妖怪の問題
翔は見覚えのある山の中で、「キーキー」と言う動物の鳴き声で目覚めた。
「な、んだ。い、痛。しっしっ」
大量の蝙蝠が目の前で羽ばたいて、羽の端が顔に当たる。その外側を狐が取り囲んでいて、甲高い吠え声で鳴いている。
蝙蝠を手で払うと、蝙蝠も狐も多少距離を取るが逃げる気配はない。
ひときわ大きな銀色の狐が、走ってくる。それは目の前で一瞬のうちに獣耳の人間に変化した。
「おい。大丈夫か?」
◇
彼らは消えた翔を一時間ほど探してくれていたそうだが、先ほどやっと狐が匂いをかぎつけたのだ。
あれは未来人で、かぐや
「まあ、良かったじゃん。擦り傷程度で済んで」
蝙蝠数匹を身体に吸収して、軽い感じで北川先輩が言う。
「ど……どこが良かったんだよ! あいつを助けられ無かったんだ」
「仙人になって彼女が生まれる時代まで生き残る方法なら知っているが」
「吸血鬼になるって手もあるよ」
限りなく無責任な北川と黒義の意見に、翔は頭に血が上った。
「何の、何の冗談だよっ! バカにしているのか!?」
一度はしっかりこの手に掴んだのに。
「訳わかんねぇ」
涙がこぼれ、地面に染みができる。
――なんで置いて来てしまったんだ!
「これで我々の仕事は終わった。帰って良いか?」
「ちょっと待って」
帰ろうとする黒義を引き留めた北川先輩は落ち込んでいる翔の手を持ち上げて、翔が反応するよりも早く、かぶりと腕に噛み付いた。
「いっ」翔は小さく悲鳴をあげた。あまりのことに涙も引っ込んだ。
「ありゃ、やっぱり認識票ついちゃっているよ」
北川先輩は「けほ」と血の玉を吐き出す。
「は? タグ、って、かぐやと同じ奴か!? 取れないのか?」
一生発信機をつけられるなんて真っ平ごめんだ。
「自分の血なら、不要物質を外に排出するのは簡単だけれど。全部血を抜いて、漉すとか?」
「できるか!」
「俺も専門家じゃないから確かなことは言えないけれど、血液のサイクルは4ヵ月後って言うから、4ヶ月後になったら薄れる……かも。で、問題はかぐやさんを取り返したのに未来人たちがなんで君にこんなことをしたんだろうってことだけど。サジを捕らえようとしたので、大体予想できるけれど」
北川先輩は真剣な目で翔を見る。
翔はさんざん泣いたのと、噛まれてた驚きで気持ちがリセットでき、幾分か冷静さを取り戻した。
未来人は、北川先輩たちを人間ではなく、新種扱いした。
「その、先輩達の髪からクローンを作って、研究したいから、先輩たちの住んでいる場所を教えて欲しいとか頼まれた」
せめて『生息域』くらいは、言葉を選ばないとならない。
「そこ、ちょー重要。うん。君、俺らの安全のためにどっかに転校しなよ。今すぐ」
「急には無理だって! 俺ちゃんと断ったぞ」
「断ってくれたのは感謝しているけれど。面は割れているわけだし……敵が一ヶ月前の高校に行けば、何にも警戒していない俺やサジの髪の毛を拾える……。知らないうちに未来で、ぽこぽこ自分のクローンが生まれるってのは……」
「その時代の亜空間を探してもいなかったから、新発見した人間の亜種を復活させるのは自分達の使命だって言ってた。それに研究所には本当に生きた恐竜がいた」
そこで、北川先輩たちの間に微妙な雰囲気が流れる。
狐が、口を開く。
「その時代まで私達は人間に発見されていないんだな」
「つまり、俺らは人間に狩られて死ぬんじゃなくて、個体数の減少により自然消滅するってことか。
まあ、苦しまずに滅びていけるんだから、悪くない未来だ」
北川先輩は息をついた。諦観の表情に安堵が覗く。
翔は彼とはたった二日の付き合いで、先輩の軽薄そうな一面しか見ていなかった。
吸血と怪力は、ただ血を吸っただけとか、あのピアノ線は実はもろかったとか言い訳できるかもしれない。
だが、蝙蝠が身体に吸収されたところだけは、どうやっても説明がつかない。
「俺ら、人間が好きだから」
北川先輩が優しい笑みを浮かべる。
北川先輩は多くの仮面をはがしたこの瞬間、何を想っているのだろう。
「俺を数に入れるな」
先ほどまで黙していた黒義が抗議の声を上げる。が、他二人は黒義を無視して、話を続ける。
「種の存続とやらを考えると、我々は協力しないまでも、黙認するべきなのだろうな」
「……ま、勝手に作らてたとしても、俺らが知らなければ『無い』と同じって事だ。でも、サジにはどこまで言ったらいいのかな」
どうやら、翔は彼らの抱える問題も掘り起こしてしまったらしい。
自分のクローンが作られるなんて、嫌に決まっている。だが、未来に何も残せないなら。
翔は先輩と狐から目を逸らし、ぼそっと言う。
「その、未来でも人間に見つかって無いだけで、こっそり暮らしているかも」
二人はきょとんとして翔の方を向き、黒義がかすかに笑みを浮かべる。
「自分のことでいっぱいだろう。未来へ行ける神仙がいれば紹介するのだが、あいにく思い当たらなくてな。後は、妖怪の問題だ」
「すみません。変なストーカーに狙われて」
彼らに依頼さえしなければ、かぐやは未来人に発見されないまま、認識票とやらは消えていたかもしれないし、彼らが未来人に狙われることも無かったのだ。
「ま、依頼引き受けたときには、まさかこんな事になるとは思って無かったけれどさ、妖怪の数が減っているのは今に始まったことじゃないから」
北川先輩は笑い、
「帰ろう。君の母上に少々暗示をかけねばならないし」
狐は翔の肩を叩いた。
◇
かぐやは竹林に現れた時と同じように忽然と消えてしまった。
「いつも通り、学校に行ったことにしとくから、君は今からでも学校行ってきて」
と北川先輩に言われて、学校に行って帰ったら、母が青い顔をしていた。
三人の暗示によって、母は北川からの電話のことも機械の異常のことも光のことも忘れさせられ、翔のこともいつも通り学校に行ったと思い込んでいた。
捜索願いを出す両親を翔はぼんやりと眺めている事しかできなかった。
翌々日。
佐伯先輩はわざわざ心配して、翔の教室を訪れた。
「そう落ち込むもんじゃない。案外簡単に見つかるかもしれない」
そんな言葉も翔の耳に入らない。
「境界線が薄くなるのは……一週間後だそうだ」
不思議な言葉も聞き逃してしまった。
もう少し突っ込んで聞いていれば、一週間セミの抜け殻状態は続かなかったはずだ。