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荒川家

 季節は過ぎる。台風が二つ、日本に迫ってきたが、どちらも日本列島に上陸する前に大きく進路を東に変えた。

 遥樹が閉店準備をしていた時、電話がかかってきた。額の汗を首からかけたタオルで拭き取りながら、受話器を上げた。

 店の名前を言った直後、遥樹の耳に浅木の野太い声が響いてきた。

「今日の朝、犯人を逮捕できました」

 遥樹の汗を拭う手が止まり、荒川家での記憶が爆発的に意識の中で展開される。

「そうですか…」

「木神さんには捜査で協力して頂いていますし、気になっているだろうと思って連絡したのですが、御迷惑でしたか?」

 浅木の口調が儀礼的に丁寧になっているのは、遥樹に対して何か思うところがあるのだろうか。

「いいえ。知らせてもらって嬉しいです」

 遥樹はほんの少しだけ、あの事件に対しての重圧から解放されたような気分になった。それでも、まだ重いしこりになって心の中に沈んでいる。

「木神さん…店に訪ねて行ってもよろしいですか?」

「事情聴取ですか?それなら僕が警察署まで行きますよ」

「いえ、そうではないのです。犯人は自白も始めていますし、証拠類も揃ってきています。私があなたのところに行くのは、個人的に聞きたいことがあるからです」

 その時、店に客が一人、入ってきた。その太った中年の女性は、店の戸を閉めると、真っ直ぐに遥樹の方へ向ってきた。

 そして、遥樹が視線を向けると、受話器を耳に当てているのも構わずに話しかける。

「これがほしいのだけど、ありますか?」

 突き出された右手には、一片の紙が握られている。

 遥樹は、反射的に受け取って目を通す。そこには観葉植物用の肥料の名前が書かれていた。

「どうぞ、いつでも来て下さい。お客さんが来られたので、これで失礼します」

 電話の向うの浅木にそう言って、電話を切った。

 そして、客の視線に微笑を返す。

「これ、ありますよ」

 そう言いながら、店の端の棚に近づいて、掌サイズの黄緑色の箱を手渡した。

 客はその箱の使用説明に目を通している。

(浅木さんは、何を聞きに来るのだろう…)

 そんなことを考えていると、客は目の前の遥樹に対して、必要以上の大声で言う。

「これ、三つもらうわ」

 遥樹は会釈しながら、さらに二箱を棚から取った。

「ありがとうございます」

 遥樹の微笑につられるようにして、客が初めて、笑みを見せた。

 客を出口まで送っていき、少し間を置いて戸を閉める。透明なガラス越しに赤く染まった風景が目を射た。

(夕焼けを見るのも久しぶりだな)

 そう思って、外に踏み出した。

 電柱の向うに沈みかけている太陽は、虫眼鏡で拡大したように巨大な姿をしている。

 荒川家の事件が少しずつ過去になっていくような予感を、遥樹はぼんやりと感じていた。

 十月の半ばに差し掛かっている。

 遥樹と茜は再び荒川家を訪れた。浅木はまだ、遥樹のところに顔を見せていない。犯人が逮捕されたとは言っても、証拠集めなどはまだ残っているし、他にも仕事が忙しいのだろう。

 荒川家は、ひっそりとして人の気配がしない。呼び鈴を鳴らしても、当然のごとく誰も出てこなかった。

 荒川邸の塀の外から楡の木を見上げる。

「あれは?枝の先にある茶色がかったもの」

 楡の枝先には、団扇のような形をした実が葉の間に生っている。

「楡の木の実だよ。翼果と言われている」

「そう…あの木は、これからも長く生きられるのかな?」

 二人の視線の先にある樹は、初めて見た時よりも生き生きとした姿をしているが、歪に捻じ曲がった幹はそのままである。

「きっと長生きするよ…毎年たくさんの花と実をつけながらね」

 ふいに、子供の声が響いてきた。

 遥樹はその声に楡の木が反応した気配を感じて、振り返った。

 女の子が右手に父親、左手に母親の手を握っている。三歳ぐらいだろうか、大きな目はくるくると良く動き、周りの景色を見ている。父親は中背で痩せ型、その視線が妻の腹部に向けられた。そこには新しい生命が宿っている印が、はっきりと現れている。

「帰ろうか?」

 遥樹は茜に言った。

「ああ、そうだね」

 一度、楡の木に視線を投げてから、ゆっくりと遥樹は歩き出した。

 家族とすれ違う時、子供の声が響いてきた。

「あそこがお祖父ちゃんたちの住んでいたところ?」

 父親は立ち止まって、荒川邸に目を向ける。

「そうだよ。そして、お父さんが生まれた家だよ」

「それじゃ、亜紀は?」

「亜紀もあそこで生まれたんだよ」

 亜紀と呼ばれた女の子は父親の視線を追って、荒川邸に向けられた。

 小鳥のさえずりが、風に運ばれてきた。

 遥樹と茜は、車に乗り込む前にその家族を見た。

「荒川さんの息子さんかな?」

 車のドアを閉めて最初に茜が発した言葉は、それであった。

「多分、そうだろうね」

「あの家に住むのかな?」

「さあ…でもそうなら、あの樹は喜ぶだろうね」

「荒川さんも喜ぶかな?」

「多分ね…」

 遥樹はエンジンをかけて、ギアを入れた。

 古い車体が微かな軋みを上げて、走り出した。

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