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一日バンパイア

 只今の時刻、7時10分。

 水曜日、平日である。

 私は16歳で、現役女子高校生だ。

 勿論、学校がある。



「ルナっ!!いい加減に起きなさいっ!!」

 甲高い母さんの声が、狭い家の中に響き渡る。

 朝に弱く、中学のころは遅刻の常習犯だった私。高校の単位制で遅刻しまくりはマズイからと、母に朝起こしてくださいと頼んだ次の日から、スパルタ目覚ましが始まった。そのお陰で、入学以来、無遅刻無欠席を誇ることができていたのだが…




 ……でも、今日は行きたくない。


「朝よ、起きなさいっ!!」

 寝ている時ならまだしも、目をパッチリ開けている時、母さんの叫び声はかなり頭に響く。どうやらずっと無視していたら、沸点に達してしまったらしい。とても、煩い。


 母さんの怒鳴り声から身を守るため、私は布団を頭から被った。

「…ルナあっ!!」

 が、全て無駄だった。分厚い冬用の羽毛布団でも、母さんの声には敵わない。


 私は渋々布団から顔を出した。今は本来の目覚ましの任から開放されている電子時計を、チラッと見る。分かりきってはいたが、表示されている日付を確認したとたん、ため息が漏れる。

「休みたい、休みたい、休みだい……やずみだいよぉー……」

 最後には半泣きになってしまったが、とにかく、今日、私はそれくらい学校に行きたくないのだ。


 でも、それは不可能。母さんの仮病を見分ける目だけはぴか一なのである。不良息子の妹は辛い。それでも、行くのよりはマシ!と去年試してみたら、見事に見破られ、こっぴどく叱られた。



「ルナッ!!何時まで寝てるの?!」

 母さんの声が段々ヒステリックになってきた。二階に上がってくるのも時間の問題だろう。そろそろ覚悟しないと、大人しく学校へ行っても、反抗して行かなくても……どっちをとっても恐ろしいことになる。


「……しょうがない、行くか……」

 私は涙ながらにそう決意した。


「もう……ルナっ!!」

「起きてるって!!」

 折角覚悟したのに、これ以上怒鳴られると叶わないので、耳の遠い母さんにも聞こえるよう、自分の出せる最大の音量で叫んだ。


 ゆっくりと起き上がり、電子時計の方を見ないようにベットから降りた。制服に着替えるため、のろのろと箪笥に向かう。私より頭一つ分低い箪笥の奥には、縦に長い窓がある。窓から見える空は分厚い雲に包まれていて、どんより曇っていた。


 晴れだったら、外に出るだけで命にかかわるから、意地でも休むつもりだったのになぁ……。こんなに曇っていたら、十分歩き回れる。ふかーいため息をつき、私は今日のために買っておいた、強い日焼け止めクリームをあらゆる所に塗りたくった。





 ゆっくり時間をかけて身支度を終え、鞄の紐を手に取る。と、ふと思いついて、小机の上に載せてある鏡を覗いた。


 (……もしかして、もしかしたら……変わっていないかも……)

 かすかな希望を抱いて、鏡に向かってニッコリ微笑んだ。恐る恐る、唇を開く。前歯……下の歯……。

どうか、どうか普通の大きさでありますように……。


 私の願いは、犬歯が見えた途端、砕け散った。

 鏡に映る上の犬歯は、歯肉に突き刺さるギリギリの長さまで伸びていた。歯形に沿ってはいるが、先は鋭くとがっている。



 ……そう、まるでオオカミの牙のように。




 私はがっくりと項垂れたが、そんな時間はなかった。下に向けられた視線の先には、起きる直前イライラに任せてほうり投げた目覚まし時計二号(アナログ)が転がっている。今まで私に何度投げられたか分からない、でも一度も壊れたことのないタフな時計の短針は、もう8の近くまで接近していた。そして、長い針は10を差して……って……

「……げ。」

 学校に行きたくはないが、折角起きているのに遅刻するのは嫌だ。勿体無い。


 ……よし、学校へ行こう。

 でも、絶対に〈ご飯〉を食べるのは一日三回。朝は抜く!いいね、ルナ?!


 心の中に深く誓いを刻み込んで、鏡の中の自分を強く睨んだ。ゆっくりと、犬歯を隠すためのマスクをつける。そして、自分の鞄の紐を掴んでドアを開け、階下(した)へと風のように下りる。台所を通り過ぎるとき、母さんの叫び声が聞こえた。

「ご飯は?!」

 こんな時間で、食べる時間なんてないって、分かってるくせに!

「いらないっ!」

 リビングを振り返りもせずに、私は即答する。

「だから早く起きなさいっていってるでしょう!」

 母さんのお説教を背中に受けながら、「いってきます!」と怒鳴り返し、玄関で靴をつっかけ半分転びそうになりながら外へ出た。いつもは学校まで歩いて20分ぐらいかかるけど、走れば10分ぐらいで着ける。まぁ、相当頑張らないといけないけど……。

 玄関を出て、母さんの声が聞こえなくなった所で、私は靴をちゃんと履き直した。拳を握り締め、気合も入れ直す。


「……よしっ!」


 そして、駆け出した……のだが、二、三歩進んだだけで立ち止まってしまった。近所のおじさんが、私の隣を通っていったからだ。おじさんの動きを思わず目で追うと、それと共に体が自然と回転した。おじさんから目が離せない。…否、私は別に、そういう趣味ではない。

 私の目は、おじさんの首筋に(・・・)釘付けになってしまっていたのだ。


 食い入るように見つめていると、くすんだ皮膚が透けて来て、その下でドクドクと波打つ血管が見えてきた。


 真っ赤な真っ赤な血……。

 私の喉が、ゴクリと鳴る。





 ……って!!家出た途端、誓い破ってどうすんだ!!私は頭を思い切り振って、頬を叩き自分を取り戻そうとする。


 でも、あのおじさんの血が、飲みたくて飲みたくて仕方ない。私の中の怪物が、ゆっくりと首を擡げる。私はさっきつけたばかりの、犬歯をごまかすためのマスクを剥ぎ取った。そうしている間にも、目がおじさんから離せない。

 歯形に沿っていた牙が真っ直ぐになり、どんどん伸びていく。私はまるで魅入られたかのようにおじさんに向かって歩いて行った。そのうちに、牙はとうとう唇の外に出てしまった。

 大またで近寄ると、あっという間におじさんの背後に辿り着く。無意識のうちに気配も消しているので、おじさんも他の通行人も全く異変に気付かない。すぐ目の前に、ゴウゴウと音を立て、狭苦しい血管を流れる、愛しい血。もうすぐ、飲んで自由にしてあげる。私は口角を少し上げて笑った。

 まるで、吸血鬼(・・・)のように。


 …そして、おじさんの首筋に噛み付いた!!



 私の鋭い牙は、おじさんの首の皮膚をいとも簡単に貫いた。伸びていく間に、先が針のように鋭く細くなっていたので、血がバァっと噴出したりはしない。貴重な血を無駄にするなんて、バカなことはしないのだ。

 一旦差した牙を抜き、血が一滴も流れださないうちに、傷口に唇を当てる。口を首筋に当てる、その一瞬の間に、血を飲むのに邪魔にならないよう、歯は元の長さにもどっていた。

 じわじわと口の中に鉄の味が広がり、私ののどを潤していく。いつもなら、血の味なんて吐き気を催すほど嫌いなのに、今の私にとっては至高の味。地球上で、これ以上のご馳走はない。おじさんの方に吸い付きながら、私はうっとりとした。


 (最高……♪)

 心の中でそう呟き、ニヤリと笑った。ホラー映画の女優も真っ青な、バンパイアらしい、魅惑的で、艶やかで、恐ろしい微笑。


 そのとき、私はふっと我に返った。自分がおじさんの首に噛み付いているのに気付き、呻く。

 (うわぁ……またやっちゃった……)

 口の中には、しょっぱい血の味が広がっている。私は底抜けに落ち込んだ。





 ハロウィーン。聖なる日の前夜祭。子供たちは魔女や狼男、妖精など、様々に仮装して、ジャックオーランタンの輝く戸口へ立ち、「トリックオア、トリート!」とお菓子を要求する。子供たちのはしゃぎ声が響く夜、年に一回の、ハロウィーン。

 10月31日。

 ……私が一日だけ、バンパイアに変貌してしまう日なのである。

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