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第十四話 「夫婦二人三脚、新たな出発」

 主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。

 だが、いつも寄り添ってくれる妻ナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。

 翌日から俺は休んでいた身体を目覚めさせるため、筋トレを再開し外に出て五キロ以上ランニングしていた。

 ナミは今年大学三年になり、ナミの大学では在学中の結婚は少ないと話していた。

 明後日から俺は自主トレに参加し、その後球団のキャンプに入るため、一ヶ月半は宮崎に滞在する事にしていた。

 滞在中はナミと一緒にナミの手配したホテルに宿泊し、レンタカーで毎日練習に出掛けていた。

 チームの皆は「羨ましい」とかチヤホヤされたが、ナミは大学生だからできる事だ。俺はナミがそばに居ると安心感があり心強かった。

 ナミは俺と付き合うようになってから野球に詳しくなり、俺の練習や試合を見てはダメ出しをしてくれた。

 勉強ではナミ先生だし、野球ではいつの間にかナミコーチになっていた。

 ナミと一緒だといつも楽しかった。


 俺は練習を終え、ホテルに戻りナミと晩飯に向かった。

 練習後のビールを呑み、俺は今年一軍昇格をナミに誓っていた。

 ナミは「やればできる、ハルならできる!」と言ってくれた。

 ナミは大学卒業後の事を話し始め、「卒業したら商社か旅行代理店か広告代理店に就職して、その後母の会社に入社する予定」と話していた。

 また、ナミは母の会社(砂山不動産グループ(不動産事業、商業施設事業他)の後継者を目指す事になるようだ。

 兄が二人居るので事業の分割もあり得るとも話していた。


 俺は入籍し苗字は砂山になった。(登録名はハルトのまま)

 ナミの父は「野球もいいがこちらの事業を手伝って欲しい」とナミに話していたようだが母は「やりたい事は最後までやって悔いのないように」と話しているようだ。

 ナミの母は若い頃やりたくてもできなかった辛い過去があるとナミから聞いた。ナミは母の事を理解し、母はナミを気に掛けいつも応援していた。

 

 俺は球団の(二軍)キャンプに参加した。

 初日にOBや臨時コーチ、一軍コーチが見に来ていた。

 監督が皆に俺達を紹介していた。

 俺達の練習を見ては色々と話し掛けてくださり、色々と参考にしていた。

 俺が打撃練習を終える頃、臨時コーチ『久慈さん(Kさん)』が居て俺の打撃練習を見ていた。

 ゲージの後ろから「君は左で打った事があるか?」とKさんに言われ、「一度も無いです」と答えると打撃コーチとKさんで俺に左打席で打つようにと言うので、左打席に入りマシンの球を打った。

 俺は何回か素振りをして、打席に入った。

 最初はぎこちなかったけどバットコントロールが良く、バットの芯に当たりやすく、Kさんは「これだよ、これよ!」と言い、「君は左の方が合っているようだ」と打撃コーチも納得していた。

 その後も左打席で打つようになり、監督から「気づかなかったが、左の方がいいネ」と言う事になった。


 臨時コーチのKさんは一軍監督やコーチと仲が良く、この球団のコーチ就任就任要請を何度も断っているらしい。

 しかし球団はオファーを続けるとKさんは「臨時ならいいゼ」という事で今年のキャンプに来てくださったようだ。

 二軍監督やコーチからは信頼があり、言葉は多少荒いが二軍全ての選手にアドバイスしていた。


 俺は帰りに「アドバイス、有難うございました」とKさんに言うと「夕方俺に付き合え」と言うので、宿舎近くの居酒屋に行く事になった。

 俺はナミにメールし「遅くなるかも?」と送信した。


 Kさんと一緒に居酒屋に入るとシゲさんが居たのだ。

 「あれ、シゲさん、この間は有難うございました」と言うと「ハル、カミさんに優しくしてるか?」と言い、「バッチリッスよ」と言うと「よし、よし」とうなずいていた。

 ところで何でシゲさんが居るかと言うと、以前聞いたシゲさんが見込んだ男三人の内の一人がこのKさんなのだ。

 シゲさんは俺がもう一歩伸び悩んでいる事を気に掛けてくださり、一度Kさんに見て貰いたかったという事だ。 

 Kさんは「シゲさん、今日見たらいいスイングだったよ、明日から彼は良くなるゼ」と話しており、シゲさんは「そうかい、そりゃ良かった、久慈が言うなら間違いねえ、ハル良かったな」と話した。

 俺は逆にシゲさんに御礼を言わなければいけないのにと思い「今日、出会えて指導して貰って有難いッス」と話した。

 Kさんは「今日はおごって貰うよ」と言い俺は「いいッスよ」となった。

 シゲさんはお酒が入りご機嫌で色々と話してくれ、Kさんもお酒を呑みながら昔の事等を色々と話してくれた。 

 Kさんとシゲさんはだいぶお酒が入り、上機嫌でタクシーに乗り、ホテルへ送り届け、俺は宿泊するホテルへ帰った。


 翌日から俺は左打ちに変えて練習をしていた。

 昼過ぎにKさんとシゲさんが来られて「昨日はごちそうさん、どうだ?」と言うので「かなりいいッス」と答え、快音を響かせた。

 シゲさんは「いい音だ」と打球音を聞き、俺のバッティングをしばらく見ていた。

 その後、二人は二軍監督と打撃コーチに何やら話しをして帰って行った。


 俺は三年目のシーズンに入った。

 翌日の練習試合で俺は三番ショートでスタメンだ。

 左打席で初めての実践だが、きちんと結果は出ていた。

 三打数三安打三打点となり、勝利した。

 その後も順調に打撃は好調でそのままの状態でオープン戦に入っていった。

 守備はショートがメインで、たまにサード、レフトにも着いていた。

 俺は久しぶりに自宅マンションに帰宅した。

 ナミは大学に通い始めていたし、俺はここからリーグ戦に行けるので良かった。


 四月になるとナミは大学三年生となった。

 ナミは在学中に母の事業を継承するために色々な資格を取得すると話していた。

 俺はナミのパワフルさに刺激され、日々の練習や試合に取り組んでいた。

 また、このマンションの賃貸契約更新時期になったため、俺の名前で賃貸契約する事になった。俺は晴れて世帯主となった。


 俺はリーグ戦にスタメンで出場する事になり、チームの勝利に貢献できるよう試合で結果を出したかった。

 Kさんからのアドバイスでバッティングが好調となり、今までに無いくらいバッティングが安定していた。

 チームは幸先良く連勝が続き、二位をキープしていた。

 俺は二十五日に二十一歳の誕生日を迎え、一軍昇格を目指していた。

 ナミからバッテグロを貰い「愛で打つ!」と親指のつけ根辺りに刺繡が入っていた。


 五月に入り、チームは二位で遠征三連戦プラス三連戦が待っていた。

 最初の三連戦は二勝一敗、次の三連戦は一勝二敗で帰って来た。

 俺のバッティングは好調をキープしていて、監督やコーチからも「ハル、今日も頼むぞ」と言われるようになった。


 一日休んでホーム三連戦だったが、一軍の選手二名が怪我で登録抹消となり、俺ともう一人に監督から一軍昇格の連絡を貰い、火曜日の五月二十日に一軍登録された。

 その日はナイターで十三時には球場入りし、監督・コーチ、ベンチ入りの選手に挨拶し、十四時頃から練習を始めた。

 守備(内外野)練習を終え、打撃練習をしていた時、一軍監督がそばに来て「キャンプの時Kさんが行っただろう」と言うので、「ハイ、大変お世話になり、左打ちを勧められ今に至っています」と言うと「そうかどこかで出てもらうから、よろしく」と言っていた。


 打撃練習を終え、ベンチ裏で着替えているとコーチから「今日スタメンでショート行ける?」と言われ「スタメン?ハイ、頑張ります」と驚いたが「いいチャンスだ」と思い、身体中が熱くなり興奮してきた。

 ミーティングでスタメンが発表され、俺は八番ショートだ。

 ナミにメールし、ナミから色んな方々へメールが送信されたようだ。


 試合が始まり、久しぶりの人工芝でテンションが上がり、感触を確かめながら打球を処理していた。

 俺は三回に打席が廻り、ランナーは一塁、左打席から内角やや高めをレフト前に運び、二・一塁とし一軍での初ヒットだ。

 五回に二打席目が廻って来た。

 ランナー無しでレフト線へツーベースとし、後続にヒットが出なかった。

 七回の三打席目はランナー二塁でセンター前ヒットし、三・一塁で後続が打ち一点を入れた。

 最終回の攻撃でランナー無しでライトフェンスへツーベースとし、後続が打ち一点を入れたがその後続かず、ゲームセット。

 試合は四対三で負けてしまった。

 一軍初出場で四打数四安打一打点は自分でも驚き、チーム内でも「こんな選手居たんだ?」みたいな話しになっていた。


 翌日もスタメンで二番ショートだ。

 俺は、初回にヒットで出塁し、後続が連打で二点が入り、三回の二打席目はフォアボールで出塁し、後続のツーベースが連打し二点。

 俺は五回からベンチに下がり、二打数一安打となった。

 チームは六回に一点。

 八回に一点が入り、この試合三対七で勝利した。


 最終戦、スタメンで二番ショートとなり、九回まで出場した。

 二打数一安打二フォアボールで試合は四対五で勝利した。

 翌日からホームで三連戦だ。

 ヘッドコーチは「明日もスタメンだネ」と言って帰って行った。

 俺は少し居残り特打ちを行い、シャワーを浴びて自宅へ帰った。


 その後の三連戦も守備、打撃と好調で先輩選手からも一目置かれるようになった。

 翌日は休みで電話やメールで皆から激励され、シゲさんからは「やっとハル(春)が来た!」とかギャグられた。

 兄いは「○〇選手のサイン貰えるか?」とメールが来るが、まだそういう選手に簡単に声は掛けれなかった。

 「俺のでどうだ」と返信するが既読スルーされてしまった。


 翌週から関西で三連戦初戦をスタメンで二番ショートだ。

 俺のバッティングは好調だったが、連打が無く三対五で負け、二戦目も三番ショートでチャンスに連打が出て六対二で勝ち、最終戦も三番ショートで二本のヒットを打つが三対四で負け、一勝二敗となった。


 六月に入り、明日から愛知での三連戦だ。

 初戦~最終戦まで六番ショートで出場し、ここ一番での連打やホームランが出てチームは二勝一敗となった。


 その後、交流戦があったり、戸惑いながらもチームの勝利に貢献しようと気合が入っていた。

 遠征も多く、ストレスも溜まりやすかった。

 日帰りのゲーム後は、新幹線と電車を乗り継ぎ、二十三時半頃帰宅し、ソファでぐったりしていた。 

 明日はゆっくり過ごす予定だ。

 翌日は九時頃まで寝ていて、マッサージチェアや筋トレマシンで身体を解し、買い物行って、後はのんびりしていた。

 最近の休日はナミと一緒にいる事で励まされ、癒され、気分転換になるので明日からの試合に気合が入っていた。

 

 今日から東京での三連戦でナイターだ。

 ナミは大学の帰りに球場で観戦すると話していたし、気合も入り、三打数二安打一ホームランと勝利に貢献した。

 ゲーム後、ナミと一緒に晩飯を済ませ帰宅した。

 遠征になればナミとは会えず長い時は一週間程となっていた。

 

 七月後半はオールスターが二日間開催され、俺にはまだ縁が無かった。

 八月は少し夏バテ気味にもなり、ナミはスポーツインストラクター達と夏バテ改善プランとか相談していた。

 食事・飲み物・トレーニング等で色々指導された。

 チームは三位~四位を行ったり来たりで、勝ちきれない場面があった。


 九月になると夏の疲れが見える選手も居たが、俺はナミのケアで体調面は良好だ。

 しかし、遠征での二戦目の七回に俺はショートゴロを捕球し二塁ベースを踏み一塁へ送球した際、走者と交錯し右足を痛め、退場となり病院へ搬送された。

 診察は右足首及び右膝靭帯損傷で全治一~二ヶ月との事だ。

 ナイターだったので、翌日午前中にナミが駆け付け、三日後に転院する事になり、ナミの知り合いの病院へ移動してから例の先生による手術が行われる予定だ。

 その後、三日間の入院でリハビリと通院をする事となった。

 俺の場合、ポジション的にランナーと交錯して怪我をする事があると振り返り、高校の時から数えれば「何回目かなあ?」と思いながら病室に居た。

 球団からは「残り少ない試合数だからゆっくり休め」と言われ、その後、リハビリと筋トレをしていた。

 十月には練習に復帰する予定だが、二軍と一緒に練習していた。


 二軍監督・コーチと久しぶりに練習し、「ハル、気を取り直して、また来年頑張れよ」と励まされた。 

 今年の秋季キャンプには参加する事にし、三浦半島で三週間行う予定だ。

 ナミも一週間程近くのホテルに宿泊し俺に付き合ってくれた。

 怪我の部分は回復し、全く気にならず、筋力も問題無かったので、秋季キャンプでは皆と同じメニューをこなしていた。

 秋季キャンプが終わり、打ち上げをして翌日自宅に帰った。


 一週間程、ゆっくり休んでいると球団から来季の契約更改の連絡を貰い、明後日球団事務所に出掛ける予定だ。

 契約更改当日、球団関係者と役員から説明を受け、年間の給料(年俸)等の提示があり、来季は百五十パーセントアップとなった。

 俺は驚きのあまり提示金額を何回も確認し、契約書にサインした。

 球団役員からは、一軍昇格での活躍を評価され、怪我の状態を聞かれたり、来季も期待すると言われた。


 球団事務所を出て、ナミにメールをしてから実家に立ち寄り、久しぶりに両親と話しをしていた。

 おかんは怪我の事を聞いて来て心配していた。

 おとんは「ハルが出場する試合はテレビで見れない」と怒っていた。

 その後、自宅へ帰り、ナミが帰宅すると晩飯に出掛け、契約更改の話しをするとナミは驚いていた。

 スポーツ選手は活躍できる期間が良くて二十年悪くて数年なので、「今高くてもトータルしたらどうなんだろう?」と話し、俺の給料(年俸)は「ほとんどは貯金したい」と話していた。

 それ以降はナミが俺の給料をきちんと管理してくれていて、小遣いはそれなりに貰えているし、俺は十分満足していた。


 ナミは大学の冬休みに入り、ナミの誕生祝いも兼ねて海外旅行(十日間)に出掛けた。ナミは英語を話せるので頼りになるのだ。

 お互い日頃の疲れを癒し、美味しい物を食べ、心と身体のリフレッシュをしていた。お互い適度に日焼けして帰国した。


 その後、大石先生宅を訪問し近況報告をしたり、ナミの友達に会ったり、ナミの両親に会ったりしていた。

 俺は毎日筋トレを欠かさず行い、自主トレやキャンプに備えていた。

 それでもナミと毎日楽しく過ごし、将来の事を想像しながら話していた。

 ナミが就職したら子供も欲しいし、賃貸マンションから分譲マンションに移住する事も話していた。

 ナミは子供が三人以上欲しいと話していて自分の理想像を聞かせてくれた。

 俺はいつまでプロでやって行けるかわからないし、問題はその後で、俺から野球を取ったら「何ができるかな?」となってしまうので今から考えたいとナミに話していた。

 ナミは「母の会社で働けばいいんじゃない」と言うのだが、出来不向きもあると思うのだ。

 ナミは「私に任せて」と俺の性格等を踏まえ、適材適所を考えたいと話す。

 まあ、今までもそうだが、ナミの考えや意見を踏まえてやって来た。


 年末年始も過ぎ、俺は自主トレに向けて準備をしていた。

 今年も宮崎で自主トレし、その後一軍のキャンプにだ掛けた。

 一軍キャンプは沖縄なのでナミは沖縄に行くのが楽しみだと話していた。


 今年の自主トレはマサトやケンも一緒だったので楽しくもあり、いい刺激だった。

 最近、マサトはコトミと付き合っているらしく、俺とナミが結婚した事でさらに刺激になっているようだ。

 一方のケンはお付き合いの相手を一人に絞れないらしく、いいのか悪いのか何とも言えないところだ。

 そんな話しもしながら自主トレを終え、それぞれのキャンプ地に移動して行った。

 ナミは沖縄から同行し、ホテルに宿泊して俺と一緒に過ごしていた。

 一軍のキャンプは二軍より少し緩い(軽め)の練習が多く、それに甘んじていると怪我や成績不振を招く恐れがあると臨時コーチのOBは話していた。

 OBの方々は自分の経験談を話してくださり、かなり参考になっていた。

 面白く失敗談を話す方も居たり、和やかなキャンプだった。

 三月中旬にキャンプは終了し、開幕に向けてスタンバイしていた。   


 俺は4年目のシーズンに入った。

 一軍の開幕戦は遠征で三連戦だ。

 俺はスタメンで六番ショートで出場した。

 相手チームはホームゲームなので勢いがあった。

 しかし、俺達はヒット数が少ないわけではないが点に結びつかないため、試合が終わってみれば三対六で負けた。

 二戦目は三対0、三戦目は二対五で俺達は一勝二敗で帰って来た。

 俺は十一打数八安打で打った方だと思うのだが、コーチは「ハルの後が続かない」とぼやいていた事もあった。

 俺達は打線が繋がらないのが一番の敗因だった。

 こればっかりは監督が選手や打順を決めるので何とも言えないところがあり、少なくとも俺は少しくすぶっていた。


 四月となり、ナミは大学四年生となった。

 ナミは大学院には進まず、資格をたくさん取得して卒業後就職すると話していた。

 ナミはいつも目標がハッキリしていて、努力し結果を残すタイプだ。

 それでいて周囲には気を使い、優しく接するところは大人なのだ。


 俺のチームは四月以降も低迷が続き、こんな感じが六月まで続いて、チームは五位か最下位を行ったり来たりで低迷していた。

 俺個人の打撃成績は好調で、リーグ打率で十位以内をキープし、二塁打数はトップで安打数は五位で無失策を継続中だ。

          

 七月中旬にチームは四位までいったが、オールスター後は五位になってしまった。

 八月以降もチームの低迷が続き、俺ひとり好調(リーグ打率四位、安打数二位)でも一人浮いてしまう時期が続いた。

 塁上にはランナーが居てヒットを打つが後続からの快音が聞けず凡退やツーベースヒットで出てもその後続かない事が多かった。

 このままだと俺は腐ってしまう気がしていた。

 この事はシゲさんやKさんも気づいていたが、動くすべも無くシーズンは終わりチームは最下位となってしまった。

 俺個人の打撃成績では出場試合数が百三十、打率が五位、二塁打数二位、安打数三位、全試合無失策という結果でキャリアハイとなった。


 俺は今年の秋季キャンプ(三浦半島・三週間)で誰かに愚痴りたかったが、グッと我慢し、守備・打撃練習を続けていた。

 練習後、Kさんとシゲさんが俺を気に掛け訪ねて来てくれた。

 その夜、居酒屋で俺の腹の中がわかっているかのような事を話し、それに加えKさんは「ハルはこのチームに居たら腐って潰れてしまうかもな。俺は複数の球団関係者にハルの事(移籍受け入れ)を話しておいた。ハルが欲しいチームはいくらでもいるはずだからその内何らかの連絡があると思うぞ」と話していた。

 もし俺を必要とする球団は金銭トレードか選手同士の交換トレードになるだろうと話していた。

 俺は今の環境では今以上のパフォーマンスは難しいと思っているし、何か話しがあれば積極的に聞こうと思っていた。


 秋季キャンプは明日で終わり、打ち上げが終わったらすぐに帰宅しようと考えていた。

 夕方、球団事務所からの連絡で、秋季キャンプが終わった三日後に事務所に来て欲しいと連絡があった。

 俺は「もしや」と思い、帰宅してから約束の日に球団事務所に出掛けた。


 球団事務所には役員、職員の他、一軍監督が会議室に座っていた。

 俺が会議室に通され席に着くと役員からトレードの話しをされ、数球団と交渉の末、移籍先はYB球団との事だ。

 移籍後の契約内容を説明され、その中に来季の年俸について提示があった。

 昨年の約2倍の金額が提示されていた。

 同じリーグで自宅から電車で一時間半程で今よりは少し遠くなる。

 役員から「君はまだまだ先がある選手だ。今後ライバルとなるが新天地での活躍に期待する」と話していた。YB球団には一月からとなるようだ。

 職員の方から移籍までの事を説明され、その後皆さんに挨拶し事務所を後にした。

 ナミに連絡し、Kさん、シゲさんにも連絡すると「そうか、良かったな」と話していた。

 俺は自宅に帰り、ナミに話すと「私が大学を卒業して就職したら良さそうな場所に引越そうネ」と話していた。

 ナミの大学は冬休みで、十一月中旬になると今年も海外旅行&ナミの誕生祝いを兼ねて十日間程出掛けていた。

 今年はハワイの島々を廻りのんびりと過ごしていた。

 帰国後はお土産を持って大石先生宅や俺の実家に顔を出した。


 その後は、二軍練習場に行き、お世話になった方々に挨拶をした。

 特にクラブハウスの食堂で働いていた方々に挨拶すると「昼ご飯食べて行きなよ」と言われ、美味い昼飯を食べていた。

 帰りに俺のロッカー等を掃除し、私物を持ち帰った。


 翌日、球団から連絡があり、GG賞を初めて受賞したと連絡があり、後日授賞式に出席し、金一封と景品を貰った。

 俺はGG賞授賞式の帰り、タクシーで帰宅し、ナミに見せた後「お世話になった大石先生に贈ろう」と話すと「そうだね、先生喜ぶよ」となった。


 大石先生に連絡し、後日GG賞の金一封と景品(金色グラブの置物)を持ってナミと一緒に訪問した。

 先生宅に入り、俺は「この賞を貰うきっかけとなった恩師は大石先生だと思っている」と話し、ナミは「ハルの気持ちがこもっているのでぜひ受け取ってください」と話すと大石先生や奥さんは涙を浮かべ喜んでくれた。

 大石先生は「ハル、期待以上の活躍でいつも驚き、感動していた。俺は幸せ者だよ」と話してくれた。

 俺の方が感謝しても足りない位なのに先生から温かい言葉を掛けてくれ、俺の方が幸せ者だと思っていた。

 子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。


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