンタを帰したら後で何言われるかわかんねぇからさ」

私はサインを書き、雑誌を男に手渡すと、男がさっきの高速代の残りを渡そうとした。

私は、それを断って、運転手の給料だと告げ、もう一度礼を言った。

なんだか清々しい気持ちになった。


―誰が私を殺そうとしたのか…

腑に落ちないことだらけだったし、恐怖が何度も身を縮ませた。

車で、『リリ』を知る人物に出会えたのは、よかった。

安心できていたんだと思う。

一人になった途端にまた、言い知れぬ恐怖に襲われた。

抱きしめて欲しい…

―宗一郎…

足は自然に彼のマンションへ向かっていた。

彼はまだ海外にいるはずだった。

それでも良かった、彼の匂い、存在を感じられれば。

財布も携帯電話もカギもなくしてしまった。

部屋には入れなくてもいい。

ただ、そこに行きたかった。


マンションの前にたどりつくと、誰かが出てくるところだった。

見慣れた、男が出てくるところだった。

―こんな早朝に人が?

怪訝に思って木陰から覗き込む。

―宗一郎!!

声をかけようとしたとき、後ろから女が現れたことに気づいた。

「怒らないでよ、いいじゃない。どうせ私たち結婚するんだし」

女が投げかけた言葉を聞いて、彼が少しずつ溶かしてくれた、心の氷が一瞬にして凍りつくのがわかった。

気づけば自然と実家に向かって走り出していた。


私と彼が結婚できないことは、わかっていた。

私もそんなことは望んでいなかった。

彼は大きな会社の御曹司で、私は私生児。

どんなにモデルとして成功しても、サラブレッドにはなれない。

ただ、ただ、彼が嘘をついていたことが許せなかった。

―海外出張―

信じた私がバカだったのだ。

何度も裏切られてきたじゃない。

どうして、もう一度信じてみようなんて思っちゃったのかな?

あの人だってどうせ、モデルを侍らせて喜んでる輩だっただけじゃない。


それでも、信じたかった。

大きくて、優しい手の温もりを…

「愛している」と言ってくれた、言葉を。


何で、私、生き延びちゃったんだろう。

あの山の中で、死ぬ運命だったのに。

そうすれば、こんなもの見なくて済んだのに。

幸せなまま逝けたのに…


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