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別方向への捜査

 浅木は焦っていた。焦っているのは浅木だけではない。警察署全体が焦っていた。守山風也を誘拐した男の足取りは全く掴めていない。

 被害者の安全を確保するために当初は非公開で捜査が行われていたが、犯人からの要求などもなく、すでに公開捜査に移行されている。それでも目撃情報は、捜査の初期にあった一件だけで、犯人が中肉中背の若い男であるということだけが分かっているだけである。

 遥樹が教えてくれた犯人の車の特徴をNシステムで検索してみたが、それらしい車を見つけることはできなかった。

 自動車ナンバー自動読取装置、通称Nシステムは犯罪捜査を目的に、通行する車両全てのナンバーを記録する装置である。

 車のナンバーが分かっていれば、その車両がどの道を通過した時刻を正確に割り出せるし、車両の映像からも情報を得ることができる。

 今のように、車の色と古い年式の車であるというだけの情報では、車両を特定するのは困難である。

 Nシステムが設置されている場所を事前に調べ、迂回して移動していれば、ナンバーが分かっていたとしても追跡することは不可能であるが…。

 後は遥樹からの情報を元に、人海戦術と報道発表に対する情報提供で捜査を進めていく必要があるが、情報を裏付けるものがない。今は、遥樹からの情報を上司や他の同僚に信じさせることができない。

(裏付ける情報があっても、信じさせることは難しいかな…)

 そんな思いもある。浅木自身も遥樹に会うまでは、超常現象や霊の類は全く信じることはできなかった。今でも遥樹以外の者が、同じ様なことを言えば、信じようとさえ思わないだろう。

 浅木は自分の席を立って、課長の机に向う。遥樹の言ったことに沿った捜査を、自分にやらせてもらう許可を得るためである。そんな根拠のないことに、捜査の人手を割くことを許可される可能性は、かなり少ない。それでも食い下がれば、自分だけでも、その捜査をさせてもらえると思った。

 近づいてくる浅木に、課長が視線を向けた。

 その時、電話が鳴った。課長席にある電話であることに気が付くと、課長は受話器を取り上げる。

 課長の少し気だるそうだった表情に、生気が満ちる。メモ用紙に、次々と文字が並べられていく。

 そして、浅木は自分の意見が、課長に受け入れられる可能性がなくなったことを感じた。

 時間が急速に流れ出した。浅木は、かなり遅くなった昼食を取っている。ゆっくりとした食事とはいかない。コンビニエンスストアで買ったおにぎりを二つ、口の中に放り込んだだけの食事である。

 先程になって十一月中旬に行方不明になり、十二月初めに死体が発見された誘拐殺人事件の犯人の手掛かりが見つかったのである。

 誘拐された子供が住んでいた隣の市の国道沿いのコンビニエンスストアの防犯カメラに偶然、その子供の姿が映っていた。その当日に、そのコンビニエンスストア内で喧嘩が起こり、店の商品や備品を壊したのであるが、当事者たちは店側の賠償要求に応じず、民事裁判になっていた。そこで証拠の品として防犯カメラの映像を使うために、内容を確認していたところ、誘拐された子供と同じ服装をした子供が映っていたことに、気が付いたのである。風也の誘拐に関する報道の中で、関連があると思われる前の二つの児童誘拐殺人の被害者の少年の映像も流れたことが、発見につながった。

 この情報のため、捜査の方向は十一月の事件の解明に向いている。捜査員もほとんど全てが、その捜査に振り分けられた。

 事件の起こった場所、目撃された男の特徴、連れ去られた状況などしか情報はないが、今まで起きている二件の子供の連れ去り殺害事件の犯人と同じ人物の犯行であると警察では思われていた。浅木も、この意見には賛成であった。しかし、それは少し前までの話である。

 遥樹の言葉を信じると、風也の事件とその前の二件の事件は同一犯ではないということになる。

 十一月の事件の犯人と思われる男は、被害者の子供と並んで防犯カメラに映っていたが、遥樹の言った風也を連れ去った男とは特徴が幾つかの点で異なっている。

 一つは身体的特徴、十一月の事件の容疑者の方が背は低く、太っていた。もう一つ、これは決定的な差であるが子供に対する接し方である。誘拐した子供への接し方は、人の性格が色濃く出る。

 十一月の事件の犯人は、誘拐した子供に物を与えることによって主導権を保とうとしている様子が、コンビニの防犯カメラに映し出されている。

 遥樹から聞いている犯人は、そんな子供だましの方法で子供をコントロールしているようではない。恐怖と沈黙、そして時折見せる優しさ。恐怖から逃れるために、従順になる。犯人は子供の限界を一気に超える苦痛、暴力や飢餓など、を与えない。子供は次第に、逃げるための決定的な行動を起こす気力を失ってしまう。

 十一月の事件の犯人と風也を誘拐した犯人とは、浅木の感では全く別の人物である。

 しかし、警察は同一犯の犯行であり、今追いかけている犯人を追いつめれば、風也の誘拐事件も解決するという基本的な方向性で捜査が進んでいる。その流れは、浅木には止められない。遥樹にもらった言葉は、浅木には十分な真実性があっても、他の人を納得させるだけの力がない。裏付けがないのである。

 浅木としては少しでも早く、十一月の事件の犯人が捕まって、風也の誘拐犯の捜査が始められることを願い、捜査に力を注ぐしかできない。


 炎が勢いを増している。山から昇る煙と光で、星の瞬きが掻き消されている。

 遥樹の運転する車のサスペンションは、荒れた道路からの激しい振動を吸収できずに、運転者の体を前後左右に大きく揺らしていた。

 遥樹の頭の中では、樹々たちの悲鳴が渦巻いている。動物たちが発するような悲鳴ではなく、静かで重い、窒息してしまいそうになる想念が伝わってくる。

 風向きが変わった。目の前に煙が一気に迫ってきた。車の中にも、焦げ臭い空気が少しずつ流れ込んでくる。遥樹の喉の奥を刺激して、軽い咳が何度も出てくる。

 突然、シートが遥樹の体を大きく突き上げ、車内に充満した異音が行き場を失って耳の中に突き刺さる。

 エンジンは動いていた。しかし、タイヤにその力を伝えても動く気配はない。タイヤが虚しく回るだけである。

 遥樹はエンジンを切って、傾いた車体の中から自分の長身を外に出した。

「こんなに広がっているのか…」

 再び風向きが変わって、煙が流され、視界が広がった。そこには勢いを増した炎が、広がっていた。

 その光景をしばらくの間、呆然と眺めていた。全身に虚脱感が滲んできて、どこか腰を下ろす場所を求めて視線を動かした。

 車に視線が向いた時、助手席に置いてある松の葉の青さが目に入る。冷や汗が毛穴から噴出してくる。

(僕は何をしていたんだ…)

 遥樹は当初の目的を、いつの間にか忘失していた。山火事で焦げていく樹々たちの声に、あまりにも意識が捕らわれていた。

 傾いている車の助手席のドアを、ゆっくりと開ける。シートから落ちないように紐やテープで固定していたが、ドアを開けた際に倒れることも十分に考えられる。

 大きく息を吐いた。安堵の息だった。松の盆栽が無事な姿を見せている。幾分、固定した場所からは動いて、シートの背に枝が押し付けられて曲がっているが、折れてはいない。

 遥樹は盆栽の鉢を持って、葉にそっと触れた。頭の中に大音声が響き渡る。それは、山火事に脅かされている樹々たちの悲鳴を凌駕するほどの力を持っていた。

 遥樹は松の盆栽を通して、風也の存在をはっきりと感じ取った。

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