聖人病とデート
自分が反抗しないから、いつも暇そうにしているから、皆になめられる、パシリにされる。
彼方さんにそう指摘された僕は、早速なめられないようにしようと考えたのだが……
「……駄目だ、全然怖くない」
鏡の前の自分を見てため息をつく。
彼方さんのように不機嫌そうな顔をしていれば、向こうも機嫌が悪いのだと察してあまり頼みごとをしなくなるのではないだろうかと考えたが、
もう長年の癖なのか、怒った顔が全然できない。
笑う顔が全然できない人間に比べたらマシなのかもしれないけれど。
「一体どうしたら、彼方さんのような不機嫌な顔になれるのかな」
「……喧嘩売ってるの?」
というわけでいつもの昼休み、彼方さんに助言を頂こうと思ったのだが、物凄く睨まれてしまった。
「ていうかアンタ、そんなにナチュラルに皮肉が言えるならクラスメイトにも言ってみたら? 性格の悪さが滲み出てるからなめられなくなるんじゃないの」
彼女の言うとおり、僕は本質的には性格が悪いと思っている。
嫌われるのが怖くて言いだせないだけで、周りの粗探しばかりしている。
ただそれを言わないだけ。けれど。
「何か彼方さん相手だったら、別に嫌われてもいいやって」
「ふ、ふぅん。私はどうでもいいってわけ」
「ご、ごめん」
彼方さんはもうこれ以上ないってくらい嫌われているから、もうとことん嫌われてもいいやとか、あるいは彼方さんなら本当はそんな事で嫌ったりしないんじゃないかと思ってしまう。
彼女は少し顔を赤らめて、バツが悪そうな顔になる。
「……彼方さんもさ、もう少し愛想良くしたら? 可愛いんだからさ」
「な、ななな」
「あ、いや、今のは、口から洩れたって言うか。ほら、最初に僕が告白した時に、一瞬だけ笑ったよね。いつもあんな感じならさ、もっといいと思うんだよ」
ナチュラルに何を言っているんだ僕は。
どうも彼方さんには、全てを打ち明けてしまう。
「私を笑わせたいなら、アンタが楽しませることね。……そうだ、デートしましょ」
「デ、デート!?」
唐突に彼女にデートと言われて、一気に心拍数があがる。
「アンタ、友達は今から作るの難しいけど恋人ならとか思ってるんでしょ? でも今のなよなよした都合のいい人状態ならはっきり言って無理よ、まあ都合のいい人として恋人になれるかもしれないけど、それじゃあ今までと何も変わらないでしょ」
「うん」
確かに彼女の言うとおり、都合のいい人間だと思われて恋人になっても何も改善されやしないだろう。
むしろ女の子に貢いで今まで以上に僕の精神は病むかもしれない。
「予行演習よ予行演習。アンタも私を笑わせてみることね、丁度見ようと思っていた映画があるの」
「僕に貢がせる気?」
「冗談言わないで。アンタに奢って貰う程卑しい女じゃないわ」
というわけで、週末に彼女と映画を見に行くことになってしまう。
待ち合わせ時間に最寄りの駅の前へ行くと、
「彼氏にすっぽかされたんだろ? 俺と楽しいとこ行こうよ」
「別にそんなんじゃありませんから……あ、来た」
彼女が丁度ナンパされているところだった。
いつも通りのつまらなそうな顔でデートスポットにいれば、確かにすっぽかされたと思われても仕方がないかもしれない。
「ごめん、待った?」
「別に。時間通り来てるじゃないの、何で謝る必要があるのよ、へこへこされたら逆に不快よ」
「ごめ……それじゃ、行こうか」
「そうそう、それでいいのよ」
彼女と映画館に向けて歩き出す。
「その服可愛いね」
「そう」
予行演習なのだからちゃんと相手を喜ばせる事を言わないとと思い色々彼女を褒めてみるも、
何だか彼女は逆に歯がゆそうだ。褒められるのに慣れていないのだろうか。
しまいには、
「ねーねーあそこのカップルさー、最悪じゃね?」
「女の方すげーつまんなそうじゃん、望みないって、男の方も諦めろって感じなのに」
すれ違う女子高生にそんな事を言われる始末。
「……ごめん、僕がつまらないばっかりに」
「だからなんでアンタが謝るのよ」
「だって、楽しませてみろって」
「別に楽しませられなかったからって謝る必要ないでしょ。映画館着いたわよ」
映画館についた僕達はチケットを買ってシアターへ入る。
事前にどの映画を見るか知らされていなかった僕は当日にパンフレットを買ってそれを眺める。
恥ずかしいからと人知れず努力をする主人公と、それを陰で評価する女の子の青春活劇のようだ。
「始まった始まった、集中したいから静かにしててね」
コーラとポップコーンを手にしてそう言う彼女。
言葉こそ発しなかったが、僕は映画の最中、チラチラと彼女の様子をうかがう。
彼女は何だか羨ましそうな顔をしていた。
「まあまあ面白かったわね」
「そうだね。小腹も空いたし、どこかでお茶しない? 奢らせてよ、何か奢らないといけないような気になってさ」
「何それ、まあ、好意はありがたく頂戴するけど……待って」
映画館を出て喫茶店にでも向かおうかという途中、彼女が歩みを止める。
彼女の視線の先には、
「うぐっ、ぐずっ」
ベンチで小さな女の子が泣いていた。
迷子だろうか、しかし手を差し伸べる人は誰もおらず、道行く人は素通りしていく。
日本人の心が貧しいわけではない、保身のためだ。
善意で迷子の子供を親に逢わせようとして、誘拐犯扱いされた事件や、
話しかけただけで不審者扱いされた事件などをニュースで見てきた僕達は、
いつしか手を差し伸べることができなくなったのだろう。
僕もその1人だ、関わってもきっとロクなことにならないし時間の無駄だ。
今は彼女とのデート最中なのだから、彼女を楽しませることを最優先にすべきだと素通りをしようとするが、
「大丈夫? お母さんとはぐれたの?」
彼女は当然と言わんばかりに女の子の方へ駆け寄り、ハンカチを取り出して涙をぬぐう。
その顔は、出来るだけ女の子を怖がらせないように、必死で笑おうとしているがうまく笑えていない、そんな顔だった。
「彼方さん」
「何、文句あるの。帰りたいならさっさと帰りなさい」
「そんな事言ってないじゃないか、手伝うよ、手伝いますよ」
「私は別にアンタに頼みごとをするつもりじゃないけど」
「僕が! 自主的に! するの! それならいいでしょ」
自主的にこんなことをする僕ではないが、彼女が必死で笑顔で対応しようとしているのを見ていると、彼女を手伝わずにはいられない。
僕はムキになって、彼女と一緒に女の子の母親探しに協力する。
とりあえず名前を聞きだした僕達は警察に連れていくべきだと言う流れになったが、
「けいさつ、こわい」
女の子が涙目でふるふると首を横に振る。
恐らくは何度も迷子になって警察のお世話になっているのだろう。
警察は悪い人を捕まえる職業だと認識している小さな子供からすれば、警察を嫌がるのも仕方のない話なのかもしれない。
「わかったわ。それじゃあお姉さんたちと辺りを探しましょ。お母さんがいればわかるわよね? 蓮華、アンタはここで待機しててくれる? 親と入れ違いになる可能性もあるし、……あとこっそり警察にも言っておいて。っと、連絡つかないと困るからアドレス交換しましょ」
「うん」
彼方さんが女の子を連れて、辺りを捜索することに。
彼女とアドレスを交換した僕は、警察に迷子の子供の名前を伝え、彼女が座っていたベンチの辺りでそれらしい人が来ないか探す。
彼女と連絡を取りあっていると、やがてベンチの辺りでおろおろしている女性を見つける。
さっきの小さな女の子と顔立ちが似ているような気がする。
恐らくは母親だろうと思った僕はすぐに彼女に連絡をとる。
「わかったわ、そこのコンビニの辺りまで行くからアンタが引き合わせてあげて」
「へ?」
僕の疑問をよそに、女の子を連れた彼女が近くのコンビニの方へやってくる。
何故かバトンタッチさせられて、女の子を連れて母親の方へ。
「ままー」
「奈美! ああ、よかった無事だったのね……大丈夫? 怖いことされなかった?」
僕の元を離れて母親の方へとてとてと走り抱きつく女の子。
母親は女の子を抱きしめると、すぐにこちらを睨みつける。
「ちょっと貴方、ウチの子を連れまわしてどうするつもりだったの!」
「いえ、お子さんが迷子で泣いていらしたので。警察に連れていくべきかと考えましたが、お子さんが警察が怖いと言っていたので」
「……そう、ごめんなさい、不安だったから少し怒りっぽくなってしまって」
初めは僕を睨みつけていた母親であったが、僕の人畜無害そうな顔がよかったのか、段々と落ち着いてきた。
ひょっとして、彼方さんはこれを見越して僕に頼んだのだろうか。
「ありがとー、お姉ちゃんにもいっといてね!」
「うん、お母さん見つかってよかったね」
女の子達と別れた僕は、コンビニの辺りでそれを眺めていた彼方さんを迎えに行く。
「お疲れ様、はいこれ、奢りよ」
「ありがとう、その、何で彼方さんが引き合わせなかったの」
彼女に手渡されたコーヒーの缶を開けながら素朴な疑問を聞いてみる。
彼女は少し弱弱しそうに、
「……昔ね、似たようなことがあって。相手の母親にすごく怒鳴られたわ。わかってる、私の態度が悪いんだって。アンタに任せて正解だったわね。私を見習えとか偉そうなこと言ってたけど、私もアンタを見習わないといけないわね。……もう遅くなったし、今日は解散しましょ。それじゃ」
そう告げると、走り去って行ってしまった。
過去にそんな経験をしながらも、当たり前のように迷子の子を助けようとする彼女。
僕の心臓はものすごくバクバクしていた。もしかして僕は。
その次の週の月曜日。
「おはよう」
「おはよ」
ばったりと正門で会った僕達は挨拶を交わして教室へ向かう。
心なしか彼女の顔が赤い気がするが、それ以上に僕の心臓がばくばくと音を立てていた。
教室に着いて席に座り、ホームルームを待つ。
ホームルームが始まった辺りで、腹痛と便意が僕を襲う。最近本当に胃腸が悪い。
「蓮華君、このプリント配っておいてくれないかしら」
「え、あ」
ホームルームが終わったらすぐトイレに行こうと思っていたのだが、担任が当たり前と言わんばかりに僕の机のようにやってきて、プリントを置く。
「……わかりま「いい加減にしてください、先生」」
どうしても目上の人間の頼みは断りづらい。
便意で苦しい表情になりながらもそれを了承しようとしたが、それを遮ったのは彼方さんの声だった。
気づけば彼方さんが僕の席のところまでやってきて、担任の先生を睨みつけている。
「え、彼方さん?」
「先生、蓮華君ばかりに仕事を押し付けないでください。蓮華君が断りにくいの知っていて頼みごとばかりするのが教師のすることなんですか? プリントなら私が配りますから。アンタもお腹痛いんでしょ、さっさ行ってきなさい」
そう言ってプリントの束を抱えると、ずかずかとそれを配って行く。
茫然とする担任とクラスメイトであった。
「そ、そう。悪いわね、彼方さん」
教師はバツが悪そうに、授業の準備があるのか教室を出て行く。
瞬間、腹痛も便意も一気に消え去った。そしてあがり続ける心拍数。
僕は彼女の事が本当に。